足利将軍撰『新百人一首』を読む(23) 藤原為頼
23 おぼつかないづこなるらん虫の音を尋ねば草の露や乱れん 藤原為頼朝臣
【標註】
(記事なし)
【出典】
〇『拾遺集』巻三・秋178(『新編国歌大観』第一巻)
廉義公家にて、草むらのよるの虫といふ題をよみ侍りける 藤原為頼
おぼつかないづこなるらん虫の音をたづねば草の露やみだれん
【語釈】
〇おぼつかな 「おぼつかなし」の語幹。おそらく「あなおぼつかなのことや」などと同じでこれで詠嘆表現になり、初句切れとなる。「おぼつかなし」を『岩波古語辞典』は、「オボはオボロ(朧)のオボと同根。対象がぼんやりしていて、はきり知覚できない状態。またそういう状態に対して抱く、不安・不満の感情」として「ぼんやりしている・様子がはっきり分らない」「不安だ」「逢いたい」などの意があるとする。対象に愛着がある場合に使われるので、ここは虫の音が聞きたいということが前提になる。「おぼつかな」という表現は、勅撰集では『後撰集』巻七秋下442(凡河内躬恒)「いづ方に夜はなりぬらんおぼつかな明けぬ限りは秋ぞと思はん」などがある。「おぼつかな」を初句に据える歌としては、『土佐日記』承平五年(935)正月二十九日の条に出てくる「おぼつかな今日は子の日か海女ならば海松をだに引かましものを」がある。〇いづこ どこ、の意。『岩波古語辞典』は「いづく」の項で、「上代では専らイヅクが使われ、平安時代以降はイヅク・イヅコが併用された」と説明している。〇なるらん 断定の助動詞「なり」の連体形に現在推量の助動詞が付いたもの。ただし、「なる」は「~にいる」「~にある」という存在の用法。「らん」は疑問詞「いづこ」を受けている疑問推量の用法で連体形だが、ここが文末で二句切れとなる。〇虫の音 『万葉集』にはこの表現はない。『古今集』巻十六・哀傷853(御春有助)「君が植ゑしひとむらすすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」。〇たづねば 「たづね」は、下二段動詞「たづぬ」の未然形。「ば」は仮定条件を表す接続助詞。『岩波古語辞典』は、タ(接頭語)ツナ(綱)を活用させた語とみて、「たづね」を綱につかまって先へ行くように、物事や人を追及する意と見ている。だとすれば、ここは「虫の音」を手掛かりに、その居所を探ろうとしていることになる。〇草の露や乱れん 「花の露や」「こぼれん」というような異文が存在している。
【作者】
〇藤原為頼(ふじはらのためより) 『拾遺和歌集』新日本古典文学大系7の「作者名索引」を下敷きにして紹介する。生年は未詳であるが、長徳四年(998)に没している。『千載集』巻九・哀傷には、具平親王の為頼などを悼む歌が出てくる。刑部大輔雅正の子で、母は右大臣藤原定方の娘。雅正の父は堤中納言藤原兼輔であるから、兼輔の孫に当る。父方の祖父・兼輔、母方の祖父・定方は、ともに百人一首に出てくる歌人である。弟に為時がいるので、為時の娘である紫式部は、為頼から見ると姪ということになる。春宮少進・春宮権大進・左衛門権佐・丹波守・摂津守などを経て、太皇太后宮大進となった。この歌から、貞元三年(977)の「三条左大臣家歌合」に出詠していることが分かる。家集に「為頼集」があり、『拾遺集』に5首入集している。『拾遺集』巻二十・哀傷1299「世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くも成りにけるかな」は、『和漢朗詠集』や『後十五番歌合』に見え、『栄花物語』巻四「見果てぬ夢」にも引用されている。
〇廉義公(れんぎこう) 藤原頼忠(ふじわらのよりただ) 延長二年(924)、藤原実頼の次男として生まれるが、母方の伯父藤原保忠の養子となっていたものの、天暦元年(947)兄の敦敏の死を受けて、頼忠の嫡男となった。応和三年(963)参議となり、天禄二年(971)右大臣、貞元二年(977)には左大臣となり、翌年太政大臣に任じられている。永延三年(989)に没している。子に公任や円融天皇の中宮であった遵子がいた。幾度か歌合を主催している。
【訳】
ああ、何とも気になることよ。鈴虫は一体どこにいるのだろうか。虫の音をたよりにその居所を探したならば、草に置いた見事な露が乱れ落ちることだろう。無粋なことは止めて、露の合間から聞こえてくる鈴虫を堪能しよう。と思うのだが、ああ気になって仕方ない。
【参考】
〇『拾遺和歌集』脚注(新日本古典文学大系7 岩波書店刊1990年)
178 どうもはっきりしない。いったいどこで鳴いているのだろう。でも、虫の音を探し求めて、草むらを分けていったならば、せっかく草の上に置いた露が、乱れこぼれてしまうことだろう。貞元二年(977)八月十六日、三条左大臣藤原頼忠前栽歌合歌。〇廉義公 頼忠。〇おぼつかな 八代集抄「おぼつかなにて、夜の心は詠めるなり」。〇草の露 歌合本文は、「花の露」。〇乱れん 玄玄集「こぼれん」。▽「優の体」(古来風体抄)、「やさしき歌」(八代集抄)と評される。(後略)
〇『拾遺和歌集』他出文献一覧(新日本古典文学大系7 岩波書店刊1990年)
178〇貞元二年八月十六日三条左大臣藤原頼忠前栽合、十巻本、第三・四句「虫の音はたづねば花の」・二十巻本、第三・四句「虫の音のたづねば花の」。〇為頼集「故院の歌合に、くさむらの虫をたづぬといふ題を」、第二句「いづれなるらむ」。〇玄玄集、源為憲、第二句「いづくなるらむ」、第四・五句「たづねば花の露やこぼれむ」。〇古来風体抄。
〇『土佐日記』承平五年正月二十九日の条
廿九日、船出だして行く。うらうらと照りてこぎゆく。爪のいと長くなりにたるを見て日を数ふれば、今日は子の日なりければ切らず。正月なれば京の子の日の事いひ出でて、「小松もがな」と言へど海中なれば難しかし。ある女の書きて出だせる歌、
おぼつかなけふは子の日かあまならば海松をだに引かましものを
とぞいへる。海にて子の日の歌にてはいかがあらむ。
〇『金葉集』三奏本・巻三秋216(藤原長能)天保九年刊 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
虫を詠める 藤原長能
おほつかないづくなるらん虫の音をたづねば花の露やこぼれん
〇『三条左大臣殿前栽歌合』 貞元二年(977)八月十六日、左大臣藤原頼忠邸で催された歌合。仮名日記のほか、菅原文時の漢文の和歌序が存しており、「水上秋月」「岸頭黄花」「叢中夜虫」の三題は、文時が献上したものと分かる。なお、歌題は「水上秋月」「岸辺秋花」「草中秋虫」と相違のあることが知られている。仮名日記には「赤朽葉の籠に鈴虫を入れて」とあるので、虫は鈴虫が前提となる。為頼は能宣や時文・元輔らとともに東の六人の中に配されている。西には、順・兼盛・重之ら六人。
【蛇足】
『枕草子』に「おぼつかなきもの」という一段がありまして、ちゃんと読んだ記憶がありません。「物尽くし」とか「類聚章段」とか呼ばれるものですから、知っていて当然のものかと思ったら、どうも見たことのないものであります。並んでいるものに何か問題があるのか、ちょっと気になりました。つまり、「おぼつかな」と思ったわけです。手もとに、角川文庫の『枕草子』上下(石田譲二訳注1979年刊)がありましたので、それに基づいて考えてみたいと思います。「おぼつかなきもの」は「不安なもの」と訳してあります。どうやら、例示されているのは四つでありまして、番号を振って考えます。①「十二年の山籠りの法師の女親」。これは、比叡山延暦寺の修行のようでありまして、十二年間下山を許さず、修行三昧させるという、俗人には耐えがたい試練でありましょう。毎年二人だけ選ばれるというのですから、特別選抜コースですが、さて母親は「気が気でない」気分でありましょう。②「闇なるに行きたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並みゐたる」。非常に抽象的ですから、逆に女房生活の一コマだろうと推測されております。月の出ていない時に、主人のお供をして控えている女房達なんですが、灯火をつけると丸見えなので、暗闇の中で我慢しているという状況です。「気がもめる」とか「心細くてそわそわする」ということでしょうか。③「今出で来たる者の、心も知らぬに、やむごとなき物持たせて人のもとにやりたるに、遅く帰る」。これも抽象的ですが、人を雇っている主人側の「やきもきしている気持ち」というのは分かる気がいたします。④「ものもまだ言はぬちごの、そりくつがへり人にも抱かれず泣きたる」。生後数か月、生まれて一年未満の言葉を発しない赤ん坊の様子ですが、母親とか乳母とかそういう育児担当者の困惑であります。「おろおろする」っていう感じです。
『枕草子』の諸例は、どれもこれも「ぼんやり」とか「はっきりしない」というのは、ずれている気がいたします。「気持ちの持ってゆく場所がない」「気の鎮めようがない」という、落ち着きのない感情でありまして、①息子の十二年の監禁生活、②羞恥心から灯火を控える、③新入りのお使いがへまをする、④赤ん坊が制御不能、というのはぼんやりどころか、事態がよくないのは明白なのであります。それなのに、待つしかないとか決着を見るまでは手の打ちようがないという状況なのであります。どこが曖昧模糊な様子であるものかと、不思議に思います。
だとすると「おぼ」を「おぼろ(朧)」から来ているというのは、おかしいのかもしれません。「おぼ」というのは「おもふ」の「おも」と同じで、「おもほゆ」が「おぼゆ」になったように「mo」が「bo」と変化しただけかもしれません。「思ひ」が「束無い」が本来の成り立ちなら、『枕草子』の諸例は、すっきり理解できるかもしれません。「束」は「つかむ」と関連する言葉でしょうから、堅く握るとか、把握するとか、そんな意味のはずで、「おぼつかなし」の勘所は「つか」の意味するところなのかもしれません。だとすると、「おぼろ」の方も、「おもほろ」などであって、「思惚」というような意味で、「ほろ」の意味するところに従って意識がぼんやりする、というような語構成の可能性があるでしょう。
『万葉集』巻十「春雑歌」1875
春されば木の木のくれの夕月夜おぼつかなしも山陰にして
(一に云ふ、「春されば木のくれ多み夕月夜」)
春去者 紀之許能暮之 夕月夜 鬱束無裳 山陰尓指天
(一云、春去者 木隠多 暮月夜)
こんな例がありまして、「おぼつかなしも」の原文は「鬱束無裳」であります。「おぼ」のところは「鬱」(西本願寺本は欝)となっておりまして、「朧」などという語感は微塵もないのであります。むしろ「思」とか「覚」のもっと陰鬱な感情を表す「鬱(欝)」でありますから、「オボロ」説は何かの思い違いなのでありましょう。「おぼつかなし(覚束無)」というのは「気持ちの収束がつかない」というだけのことだったはずです。大野晋博士の説を蹴散らしてみました。
それから、『尊卑分脈』を見ていて気が付いたのですが、紫式部の父方の祖母というのは、三条右大臣定方の女子でありまして、定方はもちろん『百人一首』25番「名にしおはば」の作者であります。定方の息子には、朝忠・朝成・朝頼などがおりますが、朝忠は『百人一首』43番「あひみての」の作者ですから重代の歌人と言えるでしょう。祖父の雅正の父は堤中納言兼輔でありますから、こちらは『百人一首』27番「みかの原」の作者でありまして、曾祖父の二人が有名な歌人だったというわけです。ちなみに、「朝成」は容貌が魁偉で超肥満だったあの人でありまして、朝頼は紫式部の夫となった宣孝の祖父に当ります。もうぐちゃぐちゃですが、紫式部と宣孝は「はとこ」だったのであります。要するに二人とも藤原定方を曾祖父に持つ関係だったというわけです。それから、もっと余計なことを言うと、兼輔と定方は、同じ祖父藤原良門の孫でありまして、「いとこ」の関係なのであります。つまり、雅正とその妻である定方の女子は「はとこ」結婚だったのでありまして、こういうことは珍しくなかったということなのでしょう。
おぼつかな如何なる意味か言の葉を尋ねば軟な説や崩れん
おぼつかな いかなるいみか ことのはを たづねばやはな せつやくづれん
【訳】気になって仕方がないなあ。本当はどんな意味なのだろうか。「おぼつかなし」という言葉の意味をあれこれ探ってみたら、「おぼ」は「おぼろ」から来ているなどという、何の根拠もない浮説はあっさりうち砕くことができるだろう。
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