岩波文庫『百人一首』を読む(31) 坂上是則

31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪  坂上是則


【訳】そろそろ夜が白んできた時分、まだ空に残っている月の光かと見まちがえるほど白くさやかに、ここ吉野の里に降り積もっている白雪。

【出典】古今集・巻六・冬・332

       大和の国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる


【解釈の要点】

①「朝ぼらけ」は、『岩波古語辞典』に「夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くあけぼのという」と説き、この歌を例に挙げ、「朝ほろ明けの約か」と補足する。万葉集・巻三351の沙弥満誓「世の中を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし」は、拾遺集・哀傷1327では「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波」と伝わるが、「朝開き」は朝の船出をいう言葉で、「朝ぼらけ」とは意味が違う。「朝ぼらけは、朝開という詞に同じ」という下河辺長流『三奥抄』や契沖『改観抄』『古今余材抄』は正しくない。

②『三奥抄』は「よしのの里に初雪のふれる由也。薄く降る雪の眺望を、いみじくたとへたるなり」としたが、『改観抄』『古今余材抄』は「此雪有明の影にたとへたるに付て、薄雪のよしふるく注せれど、古今集に雪の歌十七首ある中に、これは十六首にあたりて、けぬが上に又もふりしけ春霞たちなばみゆきまれにこそみめといふ歌の右にあれば、只朝にみる雪をかくはよめる也」と異なる見方を提示する。そして、後撰集・冬496読人しらずの歌「夜ならば月とぞ見ましわがやどの庭白妙にふりつもる雪」を引く。この歌は『拾遺集』冬346では、第五句が「降れる白雪」だが、詞書に「斎院の屏風に」とし、作者は貫之と記す。

③古今集の雪の歌十七首の中には詞書を「奈良の京にまかれりける時に、宿れりける所にてよめる」とした、是則の325「み吉野の山の白雪つもるらし古里寒くなりまさるなり」がある。『古今和歌集目録』によれば、是則は延喜八年(908)正月、大和権少掾に、同年八月二十八日には大和権掾に任ぜられている。大和国への下向という体験があって、吉野の自然にも親しんでいたか。

④『吉野の里』は大和国、奈良県吉野郡吉野町。万葉集には「吉野の里」という句は見当たらない。八代集でも、他に千載集・春上の待賢門院堀河が詠んだ「雪深き岩のかけ道跡たゆる吉野の里も春は来にけり」(3)一首しか作例がない。これらの歌に詠まれた「吉野の里」は、吉野離宮があった宮滝のあたりか、それとも菜摘などか。

⑤薄雪が積った風景は、定家の『六百番歌合』「冬朝」の「ひととせをながめつくせる朝戸出でに薄雪こほるさびしさのはて」をはじめ、中世の詩歌に少なくない。この是則の歌は、かなり降り積もった雪景色を想像する。京の都の風景とは違う、きびしさの中に人なつかしさを秘めた風景である。貫之の「夜ならば」の歌は、家集で延喜十六年(916)のもので、是則の二番煎じの歌か。


【蛇足】

さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は、訳に変更はありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。その特徴を見ると、「朝ぼらけ」を「そろそろ夜が白んできた時分」と詳しく訳し、「有明の月」を「まだ空に残っている月の光か」とこれも言葉を補っておりまして、「見るまでに」を「見まちがえるほど」と踏み込んで解釈しています。

解釈と称する解説部分では、藤原仲実による平安末期の歌学書『古今和歌集目録』によって坂上是則の官歴に大和の国に赴任した可能性を指摘する③、薄雪を詠んだとする説を批判する⑤、そして貫之の「夜ならば」の歌を比較の対象とする②⑤の一部が『必携』から受け継がれたものです。これに対して、「朝ぼらけ」や「吉野の里」という歌語を紹介がてら論じている①や④、そして近世の歌学書を引用する部分は新たに加えられたものです。「朝ぼらけ」や「吉野の里」という歌語が、実は万葉集には見出せない点で、ここまで百人一首に採用された古今集の歌とは違っているわけで、是則の歌が実体験に即した歌であることとの関連を考えさせられます。


著者も指摘していますが、「朝ぼらけ」が気になりますので、改めて大野晋『岩波古語辞典』補訂版から、引用してみます。

朝ぼらけ……夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くあけぼのという。(『岩波古語辞典』)

分からないのは「朝ぼらけ」という言葉でありますね。私はおっちょこちょいですから、うっかり「あけぼの」と「朝ぼらけ」の違いなどと言うものを学習してきていないのであります。何かありそうだな、と思ったことはあるのですが、似たような言葉があると、どう違うのか、こう違うのだというようなことは、かまびすしく言いつのりまして、知ったかぶりをする人に答えてもらったりする番組がよくありました。違う違うと言いますのは、同じもの似たものを言うわけでありまして、違うものについては似ている似ている、同じだ同じだと唱えるものなのです。日本語の場合は、万葉集・古事記・日本書紀以前の姿が分かりませんから、何かを究明するのは無理がありまして、だから大野晋博士はインドの言葉に語源を求めて晩年を過ごしたんではなかったでしょうか。大野晋博士の『岩波古語辞典』を見ると、「朝ぼらけ」は秋や冬、「あけぼの」を春に使う言葉ではないかとしてありまして、機知ある解説になっているんですね。定説になっているのかどうか、よくわかりません。ちなみに、「あけぼの」は万葉集なんかにはない言葉だったはずであります。


夜明けというのは、今と違って別れの時間帯。


夜明け前の暁に、男は女のもとから帰って行くという当時の習慣を踏まえると、解けそうであります。よくできた大人の女性なら、恋人や夫を起こしまして、仕度をととのえて送り出すんであります。春などはどんどん夜明けが早くなりますから、「あらもう明けているわ」とみるのが「あけぼの」なんでありましょう。これに対して秋から冬にかけては夜明けが遅くなりまして、朝を待つわけですから、「朝ぼらけ」というような別の言葉が必要だったのでありましょう。男なら女の家を辞そうとして白雪に気が付きます。女なら男を送り出しまして、後ろ姿を見つめているうちに、有明ではなくて白雪だと気が付くわけであります。雪を押して通うには、吉野というのは京からは遠い土地でありますね。悲恋の匂いがするところでありますが、是則の逸話に特に吉野は出てこないのではないかと思います。大和が任国だったということですが、奈良盆地からすこし奥まった吉野に出向くこともあったと考えるべきなのかもしれません。


古注釈などを見ますと、雪が「薄雪」なのか、それとも「深雪」なのか、あるいは「初雪」なのか「積雪」があるのかどうかと言う点で、意見が分かれるようです。久保田淳氏もそのあたりを探って、薄雪より積雪を考えているようです。また、あまりそういう議論はありませんが、「有明の月」が空に昇る実際の二十日前後の時期を詠んでいるのか、そうでない時期に詠まれた歌なのか、本当は分からないのではないでしょうか。「有明の月」は光が弱いので、満月の時の月光を思い浮かべているという考えも成立するでしょう。経験から言うと、煌々と照る満月の光によって、地面が白く光るのは何度も見たことがあります。満月の光で、新聞くらい読めるほど明るいのであります。何が言いたいかというと、つまり、


雪明りを見て、最初は月光か? ならば満月の煌々とした光か? と思うんですが、次に夜明けだから有明の月だったのか? と思うんでしょうね。ようやく、吉野の雪だ、雪明りだと気付くわけです。


古今集の詞書には「大和の国にまかりける時、雪の降りけるを見てよめる」とあるだけで、月には触れていません。よって、この歌は「朝ぼらけよし野の里にふれる白雪」が実景でありまして、おそらくまだ夜はろくに明けてはいないのでありましょう。「有明の月と見るまでに」は、そこに存在しない月の光を想像で述べているはずです。そしてまた、今現在雪が降っているのでもなく、陽光もまだほとんど存在感がないはずであります。


なお、「ふれる白雪」の「る」は、完了・存続の助動詞「り」の連体形ですが、「降った白雪」という完了でもなく、「今降っている白雪」という継続でもなく、おそらく「降って積もっている白雪」という存在の用法かと思います。夜の間に降って、来訪者が明け方に雪の白さに驚くと考えるのがいいでしょう。


和歌の解釈のほころび、というようなものは、一箇所突っ込みどころが見付かると、ぼろぼろと見付かります。結婚生活、というものもその類でありまして、結婚に向けて頑張ります時には、相手のいいところを探しまくりますので、嫌が応にも惚れざるを得なくなるわけです。あばたもえくぼなんてことも申しまして、目が好き、鼻が好き、耳が好き、髪の毛が好き、髪型が好き、ついでにあなたの両親も、あなたの生まれ故郷も大好きです、なんてことをのたまうわけであります。サルスベリが好きとなれば、幹が好き、枝が好き、葉っぱが好き、花が好き、というのと同じであります。ところが、一つ嫌いなところが見付かりますと、すべてが反転しまして、今までの美点が欠点になるものなんですね。あなたの親も、あなたの出身地も大嫌い。サルスベリってずっと咲いていてつまらない、というように。


書物というものも、理解しよう、学習しよう、知識を得ようと頑張る時は、どの本も立派なことをおっしゃっているように感じるわけです。つまり、私たちというのは、文脈を読み取ろう、合理的に全体を理解しようとしますから、理性に蓋をして、ちょっと違和感があっても、それは自分の非力のせいである、勉強が足りないのだ、と思いがちなんでありますね。しかし世の中に完璧はありませんので、医者のセカンドオピニオンを聞きに行くように、いろんな本を比較するのも有効であります。ただ、比較の結果、大混乱に陥ることもありまして、人生ままならないのであります。


百人一首の解釈が、実は百花繚乱、みんな好き勝手なことを思い描いているということがばれたら、教育現場などは大混乱に陥ることでしょう。そうしたことにはなるべく蓋をして、覚えましょう、学びましょう、暗記しましょうということになっているわけです。ところが、この歌には、実は月は実際には出ていないということは、あまり指摘がなく、さらに有明月の前に、満月の光があると思ったという指摘もなさそうであります。近世の国学者は、中世の古今伝授を疎ましく思って、実証主義に走って学問を建てたんですが、いつの間にか注釈が伝授の世界になっていて、注釈の範囲で物を考察するようになりました。あまり伝授を否定しない方がよかったんですね。たぶん。 

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