岩波文庫『百人一首』を読む(21) 素性法師

21 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつる哉 素性法師


【訳】あなたが「すぐ行くよ」とおっしゃったばかりに、訪れていらっしゃるのは今か今かと待ち続けて、とうとう有明の月が出るまで、待ち通してしまいました。

【出典】古今集・巻十四・恋四・691

       (題しらず)


【解釈の要点】

①他撰家集とされる『素性集』や、『古今六帖』第五「人をまつ」の項にも載るが、(古今集と同様に)作歌事情の記載はない。

②「長月」は陰暦で九月のこと。昔の秋は七月に始まって九月に終わる(ので、この歌は晩秋の歌である)。「有明の月」は、夜が明けても空に残っている月。十五夜の月をいう望月の後、「いざよひ」「立待」「居待」「寝待」などというので、とくに陰暦二十日以後の月をいうことが多い。

③「長月の有明の月」という句は、万葉集の時代まで遡りうる。顕昭の『古今和歌集註』に「大方、万葉にも「長月の有明の月」と続きよめるうたあり」として『拾遺集』恋三795・人麿「長月の有明の月のありつつも君し来まさばわれ恋ひめやも」と万葉集巻十2239・作者未詳「白露を玉になしたる九月の有明の月夜みれど飽かぬかも」を引いている。拾遺集の歌は、おそらく万葉集巻十一2671・作者未詳の「今夜の有明の月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし」の異伝・訛伝である。

④「今来む」は訪れるはずの人間が言った言葉。現代語なら「すぐやって来るよ」「すぐ君の所へ行くよ」というところ。素性の父の遍昭は「今来むといひて別れし朝より思ひくらしの音をのみぞ泣く」(古今・恋五771)と詠んでいる。待つのは女だから、この一首は素性法師が女になっての詠と解される。

⑤「待ち出づ」という複合動詞は万葉集でも、「君来ずは形見にせむとわが二人植ゑし松の木君を待ち出でむ」(巻十一2484・柿本人麻呂歌集)、「高山にたかべさ渡り高々に我が待つ君を待ち出でむかも」(巻十一2804)と詠まれている。岩波古語辞典では「待ち出で」は「待ちかまえていて逢う」「出てくるまで待つ」と意味を示し、「君来ずは」の万葉歌と『源氏物語』須磨の巻「月待ち出でて出で給ふ」という部分を引く。古今集には「待ちでつるかな」という写本も少なくない。

⑥『顕注密勘』の定家勘で「今こむといひし人を月頃待つほどに、秋も暮れ、月さへ有明になりぬるとぞよみ侍りけん」という解釈が示されている。物語的で面白いが、考え好きか。下河辺長流は『三奥抄』で「わろし。ただ今夜と頼めたる一夜のことにして、感慨はあくまで有べし」とのべ、契沖も『改観抄』で踏襲している。

⑦竹久夢二作詞の「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」は、この歌の本歌取り。


【蛇足】

さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は、訳に変更はありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。その特徴を見ると、「今来むといひし」の主語を二人称の「あなた」としまして、全体に敬語を使っておりますので、詠作主体は女性という体裁になっています。それから、「訪れていらっしゃるのは今か今かと待ち続けて」という歌中にない詠作主体の行為を補い、その後で歌の後半を訳出しています。「待ち出で」の訳は、「月が出るまで、待ち通して」となっておりまして、岩波古語辞典の訳語に近い解釈となっています。また、一晩の時間の経過を詠んだ訳になっておりまして、季節の推移を詠んだとする『顕注密勘』の定家勘は採用しておりません。

解釈と称する解説部分では、③の「長月の有明の月」という表現の由来を紹介する部分や、④の「今来む」の約束を男の言葉と指摘して素性法師が女の立場で詠んだ歌であることを説明する部分、さらに⑥の『顕注密勘』についての考証や⑦の夢二の宵待草がこの歌の本歌取りであるという指摘なども、ほぼ『百人一首必携』から引き継いでいます。①の詠作事情が不明であるという説明と、②の「長月」や「有明月」についての解説、⑤「待ち出づ」について万葉集や源氏物語の例などは、今回新たに追加されたものです。⑤の末尾の古今集の写本が「待ちでつるかな」とあることは、『必携』でも触れられていました。


『顕註密勘』というのは、六条藤家の顕昭が古今集について記していた注釈に対して、藤原定家が自説というか御子左家の注釈を書き加えたもので、ながらく写本だけだった所に、今年2024年になって冷泉家から定家自筆本が出現したことで話題になっております。当該箇所を京大図書館清家文庫本で示してみます。

  今こんといひしばかりに長月の在明の月をまちでつるかな

    長月の有明の月とは、なが月の夜のながきに在明の月の出るまで人をまつ

    とよめり。大方万葉にも、なが月の有明の月とつづけたる歌あまたあり。

    大略相同じ。今こんといひし人を月来まつほどに秋もくれ月さへ

    有明に成りぬとぞよみ侍りけむ。こよひばかりは猶心づくしならずや。

註の前半が顕昭の見解で一夜説、後半が定家の見解で数月来説ということで、石田吉貞氏『百人一首評解』(1956年)によると、北村季吟までは数月来説でしたが、契沖は古今集の配列から一夜説を唱え、近世は一夜説が有力だったと整理しています。さらに、本居宣長は夕方来ると言って来たとしたのに対し、香川景樹は別れた朝の言葉と見た説を紹介しています。また、小高敏郎氏『小倉百人一首評釈』(1954年)は、冷泉家は顕昭と同じで一夜説、二条家では春夏を待ち暮らしたとする数月来説で、定家や宗祇もこれに近く、後陽成天皇は折衷案で、月の始めから待っていたという説だったことを紹介しています。


ところで、今回『顕註密勘』を見て気が付きましたが、注釈者の皆さんはどうやら孫引きをして紹介しているらしく、微妙なところで間違って紹介しているようです。定家の加えた密勘の冒頭を見ると、「大略相同じ」とありますから、実は定家は一夜説を肯定しております。じゃあ、その後の数月来説は何かというと、末尾の「猶心づくしならずや」というところにある「猶」という副詞が肝心で、この歌を「心づくし」の歌として解するなら「月来まつ」のほうがいいのかもしれないと言っているんであります。念のため、定家の密勘の部分を訳すと、こうでしょうか。

  おおよその所(私定家の見解も顕昭の註と)同様である。すぐに来るよと

  言った人を数か月待つうちに秋も暮れ月までが有明に成ったと

  (素性法師は)詠んだのでしょう。

  (待つのが)今夜だけはやはり悩みごとではないか。

末尾の「や」を単純な疑問とする場合と、「や」を漢文的に反語と取る場合とで解釈が正反対になってしまう可能性もあります。「(待つのが)今夜だけはやはり悩みごとであることよ」と解すると、一夜説のほうに傾きますが、たぶん従来は「(待つのが)今夜だけはやはり悩みごとではないのかも」と解していたようです。深刻な歌にするなら数月来待ったと解し、剽軽な歌にするなら顕昭のように一夜待ったと解することになる、と定家は指摘しただけかもしれません。

素性法師のこの歌については、一夜だけ相手を待っていたのか、延々と待っていたのかと言う解釈の対立があります。さらに、この歌の中における、現在時刻についても、近年の注釈では混迷しているようです。ぱっと見には簡単な歌ですが、解釈する人によって思いがけない様々な情景が描かれてしまう歌と言えそうです。三十一文字の定型表現ですから、解釈が定まらない時も多いのです。


さて、「待ち出づ(まちいづ)」と言う動詞は、現代語なら「待ち出る(まちでる)」という動詞となるはずですが、『日本国語大辞典』(第二版)はその形での項目の掲示を見送ったようで、「まちいず」「まちず」として掲載しております。「まちいず」については、「待ち受けていて会う・出て来るのを待つ」と言い換えているんですが、そういうふうに「いず(出ず)」に重点を置くのはかなり疑問かと思います。

なぜなら、「月を待つ」という言い方は成立しますが、「月をいず(出づ)」という表現は日本語として非常に問題があることでしょう。格助詞の「を」の使い方として、おそらくそういう日本語は成立しないはずです。つまり、素性法師の歌においては、「出で」は月の縁語として使われているに過ぎないと考えるのがよく、さらに、ここでは「~し始める」という補助動詞の用法と解くのがいいに決まっています。「待ち出づ」で「待ち始める」とするのが自然なんですね。久保田淳氏が挙げている万葉集の二首と、『源氏物語』の例をもう一度掲げて見ます。

  君来ずは形見にせむとわが二人植ゑし松の木君を待ち出でむ(万葉集2484)

  高山にたかべさ渡り高々に我が待つ君を待ち出でむかも(万葉集2804)

  「月待ち出でて出で給ふ」(『源氏物語』須磨の巻)

この三例とも、「待ち始める」で何も問題がないように見えます。つまり「君を待ち始めるだろう」「月を待ち始めて出て行きなさる」で充分な気がいたします。あえて言うなら、補助動詞の「出づ」はそういう態度を表明する、周囲からも分かるようにする、そう見せているというようなことかもしれません。つまり、期待していることを隠さなくなるというようなことかもしれません。

よって、この歌を解釈するなら、「すぐに来るよとあなたが言ったばかりに、(なかなか秋の夜長に上らない)九月の有明の月を、待ち始めたことよ。(早く来てね)」という、親密な相手の訪問を、有明の月が出るのを待つのと同じように、心待ちにする歌と理解するべきものです。古代においては、外出は月明かりを頼りにしたりするわけですから、待つ者は月の出のころに、訪問者が月明かりに従ってやって来るのを期待するはずです。諸注釈の多くでは、これが何故か長らく待ちぼうけを食った歌となっています。しかし、この歌が入っている勅撰集、すなわち『古今集』を見ると、その前後の歌とはそれでは噛み合いません。勅撰集は似た趣向の歌を並べて配列するのが基本です。

まして、有明の月を夜明けに昇ると勘違いして、朝になっているとする注釈は、月の満ち欠けや月の出月の入りの知識に疎いのでありまして、まったくの誤りを犯しております。特に角川ソフィア文庫『百人一首』(平成22年初版)がひどい内容です。あたりまえの事ですが、有明の月は、深夜に空に昇るもので、別に夜明けに昇るというわけではありません。『百人一首』の解釈も、比較してみてみると、これが諸説紛々、大変そうなのであります。気になるのは、『日本国語大辞典』でありまして、さすがに「まちでる」という形で辞書に採録することをためらったようであります。「まちでる」は現代語にはないという判断であります。つまり、「まちいづ」は死語になってしまったということみたいですが、戦後の仮名遣いの規則によって「まちいず」で出さざるを得ないというのは、もうなんだか腹の皮がよじれるほどの面白さであります。「ず」がまるで打消しの助動詞みたいですよね。『日本国語大辞典』(小学館)は、大きな国語辞書ですが、基礎語彙において『広辞苑』(岩波書店)を剽窃したことがばれておりまして、そのあたりが弱点となっていることでしょう。広く衆知を集めたわけではないのであります。基礎語彙について、優れた人材を得なかったわけです。


ところで、「おもひいづ」という動詞がありまして、これは現代語では「おもいだす」であります。古語で「出づ」だったものが、「出す」に変じたわけで、言葉と言うのは不規則に変遷することが分かります。これに準じて考えると、「まちいづ」は「まちだす」になっていいわけで、これは現代語としても通じます。それなのに、「まちだす」という形の言葉は採用され ていないのであります。編集会議で、思い至らなかったんでしょうね。しかしながら、「いづ」の補助動詞用法を「だす」が引き受けている可能性があるなら、素性法師の歌は「有明の月を待ちだしたことよ」となりますから、この形で現代では少しも変ではないのでありまして、それならそれは宵の口の彼の来訪の約束を信じて、わくわくして秋の夜長に待ち始めた歌となります。有明月の月の出と、彼氏の来訪がリンクしまして、男を月に例えるという古典のお約束にもかないまして、すんなり解釈が出来ます。


「いづ」から「だす」への不規則な変化を認めてこの歌を味わってみれば、何でもない簡単明瞭な歌であり、結構気心の知れた意志疎通も充分な、恋人か夫婦のラブラブの恋の歌なのであります。それなのに、従来の注釈書に従うと、素性法師の歌は振られ女の恨み節みたいなんであります。大岡信さんの講談社文庫『百人一首』なんかでも、「『待恋』のつらさ」とありますから、この調子のいい歌に対して、不安、悲観、絶望と取るんであります。変な解釈にもほどがある。作者は素性法師ですから男ですが、男でも、女性の立場で歌を作ることがあったのはごくごく普通のことで、その逆もありうることは伊勢の歌の時にも指摘しましたようによくあることであります。


さて、素性法師の歌に対する注釈がどうして変なのかと言うと、『古今集』のこの歌の前後を見てみると、どれも結構有名なラブラブの歌でありまして、藤原定家は『新古今集』の撰者でありますから、撰者として配列を検討するのはお手の物だったはずで、素性法師の歌がどういう趣向の歌かと言うことは分かっていたはずであります。一つ前の歌も、一つ後の歌も詠み人知らずでありますから、たぶん『古今集』当時としては耳慣れた歌でありありまして、そこに素性法師の歌を挟み込んでみたのでありますから、これは紛れもなく男の来訪を待ち始めた歌であります。来るのか行くのか、すぐに来るよ、間もなく行くよ、来いと言うのも同然、ということなら、これは夜明けの歌のはずがないのであります。

690 きみや来む我や行かむのいさよひに 槇の板戸もささず寝にけり

691 今来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな

692 月夜よし夜よしと人に告げやらば 来てふに似たり待たずしもあらず

これを見て思うのは、平安時代は電気なんかのない時代でありまして、満月前後の月明かりなら人を待つんですが、そうでなければ寝てしまうこともあるということです。当時は男が女の家に通うのが普通で、たぶん婚姻届けなんかない頃でありまして、基本は実質婚でありましょう。その日その日連絡をしあったり、前回の逢瀬の時に約束を交わしたりするのでしょう。そして、男が来ると分かっていたら、女は寝ずに待つのでありまして、約束がなければ寝てしまうということです。


素性法師の歌は、なかなか空に上らない有明月を待つんですが、問題は晩秋の九月ですから、夕暮れは早く、有明月が空に上るまでは随分時間がかかるのであります。それでも待っているんですから、もしこの歌が相手の男のもとに届けば、相手はせかされつつも待ち受けている女の情熱をほほえましく感じるはずであります。歌の内在する時間は今で言うゴールデンタイム、昔の言葉で言うと宵の口の歌ではないかと思います。「今来むと言ひし」というのは、「夜になったらすぐ行くよ」ということを言っているのであります。『古今集』690~602番はそういう歌でありまして、実はその前後の689~694番がいわゆる「待つ宵」の歌みたいに読めるのであります。


もとの勅撰集の配列を見て、歌の内容を吟味するのは基本中の基本であります。この程度の点検も怠っているというところに、『百人一首』の注釈書の闇があります。今覗いた現代の注釈書にも「遂に暁を迎えた女のやるせない嘆息、哀れな心」なんて書いてありまして、驚いてしまいます。「訪問者の到着を待つ、わくわく・どきどきの興奮」の歌ですよね。あれ、ちがうのかな? 私は何か勘違いしているんでしょうか? 好き勝手を申しておりますが、ここまで100首の五分の一を読んで来たら、別に奇異な事は言っていないと分かることかも知れません。


どうやら、誤解の発端は『顕註密勘』の定家の加筆した部分に元があるわけですが、その冒頭の「大略相同じ」を無視して発生したものだと考えてよいかと思います。定家自身も、顕昭の註があまりに穏当なので、少し違う解釈を書き添えたのに、それを過剰に正しいと考えて数月来説が秘伝になったのかもしれないのであります。


  月来まつは猶(注釈者にとりては)心づくしならずや。 


それから、蛇足に蛇足を重ねますが、岩波古語辞典・補訂版にある「待ち出で」の項目を見ていて思いついたことを記してみます。この辞典は動詞を連用形で掲示しますので、次のように出ています。

   まちい・で【待ち出で】〘下二〙待ちかまえていて逢う。出てくるまで待つ。

    「君来ずは形見にせむとわが二人植ゑし松の木君をー・でむ」〈万2484〉

    「月ー・でて出で給ふ」〈源氏須磨〉

語幹が「まちい」でありまして、引用する例文ではこれが「ー」となっておりまして、万葉集の例は「君をまちいでむ」、源氏物語の例は「月まちいでて出で給ふ」と復元できないと分らなくなりそうです。これを見て思ったのは、ここにある訳は源氏物語を訳した結果から来ているものだということです。そして、それに百人一首の素性法師の「有明の月を待ち出でつるかな」の『顕注密勘』の定家勘の解釈を支えとして考慮すると、「待ちかまえていて逢う」「出てくるまで待つ」という解釈は不動のものとして理解される仕掛けなんですね。これはたぶん誤りで、源氏物語・須磨の巻の一文というのは、

   月待ち出でて(月昇りぬれば、源氏の君は)出で給ふ

と解するもののはずです。そして「待ち出でて」の主語は、当然のことですが源氏の君でありまして、「出で給ふ」の「給ふ」が「待ち出で」の敬意も引き受けるとするのがごく普通の解釈です。つまり

   (源氏の君は)月待ち出で給ひて(月昇りぬれば)出で給ふ

ということなので、別に「待ちかまえていて逢う」とか「出てくるまで待つ」などという解釈は不要でありまして、やがて昇る月あかりを期待して、「月を待ち始めて」、その月がようやく空に昇って足もとも見えるので「外に出ていらっしゃる」というだけのことです。源氏物語の須磨の巻のしゃれた一文を、省略があると分らずに解釈していただけのことで、要するに百人一首の素性法師の歌の誤読と合わせ技で、本来掲示する必要のない「待ち出で」が項目として取り上げられていたというふうに考えれば納得が行きます。「出で」は補助動詞で、「~し始める」ということで何か不都合がございますか?

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