岩波文庫『百人一首』を読む(23) 大江千里
23 月見れば千々に物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里
【訳】月を見ると、心も千々に乱れてものがなしいよ。わたし一人のために訪れた秋ではないのだけれども、そのように感じられて……。
【出典】古今集・巻四・秋上・193
是貞親王家の歌合によめる
【解釈の要点】
①『是貞親王家歌合』は、すべて秋の歌で歌数は七十一首、本来番数も左・右の字も作者名も全くなかった。この歌は通し番号62の歌である。
②この歌合では、七十一首中五首が「秋」と「かなし」の二語を含む歌である。その中では、「ひとりしもあきにはあはなくによのなかのかなしきことをもてなやむらん」(60)という歌が、千里の歌と内容的にほぼ同じことを嘆いている。
③千里の歌では、「千々」と「ひとつ」とが数の対をなしている。古今集・秋下257の歌で『新撰万葉集』にも載る藤原敏行の歌に「白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらむ」という例がある。「わが身ひとつ」という句は、在原業平の「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今・恋五747)が比較的早い例である。
④下河辺長流の『三奥抄』は、菅原道真『菅家後集』の「秋夜」の「此秋独作我身秋(この秋はひとり我が身の秋となりたり)」という句について、「是は其謫所の愁、ぬし一人の上にあれば、かくはの給へり。千里は都にありての作なれば、我身ひとつの秋にてはなきなり」と注し、契沖は『白氏文集』巻十五「燕子楼三首」の第一首目「燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長」に拠ったと考えている。徐州の昔の尚書張氏の愛妓眄眄は、愛人の死後も愛情を忘れず、建ててくれた燕子楼という小楼に独り住みしていたが、それを聞いて二人を知っている白楽天が詠じたものである。
⑤契沖の『改観抄』は、『菅家後集』や白楽天の詩句と共に、古今集・秋上186「わがために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞかなしき」を引いている。賀茂真淵の『宇比麻奈備』は、儒家の千里が白楽天の詩句を用いたことを肯定しつつ、「皇朝の歌文などにからの故事を用るは、まだしきほどの人のする事也。皇朝に限りもなく古事の多きをしらぬ故ぞ」と批判して、「わがために」の歌を挙げる。香川景樹の『百首異見』はそれを批判して、世に知られた事を歌にするのは自然だとし、人口に膾炙している白氏文集や詩経をとるのは構わないと論じた。
⑥大江千里の家集『句題和歌』には、気分的にこの作に通う「秋来転覚此身哀 おほかたの秋くるからにわが身こそかなしきものと思い知りぬれ」という作もある。
⑦この歌は、深みのある作とは言えないが、口調のよい歌である。藤原定家は、これを本歌として、「秋をへて昔は遠き大空にわが身ひとつのもとの月影」(老若五十首歌合。拾遺愚草・中)と詠じている。
【蛇足】
さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は、訳に変更はありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。その特徴を見ると、「千々に」を「心も千々に乱れて」と言葉を補うことで訳しています。また、「わが身ひとつの秋」を「私一人のために訪れた秋」と分かりやすく解釈し、最後に歌にはない「そのように感じられて……」を補っておりまして、倒置した文を復元することなくそのまま訳して、余情があると見ていることが分かります。これは「わたし一人のために訪れたように秋が感じられてものがなしい」と、この歌の主題を指摘していると考えることが出来そうです。秋は万人のもとに到来するが、その秋が自分一人のためにやって来たように感じられる、ということですから、客観的な常識と、主観的な感情の間で揺れる心情が、この歌の眼目という見立てなのでしょう。
解釈と称する解説部分では、③の前半部分の藤原敏行の歌の紹介部分と④の『白氏文集』「燕子楼三首」を紹介する部分が『百人一首必携』と一部共通します。なお、『必携』では典拠となった詩句の指摘を契沖の説として紹介し、他に古今集の注釈書が挙げる別の詩句も検討していて、結論としては「燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長」に拠ったと結論付けています。⑥と⑦も『必携』を受け継いだものですが、①②と⑤は今回の書下ろしで、特に⑤は賀茂真淵の説とそれに反論する香川景樹の説を、それぞれの歌学書から長々と引用して、真淵が国粋主義の片鱗を見せるのに対し、景樹が非常に穏当な意見を述べていることが分かりまして、こうした近世国学の流れの面白いところを紹介しようという著者のねらいがよくわかります。
さて、大江千里が詠んだ歌の元となった白楽天の『白氏文集』巻15「燕子楼三首并序・其一」を丸ごと掲示してみます。
満窓明月満簾霜 窓に満ちる明月 簾(すだれ)に満ちる霜
被冷燈残払臥床 被(ふとん)は冷たく 燈(ともしび)残して臥床を払う
燕子楼中霜月夜 燕子楼中 霜月の夜
秋来只為一人長 秋来たりて 只だ一人の為に長し
大江千里は、白楽天の『白氏文集』のこの漢詩をもとに、秋の夜長の孤独を和歌にしたと考えられるわけです。こうした、和歌の元になった漢詩を「本説」と呼びます。この漢詩の詠作主体は眄眄(めんめん・べんべん)という、妖艶で美しい愛人らしく、そして、彼女を心から愛した旦那はすでに故人となっていたらしいのです。千里の歌は歌合に提出した歌ですから、別に大江千里の生活体験を提出する必要があるわけではなく、当時世間で大評判だった『白氏文集』の中の詩を本説として、和歌に移し替えたのであります。千里の工夫した「千」と「一」の対照が「わが身ひとつの」という一節を巧みに強調しまして、本説になかった味わいを添えていると考えるのがいいでしょう。
ただ、一般には「千々に」を「さまざまに」などと解することが多いんですが、これはそうではなくて、現代語の「千々に心乱れる」という用法から見ても、「限りなく・際限なく」というような言葉のはずで、この点従来の説は上滑りしている可能性が高いような気がします。久保田淳氏は「千々に」をそのまま生かして言葉を補っていましたが、そういう訳し方がよさそうです。ただ、わざわざそんなところで異を立てなくてもいいはずですから、諸注釈は「さまざまに」として同じような解釈なんですが、「さまざまに」だと千通りってことになりはしませんか。しかし、心が乱れるとか悲しいとか感じる精神状態の時には、一つの事を思い詰めるはずで、あれやこれや気が散るわけではありませんよね。古語辞書は、『百人一首』のこの歌と齟齬をきたさないように、忖度して解説しているだけでしょう。以前取り上げた北原白秋は、「ちぢ」を「数多い事」と説明しておりまして、千や万は数えきれない例えに使うものでありますから、これを拡大すれば「限りなく・際限なく」という解釈が妥当性を帯びることでしょう。
千里の趣向の眼目は、おそらく月が男との幸福だった時代の象徴であることでありまして、秋の煌々と照る満月を見て男を失った傷心を深め、孤独にさいなまされる様子を表現しているのでしょう。そして、下の句は理性では万人に訪れる秋に過ぎないと分かっていながら、秋の夜長の孤独を自分一人が背負って痛切に感じてしまう気持ちを述べています。ベストパートナーを失った自らの不運を、切りも限りもなく嘆いていることを本説取りしたんでありましょう。ちなみに、燕子楼というのは、中華人民共和国江蘇省の徐州市にある名勝です。徐州は北京と上海のほぼ中間に位置し、揚子江よりも北にあるんですが、漢の高祖劉邦の出身地でもあります。徐州市は人口が市街地で170万人、全体で900万人を超える大都市なんだそうです。漢詩の主人公は眄眄さんですが、徐州燕子楼で暮らしていた女性で、張尚書という方の愛妓だそうです。「眄」は「右顧左眄」(うこさべん)という熟語に使われていることから漢字音が推定できますが、漢音では「べん」で、呉音では「めん」。
調べて見ると、白楽天の燕子楼に関する漢詩と言うのは、実は友人が作って来た漢詩に対するお返しでありまして、白楽天が自然に作ったというようなものではないのであります。問題なのは、白楽天の三首の漢詩が、眄眄さんに伝わりまして、その結果彼女は自殺してしまったという逸話があるのです。どうも白楽天の漢詩が、彼女を皮肉るような内容だったのではないか、という説があるわけです。これに対して、白楽天の漢詩はそんなものじゃない、彼女の貞節に敬意を表するものであるという反論がありまして、結局白楽天という詩人をどう評価するかと言うところに行き着くみたいなのであります。
『長恨歌』という長編の詩を見たら、白楽天の感性と言うのは桁外れに感受性が強くて、人を愛する純粋な気持ちというものに対して、共感性が高いのは間違いなさそうでありますから、一途な女性を傷つけるものであったはずはないのであります。本説取りした大江千里の歌を見ても、少しもふざけたところがないわけです。唐の時代に遣唐使を派遣して異文化を受け止めたことが和歌の活性化につながったのでしょうけれども、ちゃんと人間的な摂取をして和歌を詠んだことがわかります。そう考えると、大江千里の歌はうまいなあと思います。
明治時代の正岡子規はこの歌を貶したそうですが、それでいいのかどうか。浅い理解で下らないと叫ぶだけだった、若気の至りかもしれません。『歌よみに与ふる書』(岩波文庫)から引用してみます。
「月見れば千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど」といふ歌は最も人の賞する歌なり。上三句はすらりとして難なけれども、下二句は理屈なり蛇足なりと存候。歌は感情を述ぶる者なるに理屈を述ぶるは歌を知らぬ故にや候らん。この歌下二句が理屈なる事は消極的に言ひたるにても知れ可申。もしわが身一つの秋と思ふと詠むならば感情的なれども、秋ではないが当たり前の事をいはば理屈に陥り申候。箇様な歌を善しと思ふはその人が理屈を得離れぬがためなり。俗人は申すに及ばず、今のいはゆる歌よみどもは多く理屈を並べて楽みをり候。厳格に言はばこれらは歌でもなく歌よみでもなく候。(「四たび歌よみに与ふる書」)
以上のような事を、正岡子規は言うわけですが、この大江千里の歌でいうと、正岡子規の言うような感情的な叙述は浮かぶわけで、言外の余情として感情が分かるなら申し分ないと言えそうであります。じゃあ、次のような歌なら、正岡子規君は満足したんでありましょうか?
月見れば千々に物こそ悲しけれ 我身一つの秋ぞと思へば
別にこれでも通じますが、大江千里の歌より断然いいとは思われないのでありまして、『白氏文集』の表現そのままで、なんだか工夫がないと見えそうです。
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