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岩波文庫『百人一首』を読む(33) 紀友則

33 久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらん  紀友則    【訳】大空の陽光ものどかな春日、どうして落ち着いた心もなく、桜の花は散っているのだろうか。 【出典】古今集・巻二・春下・84        桜の花の散るをよめる 【解釈の要点】 ①「久方の」は、ここでは「ひかり」にかかる枕詞。「のどけき」は形容詞「のどけし」の連体形。「のど」は、万葉集・巻二197「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし」(柿本人麻呂)と歌われる。おだやか、ゆったり、のどかなどの意の上代の副詞「のどに」と共通する。 ②「しづ心」は静かに落ち着いた心。『拾遺集』・雑春1066で清原元輔が「四月朔日よみ侍ける」として、「春は惜し郭公はた聞かまほし思わづらふしづ心かな」と詠んでいる。やはり後の例だが、『後拾遺集』・雑四1065・藤原為長に「松見れば立ちうきものを住の江のいかなる波かしづ心なき」の詠がある。『岩波古語辞典』では「しづごころ」と読んでいるが、『大日本国語辞典』(冨山房)は「しづーこころ」「しづーこころばせ」という読み方を提示し、『大辞典』(平凡社)も「しづこころ」とする。『日本国語大辞典第二版』は「しずーごころ」の見出しの下に「しずこころとも」と注記し、新編全集『古今和歌集』では、春下82の紀貫之の第五句を「しづこころなし」としている。「しづこころ」と澄んで読みたい気がする。 ③契沖の『改観抄』や『古今余材抄』は、友則のこの歌と同じ心の歌として、後撰集・春下92の清原深養父の「うちはへて春はさばかりのどけきを花の心やなにいそぐらん」を引く。深養父の作では疑問副詞「なに」があるが、友則の作にはそれに相当するものがない。そこで「らん」について、ここでは「など」のような疑問副詞を補って考えておく。 ④古今集のこの歌の少し前(春下・82)で、紀貫之も「ことならば咲かずやはあらぬ桜花見るわれさへにしづ心なし」と、桜のあわただしく散るさまをかこって歌っている。 ⑤深養父の歌や貫之の作と較べると、友則の「久方の」の歌の卓越したよさがわかる。それは上句による。空に満ち溢れる春の光、その中であわただしく、しかし全く音もせず、桜花が幻想的に散っている。深養父の作は景が浮かびにくいし、貫之は「見るわれ」が前面に出て来ていささか興ざめだ。...

岩波文庫『百人一首』を読む(32) 春道列樹

32 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり  春道列樹 【訳】山中を流れる谷川に風が掛けたしがらみ、それは流れもやらぬもみじだったのだなあ。 【出典】古今集・巻五・秋下・303        志賀の山越えにてよめる 【解釈の要点】 ①底本の宮内庁書陵部蔵(函号五〇三ー二三六)「百人一首」の第四句は「なかれもやらぬ」だが、冷泉家時雨亭文庫本『百人一首』、『百人秀歌』や定家本『古今集』により、「やらぬ」を「あへぬ」と改めた。 ②「山川」は「やまがは」と読んで、山にある川、山中を流れる川の意。山や川、山と川を意味する「やまかは」と読みが異なる。古い例としては、『日本書紀』大化五年(649)三月、野中川原史満が皇太子中大兄皇子に献じた「山川に 鴛鴦二つ居て 偶よく 偶へる妹を 誰か率にけむ」という歌謡がある。「山川」は「耶麻鵝播」と表記されている。『古今集』定家本では「山河」と書く。 ③「しがらみ」は水の流れを堰き止めるため、杭に竹や木の枝などを渡した装置。万葉集・巻二197「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし」(柿本人麻呂)などと詠まれる。大鏡・巻二「流れゆくわれは水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ」は菅原道真が筑紫に流される時、宇多上皇に奉った歌と伝えられる、比喩としての「しがらみ」の例。 ④詞書の「志賀の山越え」は、古今集の詞書では他にも見出される。「志賀の山越えに女の多く逢へりけるによみてつかはしける」(春下115紀貫之)、「志賀の山越えにてよめる」(冬324紀秋岑)、「志賀の山越えにて、石井のもとにてもの言ひける人の別れける折によめる」(離別404貫之)など。顕昭は『袖中抄』第十七で詳しい考証を展開する。下河辺長流『三奥抄』や契沖『改観抄』はこれを引く。古今集で名歌の数々を生み、永久四年(1116)の『永久百首』や建久四年(1193)の『六百番歌合』で春の題「志賀山越」として詠まれた歌枕だが、今は道筋も辿りがたい。 ⑤この歌は、上句で謎を掛けて、下句でそれを解いて見せるような趣がある。契沖『古今余材抄』は、この歌の注に、大江匡房の新古今集・秋上328「河水に鹿のしがらみかけてけり浮きて流れぬ秋萩の花」を影響策として引く。藤原家隆も建保五年(1217)『内裏冬題歌合』で、「龍田河...

岩波文庫『百人一首』を読む(31) 坂上是則

31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪  坂上是則 【訳】そろそろ夜が白んできた時分、まだ空に残っている月の光かと見まちがえるほど白くさやかに、ここ吉野の里に降り積もっている白雪。 【出典】古今集・巻六・冬・332        大和の国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる 【解釈の要点】 ①「朝ぼらけ」は、『岩波古語辞典』に「夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くあけぼのという」と説き、この歌を例に挙げ、「朝ほろ明けの約か」と補足する。万葉集・巻三351の沙弥満誓「世の中を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし」は、拾遺集・哀傷1327では「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波」と伝わるが、「朝開き」は朝の船出をいう言葉で、「朝ぼらけ」とは意味が違う。「朝ぼらけは、朝開という詞に同じ」という下河辺長流『三奥抄』や契沖『改観抄』『古今余材抄』は正しくない。 ②『三奥抄』は「よしのの里に初雪のふれる由也。薄く降る雪の眺望を、いみじくたとへたるなり」としたが、『改観抄』『古今余材抄』は「此雪有明の影にたとへたるに付て、薄雪のよしふるく注せれど、古今集に雪の歌十七首ある中に、これは十六首にあたりて、けぬが上に又もふりしけ春霞たちなばみゆきまれにこそみめといふ歌の右にあれば、只朝にみる雪をかくはよめる也」と異なる見方を提示する。そして、後撰集・冬496読人しらずの歌「夜ならば月とぞ見ましわがやどの庭白妙にふりつもる雪」を引く。この歌は『拾遺集』冬346では、第五句が「降れる白雪」だが、詞書に「斎院の屏風に」とし、作者は貫之と記す。 ③古今集の雪の歌十七首の中には詞書を「奈良の京にまかれりける時に、宿れりける所にてよめる」とした、是則の325「み吉野の山の白雪つもるらし古里寒くなりまさるなり」がある。『古今和歌集目録』によれば、是則は延喜八年(908)正月、大和権少掾に、同年八月二十八日には大和権掾に任ぜられている。大和国への下向という体験があって、吉野の自然にも親しんでいたか。 ④『吉野の里』は大和国、奈良県吉野郡吉野町。万葉集には「吉野の里」という句は見当たらない。八代集でも、他に千載集・春上の待賢門院堀河が詠んだ「雪深き岩のかけ道跡たゆる吉野の...

岩波文庫『百人一首』を読む(30) 壬生忠岑

30 有明のつれなく見えし別より 暁ばかり憂きものはなし  壬生忠岑 【訳】有明の月が空にさりげない様子でかかっており、あなたが私に対してひどくそっけないありさまだったままの、満たされない別れの時からというもの、暁ほど憂くつらいものはありません。 【出典】古今集・巻十三・恋三・625        (題しらず) 【解釈の要点】 ①『忠岑集』でも大体において無題の歌だが、冷泉家時雨亭承空本には、「ある女に」という詞書があり、続いて「女のこころづよく侍しかば」とか、「女にはじめて」などとという詞書の作も見出されるので、現実の歌と考えてよい。 ②女にともかく逢ったのちの後朝の歌か、それとも逢えなかった翌朝の歌か、古来解が分かれる。逢えなかった恋の心と解するのは、東経縁講・宗祇編『古今和歌集両度聞書』。契沖『古今余材抄』は、万葉集・巻13の相聞の長歌3276から「百足らず 山田の道を 波雲の 愛し妻と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手の かへりも知らず 馬じもの 立ちてつまづき……」(作者未詳)という例を挙げて、「あはねどもわかるる事はある也」という。ここでも「不逢恋」の歌と見ておく。 ③「有明」は「有明の月」。「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形。『古典基礎語辞典』で「表面上平然としているさま、素知らぬ顔であるさま」、「相手の気持ちに応じず冷淡なさま、無情なさま」などという。万葉集・巻十2247に「秋の田の穂向きの寄れる片寄りに我は物思ふつれないものを」という例がある。『時代別国語大辞典 上代編』は、「つれ〔由縁・所由〕」の項で、「つれなしはすっかり一語化してはいるが、まだ後世の無情だという意をあらわすまでには至っていないらしく、無関心である・何のゆかりもないというような意と考えられる」という。ここでは「無情だ」の意と見てよいか。「暁」は、『岩波古語辞典』に「夜が明けようとして、まだ暗いうち」とし、夜を中心に時間を夕べ・宵・夜中・暁・朝に区切ることができるという。万葉集では「あかとき」という。「憂き」は形容詞「憂し」の連体形。『岩波古語辞典』は、「憂鬱だ、いやだ」、「(自分に憂い思いをさせる意から)恋愛の相手の態度が無情だ」などと解説する。 ④『顕注密勘』の顕昭の注は「是は女のもとよりかへるに、我はあけぬとて出る...

岩波文庫『百人一首』を読む(29) 凡河内躬恒

29 心あてに折らばや折らん初霜の おきまどはせる白菊の花  凡河内躬恒 【訳】当て推量に折ったら折れるだろうか。初霜が真白に置いて、いかにもまぎらわしくしている白菊の花を。 【出典】古今集・巻五・秋下・277        白菊の花をよめる 【解釈の要点】 ①「心あてに」という句で始まる歌には、後撰集・冬「心あてに見ばこそ分かめ白雪のいづれか花の散るにたがへる」(487読人不知)、源氏物語・夕顔「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」(夕顔の女君)などの例がある。源氏物語の歌は躬恒のこの作によったものか。 ②「おきまどはせる」は「おきまよはせる」と言ってもよく、「初霜が置いて、折ろうとする私を迷わせている白菊の花」の意である。 ③内閣文庫本『躬恒集』は、古今集のと同じく詞書が「白菊の花をよめる」とある。 ④『岩波古語辞典』の「きく【菊】」の項は、「薬用・鑑賞用の菊は奈良時代末か平安時代初期に大陸より輸入されたという。万葉集に菊は詠まれていない」と解説し、「この頃の時雨の雨に菊の花散りぞしぬべきあたら其の香を」の歌を『類聚国史』延暦十六年(797)十月十一日条から引く。『日本紀略』も同日曲宴で桓武天皇が詠じた歌という。延喜十三年(913)十月十三日には『内裏歌合』が催され、躬恒は「菊の花濃きも薄きも今までに霜のおかずは色をみましや」など三首の菊の歌を詠んでいる。「濃きも薄きも」というのは、霜が置いて白菊が紫がかってくることを詠んだのであろう。拾遺集・雑秋1120「かの見ゆる池辺に立てるそが菊の茂みさ枝の色のてこらさ」の「そが菊」は、俊頼髄脳によれば黄色の「一本菊」というが、和歌では降霜によって紫になる白菊が喜ばれた。 ⑤躬恒の歌は『和漢朗詠集』に採られているが、この集には「霜蓬老賢三分白、露菊新花一半黄」(白楽天)、「蘭蕙苑嵐摧紫後 蓬莱洞月照霜中」(菅原文時)などがある。「露菊」は黄菊か白菊かはっきりしないが、文時の菊は白菊であろう。後拾遺集・秋下「朝まだき八重咲く菊の九重に見ゆるは霜のおけばなりけり」(351藤原長房)、「紫にうつろひにしをおく霜のなほ白菊と見するなりけり」(358源資綱)と歌われている。資綱の詠は残菊の題を詠じたもの。藤原基俊は元永元年(1118)十月『内大臣家歌合』残菊で「今朝見ればさながら霜を...

岩波文庫『百人一首』を読む(28) 源宗于

28 山里は冬ぞさびしさまさりける 人目も草もかれぬと思へば  源宗于朝臣 【訳】山里は冬がさびしさのいやまさる季節だったのだな。人の訪れもとだえ、草も枯れてしまうと思うと……。 【出典】古今集・巻六・冬・315        冬の歌とてよめる 【解釈の要点】 ①「山里」という単語は、『時代別国語辞典 上代編』や『万葉集大成』総索引に項目がない。『日本国語大辞典 第二版』には、この言葉が漢詩文や仏教の影響で古今集から詠まれるようになり、一般化したと和歌を例示して解説する。その例歌の最初に引かれているのがこの歌である。 ②「さびしさ」は形容詞「さびし」の名詞形。「さびし」は古くは「さぶし」と言った。万葉集・巻十五3734「遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ」の最後の句「佐夫之佐」に「左必之佐」の注が付されている。万葉集の「さびしさ」の例はこの一例のみ。 ③「人目」は、人が訪れてくること、人の出入り。『貫之集』に「八重葎しげくのみこそなりまされ人目ぞ宿の草木ならまし」と歌われている。 ④下句は「人目も離れ、草も枯れぬと思へば」の意である。古今集・冬に「わが待たぬ年は来ぬれど冬草のかれにし人は訪れもせず」(凡河内躬恒338)という例がある。 ⑤この歌は、陽明文庫蔵十巻本『類聚歌合』の『陽成院一親王姫君達歌合』に新作の歌に対する本歌として引かれている。この歌合は天暦二年(948)九月十五日で、一親王元良親王は故人で、陽成院が孫娘たちのために催したという。その時には宗于の詠はすぐれた古歌となっていた。   本 源致行 古今「やまざとはふゆぞさびしさまさりけるひとめもくさもかれぬとおもへば」 左持「おほかたのあきはあはれのふかければやまざとならでなほぞかなしき」 右「やまざとはいつともわかじいとどしくあきはしかこそかなしかるらめ」 ⑥下河辺長流『三奥抄』は、大意を「山家のならひは、いつも問来る人なくして、さびしき上に、冬に至れば、草木さへかれうするゆへ、其さびしさつねに増れりと云心也」としながら、「冬ぞさびしさまさりけるといひて、淋しさを侘る心にはあらず。山家に入ものは、其淋しき所をたのしみとするなれば、さびしさの増る時を、いよいよとりどころとおもふべし」と論ずる。契沖の頭書は、「さびしきをたのしみとするものは至極の道人な...

岩波文庫『百人一首』を読む(27) 藤原兼輔

27 みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらん  中納言兼輔 【訳】甕の原を分けて水かさ豊かに流れる泉川。その泉川ではないが、いつ見た(逢った)というので、あの人が恋しいのだろう。 【出典】新古今集・巻十一・恋一・996        題しらず 【解釈の要点】 ①「みかの原」は瓶原・甕原・三香原などとも書かれる。山城国、現在は京都府木津川市。『八雲御抄』第五名所部に「万 ふたいののべ 大宮所あれたり」と注記するように、聖武天皇の天平十二年(740)恭仁京が計画されたが、三年余りで廃都となってしまった。泉川はこの地を流れる木津川のこと。宮讃めの歌や荒廃を悲しむ歌で知られる。 ②下河辺長流の『三奥抄』に「わきて流るるは、泉はわく物なれば云。みかの原よりかの川わき出るにはあらず」と言い、契沖『改観抄』もほぼ同じ。賀茂真淵『宇比麻奈備』も「わきてはいづみは岩間より涌出る物故に、泉川といはんとていひ」と述べる。「わきて」は、「みかの原」を「分きて」と泉が「湧きて」の掛詞と考えてよい。「泉川」までが「いつ見き」を起こす有意の序となっている。掛詞や序詞では、清濁にこだわらずに掛かる。「みかの原」にも「甕(瓶)の腹」の気持がこめられている。 ③『三奥抄』は、「まだみぬ人に恋の切なる心なり。大方の恋は、其人をみて心をかくる、それはことはりなり。我今見もせぬ人の恋しきを、さもあれ、いつ其人をみて、かくは思ふぞと、みづからとがめあやしむ由也」と注し、『日本書紀』崇神天皇十年条を引いて地名泉川の語源を記す。 ④契沖『改観抄』は補筆で、この歌について「家集にはなし」とことわり、『古今六帖』での作者記載の方式に撰者が気付かずに、あやまって兼輔の歌として入集したものと考証した。香川景樹の『百首異見』は、その部分全体を引き支持している。 ⑤「みかの原」は、人間的な情感を蔵した恋の母胎ともいうべき風土であり、そこから湧き出て流れる泉川は、尽きることのない情念そのものである。万葉集・巻十一の寄物陳思「犬上の鳥籠の山なる不知哉川いさとを聞こせわが名告らすな」(2710)などに通う歌である。自然が人の心と完全に分化していない時代の恋の歌である。 【蛇足】 さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写し...

岩波文庫『百人一首』を読む(26) 藤原忠平

26 小倉山峯のもみぢ葉心あらば 今一たびのみゆき待たなん 貞信公  【訳】小倉山の峯のもみじ葉よ、もしも物事に感じる心があるならば、もう一度のみゆき、帝の行幸があるその日まで散らずに待っていておくれ。 【出典】拾遺集・巻十七・雑秋・1128        亭子院、大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所也と仰せ給ふに、事の由奏せんと申て 小一条太政大臣 【解釈の要点】 ①詞書の「大井川」は洛西を流れる大堰川である。小倉山は京都市右京区、大堰川北岸の山、高さ二九五メートル。小一条太政大臣は藤原忠平。「みゆき待たなん」の「なん」は希望・誂えの終助詞。 ②この歌が詠まれた背景は『大和物語』九九段にも語られている。 ③亭子院(宇多法皇)の大井川御幸として、一応定説に近いのは、延喜七年(907)九月十日説である。『大鏡』には、「大井の行幸(御幸)も侍りしぞかし。さてまた、みゆきありぬべきところと申させ給ふことのよし奏せむとて、一条の大臣ぞかし、大原山(をぐら山)もみぢの色も心あらばいまひとたびのみゆき待たなん あはれ優にも候ひしかな。さて行幸に、あまたの題ありて、やまと歌つかうまつりし中に、猿叫峡、躬恒 わびしらにましらななきそあしひきの山のかひあるけふにやはあらぬ その日の序代は、やがて貫之のぬしこそはつかうまつり給ひしか」(巻六・昔物語)と語る。 ④「峯のもみぢ葉」に呼び掛けた形をとっているが、「事の由奏せんと申て」というのだから、小倉山の紅葉の枝などに添えて、内侍あたりを通じて奏上したか。行幸を勧めるにはふさわしい。勧誘の歌だから、宮廷和歌の一つの機能である。 ⑤小倉山荘色紙形和歌として書くとすれば、ふさわしい作に違いない。 ⑥中世歌論の「もみもみ」とはややずれるが、マ行音が多用されていて、もみもみした感じの歌と言える。 【蛇足】 さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明ら...

岩波文庫『百人一首』を読む(25) 藤原定方

25 名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな  三条右大臣 【訳】これは逢坂山のさねかずら、これが「逢う」「寝」という名を持っているのならば、それにふさわしく、何とか手蔓をつけて、他の人に知られずにあなたのところへこっそり行くてだてがほしいですね。 【出典】後撰集・巻十一・恋三・700        女につかはしける 【解釈の要点】 ①「三条右大臣」は藤原定方のこと。 ②「名にしおはば」は、名に持つならば。この句で始まる歌では在原業平の「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(古今・羇旅411)が有名だが、後撰集・羇旅1351にも「名にしおはばあだにぞ思ふたはれ島浪の濡れ衣いくよ着つらん」(読人不知)がある。後撰集には「名にしおへば」の例も二首ある。「名は体を表す」というわけで、人間は他人や事物の名に深い関心を働かせる。 ③「逢坂山」は近江国、滋賀県大津市、逢坂の関のある山。「さねかづら」は山地に自生するマツブサ科の常緑蔓性低木、雌雄異株、夏に咲く花は黄白、秋赤く熟す房状の実は美しい。万葉集・巻十一2479で「さね葛後も逢はむと夢のみに祈ひ渡りて年は経につつ」(柿本人麻呂歌集)などと歌われた。 ④「くるよしもがな」の「くる」は、「来る」に「繰る」を掛ける。「繰る」は、蔓の意の「かづら」の縁語。「来る」は21素性の「今来むと」の「来」と同じく、相手の所に行くの意。「よし」は、手段。「もがな」は願望の終助詞。 ⑤下河辺長流の『三奥抄』が「さねかづらを、さぬると云心にとれりといふ義、よからず。此歌にては、只くるといふことに用たるばかりと知るべし」と論ずるのは、男女の共寝の意の「寝ね」を響かせるとする考えを排したいのであろう。しかし、万葉集・巻一93の鏡王女の「玉くしげ覆ふをやすみ明けていなば君が名はあれどわが名し惜しも」の歌に藤原鎌足は94「玉くしげみもろの山のさな葛さ寝ずは遂にありかつましじ」と返した。 ⑥定方は中納言藤原山蔭女との間に何人かの子女を儲けた。その男子朝頼の孫に、紫式部の夫となった山城守宣孝がいる。この歌はさねかずらに付けて女性に贈った歌ではないか。 【蛇足】 さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は...

岩波文庫『百人一首』を読む(24) 菅原道真

24 このたびは幣もとりあへず手向け山もみぢのにしき神のまにまに  菅家 【訳】このたびの旅では、御神に捧げる幣を用意するゆとりもありませんでした。ですから錦さながらこの手向け山の紅葉を、御神よ、御意のままに私どもの幣として御受納くださいますように。 【出典】古今集・巻九・羇旅・420        朱雀院の、奈良におはしましたりける時に、手向け山にてよみける 菅原朝臣 【解釈の要点】 ①「菅家」「菅原朝臣」は共に菅原道真のことをさす。 ②「たび」は、「旅」に「度」を掛ける。この掛詞は度の歌で頻用される。古今集の羇旅歌では凡河内躬恒が「夜を寒みおく初霜をはらひつつ草の枕にあまたたび寝ぬ」(416)と詠んでいるし、後撰集・離別「このたびもわれをわすれぬものならば打ちみんたびに思ひ出でなん」(読人知らず1309)など三首見出される。道真が知っていたかどうかわからないが、道真以前の例には万葉集巻十三3346「……天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日に 妻放くべしや」(作者未詳)がある。ここでは「この旅」に「この度」を掛ける意識はないだろう。道真以後の作者は道真の歌を知っていた可能性が高い。 ③「幣とる」という表現は、万葉集に三例存する。「まにまに」は『岩波古語辞典』に「まにま〔随・随意〕」と「まにまに」を合わせて立項し、「思う通りに」「……に従って」などの意の副詞とする。万葉集には、巻五800「……かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか」(山上憶良)、巻四790「春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに」(大伴家持)など極めて多く用いられている。 ④峠(上代後では「手向」)や分れ道には神がいて、旅人に幣帛を求め、その代り旅路の安全を守ってくれると考えられていた。万葉集の防人の歌にも、巻二十4402「ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命は母父がため」(神人部小忍男)とあり、信濃国の若者は心をこめて神坂峠の荒ぶる神の心を和めようとしている。これは天平勝宝七年(755)、大伴家持のもとに集められた歌の一首である。長屋王には巻三300に「佐保過ぎて奈良のたむけに置く幣は妹を目離れず相見しめとそ」の詠もある。 ⑤『日本紀略』『扶桑略記』や紀長谷雄の漢文などから知るところでは、昌泰元年(898)十月宇多上皇は、世に宮滝御幸と呼ばれる...

岩波文庫『百人一首』を読む(23) 大江千里

23 月見れば千々に物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど  大江千里 【訳】月を見ると、心も千々に乱れてものがなしいよ。わたし一人のために訪れた秋ではないのだけれども、そのように感じられて……。 【出典】古今集・巻四・秋上・193        是貞親王家の歌合によめる 【解釈の要点】 ①『是貞親王家歌合』は、すべて秋の歌で歌数は七十一首、本来番数も左・右の字も作者名も全くなかった。この歌は通し番号62の歌である。 ②この歌合では、七十一首中五首が「秋」と「かなし」の二語を含む歌である。その中では、「ひとりしもあきにはあはなくによのなかのかなしきことをもてなやむらん」(60)という歌が、千里の歌と内容的にほぼ同じことを嘆いている。 ③千里の歌では、「千々」と「ひとつ」とが数の対をなしている。古今集・秋下257の歌で『新撰万葉集』にも載る藤原敏行の歌に「白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらむ」という例がある。「わが身ひとつ」という句は、在原業平の「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今・恋五747)が比較的早い例である。 ④下河辺長流の『三奥抄』は、菅原道真『菅家後集』の「秋夜」の「此秋独作我身秋(この秋はひとり我が身の秋となりたり)」という句について、「是は其謫所の愁、ぬし一人の上にあれば、かくはの給へり。千里は都にありての作なれば、我身ひとつの秋にてはなきなり」と注し、契沖は『白氏文集』巻十五「燕子楼三首」の第一首目「燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長」に拠ったと考えている。徐州の昔の尚書張氏の愛妓眄眄は、愛人の死後も愛情を忘れず、建ててくれた燕子楼という小楼に独り住みしていたが、それを聞いて二人を知っている白楽天が詠じたものである。 ⑤契沖の『改観抄』は、『菅家後集』や白楽天の詩句と共に、古今集・秋上186「わがために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞかなしき」を引いている。賀茂真淵の『宇比麻奈備』は、儒家の千里が白楽天の詩句を用いたことを肯定しつつ、「皇朝の歌文などにからの故事を用るは、まだしきほどの人のする事也。皇朝に限りもなく古事の多きをしらぬ故ぞ」と批判して、「わがために」の歌を挙げる。香川景樹の『百首異見』はそれを批判して、世に知られた事を歌にするのは自然だとし、...

岩波文庫『百人一首』を読む(22) 文屋康秀

22 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらん  文屋康秀 【訳】吹くとすぐに秋の草や木々が凋落し、枯れてしまうので、なるほど、山風を嵐(荒し)というのだろうよ。 【出典】古今集・巻五・秋下・249        是貞親王家の歌合の歌 【解釈の要点】 ①詞書に『是貞親王家歌合』の歌とあるが、その歌合に康秀の歌は見出されない。寛平五年(893)九月に成立した『新撰万葉集』には、この歌合から多くの歌が採られているので、それ以前に催された歌合であった。 ②是貞親王は光孝天皇の第二皇子、母は班子女王、大宰帥となった。延喜三年(903)または延喜七年(907)に薨去という。 ③この歌は『古今六帖』第一「あらし」には作者を「ふんやのあさやす」、第二句を「なべて草木の」として載る。清輔本『古今集』では「ふんやのあさやす」とする。 ④「山風を嵐といふ」は、文字の謎遊びを楽しんでいる歌で、「梅」の字を偏と旁に分解して歌う古今集・冬の紀友則「雪ふれば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし」や、「愁」を上下に分けて詠じた和漢朗詠集・秋興の小野篁の「物色自堪傷客意、宜将愁字作秋心」と同じだ。しかし、京都の風土を考えると、季節の移ろいを痛感している作である。あらしやおろしのすさまじい音を聞くと、自然が秘めている非情なまでの力を感じるのではないか。曽禰好忠も「秋風のよそに吹き来る音羽山なにの草木かのどけかるべき」(新古今・秋上371)と歌っている。 ⑤「からに」は接続助詞または接続助詞的な語で、『岩波古語辞典』は「ちょっと……するだけで、ほんの……するだけで」の意としてこの歌を例に挙げる。「しをるれ」は下二段動詞「萎る」の已然形で、「勢いがなくなる」の意。「むべ」は承知・肯定の意の副詞「うべ」。「うべし」「うべなうべな」など上代から用いられる。「あらし」は激しい風。漢字「嵐」は、山にたちこめる気、山気を意味するが、あらしの意にも用いた。 ⑥この歌は目の前に迫る秋山の裾あたりに立って、木の葉が舞い散り、小枝が折れ飛び、草が女の髪のように波打ちうねるさまをまのあたりにしながら、改めて自然の底力に気付き、嗟嘆しているようだ。 ⑦下河辺長流の『三奥抄』は作者を康秀とすることを疑っていないが、契沖の『改観抄』『古今余材抄』は、康秀の子朝康の...

岩波文庫『百人一首』を読む(21) 素性法師

21 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつる哉 素性法師 【訳】あなたが「すぐ行くよ」とおっしゃったばかりに、訪れていらっしゃるのは今か今かと待ち続けて、とうとう有明の月が出るまで、待ち通してしまいました。 【出典】古今集・巻十四・恋四・691        (題しらず) 【解釈の要点】 ①他撰家集とされる『素性集』や、『古今六帖』第五「人をまつ」の項にも載るが、(古今集と同様に)作歌事情の記載はない。 ②「長月」は陰暦で九月のこと。昔の秋は七月に始まって九月に終わる(ので、この歌は晩秋の歌である)。「有明の月」は、夜が明けても空に残っている月。十五夜の月をいう望月の後、「いざよひ」「立待」「居待」「寝待」などというので、とくに陰暦二十日以後の月をいうことが多い。 ③「長月の有明の月」という句は、万葉集の時代まで遡りうる。顕昭の『古今和歌集註』に「大方、万葉にも「長月の有明の月」と続きよめるうたあり」として『拾遺集』恋三795・人麿「長月の有明の月のありつつも君し来まさばわれ恋ひめやも」と万葉集巻十2239・作者未詳「白露を玉になしたる九月の有明の月夜みれど飽かぬかも」を引いている。拾遺集の歌は、おそらく万葉集巻十一2671・作者未詳の「今夜の有明の月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし」の異伝・訛伝である。 ④「今来む」は訪れるはずの人間が言った言葉。現代語なら「すぐやって来るよ」「すぐ君の所へ行くよ」というところ。素性の父の遍昭は「今来むといひて別れし朝より思ひくらしの音をのみぞ泣く」(古今・恋五771)と詠んでいる。待つのは女だから、この一首は素性法師が女になっての詠と解される。 ⑤「待ち出づ」という複合動詞は万葉集でも、「君来ずは形見にせむとわが二人植ゑし松の木君を待ち出でむ」(巻十一2484・柿本人麻呂歌集)、「高山にたかべさ渡り高々に我が待つ君を待ち出でむかも」(巻十一2804)と詠まれている。岩波古語辞典では「待ち出で」は「待ちかまえていて逢う」「出てくるまで待つ」と意味を示し、「君来ずは」の万葉歌と『源氏物語』須磨の巻「月待ち出でて出で給ふ」という部分を引く。古今集には「待ちでつるかな」という写本も少なくない。 ⑥『顕注密勘』の定家勘で「今こむといひし人を月頃待つほどに、秋も暮れ、月さへ有明になりぬ...