岩波文庫『百人一首』を読む(30) 壬生忠岑

30 有明のつれなく見えし別より 暁ばかり憂きものはなし  壬生忠岑


【訳】有明の月が空にさりげない様子でかかっており、あなたが私に対してひどくそっけないありさまだったままの、満たされない別れの時からというもの、暁ほど憂くつらいものはありません。

【出典】古今集・巻十三・恋三・625

       (題しらず)


【解釈の要点】

①『忠岑集』でも大体において無題の歌だが、冷泉家時雨亭承空本には、「ある女に」という詞書があり、続いて「女のこころづよく侍しかば」とか、「女にはじめて」などとという詞書の作も見出されるので、現実の歌と考えてよい。

②女にともかく逢ったのちの後朝の歌か、それとも逢えなかった翌朝の歌か、古来解が分かれる。逢えなかった恋の心と解するのは、東経縁講・宗祇編『古今和歌集両度聞書』。契沖『古今余材抄』は、万葉集・巻13の相聞の長歌3276から「百足らず 山田の道を 波雲の 愛し妻と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手の かへりも知らず 馬じもの 立ちてつまづき……」(作者未詳)という例を挙げて、「あはねどもわかるる事はある也」という。ここでも「不逢恋」の歌と見ておく。

③「有明」は「有明の月」。「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形。『古典基礎語辞典』で「表面上平然としているさま、素知らぬ顔であるさま」、「相手の気持ちに応じず冷淡なさま、無情なさま」などという。万葉集・巻十2247に「秋の田の穂向きの寄れる片寄りに我は物思ふつれないものを」という例がある。『時代別国語大辞典 上代編』は、「つれ〔由縁・所由〕」の項で、「つれなしはすっかり一語化してはいるが、まだ後世の無情だという意をあらわすまでには至っていないらしく、無関心である・何のゆかりもないというような意と考えられる」という。ここでは「無情だ」の意と見てよいか。「暁」は、『岩波古語辞典』に「夜が明けようとして、まだ暗いうち」とし、夜を中心に時間を夕べ・宵・夜中・暁・朝に区切ることができるという。万葉集では「あかとき」という。「憂き」は形容詞「憂し」の連体形。『岩波古語辞典』は、「憂鬱だ、いやだ」、「(自分に憂い思いをさせる意から)恋愛の相手の態度が無情だ」などと解説する。

④『顕注密勘』の顕昭の注は「是は女のもとよりかへるに、我はあけぬとて出るに、有明の月はあくるもしらず、つれなく見えし也。その時より暁はうくおぼゆとよめり。ただ女にわかれしより暁はうき心也」と注し、定家も「つれなく見えし、此心にこそは侍らめ」と同意する。

⑤下河辺長流の『三奥抄』は、『顕注密勘』を引いた上で、『古今集』でこの歌は(恋人に)「あはずして明けたる歌どもの中にはさまれて」あること、『古今六帖』でも第五「くれどもあはず」の題の部分に出していることなどから、「うたがひなく、来りて不逢恋とみるべし」と主張し、契沖の『改観抄』も同調した。賀茂真淵『宇比麻奈備』は「女のもとへ行たるに、つれなく下ひもとくとはあらで、暁徒にわかれ帰りしが、よにうかりし後は、人のつれなかりしはさるものにて、暁ほどうき物はなしと思ひなりたると也」と解釈し、『古今集』でのこの歌の前後の歌、「逢はずして今宵明けなば春の日の長くや人をつらしと思はむ」(624源宗于)と「逢事のなぎさにし寄る浪なれば怨てのみぞ立帰ける」(626在原元方)を引いて、「言をまたでしらるべし」という。香川景樹の『百首異見』は、契沖の説を肯定し、賀茂真淵の解を否定する。

⑥『顕注密勘』で定家は「これほどの歌一よみいでたらん、この世の思いでに侍べし」と激賞する。新古今集にはこの歌の本歌取りが多い。夏209「有明のつれなく見えし月は出でぬ山ほととぎす待つ夜ながらに」(藤原良経)、夏235「さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づるほととぎすかな」(定家)。『古今和歌集両度聞書』も後鳥羽院が定家・家隆に「古今第一の歌はいづれぞ」と尋ねたら、二人ともこの歌を挙げたと語り、『顕注密勘』を引く。


【補足】

『三奥抄』に言及した部分の116ページ9行目、

   ……『三奥抄』はこれらを引いた上で、『古今集』でこの素性の歌は(恋人に)「あはずして明たる歌どもの中にはさまれて」あること、……

とありますが、「素性」という作者名は誤りで、ここは「忠岑」とあるのが正しいことでしょう。「有明」の解説で素性を紹介した部分がありますが、それが影響して作者名を誤ってしまったようです。岩波文庫の校正が及ばなかったようです。


【蛇足】

さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は、訳に変更はありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。その特徴を見ると、二句目の「つれなく見えし」を二重に解釈しております。一つは、初句「有明の」からの続きとして「有明の月が空にさりげない様子でかかっており」と訳してあります。そしてもう一つは、三句目の「別より」へかかる表現として、「あなたが私に対してひどくそっけない有様だったままの、満たされない別れの時から」と訳してあります。つまり、「つれなく」は有明月の状態をあらわす表現と、恋の相手の態度をあらわす表現との二重構造だと著者は解釈しております。月も女も「つれなく見え」た時以来、詠作主体の男は暁が一番つらい憂きものとなったという理解と見ていいと思います。女との逢瀬の後の別れの時に、女はそっけなく、月はさりげなく、ゆえに暁が嫌いになったというのですが、「さりげない月」が嫌いになるという点は腑に落ちません。どうせなら、月も女と同じように「そっけなく」と訳すことでよかったのかもしれないと思いました。

解釈と称する解説部分では、『忠岑集』の詞書によって実際の恋の場面で詠まれたことを指摘する①は『必携』から受け継がれています。さらに、『古今和歌集両度聞書』や『古今余材抄』を「不逢恋」説として掲げ、それを採用するとする②も『必携』からのものです。著者の訳は、「不逢恋」の歌として訳出してあると見るべきもののようです。⑥の定家の『顕注密勘』の激賞コメントと忠岑の歌の本歌取りの新古今集の歌の紹介記事も、『必携』そのままですが、最後の後鳥羽院のエピソードは『必携』にはありません。単語の意味などを解説する③や、『顕注密勘』の顕昭の見解とそれに同意する定家の言葉は今回の追加で、さらにそれらをめぐる近世の注釈書の論戦も今回加えられていました。


さて、とりあえず紹介されている『顕注密勘』について、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ収載の資料で掲示し、訳を提示してみます。これは明暦三年(1657)に刊行された版本で、京都大学附属図書館が所蔵しているものです。

  在明のつれなく見えし別より暁ばかりうき物はなし

(顕昭)是は女のもとより帰るに、われはあけぬとて出るに、ありあけの月はあくる

   もしらず、難面みえしなり。そのときより暁はうくおぼゆとよめり。ただ女

   に別しより暁はうき心也。

  (定家)つれなく見えし、此心にこそ侍らめ。此詞つづきはをよばず。えんに

     おかしくもよみて侍かな。これほどの歌一よみ出たらん、此世の思出

     に侍べし。

   〔訳〕有明月がつれなく見えた別れから暁ほど嫌なものは他にない

    (顕昭)これは女のもとから帰るのに、自分は夜が明けたと思って外に出ると

       有明の月は夜の明けるもかまわず、つれないものと見えたのだ。

       その時から暁は嫌だと感じられると詠んでいる。ただ女と別れた時

       以来暁は嫌いだという気持ちである。

     (定家) 「つれなく見えし」とは、こういう気持ちなのでしょう。この

         表現は越えがたい。優雅に面白くも詠んだものですね。

         これほどの歌を一首でもひねり出したら、現世での記念に

         違いありません。

これを読むと、逢瀬があって、夜が明けるから帰るという、平安時代の別居婚の普段の生活が背景になっている歌だという解釈になっていると見受けられます。この場合の「つれなく」は、夜明けになっているのに空に掛かっている状態を言っておりまして、夜明けとは「関係なく空に居続けている」というだけのことでありまして、女の態度には言及していないように見えます。しかしながら、気になるのは「ただ女に別しより暁はうき心なり」の部分が、その恋愛が終わりを告げたかのように取れるわけで、特定の女性と破局して別れたという解釈につながる可能性を感じさせます。忠岑の歌だけ見ると、破局したどころか、初めての逢瀬で惚れに惚れてしまい、帰りたくなくなったという読みの方がいいのではないかと思ったりいたします。


かつて取り上げた北原白秋は、この歌を思い入れたっぷりに訳しておりますが、白秋によれば、「在明の」は「つれなく」の枕詞に過ぎず、また「つれなく」は、句意では「無情で」「平気で」、評釈では「冷淡な」となっております。白秋の解釈の骨組みだけを示すと、「あの女が冷淡に見えた別れ以来、明け方程いやなものはない」となりまして、これは別れた女が大嫌いという、恋の歌としては論外の理解だと見ていいでしょう。ところが、白秋が参考にしていたはずの佐佐木信綱は、まったく違った解釈をしていました。違いは、つれないのは「有明の月」だけでありまして、別に女の態度がつれなかったとは言っていないのであります。

有明がたの月のさしもつれなく、山のはにも入らず残れる折から、女のもとより、かへる事を思へば、身にしみしみと悲しう物うくおぼえて、その別より後は、よに暁ほどわびしく、物うきものはなし。(佐佐木信綱『百人一首講義』)

この解釈だと、信綱は女との仲は昵懇と考えているのでありまして、離れがたいがために帰ることが辛くなっているわけで、これだと恋の深みにはまった気持ちの吐露なのであります。古今集の恋三という配置を見たら、信綱の解釈が妥当だと分かります。恋の歌は、恋愛のはじまり、駆け引き、相思相愛、隙間風、別れた後の恨み節のように、段階を踏んで分類されまして、それを五巻にわけるのが勅撰集の基本ですから、古今集恋の部の真中にある巻三の歌の解釈としては、白秋の理解はずれておりまして、信綱に軍配が上がります。信綱が粉本にしていたと思われる、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』は、歌の解釈の中で、「かの人は何とも思はず知らぬ顔して我に逢はぬ故本意なく別れて帰りし」と述べているので、これは白秋と同じ理解で、信綱とは意見が相違しております。


有名な歌でありますけれども、すでに鎌倉時代の初め、藤原定家の時代には異説がありまして、もめていたようなのでありますね。それはそうです。詠んだ忠岑本人だって、どこまで詠んだ歌を理解していたのかどうか分かりません。それが詠まれて300年も経過した時代に取沙汰されても、議論が収束する気配はないことでしょう。


これは、言い換えれば、歌が詠まれた時代や、作者の意図と言うものが尊重されるべきだという立場では「不逢恋」の歌と言う解釈が成立する一方で、歌を鑑賞し秀歌撰に採用した後世の理解が尊重されるべきだという立場では「逢而別恋」の歌と言う解釈が成立するのだということなのであります。当該の和歌を、作者とその時代の縛りの中で読み解こうとするか、それとも選び入れられた秀歌撰とその撰者の縛りの中で読み解こうとするかという対立とも言えるでしょう。和歌をさらに作者や撰者・時代から切り離して、日本語のテキストとして読み解こうとする立場も出現しそうな勢いです。


ところで、著者の久保田淳氏が、近世の注釈書の説を紹介してくれておりましたので、それによって見方が深まった代わりに、その追究の前提となっている点について、少々疑問がわきました。実は顕昭や定家が活躍していた六百番歌合の頃には、すでにこの歌を本歌取りした歌を巡って、本歌の忠岑の歌の内容に、二つの説が対立したわけです。そのなかで、「不逢恋」の論拠である古今集の排列の問題ですが、これが実は怪しいのではないかという気がいたします。ひとつには、古今集の恋三の詞書を巻頭から見て行っても、別に「不逢恋」というような題が明示されているわけではありません。院政期になって歌合や百首歌に歌題を出すということが盛んになりましたので、そうした視点で六百番歌合の歌やその本歌が論じられるのは構いませんが、はたして「不逢恋」という題詠の意識下で忠岑の歌前後の歌が詠まれたかと言えば、そんなわけはありません。それでも、撰者の排列には一定の枠組みがあったと言い返されそうですが、よくよく前後を見ると微妙であります。簡単に指摘すると、恋三の前半と言うのは、二人の関係が深まりまして足しげく通っている中での、何らかの障害(雨と雪、距離、時間、人目)による焦燥感がテーマでありましょう。「逢えなかった恋」がテーマではなく、「逢えなかったことで募る恋心」がテーマでありまして、そんなふうに視点を変えると、歌の主題が変化し、二説対立の根拠が失われるような気がいたします。ひとつ前の歌とひとつ後の歌が「不逢恋」だから、これも同じと断じるのは違うかもしれません。


まず、「有明」という言葉を、どう理解するかによって、解釈が割れるわけです。壬生忠岑の歌にある「有明」を勝手に整理すると、「有明」を「有明月」のこととするか、それとも有明月が空に掛かる時刻とするかによって解釈が割れるんであります。でもって、後者は不可であります。つまり有明月は、月の出が深夜、月の入りが翌朝でありまして、幅があるから、これを時刻を表す表現にすることはそもそも無理があるんですね。だいたい、忠岑の歌の中では四句目で「暁」って言ってますから、時刻はそちらで感知するわけです。それから、白秋の言う「有明の」を枕詞とする説は、そもそもそんな枕詞がないような気がしますし、「有明の~見え」で「月が見え」ですから、有明月がつれなく見えたを否定するのは無理があるでしょう。


また、白秋と信綱の意見の相違で示しましたように、「つれなく見え」たのは、有明月なのか、女の態度なのか、という問題も古来議論の的ですが、別れの暁がつらいんでありまして、女性はちっとも「つれなく」ないのでありましょう。すでに指摘されているように、『古今集』では恋三の「逢わざる恋」の歌群に入っているんですが、訪問して明け方まで粘れたなら、女の態度を「つれなく見え」たと考える必要はないのではありませんか。また、これを、永遠の別れを詠んだとする解釈も注釈書の中には当然あるんですが、恋三に配列された点を重視すると、とても肯定する気持ちにもなりません。たぶん、そんな劇的な恋の終末を詠んだ歌ではありますまい。恋も深まると、デートの後のさよならが切なくなるはずなんです。


この歌が詠んでいるのは、恋というものの風情であり、遊びが本物の恋になった瞬間、あるいは恋に恋する子供が大人になった瞬間のはずであります。口説いている時は遊びなんですが、別れて帰ろうとする刹那に、深みにはまって帰りたくない自分を自覚するという歌なんですね。定家・家隆の圧倒的な支持は、ここの所だろうと思います。佐佐木信綱の理解もそういうところかと思います。


幾たびもそなたを慕って訪問しては、そなたをかき口説いて来たが、どうやらこの私は本気になったようです。帰ろうとして眺めた空に、あの晩有明の月がかかっていて、それが「つれないものだなあ」と見えた別れの時から、そなたのもとを辞して帰る暁ほどつらいものはないと思い始めたのです。そなたのそばに暁になってもそのまま居続けたいと思うようになりました。(粗忽試訳)


それから、作者は男ですが、詠作主体が女でも通用する歌だと思いますが、どうもそういう指摘は従来ないようでありまして、どうして男の歌と固定して見ているのでありましょうか。女性が口説きに来た男を送り出した後で、有明月を見ていてもいいはずでありますよ。女性の立場の歌の方が、むしろ、断然、自然ですね。「待つ宵・別れの暁」の辛さというのは女性の立場から発したもののような印象があるんですが、違いましたでしょうか?


あなた様が何度も何度も私を訪ねて来ては、口説きに口説いて下さいましたが、どうやらこの私は本気になったようです。あなた様が帰ろうとして我が家を出た空に、あの晩有明の月が掛かっていて、それが「つれないものだなあ」と見えた別れの時から、あなた様が私のもとを辞して帰る暁ほどつらいものはないと思い始めたのです。私の側にあなた様が暁になってもそのまま居続けてほしいと思うようになりました。(粗忽試訳、女性バージョン)


後に残る女の態度も、帰ろうとしている男の態度も、おそらくまったくつれない冷淡なものではないはずであります。つれないのは、空に掛かったままの有明の月でありまして、「暁の別れ」という場面に存在しているのは、男と女と有明の月なんですが、この月が空に浮かんだままなのであります。月は平気の平左、二人の気持を受けとめないで空に居続けますが、男は後ろ髪惹かれ、女は引き止めたくて、二人とも平常心を失っているのであります。ああ、本当の恋に落ちると、暁の別れはこんなにもつらいものであったのかという発見でしょうね。


蛇足に蛇足を重ねて見ます。月というのは約29・5日周期で、満月から満月へと変化しますが、それに伴って月の出・月の入りの時刻が変化致します。毎日一時間も月の出は遅くなるのであります。それでも、毎日昇っては沈む月を、平安時代などの妻問婚の習慣から男に例えることがあります。だいたい、月あかりを頼りに女を訪問したりしますので、女から見たら月が出たら男が来る、という習慣なのであります。さて、満月が過ぎ、旧暦の二十日前後には月の出は遅く、男が帰る暁には月が空に残るのであります。男は帰らればならないけれど、月は空に留まっているという状況がありますので、有明の月が男女の別れの時間に空に残っていることを恨みがましく思うという仕掛けです。ここが分からないと、忠岑の歌の解釈は迷走して、収まらなくなってしまうということでしょう。男女が同居し、嫁取り婚が普通になったら、もうこの忠岑の歌は理解不能だったという可能性があります。「待つ宵と別れの暁がつらい」という妻問婚(別居婚)の心理は、物語の基本なんですが、さて、そういう物語をみんなちゃんと読んでいたのでしょうか? かなり怪しいと思います。 

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