岩波文庫『百人一首』を読む(26) 藤原忠平
26 小倉山峯のもみぢ葉心あらば 今一たびのみゆき待たなん 貞信公
【訳】小倉山の峯のもみじ葉よ、もしも物事に感じる心があるならば、もう一度のみゆき、帝の行幸があるその日まで散らずに待っていておくれ。
【出典】拾遺集・巻十七・雑秋・1128
亭子院、大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所也と仰せ給ふに、事の由奏せんと申て 小一条太政大臣
【解釈の要点】
①詞書の「大井川」は洛西を流れる大堰川である。小倉山は京都市右京区、大堰川北岸の山、高さ二九五メートル。小一条太政大臣は藤原忠平。「みゆき待たなん」の「なん」は希望・誂えの終助詞。
②この歌が詠まれた背景は『大和物語』九九段にも語られている。
③亭子院(宇多法皇)の大井川御幸として、一応定説に近いのは、延喜七年(907)九月十日説である。『大鏡』には、「大井の行幸(御幸)も侍りしぞかし。さてまた、みゆきありぬべきところと申させ給ふことのよし奏せむとて、一条の大臣ぞかし、大原山(をぐら山)もみぢの色も心あらばいまひとたびのみゆき待たなん あはれ優にも候ひしかな。さて行幸に、あまたの題ありて、やまと歌つかうまつりし中に、猿叫峡、躬恒 わびしらにましらななきそあしひきの山のかひあるけふにやはあらぬ その日の序代は、やがて貫之のぬしこそはつかうまつり給ひしか」(巻六・昔物語)と語る。
④「峯のもみぢ葉」に呼び掛けた形をとっているが、「事の由奏せんと申て」というのだから、小倉山の紅葉の枝などに添えて、内侍あたりを通じて奏上したか。行幸を勧めるにはふさわしい。勧誘の歌だから、宮廷和歌の一つの機能である。
⑤小倉山荘色紙形和歌として書くとすれば、ふさわしい作に違いない。
⑥中世歌論の「もみもみ」とはややずれるが、マ行音が多用されていて、もみもみした感じの歌と言える。
【蛇足】
さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は、訳に若干の変更がありました。學燈社『百人一首必携』執筆時には、三句目の「心あらば」を「もしも心あるならば」とするだけでしたが、今回は「心」を具体化して「もしも物事に感じる心があるならば」と訳してあります。特にこの訳についての解説もありませんので、憶測を加えると、「心がある」というだけでは足りないので、言葉を補ったということです。ひょっとして、現代的に言うと、「忖度する気があるなら」ということかもしれませんが、これでも議論の余地はありそうです。
解釈と称する解説部分では、①と②が新たに書き加えられているだけで、③から⑥まで、『百人一首必携』から受け継いだものです。
さすがに、問題がなさそうな歌であります。宇多上皇が紅葉の名所である大井川にお出ましになって、息子の醍醐天皇に見せたいというものですから、藤原忠平(貞信公)が醍醐天皇に行幸を奏上しようという歌でありまして、紛れるところはありません。「みゆき」というのは、上皇の「御幸」やら天皇の「行幸」を指す言葉でありまして、要するに天皇のお出ましを待って散らずにいて欲しいと言うことなのでありますね。
この、最後の「なむ」というのは、願望・希望の終助詞などと言うものでありまして、著者は「またなむ」を「散らずに待っていておくれ」と訳出しています。この助詞は、成就しがたい無理な願いを頼むものでありまして、大概は止めることの出来ない自然の流れなどに対して、強引な要求をするものなのです。だから、待って欲しいとは言っていても、無理を承知している表現なのです。だとすれば、「小倉山のもみじ葉は、まもなく散ってしまいますから、お早めにお出まし下さい」というようなお誘いが裏に存在するわけです。「行かないと散りますよ」と、醍醐天皇をせかしている表現にもなるわけで、宇多上皇の命を忠実に遂行する内容ですから、なかなか人心掌握術に長けた機知の勝った歌なのであります。
なお、近代の注釈書の中には、この歌を擬人法とする説明があるんですが、不思議でありますね。「心あらば」と表現してしまうと、素直に擬人化しているとは思われないわけでありまして、説明の角度が違うのではないでしょうか。微妙すぎて、自分でも何が言いたいか分かりませんが、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」なら、素直に擬人法でいいと思うんですが、どうも貞信公の歌の場合は、根本的に「心なきもみぢ葉」という認識がちらついて、擬人法という説明では落ち着かないのであります。まあ、仕方ありませんね、擬人法かも知れません。しかし、そのレトリックは指摘するまでもない。機会があったら、レトリックの本を眺めて考えてみることにいたします。
この作者の貞信公というのは、藤原忠平という人でありますが、藤原基経という人の子供であります。例の、陽成院が退位した時に光孝天皇を立てたのがその基経でありまして、これ以後の天皇の即位には、基経の子孫が大きく関わるようになるわけです。だから、宇多上皇のお伴をして紅葉を見てから、醍醐天皇に紅葉を見ませんかと声を掛ける気安さと言いますか、君臣和楽の精神はなかなか楽しいものでもあるわけです。
江戸時代の尾崎雅嘉という人がしたためた『百人一首一夕話』というのは、楽しい読み物になっているんですが、この藤原忠平について、子供時代の楽しいエピソードが書いてあります。基経お父さんと車に乗っている時に、「パパ、お寺を建てるのにこの辺がいいよ」なんて幼い頃の忠平が言うんであります。お父さんがどれどれと見てみると、確かにいい感じで、じゃあ大人になったらどうぞ、と言ったんであります。
この話は、『大鏡』に由来するんでありますが、それを見ると、もっと感動的であります。つまり、この時の基経お父さんは何のために車に乗っていたのかというと、基経さんの子供時代が関わるんですね。仁明天皇という方のお出かけに同行した、幼少のみぎりの基経少年なんですが、仁明天皇が琴の演奏のためのつけ爪を紛失するんであります。昔の牛車のことですから、要するに密室空間ではありませんから、どうやら道中、琴を弾いているうちに車から落ちてしまったと言うんですね。そこで、仁明天皇が幼い基経に探してこいと頼むんであります。そんな小さなもの、普通は見付かりませんよ。どうして基経に頼んだのか、そこのところも理由は分からないんですね。おそらく、ただ何となく依頼したのでしょう。しかし、運命とはそういうものなのです。とても見付からないと思った基経少年は、仏様に祈ります。
「見付かったらお寺を建てます。仏様!」
そうしたら、見付かったんですね。その、琴のつけ爪が見付かったところにお寺を建てに行ったのが、大人になってからのことで、その車中に息子の忠平がいたわけです。そうしたら、息子はお父さんのために、「ここがいいと思うよ」ってアドバイスしますから、この息子はお父さん思いの利発な子供ですよね。お父さんは、昔の発願に従って建てる場所があるから、お前が大人になったらここに建てるといいよ、というようなことで、親も親なら子供も子供、人柄もいいし、それなりの出世も遂げてしまうわけです。
私もね、子供の頃に父親に、ここの土地を買ってと頼んだところがあるんです。そこは、のちのち新幹線の駅前になりまして、地価は100倍くらいになったのでありますが、私の父は凡人でありますから、おおそうか、買ってあげよう、などとは言いませんでしたし、私も父以下の凡人ですから、そこを手に入れる力も知恵もなかったのであります。近年は「親ガチャ」というキーワードが流行りましたが、それはガチャガチャという玩具を買う販売機から来ている言葉かと思います。あの販売機は、一定のお金を入れるとカプセル入りの玩具などが出て来るんですが、欲しいものは選べないのであります。その結果、欲しくないものが出たり、同じものが出たりしまして、ついついお金を余分に払って、目的の玩具がでるまで頑張る人が出てくる仕掛けであります。ガチャガチャのように何度も挑戦できるならまだしも、親との縁は一度でありまして、その結果はずれを引いてしまうのであります。親ガチャがあるなら、子ガチャもあるわけで、親ガチャを嘆く子供は、親から見たら子ガチャの失敗例ということかもしれません。土地に投機をする親を持つなどということは、平凡な人生には高望みそのものですね。
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