足利将軍撰『新百人一首』を読む(21) 平祐挙

21 むねは富士そでは清見が関なれや烟も浪もたたぬ日ぞなき  平祐挙

     

【標註】

(記事なし)


【出典】

〇『詞花集』巻七・恋上213(212)(『新編国歌大観』第一巻)

  題不知     平祐挙  

むねはふじそではきよみがせきなれやけぶりもなみもたたぬひぞなき


【語釈】

〇むね  「むね」は、『岩波古語辞典』は、「①胸部。②胸の病。③心。気分。気持。④物思い。⑤衣の胸にあたる部分。⑥短歌の第二句」と説明する。『広辞苑第四版』はほぼ同じ内容である。『三省堂国語辞典』は、「①胴の前のほうの、上の部分。中に肺臓・心臓などがあって、肋骨に包まれる。②心。思い。気持ち。③心臓。④呼吸器。肺」と説明するが、やや解剖学的な所見に傾いている。『デジタル大辞泉』などは、「胸焼け」という例を出して「胃」と説明したり、「胸の豊かな女性」という例を出して「乳房」としたりする。ここは、恋心によって激しく動悸のする胸部を、活火山の富士に例えている。『拾遺集』巻二十・哀傷1294(としのぶの母)「人なしし胸のちぶさをほむらにて焼くすみぞめの衣着よ君」。〇富士 富士山。標高が高いことから「富士の高嶺」と称し、頂上が冠雪していることが歌に詠まれる。活火山であることから、恋情の比喩にもなる。『万葉集』巻十一「寄物陳思」2695「わぎ妹に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ」・2697「妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつ渡れ」。 『古今集』巻十九・誹諧歌1028(紀乳母)「富士の嶺のならぬ思ひに燃えは燃え神だに消たぬむなし煙を」。〇そで 衣服の両腕を覆い隠す部分。「そ」は衣の意であり、「て」は手の意。「ころもで」という言い方もある。古くは、涙を拭うことに使った。〇清見が関 駿河の国の清見潟にあった関所。現在の静岡県静岡市清水区興津付近。『万葉集』巻三296(田口益人)「廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし」。『古今六帖』第三・水「さき」1942「浪の立つ清見が崎にゐる千鳥誰見よとてか跡のさやけき」。〇なれや 断定の助動詞「なり」の已然形に、終助詞「や」が付いたもの。疑問や反語を表す時もあるが、ここは詠嘆。「なれや」を「なればや」の略と見て、「や」を係助詞と解することも多いが、ここはそれをとらない。〇烟 「けぶり」。「けぶり」は「けむり」の古形。勅撰和歌集では「けぶり」。〇たたぬ日ぞなき 『古今集』巻十一・恋一489(読人不知)「駿河なる田子の浦波立たぬ日はあれども君を恋ひぬ日はなし」。


【作者】

〇平祐挙(たいらのすけたか) 新日本古典文学大系9『金葉和歌集 詞花和歌集』の人名索引によると、越前の守平保衡の子で、従五位下、駿河の守。長保五年(1003)前越中の守。長和四年(1015)には生存が確認されているという。新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』の人名索引には、生没年未詳とあり、藤原道長の家司で、『御堂関白記』にその名が見えるとする。拾遺集に2首、金葉集三奏本に1首、詞花集はこの歌1首入集している。なお、『尊卑分脈』によると、祐挙は光孝平氏で、曾祖父に『古今集』作者の中興がいる。浄蔵との恋で知られる中興の女は、祖父の姉か妹ということになる。また、中興の従兄の篤行は『古今集』作者で、その子が兼盛。兼盛の子として『尊卑文脈』は赤染衛門を挙げている。赤染衛門の実父が兼盛の可能性があることは、案外よく知られたことかもしれない。


【訳】

そなたを恋い慕う私の胸はあの富士山のように燃え、その我が袖は清見が関のように濡れに濡れているのですよ。富士山に烟の昇らない日などなく、清見が関に波が打ち寄せない日もないのと同じです。毎日あなたのことを思って、煙が出るほど胸を焦がし、浪が立つほど涙を流している私の恋の苦しみをお察しください。


【参考】

〇『枕草子』(岩波文庫1962年)

関は、逢坂。須磨の関。岫田の関。白河の関。衣の関。ただごえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそおぼゆれ。横はしりの関。清見が関。みるめの関。よしよしの関こそ、いかに思ひ返したるならんと、いと知らまほしけれ。それを勿来の関といふにやあらん。逢坂などを、さて思ひかへしたらんは、わびしかりなんかし。

〇『更級日記』(講談社学術文庫1977年刊)

からうじて越えいでて、関山にとどまりぬ。これよりは駿河なり。よこはしりの関のかたはらに、岩壺といふ所あり。えもいはず大きなる石の四方なる中に、穴のあきたる中よりいづる水の、清くつめたきことかぎりなし。富士の山はこの国なり。わが生ひいでし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、紺青をぬりたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色こき衣に、白き衵着たらむやうに見えて、山の頂のすこし平ぎたるより、煙は立ちのぼる。夕暮は火の燃え立つも見ゆ。清見が関は、片つかたは海なるに、関屋どもあまたありて、海までくぎぬきしたり。けぶりあふにやあらむ。清見が関の浪も高くなりぬべし。おもしろきことかぎりなし。

〇『更級日記』(講談社学術文庫1977年刊関根慶子氏)「煙はたちのぼる」の解説

『万葉集』巻三の「詠不尽山歌」の長歌や『日本紀略』延暦十九年六月の条によれば、そのころ、富士山は燃えており、『古今和歌集』仮名序には「今は富士山の煙も立たずなり……」とあって、平安中期には一時休火山であったが、この時代にはまた、活火山となっていたことが知られ、『十六夜日記』によれば、鎌倉時代にまた休火山となったと知られる。

〇『富士山の歴史噴火総覧』小山真人氏(富士山科学研究所)「信頼性の高い噴火記事」(10記事)

天応元年(781)『続日本紀』

延暦十九年(800)~二十一年(802)『日本紀略』『富士山記』(『本朝文粋』にふくまれる)

貞観六年(864)~貞観七年(866)『日本三代実録』

承平七年(937)『日本紀略』『興福寺年代記』

長保元年(999)『本朝世紀』

長元五年末(1033初頭)『日本紀略』

永保三年(1083)『扶桑略記』

永享七年(1435または1436初頭)『王代記』

永正八年(1511)『妙法寺記』『甲斐国志』

宝永四年(1707)


【蛇足】

うっかりすると、この歌というのは、面白い修辞の効いた歌として鑑賞してお終いですけれども、よく考えると現代の富士山には煙なんか立っていないわけですから、よくよく注意しないと見過ごしてしまいそうです。おそらく、この歌を詠んだ平祐挙にしてみれば、長保元年(999)の富士山の噴火の話題に沿って、この歌を発想したことでしょうし、この歌を『新百人一首』に撰入した足利義尚公は永享七年(1435または1436)の噴火に従って、高く評価した可能性があるわけです。平祐挙は駿河の守を務めたことがあったようで、藤原道長の家司だったというのですから、実は『更級日記』作者の東海道の旅と時期的には被っている可能性があるわけです。また、足利義尚公が『新百人一首』を撰んだのは文明十五年(1483)ですから、鎌倉時代には鳴りを潜めていた富士山が400年ぶりくらいに噴火したという時期の少し後に生まれております。実は、『平家物語』の巻九「小宰相」とか「小宰相身投」の中に、「胸の中の思ひは、富士の煙に現れ、袖の上の涙は清見が関の浪なれや」と出てくるんですが、こちらは何の実感もなく、享受した和歌を文章の彩を高めるために平祐挙の歌を使ったのだと思われます。ともかく、そのうちまた富士山は噴火して、平祐挙の歌を思い出させてくれることになるのでしょう。


  蕎麦は富士蜜柑は清見オレンジなれや昼にも夜にも食はぬ日ぞなき

  そばはふじ みかんはきよみ おれんじなれや ひるにもよるにも くはぬひぞなき


【訳】富士と言えば立ち食いソバ、清見オレンジと言えばよく見る蜜柑の銘柄、普通に食生活を営んでいたら昼だろうが夜だろうが、ましてや朝などに、立ち寄ってそばを食い、フルーツとして清見オレンジを食べていることだろう。

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