岩波文庫『百人一首』を読む(24) 菅原道真
24 このたびは幣もとりあへず手向け山もみぢのにしき神のまにまに 菅家
【訳】このたびの旅では、御神に捧げる幣を用意するゆとりもありませんでした。ですから錦さながらこの手向け山の紅葉を、御神よ、御意のままに私どもの幣として御受納くださいますように。
【出典】古今集・巻九・羇旅・420
朱雀院の、奈良におはしましたりける時に、手向け山にてよみける 菅原朝臣
【解釈の要点】
①「菅家」「菅原朝臣」は共に菅原道真のことをさす。
②「たび」は、「旅」に「度」を掛ける。この掛詞は度の歌で頻用される。古今集の羇旅歌では凡河内躬恒が「夜を寒みおく初霜をはらひつつ草の枕にあまたたび寝ぬ」(416)と詠んでいるし、後撰集・離別「このたびもわれをわすれぬものならば打ちみんたびに思ひ出でなん」(読人知らず1309)など三首見出される。道真が知っていたかどうかわからないが、道真以前の例には万葉集巻十三3346「……天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日に 妻放くべしや」(作者未詳)がある。ここでは「この旅」に「この度」を掛ける意識はないだろう。道真以後の作者は道真の歌を知っていた可能性が高い。
③「幣とる」という表現は、万葉集に三例存する。「まにまに」は『岩波古語辞典』に「まにま〔随・随意〕」と「まにまに」を合わせて立項し、「思う通りに」「……に従って」などの意の副詞とする。万葉集には、巻五800「……かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか」(山上憶良)、巻四790「春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに」(大伴家持)など極めて多く用いられている。
④峠(上代後では「手向」)や分れ道には神がいて、旅人に幣帛を求め、その代り旅路の安全を守ってくれると考えられていた。万葉集の防人の歌にも、巻二十4402「ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命は母父がため」(神人部小忍男)とあり、信濃国の若者は心をこめて神坂峠の荒ぶる神の心を和めようとしている。これは天平勝宝七年(755)、大伴家持のもとに集められた歌の一首である。長屋王には巻三300に「佐保過ぎて奈良のたむけに置く幣は妹を目離れず相見しめとそ」の詠もある。
⑤『日本紀略』『扶桑略記』や紀長谷雄の漢文などから知るところでは、昌泰元年(898)十月宇多上皇は、世に宮滝御幸と呼ばれる大規模な狩猟の御幸を試みる。当時五十四歳の権大納言兼右大将道真は、その全行程を随行した。途中、上皇は大和国石上の良因院にいた素性を召して一行に加えた。二十五日には目指す吉野の宮滝に着き、次いで龍門寺に向った。二十八日に一行は龍田山を経て河内国に入った。龍田山で各人が和歌を献じた時、道真は絶句「満山黄葉破心機 況遇浮雲足下飛 寒樹不知何処去 雨中衣錦故郷帰」を誦じた。二十九日、素性は上皇から褒美を与えられて石上に帰った。一行は摂津国の住吉社に詣で、閏十月一日長旅を終えた。
⑥宮滝御幸という遊覧旅行での道真の従駕の歌が、古今集の「このたびは」の歌で、この詠を受けた素性の「手向けにはつづりの袖も切るべきにもみぢに飽ける神や返さむ」(421)が羇旅歌の巻軸歌となっている。
⑦万葉の時代から一世紀半のうちに神は恐ろしい存在ではなくなっていた。それとも上皇の御幸に随行する誇りが、手向け山の神に対する甘えという形をとっているのか。道真は紅葉を錦の幣に見立てて山を越えようとしている。しかしその紅葉の主は手向山の神そのものではないか。
⑧日本歴史地名大系30『奈良県の地名』によると、手向山は東大寺の東にある若草山の西端を言うが、長屋王が「佐保過ぎて」と詠んだ「たむけ」は奈良山(平城山)を指すので、道真の歌の手向山は断定できない。
【蛇足】
さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は、訳に変更はありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。その特徴を見ると、初句の「たび」を「旅」と「度」の掛詞と処理しまして、「このたびの旅では」と訳しているのがまず目に付きます。次に、この歌を二句切れと考えているようで、「幣もとりあへず」という二句目に「御神に捧げる」「ゆとり」という言葉を補いまして、道真が「奉納する幣を置いて来た」という前提の訳になっております。また、倒置法を修正することなく訳しておりますので、末句のあとに「私どもの幣として(手向山の紅葉を)御受納くださいますように」と補いますが、これも言いさしの表現でありまして、きっとその後に「お願い申し上げ奉ります」というような言葉を想定しているようです。また、倒置をしませんので、間に「ですから」という理由を表す接続詞的な表現を差し挟んで、「幣をわすれた。なので、代りのものをお受けください」という内容になっておりまして、菅原道真がへまをして、その償いにあろうことか神の所有物である紅葉を神に受け取らせようとしている、と著者は考えております。
解釈と称する解説部分では、④~⑦が『百人一首必携』から受け継いだものです。④の手向が「峠」であるという指摘から、そこに神がいて道中の安全無事を祈願して幣帛を奉納するという和歌を万葉集から二首引用するところはほぼ同じですが、⑤と⑥は『必携』に比べて、宮滝御幸の行程を詳述しておりまして、その場に紀長谷雄や素性がいたことも指摘されていて非常に有益です。特に、古今集・羇旅部の巻軸で並ぶ素性の「手向には」の歌が、道真の「このたびは」の歌を受けて詠まれているという大切な指摘が今回加えられていました。⑦は『必携』から受け継がれたものですが、手向山の紅葉を持ち主の神に奉納するという矛盾を突いていますが、その答えは素性の「手向けには」の歌にありまして、『必携』より丁寧な解説になっております。
著者の解釈の問題点は、他の注釈者と同じく、この歌を倒置法と見抜けないところから発しておりまして、三句目を掛詞と解し、次のように倒置を正すのがよいと思います。
手向山(の)紅葉の錦(を)神のまにまに、この度は幣(として)とりあへず手向ける(ことぞかし)
著者は、下の句の後に「御受納ください」が省略されているとして補って訳しています。現代の注釈書でも、この補いは「お受け取り下さい」でだいたい統一されております。尾崎雅嘉『百人一首一夕話』や佐佐木信綱『百人一首講義』などは、「幣としてご覧ください」と補っていたんですが、どこかで風向きが変化したようですが、そうなったきっかけはにわかに分かりません。古今集の歌ですから、そちらで強い主張があったのかもしれません。ともかく、近代の注釈は、この菅原道真の歌を二句切れとみております。その結果、なぜ「幣を用意できなかったのか」という点に、異様にこだわっております。道真が、うっかり幣を忘れちゃったと考えるんですから、謹厳実直そうな道真が忘れ物をすると考えると笑えます。さらに、もう一度確認すると、「神のまにまに」のあとには、「ご覧ください」や「お受けください」を補うとするのが一般的となっています。みんながみんなそう理解しているわけです。しかしながら、それながら、果たしてそうなのでしょうか。そんな補いが、妥当なんでしょうか。そういう補いは、かなり疑問だと思います。
不思議に思うのは、「手向山」に「手向け」という動詞が掛けてあるという、最も基本的なことが近代の注釈書では抜け落ちております。以前取り上げた桑田明氏の注釈書が珍しくそれを指摘しておりまして、古注釈はこの著者と同じように掛詞として処理してあるように見受けられます。ですから、どうやらこの歌は三句切れと見るほうが自然で、「幣もとりあえず手向け」と理解するほうが分かりやすいのではないかと思います。すでに主張した通り、この歌は倒置法の歌でありまして、解釈するなら三句目を二度使うことにするのがいいでしょう。三句目から四句目五句目が、通常の文の先行する部分であるはずで、その後に初句・二句が連なりまして、文末は三句目ですが、もちろん「手向山」ではなくて、そこに掛けられている動詞の「手向け」ということです。久保田淳氏が指摘する、道真の歌を受けて詠まれた素性の歌の初句「手向けには」という表現も参考になります。念のため訳してみますが、倒置しているところをひっくり返して訳しますので、驚かないでいただきたいと思います。
手向山のこの美しい紅葉の錦を、神の御意志に従って、今回は幣として何はさておき(=慌ただしく)手向ける(=奉納する)ことです。(粗忽謹訳)
となりまして、別に余計な補いなど必要のない歌となりました。こうなると、「たび」の掛詞も、もう不要でありましょう。二句目の「とりあへず」は動詞としての用法ではなく、「手向け」に掛かる副詞句に収まりますが、それでよろしいと思います。ともかく、簡単に言ってしまえば、「手向山」の「紅葉の錦」を「幣」として「この度は」「とりあへず」「手向け」るという歌ではないかと思うのですが、そういう解釈は従来皆無に近いのであります。唯一見付けたのは、応永十三年(1406)に藤原満基が書写したとされる宮内庁書陵部蔵『百人一首抄』でありまして、これを見ると、「されば山の紅葉をそのまゝに神にまかせて手向る心也」とありますから、こういう理解でいいんじゃないのと思う次第です。この古注釈は宗祇も伝えた内容なんですが、どうももっと古いもので、二条為世の説を頓阿が書き留めたといわれているんですが、大昔は何の問題もなく「神にまかせて手向ける」だと理解していた節があります。
さてさて、菅家、すなわち菅原道真の歌に対する諸注釈の混迷ぶりがすごいのでありますけれども、どうやらこの歌が詠まれた時の朱雀院の御幸のルートを江戸時代の国学者が考証した結果、この「手向山」は固有名詞ではなく普通名詞であるというような説が強固に主張されたようです。『古今集』の詞書に明記されているのに、それを無視するという暴挙は、江戸時代の鼻息の荒い国学者ゆえの勇み足でございましょうね。百歩譲ると、三句目を掛詞にする歌ができちゃったので、「手向山」という山名をルートから外れたところから道真が借りてきたっていいわけです。
ともかく、これまでの注釈書では二句切れは絶対で、その結果幣を持ってこなかったとするのであります。さらにさらに、「神のまにまに」を受ける動詞がありませんので、「お受けください」というような(ある意味でたらめな、恣意的な、神をも恐れぬ)補いをするんでありますが、これはおかしいと思います。「まにまに」は、「他者の意志に従って」こちらが何かするという使い方をするわけで、要するにでたらめな解釈が横行していたようなのであります。当たり前ですが、神意に従って「こちらが何かする」という表現を補う必要があるわけで、神様に「お受けください」というお願いが来るはずがないのであります。だったら、「とりあへず」の「ず」を連用形とみなし、下の句を倒置法とみなして「まにまに」を受ける言葉として掛詞の「手向け」を補えば、万事解決であります。「ここ手向山では、紅葉の錦を幣に見立てて、神のまにまにこの度は取りあへず、幣も手向けたるぞ」というのが、私の解釈であります。念のため、「まにまと」「まにまに」の例を適当に挙げて見ます。
万葉集1785 人となる ことは難きを わくらばに 成れる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ……
万葉集1912 たまきはる我が山の上に立つ霞 立つとも座(う)とも君がまにまに
古今集 391 君が行く越の白山知らねども ゆきのまにまに跡はたづねむ
古今集 393 別れをば山の桜にまかせてむ 止めむ止めじは花のまにまに
どれもこれも、相手の意向のままに、こちら側が何かするという歌でございます。だいたい、「神の意に従って(神は)ご覧ください」とか「神の意に従って(神は)お受けください」って言うのは、非常に傲慢な言い方でありまして、そんな言い方が神様に出来るものなのでしょうか。「神様よ、あなたの好きなようにしなさい」とか「好き勝手に見ろよ」「好き勝手に受けろよ」とか、それって放任する言い方であります。敬意が欠けます。つまり、幣を奉納するというのは、山の神に敬意を表するためで、神様の御意向に従って恭しく幣をお捧げいたします、という姿勢でなければ、いけないことでしょう。もう少し詳しく言うなら、私共の持参した幣に代えて、この山の美麗な幣を奉納申し上げ奉る、どうか安全無事にお通し下されという恭順の姿勢だったと思います。
きっと、この私は何かとんでもない誤解をして、その結果、この歌が倒置法に見えちゃったんであります。念のため言っておきますが、若い児童・生徒・学生さんなどが学校の宿題とかレポートにこれを引き写すと、たぶん大幅減点、もしくは0点でありますから、コピペするのは止めた方がいいと思います。理研にいて「何とか細胞がある!」と叫んだ割烹着のあの人みたいに、思いっきり叱られますよ。例えが古くてごめんなさい。
菅原道真が「手向け」と掛詞にしたくて「手向山」を選んだんだから、「手向山」は知る人ぞ知る固有名詞のはずです。『枕草子』第十三段の「山は」で始まる段にちゃんと出て来るんですが、江戸時代の人はこのあたりの検討はどうしたんでしょうか、平安時代に清少納言が固有名詞として紹介していることを見落とすなんて恥ずかしいんですが、さぞやうっかりしたんでしょう。
山は、をぐらの山、かせ山、みかさ山、このくれ山、いりたちの山、わすれずの山、すゑの松山、かたさり山こそ、いかならんとをかしけれ。いつはた山、かへる山、のちせの山、あさくら山、よそに見るぞをかしき。おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などのおもひ出でらるるなるべし。三輪の山をかし。たむけ山、まちかね山、たまさか山、みみなし山。(『枕草子』13段)
ちなみに、手向山を全山奉納したと考えてしまう説もあったようで、他人の所領を奉納することについて、一つの洒落としてふざける行為だとみなすようです。そうではなくて、「手向山の紅葉の錦」を「幣」として手向けると考えれば、ちょっとふざけ過ぎという心配事は解消することでしょう。それから、幣を忘れて来たという解釈は二句切れではないなら消滅する可能性が高いと思います。持ってきていたけれど、持参の幣より、この山の紅葉の方が数段美しいという判断でありまして、神の持ち物を贈り物にするという滑稽がこの歌の主眼ということなのでしょう。持って来た幣は、あとで「つまらないものですが」と言って、控えめに奉納したはずです。
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