足利将軍撰『新百人一首』を読む(11) 紀長谷雄

11 我為は見るかひもなし忘草わするばかりの恋にしあらねば  中納言長谷雄


【標註】

〇「我為は」云々、後撰に「いひかはしたる女の今は思ひ忘れねといひ侍りければ」とあり。


【出典】

〇『後撰集』巻十一・恋三789(『新編国歌大観』第一巻)

   いひかはしける女の、いまは思ひわすれねといひ侍りければ、はせをの朝臣

わがためは見るかひもなし忘草わするばかりのこひにしあらねば

※「いまは思ひわすれね」 交際していた女の別れを切り出した言葉。「もう私への愛情は忘れてしまいなさい」ということ。「ね」は強意の助動詞「ぬ」の命令形。現代なら「忘れてよ」という言い方に当たる。 


【語釈】

〇我為は 「わがためは」は、「私にとっては」「私に関しては」の意で、他者との比較・対照を前提とする言い方。「ほかの人にとっては見る甲斐がある」のに対して「私にとっては見る甲斐もない」と、効果が自分には及ばないという認識を打ち出している。『後撰集』巻十一・恋三784(読人不知)「我が為はいとど浅くやなりぬらむ野中の清水深さまされば」。〇忘草 「忘れ草」は、ワスレグサ(ヘメロカリス)属の多年草。ニッコウキスゲやユウスゲなどの近縁種。花が一日限りで終わることが多いので、英語ではDaylily、ドイツ語でもTaglilieと呼ばれる。『岩波古語辞典』は「萱草〈くわんざう〉の異名。それを身につけると物思いを忘れるというので、恋の苦しみなどを忘れるために、下着の紐に付けたりまた植えたりした。恋忘れ草」と説明する。〇わするばかりの 「忘れる程度の」の意。「わする」は、下二段動詞の終止形。「ばかり」は終止形に付いて程度を表す助詞。〇し 強調を表す副助詞または係助詞。『岩波古語辞典』「基本助詞解説」は次のように解説する。「し」は確定的・積極的な肯定的判断を強調する語ではない。むしろ基本的には、不確実・不明であるとする話し手の判断を表明する語と考えられる。従って、話し手の遠慮・卑下・謙退の気持ちを表すところがあり、話し手が判断をきめつけずに、ゆるくやわらげて、婉曲に控え目に述べる態度を表明する語と思われる。(以下略)


【作者】

〇中納言長谷雄 平安時代初期の公卿であった紀長谷雄。父の紀貞範が長谷寺の観音に文才のある子供を願って生まれたため、長谷雄と名付けたという伝承がある。承和12年(845)生まれ。貞観18年(876)文章生、仁和4年(888)従五位下となり、図書頭・文章博士などとなった。寛平6年(984)遣唐副使に任じられ、さらに大学頭・侍従などを経て、延喜2年(902)参議となった。延喜12年(912)68歳で亡くなった時は、中納言従三位であった。宇多上皇が醍醐天皇に与えた『寛平御遺戒』の中で、菅原道真や藤原時平・藤原定国らと並んで、平季長・長谷雄を取り上げて「共に大器なり」と誉めて「昇進を憚るなかれ」と重用すべきだとしている。子に『古今集』の真名序の作者・淑望がいるが、偽書とされる『愚秘抄』には、紀貫之が淑望を養子にしたとある。また、『江談抄』には、三善清行が長谷雄と口論になって、「無才の博士はわ主より始まるなり」と罵倒したことが出てくるが、処世術に長けた長谷雄は言い返さなかったと伝える。菅原道真とは親しく、道真が配所で作った『菅家後草』を長谷雄に託したことから、左遷以後もひそかに支援していたという話もある。紀長谷雄は漢詩人として『本朝文粋』などに詩を残すほか、『日本紀竟宴和歌』には歌を残し、後撰集にも4首入集している。子の淑望・淑人らは『古今集』に、淑光は『後撰集』に歌が採られている。なお、紀長谷雄を主人公とする怪奇譚の『長谷雄草紙』という絵巻が知られているが、これは『和漢朗詠集』「早春」13「庭増気色晴沙緑 林変容輝宿雪紅」の注釈から派生したものらしい。


【訳】

あなたに思いを寄せるこの恋は、あなたから「もう私への愛情は忘れてしまいなさい」と言われて、忘れてしまう程度の恋ではないので、恋を忘れるという忘草は、私にとっては見る甲斐もないものなのですよ。


※この歌は、形式上は二句切れだが、三句目でも切れ、三句目は初句・二句目と倒置になっている。そして四句目・五句目が上の句に対して倒置している。さらに、三句目の「忘草」は、枕詞的に四句目の「忘る」を導いているという、非常に手の込んだ歌になっている。倒置を修正すると次のようになるだろう。句読点や、言葉を補い、枕詞を【】でくくってみる。


  【忘草】わするばかりの 恋にしあらねば、(恋をわするる)忘草(は)我為は、見るかひもなし。


※元来の歌を、句ごとに訳出する順番で示すと、453【0】12とでもなるだろう。これを複雑だと言うなら、三句目を枕詞とみなさないで、二句切れで次のように解してもよい。このばあいは、45123ということになる。


   忘草(は)、わするばかりの 恋にしあらねば、我為は、見るかひもなし。


【参考】

〇『大和本草』巻之七(草之三・花草類)「萱草」(『益軒全集』巻6所収)

事類合璧に、花に黄紅紫の三種ありといへり。詩経衛風伯兮曰。焉得諼草言樹之背。諼は忘也。萱草を云。此草令人忘憂。花は朝開夕べにしぼむ。遵生八牋曰。千瓣者食之殺人。単瓣者可食。花ひとへなる萱草の苗、わかき時可食。又花も可食。花乾しても可食。救荒本草曰。根亦可作粉。如治蕨法。わらびの粉をとる如すべしと也。又土中のわかき苗を食すべしといへり。〇琅邪代酔編四十巻に、詩に所謂諼草は非萱草。と云。其説詳。〇姫萱草あり。葉も花も小にして花黄なり。〇筋萱草葉に白きたて筋多し。

※「焉得諼草言樹之背」は『詩経』に衛風編の「伯兮」の一節で「いずくんぞけんさうをえて、ここにこれをせにうゑん」(どうか愁いを忘れる草を手に入れて、私はそれを裏庭に植えよう)と解するのがよいか。『遵生八牋』(じゅんせいはっせん)は、中国の随筆書。明の高濂 (こうれん) 著。種類によって中毒の危険がある事を述べている。『琅邪代酔編』(ろうやだいすいへん)は、 明の時代の張鼎思がまとめた漢籍の抜粋。

〇『歌枕歌ことば辞典』(角川小辞典・片桐洋一)

わすれ草〔忘草〕萱草のこと。ユリ科の宿根草。葉は線状で先端が垂れている。七月ごろに花茎を出し、黄赤色の、ゆりに似た花を開く。平安時代中期の辞書である『和名抄』に「萱草、一名忘憂。漢語抄云、和須礼久佐(わすれくさ)」とあり、憂(うさ)を忘れるということを掛けて、忘草とよんでいたことが知られる。『詩経』の毛伝に「諼草、令人忘憂」とあるなど、中国ですでに萱草の類を憂を忘れる草と考えていたことが知られるのであるが、わが国では恋に関連して詠まれることが圧倒的に多かった。早く『万葉集』に「萱草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり」(巻二十)というように、恋の苦しさから逃れさせてくれる草、つまり「恋忘草」の意でよまれ、平安時代に入っても、「道知らば摘みにもゆかむすみのえの岸に生ふてふ恋忘れ草」(古今集・墨滅歌・貫之)をはじめ、「忘れ草たねとらましをあふことのいとかくかたきものと知りせば」(同恋五読人不知)などの例があるが、むしろ「人忘れ草」つまり「人を忘る」ということを掛けて詠むことの方が一般的であった。

〇絵巻『長谷雄草紙』の本文 ※永青文庫本により、句読点を施した。一部表記を変えたところがある。 

中納言長谷雄卿は学九流にわたり芸百家に通じて世におもくせられし人なり。或日ゆふぐれがたに内へまいらんとせられける時、見もしらぬおとこのまなこゐかしこげにてただ人ともおぼえぬ来て云、つれづれに侍て双六をうたばやと思給に、そのかたきおそらくは君ばかりこそおはせめとおもひよりてまいりつるなり、といへば、中納言あやしうおもひながら、こころみむと思心ふかくして、いと興あること也。いづくにてうつべきぞといへば、これにてはあしく侍ぬべし。わがゐたる所へおはしませ、といへば、さらなりとてものにものらず、とものものもぐせず、ただひとりおとこにしたがひてゆくに、朱雀門のもとにいたりぬ。

この門の上へのぼり給へといふ。いかにものぼりぬべくもおぼえねど、男のたすけにてやすくのぼりぬ。すなはち、はむてうととりむかへて、かけ物にはなにをかし侍べき、われまけたてまつりなば、君の御心に、見めもすがたも心ばへもたらぬところなくおぼさむさまならむ女をたてまつるべし。君まけ給なばいかにといへば、我は身にもちともちたらむたからを、さながらたてまつるべし、といへば、しかるべしとてうちける程に中納言ただかちにかちければ、おとこしばしこそよのつねの人のすがたにてありけれ、まくるにしたがひて、さいをかき心をくだきける程にもとのすがたあらはれて、おそろしげなる鬼のかたちになりにけり。をそろしとはおもひけれども、さもあれ、かちだにしなば、かれはねずみにてこそあらめ、とねむじてうちける程に、つゐに中納言かちはてにけり。その時またありつる男のかたちになりて、いまは申におよばず。さりともとこそおもひ侍つれ。からくもまけたてまつりぬる物かな、しかじかその日わきまへ侍べしといひて、もとのごとくおろしてけり。

中納言あさましとおもひながらたのめし日になりければ、したまたれつつ、さりぬべき方とりしつらひて、まちゐられたり。夜ふくる程に、ありし男ひかるがごとくなる女ぐしてきて、わきまへにけり。中納言めもめづらかにおぼえて、これはやがてたまはるか、ととへば、さうにをよばず、まけたてまつりてわきまへぬるうへは、かへし給べきやうなし、但、こよひより百日をすぐしてまことにうちとけ給へ。もし百日のうちにをかし給なば、かならずほいなかるべし、といへば、いかにものたまはせんままにこそとて、女をばとどめておとこをばかへしつ。夜あけてこれをみれば、目も心もおよばず、このよにかかる人やはあるべき、とあやしきことかぎりなし。やや日をふるままに、心ざまもなつかしく、いとどそひまさりして、かた時もたちさるべくもおぼえざりけり。

かくて八十日ばかりになりにければ、いまは日数もおほくつもりぬ。かならず百日としもさすべき事かはと、たえがたくおぼえてしたしくなりたりければ、すなはち、女水になりてながれてうせにけり。中納言くひのやちたびかなしめども、さらにかひなかりけり。

かくて三月ばかりありて、夜ふけて中納言内よりいでられける道に、ありし男きあひて、車のまへのかたよりきて、君は信こそおはせざりけれ、心にくうこそおもひきこへしか、とてけ色あしくなりて、ただよりにちかづきければ、中納言心をいたして、北野天神たすけ給へとねむじ侍ける時、そらにこゑありて、びんなきやつかな、たしかにまかりのけと、おほきにいかりてきこえける時、男かきけつごとくうせにけり。このおとこは朱雀門の鬼なりけり。女といふは、もろもろの死人のよかりし所どもを、とりあつめて人につくりなして、百日すぎなば、まことの人になりて、たましゐさだまりぬべかりけるを、くちをしく契をわすれて、をかしたるゆへに、みなとけうせにけり。いかばかりかくやしかりけん。


【蛇足】

『百人一首』を作ってみようという人はたくさんいることでしょうけれど、さてそういう人が、紀長谷雄の歌に着目するということが生じるかどうかと考えて見ますと、ぼぼいないのではないかと思ったり致します。大体において漢詩人だろうと思われるわけで、和歌に関して家集もないような、そして勅撰集に片手の指で歌数を指折れる歌人とも言えない人を、選ぶはずがありません。ところが、この選ばれた歌を見ますと、なるほどと感心いたします。たとえば、『万葉集』や『古今集』の「わすれぐさ」の歌を見ますと、ちょっとなんだか素直に受け入れがたい点がありまして、何を言いたいのか実はよくわからないのであります。それに比べると、長谷雄の歌は、「忘れ草」を「恋忘れ草」と捉えていて、別にあまり「忘れ草」の植物的な特徴であるとか、食べ物として考えるとか、そういう必要がないのでありまして、「恋を忘れる草」とか「恋人を忘れる草」というような、名前の表面から受ける印象によって解することが可能なのであります。こういう、植物の名前を象徴として捉えて、歌の中にさりげなく生かすというようなことが、どうもそれまではなかったという印象なのであります。

そして、この歌には巧みな修辞技法が隠れておりまして、その一つは二句切れ、三句切れ倒置法というような、二か所の倒置による複雑な倒置技法が使われております。まず、二句切れと言うことは、形式的に決まります。二句目の最後が「なし」という終止形ですから、これは異論は生じません。末句五句目の最後は「ねば」でありまして、これは条件節ですから、倒置の歌だということは明白であります。問題は三句目がどこに掛かるのかということですが、三句目は「忘草は」と係助詞の「は」を補って、初句二句目と倒置していると感知されることでしょう。「忘草は、我為は見るかひもなし」となります。もちろん「忘草を」と格助詞の「を」を補って、「忘草を、我為は見るかひもなし」でも、構わないわけです。こうして上三句が倒置されていると考えると、四句目・五句目の「わするばかりの恋にしあらねば」が条件節で文頭に立つということが、非常に明白になると思います。交際している女性から、「私のこと忘れて」と絶交を言い渡されて失恋の危機にあるわけですが、「君のこと諦められないから」と交際の継続を望んでいるわけです。そこで持ち出したのが、失恋の痛みを和らげる「忘れ草」でありまして、「僕には忘れ草は必要ないんだ」と忘れ草不要論をぶった歌なのであります。

次に、もう一つの修辞技法は、枕詞的な表現でありまして、「わすれ」「わする」の同音反復を生かしまして、三句目の「忘草」を四句目を引き出すために使っているのであります。これは、なかなか心憎い詠み方ではないでしょうか。ちなみに、45312というこの、形式的には二句切れ、実施は三句切れで、三句目が初句・二句目に倒置しているという読み方は、たとえば『百人一首』99番の後鳥羽院の歌を解するときなどに非常に有効だと思います。二句切れだけにして、三句目を文頭に立てても成立するわけで、繰り返し読むうちに、三句目の文頭が実は初句・二句目に掛かっているということが分かる仕掛けです。

それから、想像をたくましくすれば、一日くらいでしぼんで枯れてしまう萱草の花を、この歌をしたためた手紙に添えるのでしょうけれど、せっかくだからつぼみの状態の物も一緒に送るはずであります。次々と咲いては枯れる花を、諦めないで恋の炎を燃やし続けていることの比喩としていると考えてよいかと思います。


  我が説は 読むかひもなし 笑ひ草 笑ふばかりの 論ひなれば

  わがせつは よむかひもなし わらひぐさ わらふばかりの あげつらひなれば


【訳】形式的には二句切れ、しかし三句切れでもあるよ、さらに三句目は枕詞だよ、というような説は、たぶん読む甲斐もないようなお笑い種の珍説です。ふふふWWWと嘲笑されるくらいの議論にすぎないので。


それにしても、もしこの「我為に」の歌の「いひかはしたる女」というのが、鬼がくれた絶世の美女だったとしたら、この歌はどうなるのでありましょう。八十日間そばにいて、ついに「いひかはし」てしまったわけですが、あと二十日我慢すれば、消えないでそばにいたというのであります。消え去る時に「今は思ひ忘れね」と言って、消えていくとしたら、なかなか切ない別れの言葉ってことになるでしょう。「君のこと忘れないよ」と言うんですから、愛してしまったことは間違いなくて、あれが本当の恋と言うものだったとかみしめるというような心情です。もちろん『長谷雄草紙』は後世の創作で、北野天神の御利益で長谷雄が助かったという話ですけれども、鬼が退散して命の危機が去ったなら、長谷雄に残るのは女への未練、恋慕の気持ちだけですから、「我為に」の歌を強引にくっつけてお話を少しだけ増補するということも可能だと思います。


【蛇足の蛇足】

〇絵巻『長谷雄草紙』の本文の全文解釈 ※永青文庫本をもとに訳してみました。 

中納言長谷雄卿は、学問は九流にわたり、諸芸に通じて世に重んじられた人である。ある日夕暮近くに参内なさった時、見知らぬ男で、眼差しが利口そうで常人とも思えない者が来て言う。「退屈でして双六を打ちたいと思いますが、その相手になるのは恐らくは貴殿ばかりでいらっしゃるだろうと思い付いて参上しました」と言うので、中納言は不審に感じながら、「相手をしてみよう」と思う気持ちが強くて、「実に面白いことだ。どこで打つのがいいか」と言うと、「ここでは不都合でしょう。私の住んでいるところへおいでください」というので、「それもそうだ」と思って、牛車にも乗らず、従者も連れず、たった一人男の後に付いてゆくと、朱雀門の下に辿り着いた。

「この門の上に登ってください」と言う。まったく登れそうも思わないが、男の手助けでやすやすと登った。すぐに、双六盤と賽を前に据えて、「何を勝った褒美としましょうか。私が負け申したら、貴殿が心底姿かたちも気立ても完璧で理想的だとお感じになる女を差し上げましょう。貴殿が負けなさったら、どうなさる」と言うので、「私は持っているありったけの宝物を、すべて差し上げてもよい」と言うので、「それがよい」と言って双六を打ったところ、中納言が一方的に勝ちに勝ったので、男はしばらくは世間の尋常な人の姿でいたが、負けるにつれて、賽を引っかき心を悩ませるうちに元の姿が現れて、恐ろしげな鬼の姿になってしまった。恐ろしいとは思ったが、「とは言え、勝ちさえしたら、こいつはネズミであろう」と我慢して双六を打つうちに、結局中納言が勝ち切ってしまった。その時また最前の男の姿に戻って、「今は何も申す必要はありません。いくら何でも勝てそうにないと実感しました。惨めに負け申したものよ。何月何日何の干支のその日懸物を差し上げましょう」と言って、元のごとく朱雀門から降ろした。

中納言は半信半疑ながら、約束の日になったので、内心期待しつつ、迎えるのによさそうな部屋を整えて、待っておいでになった。夜が更ける頃に、例の男は輝くばかりの女を連れてきて、懸物として差し出した。中納言は目を驚かして、「この女はこのままいただけるのか」と尋ねると、「言うまでもありません。勝負に敗れ申して懸物として差し出す以上は、お返しになる必要はない。ただし、今夜から百日を過ごして本当に心を許してください。もし百日の間に関係を持ちなさったら、きっと不本意なことになるに違いない」と言うので、「必ずやおっしゃる通りに」と言って、女を引き留めて男を帰らせた。夜が明けて女を見ると、見たこともなく想像したこともなく、「この世にこんな美しい人がいるだろうか」と不思議なことはこの上ない。次第に日が経つにつれて、気立てもよく、ますます居心地がよくなって、ほんのひと時も離れられそうに思わなかった。

こうして八十日ほどになったので、「もう日数もたくさん積もった。かならずしも百日と限定する必要もあるまい」と、我慢しがたく思って関係を持ったところ、たちまち、女は水になって流れて消えてしまった。中納言は幾度も後悔するが、まったく何の甲斐もなかった。

それから三か月ほどして、夜が更けて中納言が内裏から下向なさった道に、例の男が出くわして、牛車の前方から来て、「貴殿は信義に欠けていらっしゃる、立派だとお慕いしていたのに」と態度が悪くなって、ぐんぐん近寄って来たので、中納言は心を込めて、「北野天神お助けください」と祈りました時に、空に声が響いて、「困った奴め、しかとこの場から退散せよ」と、激怒すると聞こえた時に、男はふっつりと消え失せてしまった。この男は朱雀門の鬼であった。女というのは、たくさんの死人のよかった所の数々を、混ぜ合わせて人として作り上げて、百日が経過したら、本物の人間になって、精神が備わるはずだったけれども、残念にも約束を反故にして、関係を持ったせいで、すべて溶けて無くなってしまった。どんなにか後悔の念を抱いたことだろう。

※「くひのやちたび」は、『古今集』巻十六・哀傷837(閑院)「先立たぬ悔いの八千度悲しきは流るる水の帰り来ぬなり」を踏まえた表現。「後悔先に立たず」ということ。



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