足利将軍撰『新百人一首』を読む(18) 増基
18 神無月時雨ばかりを身にそへてしらぬ山路にいるぞ悲しき 増基法師
【標註】
〇「時雨ばかりを」云々は、行く先々に涙のとどめあへぬをそへていへり。
【出典】
〇『後撰集』巻八・冬453(454)(『新編国歌大観』第一巻)
山へいるとて 増基法師
神な月時雨ばかりを身にそへてしらぬ山ぢに入るぞかなしき
【語釈】
〇神無月(かみなづき) 12(大伴池主)に既出。陰暦十月の呼称。「かむなづき」「かんなづき」とも言う。『後撰集』で「神無月」の句は9首あるが、すべて巻八・冬部の前半に配列されている。そのうち、八首が「しぐれ」を詠み込んでいる。『後撰集』には、「しもつき」「しはす」を詠み込んだ歌はなく、詞書に「しはす」は4例出てくる。〇時雨 秋から冬にかけて、降ったり止んだりする通り雨。『後撰集』巻八・冬445(読人不知)「神無月降りみ降らずみ定めなく時雨ぞ冬のはじめなりける」は、『古今六帖』第一・歳時209や『和漢朗詠集』巻上・冬355にも入る。増基の歌の前にある452(読人不知)「頼む木もかれはてぬれば神無月時雨にのみも濡るるころかな」は、詞書に「女につかはしける」とあるので、実は恋の歌で「かれ」が「枯れ」と「離れ」の掛詞で、「時雨」は涙の比喩である。〇身にそへて 「身につけて」「伴って」の意。本来なら、時雨などに備えて「蓑や笠」を用意して、それらを身に添えて山路に入るべきだが、そうしたものを持ち合わせていないことを言っているか。〇しらぬ山路に 『万葉集』巻十二・羇旅発思歌3150「霞立つ春の長日をおくかなく知らぬ山道を恋ひつつか来む」、『古今集』巻十二・恋二597(紀貫之)「我が恋は知らぬ山路にあらなくに迷ふ心ぞわびしかりける」。〇いるぞ悲しき 「山路に入る」で修行の道に入ること。『古今集』巻十八・雑下(凡河内躬恒)「世を捨てて山に入る人山にても猶憂き時はいづちゆくらむ」。なお、『古今和歌六帖』第二・法師1441では増基のこの歌の五句目に「ふるぞかなしき」と異同がある。
【作者】
〇増基 『日本古典文学大辞典 簡約版』(岩波書店)の『いほぬし』の【作者】の項(篠原昭二氏)には次のように整理されている。増基は中古三十六歌仙の一人に数えられ、『二中歴』の「人名歴」には道家として、大江定基・慶滋保胤・能因等と共に挙げられるが、伝記については本書による以外はほとんど知られず、活躍時期についても大きく三説が行われている。(1)『大和物語』に登場する増基と同一人物であって、延喜・延長年間(901-931)の人とするもの、(2)十世紀の末、一条天皇の頃の人とするもの、(3)さらに下って能因と同じ頃、十一世紀前半の人とするものである。
【訳】
蓑や笠を持ち合わせることもしないで、折しも降る、神無月の時雨に濡れそぼち、つまりは時雨だけを身に添えて、しらぬ山路に修行の身で入ってゆくのは、前途の困難を思うとなんと悲しい気分になることよ。自ら修行に身を投じたとはいえ、未熟な我が心は初冬の寒さに挫けることだ。
【参考】日本古典文学全集8『大和物語』(高橋正治校註訳 1972年刊)
〇122段「かつがつの思ひ」
としこが、志賀にまうでたりけるに、増喜君といふ法師ありけり。それは比叡にすむ、院の殿上もする法師になむありける。それ、このとしこ、まうでたる日、志賀にまうであひにけり。橋殿に局をしてゐて、よろづのことをいひかはしけり。いまは、としこ、かえりなむとしけり。それに、増喜のもとより、
あひ見てはわかるることのなかりせばかつがつものは思はざらまし
返し、としこ、
いかなればかつがつものを思ふらむなごりもなくぞわれは悲しき
となむありける。ことばもいとおほくなむありける。
〇123段「草葉の露」
おなじ増喜君、やれる人のもとは知らず、かうよめりけり。
草の葉にかかれるつゆの身なればや心うごくに涙おつらむ
〇増喜君。未詳。増基とも書かれている。『いほぬし』の作者の増基か。(後撰1首・後拾遺12首・詞花3首・新古今2首・玉葉4首・続後拾遺1首・風雅1首・新千載1首・新拾遺1首・新続古今1首)
〇としこ(藤原千兼の妻)源清蔭と義兄弟の藤原千兼の妻。『作者部類』は「俊子」。(後撰2首・拾遺1首・新勅撰2首、続後撰1首・新続古今1首)
※122段の院は、宇多院(867~931)。
※としこ関連の章段に出てくる主な人物は、3段・源清蔭(884~950)・京極御息所・宇多院、9段・克明親王(?~927)・藤原時平女、13段・藤原千兼・一条の君、25段・明覚(としこの兄)、41段・清蔭、66段・67段・千兼、68段・藤原仲平(875~945)、122段・増喜・宇多院。
【参考】『いほぬし』群書類従327紀行部一(ウィキソース版によるが、表記を変えたところがある)
(前略)神無月の十日ばかり熊野へまうでけるに、人々もろともになどいふ者有りけれど、我が心に似たるもなかりければ、ただ忍びて通し一人してぞまうでける。(中略)その夜、牟婁の津(むろのみなと)に泊りぬ。木の元に柞の黄葉して、いほりつくりて入り臥しぬるに、夜の更くるままに時雨いそがしう降るに、
いとどしく嘆かしき夜を神無月旅の空にもふる時雨かな
(中略)三月十日、あづまへまかるに、つつみてあひみぬ人を思ふ。
都出づる今日ばかりだにはつかにも逢ひ見で人に別れにしかは
(中略)むかしこもりて行ひ侍りし山寺の火に焼けて、ありしにもあらずなりて、庵室の前にありし山吹の草のなかに混じりて所々あるを、
あだなりと見る見る植ゑし山吹の花の色しも朽たらざりけり
【蛇足】
17番の歌に続いて『後撰集』の歌ですが、これも藤原俊成の『古来風体抄』に引かれておりますので、どちらかと言えば俊成の鑑識眼を信じての選抜のようです。時雨に降られたことを、「時雨ばかりを身に添えて」と表現しておりますから、苦難を想定内と受け止めているところが見所です。佐々木信綱の標註は「時雨」を「涙」と見ておりますが、北村季吟の『八代集抄』は「時雨にうちぬれて山中ふかく入るさまをよめり。時雨ばかりをといへる面白く哀れ也」と評するにとどめておりまして、こちらが穏当な解釈ではないかと思います。「涙」は過剰な解釈です。
「神無月」で始まる歌は、この『新百人一首』では12番の大伴池主の歌に続いての登場ですから、そうした重複を厭わずに、足利義尚公は歌を選抜したようです。本家の『百人一首』も語句の重複の目立つ秀歌撰ですから、そういうことも十分承知の上で、歌を撰んでいる可能性は高いのではないでしょうか。『大和物語」には、「としこ」という人物が登場する話がいくつもありまして、案外有名ではないかと思います。とくに手先が器用で上手に装飾品などを作る人物でありまして、そういう人物が歌にもたけていて、「としこ」と現代でも通用する名前で出てくる点で、面白いわけです。ちなみに、岩波の古い日本古典文学大系の『大和物語』を注釈したのは阿部俊子氏ですが、私はこの方から『枕草子』を習った記憶がありまして、そんなことも面白さを増幅しているかもしれません。講談社学術文庫の『伊勢物語』も俊子氏の著作でずいぶん読みました。それにしても、「としこ」には注目しましたが、「増基」に注目したことはありません。122段を見る限り、「としこ」と増基は恋仲だったことになりますが、もちろん歌の詠める人同士のエールの交換で、後朝の贈答歌の体裁になっていると見てもいいかもしれません。気になるのは、『後撰集』作者の増基と、この『大和物語』の増基と、さらに『後拾遺集』以降の勅撰作者の増基を、同一人物と見ないという考えがあることで、その証拠は何なのかと思っても、何もこれと言った資料はないようなのです。同一人物とみる確証もないので、判断を保留しているだけかと思うのですが、しかし、辞典や秀歌撰の解説を見ると、別の人物だと断定してあったり、そこまでいかなくても別人と推定していて、不思議な気持ちがいたします。『後撰集』に歌を採られた歌人と、同じ法名で歌人として活動するということが、果たして可能なのでしょうか? 別人だとしたら、能因と同時代に活動していたとして、じゃあ能因などのように歌学書・歌論書・和歌説話の類に、「増基」と称する人物が出てこないことが不思議であります。少なくとも、宇多院のころに「としこ」の周辺で活動していた増基と、法名は一緒ですが、これこれこういう素性の別人ですというような紹介は、一条天皇の時代には必要なはずで、そういうことがないなら、同一人物で何の不都合もないと思うのですが、いかがなものなのでありましょう。
ちなみに、高名な国文学者には同姓同名の方がいまして、お互いの元に間違えた手紙が届くことが多かったそうで、年に一度、人違いの手紙類を持ち寄って交換会を開いていたらしい、というようなことを師匠から聞いたことがありまして、そりゃあ大変だろうなあ、と思ったものです。フルネームでまったく同じ名前の人というのは、なかなかいないわけです。しかしながら、私の小学校の高学年の時の担任の先生の名前というのは、日本中に同姓同名がいくらでもいそうなありふれた名字と名前でしたが、私の姉が結婚して同姓同名になったのを今思い出しました。世代も、職業も違っていれば、別に困ることは生じないことでしょう。しかし、僧侶で、歌人で「増基」は困る事でしょう。「増基」には中世の人物もいますが、歌人ではないようなので、さすがに勅撰作者とはまぎれようもないわけです。
色好み筆と紙をを身にそへて痴るる病ひに入るぞ悲しき
いろごのみ ふでとかみとを みにそへて しるるやまひに いるぞかなしき
【訳】
歌を詠むというような風流を好んで、どこへ行くにも筆と紙だけは忘れずに携帯して、何かあれば一首ひねりだすというバカげた病に夢中になり、抜け出すことができなくなるのは、悲しいことよ。というのは、世の中に迎合して言ってみただけで、そりゃあもう楽しくて、うれし涙が止まりませぬ。
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