岩波文庫『百人一首』を読む(27) 藤原兼輔

27 みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらん  中納言兼輔


【訳】甕の原を分けて水かさ豊かに流れる泉川。その泉川ではないが、いつ見た(逢った)というので、あの人が恋しいのだろう。

【出典】新古今集・巻十一・恋一・996

       題しらず


【解釈の要点】

①「みかの原」は瓶原・甕原・三香原などとも書かれる。山城国、現在は京都府木津川市。『八雲御抄』第五名所部に「万 ふたいののべ 大宮所あれたり」と注記するように、聖武天皇の天平十二年(740)恭仁京が計画されたが、三年余りで廃都となってしまった。泉川はこの地を流れる木津川のこと。宮讃めの歌や荒廃を悲しむ歌で知られる。

②下河辺長流の『三奥抄』に「わきて流るるは、泉はわく物なれば云。みかの原よりかの川わき出るにはあらず」と言い、契沖『改観抄』もほぼ同じ。賀茂真淵『宇比麻奈備』も「わきてはいづみは岩間より涌出る物故に、泉川といはんとていひ」と述べる。「わきて」は、「みかの原」を「分きて」と泉が「湧きて」の掛詞と考えてよい。「泉川」までが「いつ見き」を起こす有意の序となっている。掛詞や序詞では、清濁にこだわらずに掛かる。「みかの原」にも「甕(瓶)の腹」の気持がこめられている。

③『三奥抄』は、「まだみぬ人に恋の切なる心なり。大方の恋は、其人をみて心をかくる、それはことはりなり。我今見もせぬ人の恋しきを、さもあれ、いつ其人をみて、かくは思ふぞと、みづからとがめあやしむ由也」と注し、『日本書紀』崇神天皇十年条を引いて地名泉川の語源を記す。

④契沖『改観抄』は補筆で、この歌について「家集にはなし」とことわり、『古今六帖』での作者記載の方式に撰者が気付かずに、あやまって兼輔の歌として入集したものと考証した。香川景樹の『百首異見』は、その部分全体を引き支持している。

⑤「みかの原」は、人間的な情感を蔵した恋の母胎ともいうべき風土であり、そこから湧き出て流れる泉川は、尽きることのない情念そのものである。万葉集・巻十一の寄物陳思「犬上の鳥籠の山なる不知哉川いさとを聞こせわが名告らすな」(2710)などに通う歌である。自然が人の心と完全に分化していない時代の恋の歌である。


【蛇足】

さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は、訳に大きな変更がありました。學燈社『百人一首必携』執筆時では、次ように訳が掲示されていました。

  甕の原を分けて流れる泉川、いったいいつ見たというので、あの人が恋したのだろう。(『百人一首必携』1982年※家蔵本は出版年が、古いものでした。初版かもしれません)

念のため、同じ著者の「日本の文学 古典編」『百人一首 秀歌撰』(ほるぷ出版1987年)を見て見ますと、それもまた違っています。

  甕の原に湧いて流れる泉川、その「いつみ」ではないが、あの人をいつ見たというので、こうも恋しいのだろうか。

こちらのほうが、今回の岩波文庫版に近い訳になっております。それぞれの特徴を見ると、『必携』では「わきて」は「分けて」とだけ訳されておりまして、一旦「湧いて」と訳したことがあったものの、今回また「分けて」に戻っている点が目につきます。さらに、『必携』では詠作主体が恋される側の立場になって、相手が自分をいつ見たのかいぶかしんでいるという解釈です。その後、詠作主体が見ても逢ってもいない人を恋慕う自分の心境を不思議に思うという解釈を採用してみたということが分かります。そして、今回の訳を見ると、「水かさ豊かに」という表現が追加されておりますし、「見た」について「逢った」という解釈の可能性を補足しております。ただし、解説部分ではそれらの追加・補足については触れられていません。憶測すると、恭仁京のあったあたりは水源地帯ではないので「湧いて」ではなく、「水量豊かに甕の原を分けて流れる」がふさわしいということかもしれません。また、古文の「見る」は物語や和歌では、「逢う」「関係を結ぶ」というニュアンスがありますので、単に「見る」ではないことを意識したのでしょう。

解釈と称する解説部分では、①②と⑤が『必携』から受け継がれたものですが、『八雲御抄』や『三奥抄』の引用は、今回加わったものです。また③④の江戸時代の注釈書類の指摘についても大幅に今回追加されておりまして、兼輔の作ではないという契沖の指摘を今回詳細に紹介してあります。


「みかの原」というのは、忘れ去られた古都恭仁京のあったあたりで、奈良の手前にある小さな盆地に位置していたといいますが、どこにあるのと言うような忘れられた場所です。「分きて」のところは「湧きて」が掛けてあり、「泉」と縁語になっているとされています。それから「いつ見」のところに、「泉」が隠れていて、同音反復であり、上三句つまり五七五の部分が、序詞になっている、なかなか修辞技巧のきいた歌と言えましょう。最後の所は修辞疑問であり、「見たわけではないが恋しい」ということを言っています。


これでも問題は山積していて、契沖の『百人一首改観抄』が注意喚起するように、この歌は『新古今集』になって勅撰集に姿を現すものの、兼輔の歌ではないことが指摘されています。それによれば『古今和歌六帖』の「川」の歌の中に、「みかの原」の歌は出て来るんですが、それよりずっと前に兼輔の歌が作者名付きで出て来るものですから、そのあとの詠み人知らずの歌群の中にある歌なのに、誤解されて兼輔の歌とみなされたようです。また、『新古今集』においては、恋の一に入れてあるので、「未だ逢わざる恋」をモチーフとした歌だと撰者は理解していたと思われますが、主題をめぐっては古注釈などでも意見が分かれるため、解釈も揺れるのです。本当は逢ってからの歌だとか、チラ見はしているだろうとか、そういう深読みがなされております。久保田淳氏の解釈が揺れているのも、そうしたことに由来すると言えそうです。

ところで、誰も指摘しないんですが、よくあることですけれども、「流るる」のところには「泣かるる」が掛かっていると言っても差し支えないかも知れません。修辞があると言ったり、ないと言ったり、私なんかも気まぐれでありますが、そんなものでありましょう。本当のことは、歌を作った本人にだってわかりゃしないので有ります。「泣かるる」というのは、四段動詞「泣く」の未然形に自発の助動詞「る」の連体形が付いたもので、「自然と泣けてくる」というようなことですね。それなら、さらに言ってしまいますが、「みかの原」の所には、「見」が掛かっていると見ると、なるほど、「未だ逢わざる恋」なんかじゃなく、相手に内緒で垣間見したので恋に落ちたという歌になるでしょう。ただの、序詞だと思っていた上三句が、いきなり有意の序に変じるということです。なお、「泣かるる」を指摘してこの序詞を有意の序として処理するのは、まるっきりの新見解のはずでありまして、剽窃する方はここが狙い目でありましょう。あなたが、パクって儲けたら、訴えて差し上げます。SNS全盛期の現在の冗談はともかくとして、新見解を補強すると、こっそり噂のあなたをのぞき見して、ああほんとに美しいと感じて他の女性とは違うと「見分きて」からは、恋しくて恋しくて涙がこぼれて「泣かるる」日々なんですよと、そんなことが序詞から汲み取れるかもしれません。それと分かるように、表示してみましょう。


   「見」かのはら「分きて(湧きて)」「泣かるる(流るる)」泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ(粗忽試案)


そなたをちらりと垣間見して、恋心が湧いて、切なさに涙がついつい溢れて来て、まるで泉の如く、川の如く途切れません。いつ見たからとて恋しいのでしょう。あの夜、そなたを密かに見たせいで、恋しくてならないのです。私と親しくしていただけるでしょうか?(粗忽謹訳)


冗談もほどほどにしないと、誰かに叱られそうであります。『百人一首』というのは、実は輪番で詠むような授業が大学でありまして、もう少し後の所を担当した記憶があるのであります。1980年頃の事です。調べ方が分からず、途方に暮れたような気がいたしました。時は流れ、2011年の初夏の頃、最初の10首くらいを気ままに取り上げて考えてみても、なかなか波乱含みであるということが分かりまして、素人考えでどうにかなるものではなかったのでありますね。それでも、『百人一首』の歌をいじって、俳句などをひねってパロディを試みましたが、自分なりの理解を深めてからもう一度元の和歌を眺めると、従来の注釈書のやっつけ仕事が見えて参りました。注釈書という体裁を取りながらも、実は和歌そのものを解釈しないで、注釈史を要約し、説明している物が圧倒的に多いような感じだったのです。それもそのはずで、さすがに長い注釈の歴史が存在しまして、それぞれの可否を言うだけでも紙幅は尽きそうなのであります。


書店に行きましたら、案外『百人一首』は人気なのであります。あの作家、例の研究者、高名な大家、いかにもな企画は花盛りでありますが、なんとなく企画倒れな物ばかりな気もしまして、見なきゃよかったとまで思いました。もちろん、そんな毒舌を吐く私のブログだって、見なきゃよかった物の一つでありますけれども、私は私のためにメモしたのであって、正しいこと、熟慮の結果をアピールしたつもりはありません。正しいことを言おうとして、闇鍋のようになっている注釈書があるのには驚愕しますけれども、まあ、それはそれ、それぞれに何か目的や、出版社の目論見があってのことですから、目くじらを立てても仕方ないものです。歌も秀歌撰も、そして注釈書も、それぞれが時代を象徴しているものでありまして、何らかの意味があるのでしょう。今回の岩波文庫版の『百人一首』は、近世注釈の始発点とその後の議論を明らかにする労作でありまして、さらに古い資料を丹念に紹介してくれていることに感謝の念が湧いてきました。

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