岩波文庫『百人一首』を読む(97) 藤原定家
97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家
【訳】淡路島。松帆の浦の夕暮れ時。わたしはいくら待ってもやってこないつれない恋人を待ち続ける。夕凪の空にまっすぐに立ち昇る藻塩焼く煙のように、身も恋心にじりじりと焦がれながら……。
【出典】新勅撰集・巻十三・雑三・849
(建保六年内裏歌合、恋歌)
【解釈の要点】
①「来ぬ人を待つ松帆浦」と掛詞で下に続く。松帆の浦は万葉集・巻六935で笠金村が「名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子ありとは聞けど……」と長歌に詠んだ。淡路島の北端、明石海峡を隔てて明石と対する所。
②『百人秀歌』では実朝の「世の中はつねにもがもな」の次の歌が藤原家隆の「風そよぐならの小川の」の歌で、定家のこの歌はその次に位置する。『新勅撰集」では前内大臣(源通光)の歌の次で、従って詞書は「建保六年内裏歌合……」が掛かる。通光や定家の詠が披講された歌合は証本も存し、『順徳院御記』から建保四年(1216)閏六月九日、順徳天皇の内裏で催され、衆議判で定家が後日判詞を加えた全百番の歌合と知られる。定家は家集『拾遺愚草』でも「建保四年」の詠として載せている。『新勅撰集』の成立過程が曲折を極めた痕跡か、「建保六年」と誤っている。
③この建保四年内裏歌合では、題は四季と恋各二首で、一人が十首を詠み、二十名の作者が左右に分かれ、作者の組み合わせは固定した方式だった。主催者の順徳天皇は左、定家は右で、定家のこの歌は九十一番右の歌、左の歌は「寄る浪の及ばぬ浦の玉松のねにあらはれぬ色ぞつれなき」、定家が記した判詞は「「及ばぬ浦の玉松」及びがたく、ありがたく侍る由、右方申し侍りしを、常に耳馴れ侍らぬ「松帆の浦」に勝の字を付けられ侍りにし、何ゆゑとも見え侍らず」というので、衆議判とはいうものの、天皇の発言で勝負が決まった。
④定家は承元三年(1209)に撰した『五代簡要』の万葉集・巻第六で「あはぢしままつほのうら」と書抜いている。発想は藤原秀能の「夕恋」の歌、新古今集・恋二1116「藻塩焼く海人の磯屋のゆふけぶり立つ名もくるし思ひたえなで」にも酷似している。この秀能の作は定家・雅経が選歌している。『後鳥羽院御口伝』によると秀能を定家は見下していたらしいが、この後輩から影響されているか。夕凪の焦燥感は秀能の歌の比ではないのだが。定家には新古今集・恋二1082「なびかじな海人の藻塩火たきそめてけぶりは空にくゆりわぶとも」という作もあった。海人の営みである藻塩焼く煙から恋の「思ひ」の「火」を連想する伝統は久しい。
⑤順徳天皇の「寄る浪の」の歌も古今集・恋三71読人しらずの「風ふけば浪打つ岸の松なれやねにあらはれて泣きぬべらなり、左注、この歌はある人のいはく、柿本人麻呂がなり」の本歌取りで、当時の歌人の意識では、定家の「来ぬ人を」の歌と共に古風な表現を用いつつ新情の創出を狙った作と言える。これら二首の番は参加者たちにも興趣が深いと感じられたか。定家も順徳天皇の意欲を高く評価していたので、自詠「来ぬ人を」への愛着となって、『定家卿百番自歌合』『新勅撰集』『百人秀歌』にと、自身の代表歌とさせるに至ったか。
⑥ナ行音とマ行音多いのも、「もみもみとしたる歌」の一因をなしているか。間投助詞「や」の使い方も、絶妙という感じがする。
⑦北原白秋の詩集『邪宗門』の、「善主麿、今日を祈に身も霊も薫りこがるる」(邪宗門秘曲)という句での「薫りこがるる」は、この「来ぬ人を」と前引の「なびかじな」の定家詠にヒントを得たのではないか。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳に変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から、特に変更する必要はなかったということです。その特徴を見ると、「待つ」と「松帆の浦」の掛詞を採用して二重に訳していますが、初句を二句目・三句目の下に持ってきて、「松帆の浦の夕暮れ時、やってこない恋人を待ち続ける」と訳しています。そして、そのあとに下二句を来ぬ人を待つ焦燥感として訳しておりますが、「つつ」は「ながら……。」とありますので、倒置を前提として訳していると見えますが、結局元の歌の語順に従って訳出していると考えてよいでしょう。「淡路島」「夕暮れ時」「わたしは」「いくら待っても」「空にまっすぐに立ち昇る」「煙のように」「恋心に」というように、言葉をたくさん補って思い入れのある訳となっていることは間違いないでしょう。ただ、「空にまっすぐ立ち昇る煙」は歌の中には明示されておりませんので、ひょっとすると秀能の「藻塩焼く」の歌や、定家自身の「なびかじな」の歌との関係を考える中で、紛れ込んでしまったのかもしれません。
次に、解釈と称する解説の部分は、「待つ」と「松帆の浦」が掛詞で続くと解説し、本歌となる万葉集の長歌を指摘する①は、『必携』から受け継がれたものです。それに対して、新勅撰集の詞書の「建保六年」が誤りであることを考証する②、建保四年内裏歌合で順徳天皇の歌と組み合わせた歌で、順徳天皇の発言でこの歌が勝となったという状況を指摘する③は、今回の書下ろしで、非常に興味深い内容です。この歌が藤原秀能の歌の影響を受けていることや、定家自身も藻塩の歌を詠んでいたことを指摘する④は『必携』から受け継いでいますが、『五代簡要』の抜き書きの指摘は今回の加筆です。③を受けた形で、建保四年内裏歌合が契機となってこの歌が定家の自讃歌に選ばれたことを指摘する⑤は今回の書下ろしで、重要な内容です。「もみもみとしたる歌」の要素をこの歌の音韻に見る⑥、近代詩人の北原白秋にこの歌が影響を与えたことを指摘する⑦は、『必携』からほぼ受け継いだものです。
本歌は、『万葉集』巻六・935番の長歌(936番・937番の反歌二首は省略)ですから、これを示しておきたいと思います。最後の読みは、著者と若干違うところがあります。
三年丙寅秋九月十五日幸於播磨国印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌
名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名芸尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 余四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣恋流 船梶雄名三
名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海少女 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ 大夫の 情はなしに 手弱女の 思ひたわみて たもとほり 我れはそ恋ふる 舟楫をなみ
著者は、まず「待つ」と「松」の掛詞を認定して、「待つ」「松帆の浦」をそれぞれ訳出しています。この歌は、実は倒置法の歌だと思いますが、以前取り上げた北原白秋なども倒置法にはしないで、「来ぬ人を待つので」と、掛詞までの部分を理由条件として位置づけ、「松帆の浦の夕凪に焼く藻塩」を「待つ宵」の感情の比喩と考えて、「火に焦がるるやうに」と訳出しまして、「身も焦がれつつ」を導き、結論として「苦しいことである」と補っていました。ひとつには、「ので」という確定条件の補いが、歌には出てこないものである事、それから歌の末尾の「つつ」の反復・継続の助詞を無視している点など、かなり問題があったと言えましょう。この二点は、実は粉本である佐佐木信綱の『百人一首講義』から引き継いだものですが、実は尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』では、この二点に瑕疵はないと見えます。なお、三書とも、倒置法を認めていないようです。著者の久保田淳氏は、「つつ」に関しては「焦れながら」と反復・継続を反映した解釈を示していましたが、倒置法になっているということは指摘していません。
まてどもまてども来ぬ人を待つとて、松帆の浦の夕ぐれの風のなぎたるほどに、焼く藻塩の火にこがるる如く、我身もこひこがれて、夕ぐれごとに待つことのいたく苦しき事よ。(佐佐木信綱『百人一首講義』)
待てども待てども来ぬ人を待つといひかけて、その松帆の浦の夕なぎとて日暮れに風のなき時に焼く藻塩の火にこがるるやうに、我が身もかの来ぬ人を待ちわびて、恋ひこがれつ恋ひこがれつする。(尾崎雅嘉『百人一首一夕話)
「つつ」は、『百人一首』1番の天智天皇の歌で「露にぬれつつ」、4番の山部赤人の歌で「雪はふりつつ」、さらに15番の光孝天皇の歌でも「雪はふりつつ」とありまして、三つとも文末の詠嘆用法のようでしたから、そう言った歌の影響かも知れませんが、定家の歌に関しては、全体が倒置法で、「つつ」は反復・継続の接続助詞の役割を負っていると思うのですが、どうも世間の注釈書類は違うようです。定家の歌を倒置法と考えて、その倒置を本来の日本語の語順にすると、定家の歌は次のような形にした上で解釈されるべきだと思うんですが、いかがなものでしょうか。
松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 来ぬ人を 待つ
(倒置を修正した形)
さらに、「焼くや」の「や」は、例の即時の「や」の用法でありまして、おそらく恋の歌の伝統として次の歌の影響があることでしょう。これは、『百人一首』57番の紫式部の「巡り逢ひて」の歌や、91番の良経の「きりぎりす」の歌なんかでも指摘しましたが、切迫した感情を表現するものとして使われるのかと思います。
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
(『古今集』恋一 469番 詠み人知らず「題知らず」)
そうすると、定家の歌では「夕なぎに焼くや」が、おそらく「夕なぎになるや」のようなニュアンスで「こがれつつ待つ」という、「待つ宵のつらさ」の表出につながってゆくのだろうと思います。夕暮れを告げる夕凪がきっかけとなって、胸の炎が点火し、やがて全身をほてらせるような感情になりまして、待ちに待つという切なさになることでしょう。「つつ」の反復はもちろん、それを接続助詞として、「待つ」という和歌の冒頭に倒置することは必須の解釈だと思うのです。それから、「人」はやはり、二人称の方が圧倒的によろしくて、せいぜい「あの人」というような恋人を指す言い方までが許容でありまして、三人称にしたのでは臨場感は薄れることでしょう。
松帆の浦の夕凪に、焼く藻塩の煙が立ち昇り、藻が焦がれに焦がれるように、私は夕暮になるやいなや、身を焼くような恋の炎によって、じりじりと恋い焦がれながら、おいでにならないあなたを待ちに待っているのです(粗忽試訳)
さて、ここまで紹介して、念のため近年の注釈書の訳を並べて見ますので、一緒に鑑賞いたしましょう。
待てども待てども来ない人を待って、あの松帆の浦の夕なぎの海辺に焼く藻塩ではないが、身も心も恋いこがれつつ、私には切ない毎日が続くのです。
(角川ソフィア文庫『新版百人一首』昭和44年初版、平成11年新版初版)
※「藻塩ではないが」という表現は昔の修辞法の処理法の一つ。「つつ」のあとに「わたしには切ない毎日が続くのです」と補いがされています。
来ぬ人をまつ身のこがれ 松帆の浦の
そよりともせぬ凪のくるしみ
じりじりと海士の焼くのは藻塩だろうか
やけるのは いえ 私の身です
来ぬ人を待つ身は焼けて焦がれてよじれて
(講談社文庫『百人一首』昭和55年発行)
※「つつ」の反復を「焼けて焦がれてよじれて」に託していますが、「よじれて」は賛否があるかもしれません。「来ぬ人を待つ」を末句の「身もこがれつつ」に重複させて補っています。
いくら待っても来ない恋人を待つ私は、松帆の浦の夕なぎの海辺に焼く藻塩のように、身は恋いこがれていることです。
(講談社学術文庫『百人一首全訳注』昭和58年発行)
※「待つ」のあとに、主語の「私は」を補い、文末の「つつ」は無視して、末句を述語と処理しています。
来てはくれない恋人を待つ、松帆の浦の夕凪の時刻に、私は焼くわ、藻塩を。その塩と同じように私の身も焼き焦がしながら。
(角川ソフィア文庫ビギナーズクラシック日本の古典『百人一首(全)』
※「焼くや藻塩の」の部分を、なぜか倒置法と処理して、「私は焼くわ、藻塩を。」と解釈していますが、文法的にはナンセンスな解釈の典型でしょう。それに、詠作主体が藻塩を焼いていることになっていますので、これは海辺の海人(海女)の労働歌の意味も持たせたようです。さすがに受け入れがたい訳ですが、どうなっているのでしょうか(笑)
それはそれ、これはこれでありまして、ひとそれぞれの鑑賞というものは存在していいことなのであります。
『新勅撰集』巻第十三・恋三 849番
建保六年内裏歌合に恋歌 権中納言定家
来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
『百人秀歌』だと、この歌が最後の100番の歌でありまして、その後に藤原公経さんの歌が来るのであります。もし、『百人秀歌』と『百人一首』がどちらも藤原定家さん自身の自選秀歌撰だとすると、まったく自分の歌を落とす気持ちは無かったと言うことになりますね。『古今集』において紀貫之は、歌が足りなくなると自分で作って「詠み人知らず」として入れてしまったなんて話を聞いたことがあるんですが、その一方で『後撰集』の撰者である梨壺の五人という方々は、自分たちの歌を採用しませんでした。紀貫之は不評を買い、梨壺の五人は敬意を勝ち取ったらしいのであります。そう習ったか、本で読んだだけで検証していないので間違っているかも知れませんが、撰者のあり方としてはどちらもアリでありましょう。
この藤原定家の歌も、『新古今集』の歌ではなくて、『新勅撰集』の巻十三・恋歌三・849番に入っているんであります。『新勅撰集』の撰者は藤原定家さん自身ですから、まあ言ってみれば自讃歌でありまして、たしかに一度見たら忘れられない「もみもみ」した歌であります。「もみもみ」がどういう概念なのかは私にはまったく分からないんですが、ずるい言い方をすると「もみもみ」という擬態語は、この歌のためにあるのではないでしょうか。夕餉(ゆうげ)の時間に来ない人を待つのはつらいかも知れませんね。身もだえしつつ、モミモミと恨みの言葉をつぶやきながら待つのでしょうが、歌もそんな感じで作るんでありますね。「揉む」と言う言葉から来ているはずですから、何となく分かる気もいたします。「もみにもむ」「もみ込む」「もみほぐす」わけで、手塩にかけて丁寧に仕込むということなら、歌の中にいろんな仕掛けがあって、従来の歌を素材にしていても、それとはまったく趣向を変えて味付けをするということかもしれません。掛詞や縁語を駆使し、訳そうにも一筋縄ではゆかないような複雑な歌になっているということなんでしょうか。季節や風景の歌に見せて、実は恋の情趣を色濃く持ちつつ、恋の歌や述懐の歌に見せかけて、季節や風景の歌をこしらえるというようなことなのかと思うんですが、さて辞書には何て書いてあるのでしょう。
〇もみもみ【揉揉】〔歌論用語〕心をつくして深い内容をこめ、表現をこらすこと。「定家は……やさしくもみもみとあるやうに見ゆる姿、まことにありがたく見ゆ」(後鳥羽院御口伝) 『岩波古語辞典補訂版』
そうだろうなという概説的説明ですね。後鳥羽上皇のお言葉の中の「ありがたく」は、「めったにない・ごくごく稀」と言う意味でしょう。他の歌人にはない、唯一無比の表現だと感じていたというのかもしれません。『和歌文学大辞典』を見たら、やはり俊頼の「うかりける」の歌を『後鳥羽院御口伝』の記述に沿って引用し、こういう歌らしいよと紹介しているのであります。
この歌の問題点は、「待つ」と「松帆の浦」の掛詞の所を、二重のものにして連続して解釈してよいのか、どうかということです。この一首の歌をそのまま頭からしっぽまでそのまま訳して行って、倒置法がないとして解釈する注釈書が多いのですけれども、そうすると「つつ」というのを反復詠嘆のように解するしかなくなるのではなかったか、と思うのですが、そこのところはちょっと待ってくれと言いたいわけです。
結論だけ言ってしまうと、この歌は倒置法でありまして、「身もこがれつつ来ぬ人を待つ」で終わると考えると面白いんですね。
つまり本当は「松帆の浦の」から歌が始まると言うことではないでしょうか。あるいは、いっそのこと「来ぬ人を待つ松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ来ぬ人を待つ」として、最初と最後が同じフレーズになるといいのだと思います。ちくま文庫の『百人一首』(鈴木日出男さん)はそう言う訳になっていまして、同感と言いますか、それが絶対にいいのだと思います。それから、四句目の「や」はすでに指摘済みですが、再度強調しておきたいと思います。紫式部(第57番歌)の所でも、また良経(第91番歌)の所でも指摘したのですが、間投助詞だけれども、単に語調を整えるというような生ぬるいものではなくて、これは「~するやいなや」という即時の用法であるはずでしょう。「焼くや(藻塩のごとく)身も焦がれ」ということで、「動詞+や+動詞」という構成を見逃してはなるまいと思うのです。時刻は夕暮れで男の通う時刻ですから、「焼く」は単に藻塩のことだけではなく、他の女の所へ行くのではないかと嫉妬の炎を燃やすことでありますから、この歌のなかで「藻塩の」だけが単純な修辞でありまして、これを「藻塩の(ごとく)」と理解するのがいいでしょう。「焼くと藻塩が焦がれるように、焼くと身もこがれつつ待つ」ということであります。この歌は、繰り返し詠むうちに、螺旋状に繰り返される無限構造でありまして、そのことはもし指摘する人がいないなら大手柄、たぶん鈴木日出男さんは気が付いておられます。
いくら待っても来ない人を待つ自分は、松帆の海辺の夕なぎの頃に焼く藻塩ではないが、身も焦がれつつ、いつまでも待ちつづけている。
(ちくま文庫日本の古典『百人一首』1990年発行)
※「待つ」のあとに「自分は」と主語を補っています。「藻塩ではないが」というのは修辞の処理の一方法ですが、実際に詠作主体が塩焼きに参加するわけではないことを示しています。
いろんな解釈があるものだと思う一方で、どうして倒置法について指摘がないのか、不思議であります。「焼くや焦がれつつ待つ、焼くや焦がれつつ待つ、焼くや……」と言うようなループ構造で、次第にフェイドアウトして行くのがよさそう。なんとなく、恋人は来ないままで終わってしまいそうな感じがいたします。それはともかく、「身もこがれつつ待つ」でありますから、今現在の待っている心境が焦がれに焦がれているだけで、毎日続くとかいつまでも待っているというような継続ではないと思うんですが、そこはどうなんでしょうか。
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