足利将軍撰『新百人一首』を読む(32) 満誓
32 世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟のあとのしら波 沙弥満誓
【標註】
〇「朝ぼらけ」云々 万葉に「朝ひらきこぎいにし舟の跡なきがごと」とあり。朝船をこぎ出すを朝ひらきといふなり。
【出典】
〇『拾遺集』巻二十・哀傷1327(『新編国歌大観』第一巻)
題しらず 沙弥満誓
世の中をなににたとへむあさぼらけこぎゆく舟のあとのしら浪
※原歌は『万葉集』巻三351の歌。そのほか『拾遺抄』十・雑下576、『古今六帖』三1821、『和漢朗詠集』下雑無常796、『金玉集』雑44、『古来風体抄』上44、『新撰髄脳』4、『奥儀抄』79、『袋草紙』、『発心集』、『宝物集』549、『沙石集』五、『撰集抄』1-6・3-4、『万代集』3505、『夫木抄』6307、『井蛙抄』などに収載。
【語釈】
〇世の中 『岩波古語辞典』は、「人間の一生・人生」あるいは「寿命」の意や「人間社会」「人間関係」「自然界の様子」などの意味を挙げている。ここは「人にとっての現世」の意か。『万葉集』の原歌の表記は「世間」であるが、「世間」を「よのなか」と訓読したか。漢文における「セケン(世間)」は、『漢和大辞典』によると、「世の中・社会」、仏教的に「有情のものが集まって住む所。生あるものが生活する空間の意」とあり、日本特有の意味として「活動・交際の範囲」を挙げている。『岩波古語辞典』は、「せけん(世間)」の意味として、仏教語の「三界(一切の衆生が生死流転する迷いの世界、すなわち欲界・色界・無色界。三有)」のほかに、「現世・この世」「外界・あたり一面」「日常の生活」「交際」と掲示する。我が子の死を悲嘆した時の源順の十首の歌を参照すると、「人の寿命」とか「生を受けて過ごすこの世」というような、「無常の現世」の意となるが、満誓の歌については、「人間関係」と取る余地もあるだろう。〇たとへむ 「たとへ」は、下二段動詞「たとふ」の未然形。『岩波古語辞典』は、「甲を直接的には説明しがたい場合に、別のものではあるが性質・状態などに共通点を持つ乙を提示し、甲と対比させることによって、甲の性質・状態などを知らせる意。なぞらえる」として、この歌と、『伊勢物語』九段「その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして」を掲示している。〇朝ぼらけ 『岩波古語辞典』は、「夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くアケボノという」と解説し、語源について「朝ホロ明ケの約か」と推測している。『古今集』巻六・冬(坂上是則)「あさぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」は、『百人一首』31番にも採られている。『万葉集』には「あさぼらけ」の例はなく、「あさびらき」の例は次の6例ある。巻三351「旦開」、巻九1670「朝開」、巻十五3595「安佐妣良伎」、巻十七4029「安佐妣良伎」、巻十八4065「安佐妣良伎」、巻二十4408「安佐婢良伎」。『岩波古語辞典』は「あさびらき」について、「泊まっていた舟が、夜明けを待ってこぎ出すこと。朝の船出」と解説している。〇あとのしら波 「白波」は、立ち騒いで白く見える波。海の浜辺や磯に寄せる波や、川の瀬や滝の激流に使うのが普通の用法。船の航跡と思われる歌は、『古今集』巻十一・恋一472(藤原勝臣)「白波の跡なき方に行く舟も風ぞたよりのしるべなりける」がある。遺集』巻一・春上38(後鳥羽院)「明石潟春漕ぐ舟の島隠れ霞に消ゆるあとのしらなみ」は、『後鳥羽院御集』661にも見える。「白波」は舟の櫓が立てたものとも、舟自体の通過の際のものとも決め難い。ともかく、しばらくすると消えてしまう、はかないものである。
【作者】
〇満誓(まんせい・まんぜい) 『万葉集』の歌人。「沙弥満誓」「笠朝臣麿」「満誓沙弥」「笠沙弥」「造筑紫観音寺別当」「造筑紫観世音寺別当」などと呼ばれている。雲慶二年(705)美濃守となり、和銅元年(708)にも美濃守に再任され、和銅七年(714)吉蘇道(木曾路)を開通させた功績で褒賞を受けている。霊亀二年(716)には尾張守を兼ね、養老元年(717)尾張・三河・信濃の三国の按察使を務めた。養老四年(720)右大弁となったが、翌年養老五年(721)五月元明太上天皇の病気平癒祈願のため出家し、満誓と名乗った。元明太上天皇は同年の暮に崩御している。養老七年(723)観音寺の建立を命じられて、造筑紫観音寺別当として九州に下向している。神亀四年(727)ころに大宰帥に着任した大伴旅人と親しくなり、天平二年(730)正月には旅人宅の梅花の宴に参加、同年十一月旅人が大納言に任ぜられて帰京する際には、贈答歌を交わしている。旅人を通して、大宰大弐だった小野老や筑前守だった山上憶良とも親交があったと考えられる。『万葉集』には、「世の中を」の歌を含めて七首の歌があるが、勅撰集入集歌は『拾遺集』のこの「世の中を」の歌一首のみ。『日本大百科全書』(稲岡耕二執筆)には、「軽妙洒脱な歌も見られるが、『世の中を何にたとへむ朝びらきこぎいにし船の跡なきごとし』は、仏教的無常観を詠んだ作として有名」と説明されている。
【訳】
与えられた職責をそれなりにこなして、帝からお褒めに預かるような実績を上げた官僚として生き、帝の御病気を機に出家したのが私でございます。まだ中途半端な沙弥の身で、筑紫にお寺を建てに参りました。そういう私が、この世の中を何にたとへたらよいのでしょうか。ほんのりとあたりが明るくなった明け方に、その薄明の中を漕ぎゆく舟が、通って行ったあとのしら波のようなものと、申し上げたらお判りいただけますでしょうか。しばらくの間は名残の白波が立つのが見えますが、やがてすっかり舟の航跡は消え、何事もなかったようになることでしょう。
【参考】
〇『万葉集』巻三351(講談社文庫『万葉集全訳注原文付(一)』中西進編1978年刊)※は加筆。
沙弥満誓の歌一首
世間を何に譬へむ朝びらき漕ぎ去にし船の跡なきがごと
(※よのなかを なににたとへむ あさびらき こぎいにしふねの あとなきがごと)
沙弥満誓歌一首
世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
(※ヨノナカヲ ナニニタトヘム アサビラキ〔ボラケ〕 コギイニシフネノ アトナキガゴト)
この世を何にたとえよう。朝港を出ていった船の引く跡がわずかの間で跡形もなくなってしまうようなものだ、といおうか。1世間 漢語の定着したもの。2朝びらき 朝の港を開いて。→3595・4029。3跡なき 航跡の消えること。4旦 底本「且」。古葉略類聚鈔らによる。〇無常の歌として後世広くもてはやされた。
※四句目「榜」は「搒」とあるべきか。
〇新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』巻二十・哀傷1327 脚注
1327 この無常な世の中を、いったい何に譬えようか。夜明け方に漕ぎ出して行った、船の跡に立った白浪とでも言おうか。抄・雑下576。〇世の中を何にたとへむ 無常な世を、譬喩で示そうというもの。源順は相次いで我が子を亡くした後、この歌を踏まえて、この句に譬喩を表す三句を続けた十首の歌を詠んだ。→1303。〇朝ぼらけ 夜明け方の物がほのかに見える時分。春の「曙」に対して、秋・冬の季節に用いることが多いという。〇漕ぎ行く舟の… 舟の航跡はすぐに消える。▽万葉集三・満誓の歌の異伝。万葉集「…朝開き漕ぎ去にし舟の跡なきがごと」。新撰髄脳「是は昔の良き歌也」。袋草紙に、源信がこの歌を聞き、「和歌に観念の助縁と成りぬべかりけり」と、狂言綺語観を改めたとあり、発心集・沙石集五にも同様な説話が見える。
〇『源順集』(ノートルダム聖心女子大附属図書館蔵本)国書データベースによるが、表記を一部改めた。
応和元年七月十一日によつなる女子をうしなひて、同年の八月六日に又いつつなるをのこを失ひて、無常の思ひ事にふれておこる。かなしびの涙かはかず。古万葉集の中に沙弥満誓がよめる歌の中に世の中を何にたとへんといへることをとりて、かしらにおきてよめる歌十首、
世の中を何にたとへんあかねさす朝日まつまのはぎのうへの露
世の中を何にたとへん夕露もまたできえぬるあさがほの花
世の中を何にたとへん飛鳥川さだめなきよに瀧つ水の泡
世の中を何にたとへんうたたねの夢路ばかりにかよふたまほこ
世の中を何にたとへん吹く風はゆくへもしらぬみねのしら雲
世の中を何にたとへん水はやみかつくづれ行くきしのひめ松
世の中を何にたとへん秋の田をほのかにてらすよひの稲づま
世の中を何にたとへんにごり江の底にならでもやどる月影
世の中を何にたとへん草も木もかれ行くころの野べのむしの音
世の中を何にたとへん冬をあさみ降るとはみれどけぬるしら雪
※四首目の「たまぼこ」は、ここは「道」の意。
〇『方丈記』岩波文庫本(山田孝雄校訂1928年刊)※底本は大福光本。
若又あとのしらなみにこの身をよするあしたには、をかのやにゆきかふ船をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、もしかつらのかぜはをならすゆふべには潯陽のえをおもひやりて源都督のおこなひをならふ。
【蛇足】
なるほど、いい歌でありまして、本家の『百人一首』にあってもおかしくない名歌なのではないかと思ったり致します。後世への影響という点でも、絶大なものがありまして、『袋草紙』や『発心集』・『沙石集』などには、恵心僧都が和歌を狂言綺語と考えて避けていたけれども、この歌を耳にして考えを改め、観念の助けになると歌を詠むようになったというのは有名かもしれません。
『枕草子』の「うちとくまじきもの」という段では、清少納言は、「『あとの白波』は、まことにこそ消えもて行け」と、この満誓の和歌で学んだ「白波」を実際に目にして、本当に歌の通りだと述べております。彼女の言い方からすると、「漕ぎ行く舟の跡の白波」は、すっかり消えてしまうものであり、これを満誓の歌の普通の理解だとするなら、「跡の白波」は消滅するもの、すなわち世の中は無常なものだというのが、『拾遺集』の「世の中を」の歌の意味するところとなることでしょう。
源順の歌を見ると、十首全部体言止めの歌ですから、源順が言う「古万葉集の中に沙弥満誓がよめる歌」というのは、『拾遺集』のような「白波」で終わる体言止めの歌だったことが分かります。満誓の「跡の白波」に対して、源順が考えたのは「萩の上の露」「朝顔の花」「水の泡」「夢路」「峰の白雲」「岸の姫松」「宵の稲妻」「宿る月影」「虫の音」「消ぬる白雪」でありまして、これらに共通するのは、移ろいやすくやがて消えゆくものという特徴でありまして、諸行無常ということなのでしょう。それを人間に例えるなら、老少不定ということでありまして、さらに無常迅速でありますから、気が付いた時には周囲の大切な人すらあっけなくこの世から消えてゆくものなのであります。
実は、大宰帥として筑紫に赴任した大伴旅人は現地で妻を亡くしておりまして、その悲しみを酒で紛らわしていた可能性があります。『万葉集』巻三の満誓の歌の前には、有名な大伴旅人の「大宰帥大伴卿讃酒歌十三首」というのがありまして、その後に満誓の歌が並んでいるのに過ぎないのかもしれないのですが、旅人は満誓に十三首を披露したことでしょうし、それを踏まえて詠まれたのが満誓の「世の中を」の歌という可能性はあるわけです。満誓は元明天皇のために出家したくらいですから、その死を悼んでいたはずで、「人生ははかないものですなあ」という妻を亡くして酒浸りの旅人への共感はどこかにあったはずなのであります。奈良時代以前には「無常」という概念が輸入されていなかったのではないかという議論があることを目にしましたが、少なくとも源順のころには満誓の歌が無常観の歌として理解されていたのは間違いないわけで、恵心僧都の理解も同様でありましょう。
世の中を何にたとへん青柳の庵吹く風に散る桜花
よのなかを なににたとへん あをやぎの いほふくかぜに ちるさくらばな
【訳】
私たちのこの世における人生というものを、さて、いったい何にたとえたら、なるほどと胸が落ち着くものなのでございましょうか。そういえば、『新百人一首』をわずか数えの19歳で撰んだという室町幕府の第九代将軍は、足利義尚公でしたが、この方は出陣中の近江の国で長享三年(1489)3月26日に25歳でお亡くなりになりました。将軍のことをかの中国では「柳営」と申しますが、出陣していた地名に由来するとか。時代の風に抗しきれずに陣中で亡くなった柳営義尚様は、さしずめ春の柳のほとりの庵を吹き渡る風に、はらはらと散り落ちる桜の花びらだったことでしょう。
※将軍を意味する「柳営」を「青柳の庵」と表現してみました。
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