足利将軍撰『新百人一首』を読む(17) 藤原忠国

17 われならぬ草葉も物は思ひけり袖よりほかにおけるしら露  藤原忠国

     

【標註】

〇「我ならぬ」云々 我のみ物事に袖をぬらすと思ひしに、草葉も露のおけるを見れば、物思する事よと也。


【出典】

〇『後撰集』巻十八・雑四1281(1282)(『新編国歌大観』第一巻)

  左大臣の家にて、かれこれ題をさぐりて歌よみけるに、つゆといふもじをえ侍りて  

                        ふぢはらのただくに

我ならぬ草葉もものは思ひけり袖より外におけるしらつゆ 


【語釈】

〇草葉 『古今集』巻十・物名「きちかうの花」440(紀友則)「秋ちかう野はなりにけり白露の置ける草葉も色かはりゆく」。〇思ひけり 『古今集』巻十六・哀傷860「身まかりなむとてよめる 藤原惟幹」「露をなど徒なるものと思ひけむ我が身も草に置かぬばかりを」。〇より外に 「より」は格助詞で名詞を受け、起点・経由地を示すが、ここは意識の対象となる前提を表す。「ほか」は漢字では「他」「外」などと表記する。「よりほか」は「以外」の意。『岩波古語辞典』は、「ホカは中心点からはずれた端の方の所の意。奈良・平安時代には類義語ヨソは、自分とは距離のある、無関係、無縁な位置関係をいう。またト(外)は、ここまでが自分の領域だとする区切りの向うの場所をいう。奈良・平安時代にはウチ(内)・トが対義語であったが、トが衰亡するとウチ・ホカという対立関係が成立した。近世に入ってソト(外)という語が確立すると、ウチ・ホカに代って、ウチ・ソトが対義語になった」と説明する。『古今集』巻四・秋上205(読人不知)「ひぐらしの鳴く山里の夕暮は風よりほかにとふ人もなし」。〇おけるしらつゆ 『万葉集』巻八1598(大伴家持)「さ男鹿の朝立つ野辺の秋萩に珠と見るまで置ける白露」、巻八1618(湯原王)「玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わわらはに置ける白露」、巻十2168「秋萩に置ける白露朝な朝な珠としぞ見ゆる置けるしらつゆ」。『古今集』巻四・秋上223(読人不知)「折りて見ば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたたわに置ける白露」。


【作者】

〇藤原忠国(ふじわらのただくに)は、ほるぷ出版「日本の文学古典編27」『百人一首・秀歌選』に次のようにある。生没年未詳。藤原氏北家末茂流。伊予介連永の男。五位であったか。『尊卑分脈』は連永の子には忠国は見えず、連永の兄弟連並の子に陸奥守従五位忠国の名が掲げられている。あるいはこの人か。『後撰和歌集』二首のみの作者である。

〇左大臣 藤原実頼。清慎公。『新百人一首』9番の作者。実頼は天暦元年(947)に左大臣となり、康保四年(964)に太政大臣になっている。『後撰和歌集』は天暦五年(951)に撰進が開始され、作者名表記などによって天徳二年(958)までには完成していたと見られているので、詞書の「左大臣」は実頼として問題ない。なお、『後撰和歌集』にはもう一人左大臣と表記される人物がいるが、その仲平に関しては、作者名としては「枇杷左大臣」が使われ、詞書で「左大臣」とある場合でも、詠作者との関係で仲平と分かる。仲平は、承平七年(937)左大臣で、左大臣のまま天慶八年(945)没している。


【訳】

自分ばかりが物を思い悩んで涙を流し、袖を濡らしているのかと思っていると、自分だけではなく草の葉も何か物を思い悩んでいるのだなあ。袖でもない草の葉に涙のように白露がかかっている。


【参考】

〇『後撰和歌集』巻十八・雑四(北村季吟『八代集抄』上巻 六合館刊1902年)

  左大臣の家にてかれこれ題をさくりて歌よみけるに露といふもしをえて

          藤原ただくに 忠国斎院次官 伊與守連永子

我ならぬ草葉もものはおもひけり袖よりほかにをけるしら露

【頭注】「我ならぬ草葉も物は」 我のみ物思ひて袖に露をおくかと思へば、草葉も露にぬれしは物をおもふにこそ、と也。

〇『後撰和歌集』(新日本古典文学大系 岩波書店刊1990年)

【脚注】私だけでなく、なんと、草の葉も物を悩んでいるのだねえ。私の袖以外の草の葉にも、涙のような白露がおいていることであるよ。〇左大臣の家にて 左大臣藤原実頼の邸で。〇かれこれ あの人この人と多く集まって。〇題を探りて 漢詩の探韻と同じ。各人が籤で当った題に従って歌を詠むこと。本来は詩会で行われたが、歌会でも踏襲された。〇露といふ文字を… 「露」という文字が籤で当ったのである。

【作者名・詞書人名索引】ただくに(忠国)藤原。『勅撰作者部類』は伊予介連永の息とするが、『尊卑分脈』では連永の息は安国・成国だけで、連永の兄連煎の息に陸奥守従五位上忠国がいる。681・1281

〇『後撰和歌集』巻十・恋二681

  しのびて逢ひわたり侍ける人に  藤原忠国

漁火の夜はほのかにかくしつつ有へば恋の下に消ぬべし


【蛇足】

佐々木信綱の『標註七種百人一首』博文館刊・明治26年(1893)の中に出てくる『新百人一首』を底本にしておりますけれども、今回の歌に関しては、頭注に「我ならぬ云々 我のみ物事に袖をぬらすと思ひしに、草葉も露のおけるを見れば、物思する事よと也」とありますが、これは恐らく北村季吟の『八代集抄』の頭注にある「我ならぬ草葉も物は 我のみ物思ひて袖に露をおくかと思へば、草葉も露にぬれしは物をおもふにこそ、と也」を修正したもののようです。季吟が「袖に露をおく」としたところを、「袖をぬらす」と改めたわけで、人事と自然をきちんと区別して、より分かりやすくなっています。この藤原忠国の歌というのは、藤原俊成の『古来風体抄』に選抜されておりまして、それを踏まえて足利義尚公は『新百人一首』に撰んだのだと思います。藤原実頼の邸で催された歌会で、「露」という題を籤で引いて詠んだ歌というのですから、おそらくその場で作った歌なのでしょう。「草葉に露が置きたる」というありふれた光景を元にして、「我は物を思ひて袖が涙に濡れたる」という心情を込めたわけで、「われならぬ」とか「袖より外に」というような表現によって、自然を比喩していることも明確に表示されていますので、非常に聡明な感じのする歌になっています。人事と自然を対比するというのは、おそらく漢文から得た発想でありまして、自然の中に人事を見出すというのが、詩の基本ということなのかもしれません。草葉の露というのは、もちろん邸内にいて、朝日を浴びてきらめく朝露を眺めるということでもいいのかもしれませんが、どちらかと言えば後朝に女の家を後にして帰ろうとする際に、草葉に触れた袖が濡れそぼったことで意識するものかもしれないのであります。国守などであれば、普通に道を歩いていても袖が濡れるほどの草葉の露を体感することはあったでしょうから、仮に忠国が陸奥守だったのだとすれば、草葉に置く白露はなじみの物だったことでしょう。「物思い」の内容は、この歌の場合は恋愛に特定する必要もなくて、郷愁でも旅愁でも、あるいは立身出世の停滞でもいいわけなので、誰もが草葉の露を眺めた時に口ずさんで不都合のない歌になっています。


  我がごとく草葉も物は思ひけり袖よりもけにおける白露

  わがごとく くさばもものは おもひけり そでよりもけに おけるしらつゆ

  ※「よりもけに」は「~以上に・~よりはるかに」の意の慣用表現。

【訳】私と同じように、草の葉も何か物を思い悩んでいることよ。我が袖以上に露が掛かっているよ。 

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