岩波文庫『百人一首』を読む(79) 藤原顕輔

79 秋風にたなびく雲のたえまより もれいづる月の影のさやけさ  左京大夫顕輔


【訳】秋風に吹かれてたなびいている横雲のとぎれた間から洩れてさし出ている月の光の、何とさやかなことか。

【出典】新古今集・巻四・秋上・413

   崇徳院に百首歌たてまつりけるに


【解釈の要点】

①崇徳院の「瀬をはやみ」の歌と同じく、久安六年(1150)の『久安百首』に、61歳だった顕輔が詠進した歌である。

②万葉集には、月夜に雲がたなびかないでおくれと訴えかけた歌が多い。巻七1085「妹があたり我は袖振らむ木の間より出で来る月に雲なたなびき」(作者未詳)、巻八1569「雨晴れて清く照りたるこの月夜また更にして雲なたなびき」(大伴家持)、巻十一2460「遠き妹が振り仰け見つつ偲ふらむこの月の面に雲なたなびき」(柿本人麻呂歌集)、巻十一2669「わが背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲なたなびき」(作者未詳)などの例がある。巻一17「しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや」(額田王)と訴えた上代の人々にとって、雲は「心」ある存在と思えたのであろう。王朝の人々は、雲は空にたなびいて月日の光を遮るものであると見、その現象にさからわず、合間に自然の美しさを見出そうとする。源氏物語・橋姫の巻で宇治八宮の姫君たちがそうであった。――「月をかしきほどに霧りわたれるをながめて、すだれを短く巻き上げて、人々ゐたり。(中略)内なる人一人、柱にすこしゐ隠れて、琵琶を前におきて、撥を手まさぐりにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月の、にはかにいと明かくさし出でたれば、「扇ならで、これしても月は招きつばかりけり」とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし」。

③「雲間の月」の光を詠み入れた歌は、「あな恋し雲間の月に人を見て面影にのみそへるころかな」(兼盛集)、「世の中になほもふるかなしぐれする雲間の月の出づやと思へば」(和泉式部集)、金葉集・夏123「郭公雲の絶え間にもる月の影ほのかにも鳴きわたるかな」(皇后宮式部)など、少なくない。権中納言定頼の64「朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬々の網代木」やそこで引いた源経信母の歌「明けぬるか川瀬の霧の絶え間よりをちかた人の袖の見ゆるは」は、雲の絶え間から見える物や人を詠んだ作品であった。

④鴨長明の『無名抄』「近代歌躰」で、どんな歌がよい歌なのかという疑問を、二人の人物の問答体という形で論じている。そこで「幽玄」なる言葉の意味を問うAに対して、Bは幾つかの比喩を引いて説明する。その一つは、「霧の絶え間より秋の山をながむれば、見ゆる所はほのかなれど、おくゆかしく、いかばかりもみぢわたりておもしろからむと限りなく推し量らるる面影は、ほとほと定かに見んにもすぐれたるべし」というものである。源氏物語・橋姫の巻の月の光が雲が切れて女性たちの姿を照らしたことも、幽玄の美に通う。源氏物語・野分の巻の、夕霧が紫の上を御簾が吹き上げられた隙にちらりと目にした場面や、若菜下の巻で猫に御簾が引き上げられ柏木が女三宮の立ち姿を見た場面も、幽玄である。夏目漱石は『草枕』で、旅館の浴室の湯煙の中に見えた女性の姿を――「此姿は普通の裸体の如く露骨に、余が眼の前に突きつけられては居らぬ。凡てのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかして居るに過ぎぬ」と述べる。

⑤幽玄は貴族文学としての宮廷和歌や将軍・大名などに奉仕する能楽などの世界で論議される美意識である。一方、江戸時代の庶民の文学や文化に流れている美意識として「いき(意気・粋)」がある。九鬼周造は『「いき」の構造』で、それは「「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している」と論じ、諦めについて、「現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心である」と説明し、女性が身にまとううすものを例に、「うすものの透かしによる異性への通路開放と、うすものの覆ひによる通路封鎖としてひょうげんされてゐる」とも論じている。九鬼周造の説く「いき」という美意識は、長明の幽玄についての論や、さらに言えば、兼好の徒然草137段「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という、断念・諦めの上に立った美意識をもひっくるめて、とりあえず”「すきま」についての美意識”と呼んでみたい。


【蛇足】

さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は訳に一か所だけ小さな変更がありました。訳のおしまいのところは今回「何とさやかなことか」とありますが、『必携』では「何とさやかなこと」と「か」がありませんでした。それ以外は學燈社『百人一首必携』執筆時から特に変更の必要がなかったということです。その特徴を見ると、「秋風に」のあとに「吹かれて」と補いまして、雲がたなびいている原因を秋風としております。また「たなびく雲」を「たなびいている横雲」と少し具体化し、「月の影」は「月の光」と言い換えて、末尾の「さやけさ」は「さやかなこと」と訳してあります。

次に、解釈と称する解説の部分では、出典が『久安百首』であることや、その時の顕輔の年齢が61歳であったことを指摘する①は今回の書下ろしです。これに対して、万葉集では「たなびく雲」に月や恋人を隠さないでくれと懇願するが、王朝になると源氏物語のように雲の絶え間に従って美を発見するようになったと考証する②は『必携』から受け継がれています。雲間の月の歌を紹介しつつ霧の絶え間に何かを見る歌として定頼の歌を捉える③、そこから鴨長明の幽玄の説を紹介し、源氏物語の名場面や、夏目漱石の『草枕』の湯煙の女性の姿などが幽玄の系譜であると指摘する④は今回の書下ろしです。さらに⑤では、幽玄が貴族や大名の美意識だとすると、江戸時代の庶民の美意識は「いき」であると論じ、九鬼周造の「いき」の解説を引用しつつ、「幽玄」や「いき」という美意識が「すきまについての美意識」として一括りにできるのではないかと、日本文化についてユニークな提案をしております。おそらく、顕輔の「秋風に」の歌が著者の琴線に触れていて、日本文化の伝統の一要素として非常に大切な位置を占めていると指摘しているのだと思います。


著者の久保田淳氏は「秋風に」を「秋風によって」と解釈しているようで、訳出は「秋風に吹かれて」としております。ところが、著者が万葉集で指摘した五つの例を見ると、そこには「風」が出てこないのでありまして、雲がたなびくことの原因を「秋風」とすることに疑問がわきました。場合によっては「秋風によって」「雲がたなびく」「雲が絶え間を作る」「月がもれいづる」と、微妙にそれを受ける表現だらけになりそうに見えるわけで、地上に近い貴族の邸宅や皇居において月を鑑賞しているとして、詠作主体が感じる秋風が果たして雲を棚引かせたり、絶え間を作ったり、月を洩れさせたりするのかどうかと考えると、少しちぐはぐだと感じるわけです。よっぽどの強風ならともかく、心地よい秋風が大空の雲に影響しているというのは、実は不自然でありまして、著者の「吹かれて」という補いは、とても常識的な補いですが、疑えば疑えるわけです。だったら、この「秋風に」は「秋風に加えて」と考えて、「おお今夜のさやけき興趣は、秋風に加えて月光のもたらすものよ」という解釈はいかがでございましょうか。


以前取り上げました北原白秋の評釈を見ると、「一読して品の高い感じのする歌である」と述べまして、さらに「作者の著想、敏感、非凡といはねばならぬ」と評しておりまして、非常に高い評価を与えています。「百人一首中第一級の佳品である」(小高敏郎・犬養廉『小倉百人一首新釈』白楊社1954年)とまで言い切る注釈書もありまして、なるほど、空の月を眺めた経験があれば誰しもが理解できて、なおかつ「ああこんな瞬間もあるなあ」と思わせる作品であります。桑田明氏も、秋風と雲と月による活劇であるとして、大層お気に入りだったと感じましたが、久保田淳氏も、この歌から幽玄や「いき」という日本文化の流れを提唱しましたので、評価の高い歌なのだと推測いたします。


久保田淳氏は触れていませんが、この歌が最初に詠まれた『久安百首』の二句目は「ただよふ雲の」でありまして、香川景樹はそっちが好みだったようです。また、『百人秀歌』では、四句目のところが「もり出づる月の」であったことも指摘されています。さらに、五句目のところは顕輔の家集では「影のさやけき」でありまして、微妙にいろいろと違っていて、注釈者はあれこれ述べております。違うと言えば違うんですが、同じと言えば同じでありまして、なかなか微妙でありましょう。桑田明氏などは、「ただよふ」よりは「たなびく」の方がスケールの大きな歌になると考えていたようです。


気になりますのは、句意のところで、白秋は「洩れ出づる月=雲の間から月が現はれて下界を照らす事で、太陽のやうに自身はかくれてゐて光だけ雲間から投げるのではない。月自身があらはれて明るいのである。」と説明していまして、雲の間から出てきたのは「月」そのものだという意見なのであります。桑田明氏もこれと同じような意見ですが、実は古注釈などにも、江戸時代の注釈にも出て来るようですが、大方の理解としては、雲間から漏れてくるのは「光」なのであります。白秋は、太陽とは違うとわざわざ指摘をしているわけで、そう言われてみると、四句目の「洩れ出づる月の」の終りで、歌を一旦止めて一呼吸置いたりすると、白秋のような理解が成立しそうであります。雲間から漏れるのは「月」そのものなのか、それとも「光」だけなのか、悩ましい問題かもしれません。


さらに、すでに指摘しましたが、初句の「秋風に」がどこに作用するのか、というような問題も従来盛んに指摘されたことがあるようです。普通に考えたら「たなびく」なんですが、「絶え」かもしれませんし、「洩れ出づる」だって考えて見ると成立するのであります。その全部だと考える注釈もあるようです。その場合は「秋風に」の「に」は、「によって」という原因・理由というようなものを示す助詞ということになります。ただ、「に」を「に加えて」のような、添加・重複の意味だとしてみると、「秋風に加えて、影のさやけさ」となりまして、「さやけさ」を感じさせるものが風と光となったりするかもしれません。この歌は、単純な叙景歌なんですが、考え出すと止まらない危ういところがありそうです。ただし、普通に考えたら「雲が秋風にたなびく」「雲間から月光が洩れる」というだけのことだと思いますけれども、たなびくことに秋風は関係ない可能性が高いのです。


『新古今集』巻第四・秋上 413番

  崇徳院に百首の歌奉りけるに  左京大夫顕輔

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ


顕輔の歌は新古今集の叙景歌であります。風景の歌であることは、誰が見ても明らかでありまして、台風がUターンして、太平洋に戻ったように、和歌の伝統も『万葉集』の叙景歌の流れに戻っていったわけです。このころ『万葉集』を読むことも盛んであったと聞いていますので、そうした影響が出ているとも言えるわけです。万葉集の歌に比べたら、こちらのほうがずっと繊細に見えることは言うまでもありません。顕輔のお父さんは、顕季という人ですけれども、この人は『百人一首』に漏れておりまして、たぶん兼昌なんかよりも歌人としての評価は高いんですが、これといった名歌が無いのかも知れません。顕季さんは、柿本人麻呂を夢かなんかに見て、人麻呂の姿を絵に仕立てて崇拝したんであります、これを「人麻呂影供」と言うんですけれども、その行事は顕輔から清輔へと受け継がれていったんであります。そう言う家柄の万葉集を重んじて詠まれた叙景歌と理解すべきでしょうね。


ただし、ここから余計なことを申し上げるわけですが、例えば「秋風」に「飽き」というニュアンスを感じ取り、「雲」に「宮中・内裏」の意があることを踏まえ、そして空をめぐり行く「月」を男にたとえる伝統を想起するなら、この歌はどなたか高貴な人への賛美と取れなくもないわけでありまして、もはや素朴な『万葉集』とは違う地点で歌が詠まれているのではないでしょうか。「飽き」と「絶え間」を縁語だと認めると、恋の匂いがぷんぷんして、上の句のところに沈滞気味の恋に悩む女が出現してもおかしくないという気がします。そして、上の句をそう取るなら下の句で月影さやかな新たな男の登場でありましょう。


つまり、この歌を単純な叙景歌だと思って鑑賞しているということに、非常に疑念があるわけで、何らかの寓意と言いますか、恋の要素があるのではないかと思うくらいは、当然だと思うのですが、従来の注釈はそんなことには無頓着なのであります。


この歌の問題点は、下の句でありまして、何となく分かるために油断しそうですが、実はちっとも現代語ではありません。「もれ出づる」というのは「もれいづ」の連体形ですが、現代語は「もれでる」でありまして、終止形も連体形も現代語では同じでありますし、不思議なことにこの言葉は現代語に変化しつつもすんなり残っているわけですね。この場合漏れ出るのは「月」ではなくて「影」であります。「影」というのは、ここでは「光」の意味でありまして、たとえば「月影」は「月光」でありますから、「日影」は「日光」のはずなんですね。微妙に間違えそうです。それから「さやけき」というのは「さやけし」という形容詞ですが、「さやかだ」というような言葉と語源は一緒でしょうけれど、実は現代語ではありません。それでも、実景が先に浮かびますから、この歌に疑問を抱くことはないのでありますね。しかし、夜吹く風にたなびく雲っていうのは、どういうことなんでしょう? ほら、実は妙な歌なのでありまして、絶え間というのは、縦なの横なの?


春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山際少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。(『枕草子』)


辞書を引けばすぐに分かりますが、「たなびく」は横になった雲のようであります。でも、現代で「雲がたなびいているよね」などと言わないような気がするわけで、微妙であります。崇徳院が催した『久安百首』に提出した歌なんですが、その段階では二句目が「ただよふ雲の」とあったようで、崇徳院の「瀬をはやみ」と同じで、改作されているということが指摘されています。『枕草子』の場合、朝日が昇ろうとする光景なんですが、顕輔の歌の場合は、どういう時刻のどういう月なのか、三日月なのか、満月なのか、有明月なのか、そのあたりが不明瞭な気がするんであります。「たなびく雲」「ただよふ雲」が晴天における雲なのか、それとも雨が降る前後の雲なのかというのも、実は明らかではないような気がいたしますが、近年は誰も気にしないようです。例えば、中秋八月十五夜の明月が空にあるのに、それを雲が遮ったものの、雲の隙間から月光が漏れ、それによって雲もその姿を明瞭に表すというようなことでいいんでしょうか。


ちなみに、清少納言の『枕草子』の「春はあけぼの」を見ると、「たなびく」ことに風は関与していないと見ていいわけで、「秋風に」を「秋風によって」とする説は脆弱だという気がいたします。


何となく、和歌が沈滞して世間に飽きられまして、歌人と名乗っても肩身の狭いことが多いのに、和歌にご理解のある崇徳院が登場して、我々宮中の歌人たちもそのおかげで世間に知られて、心はなびいておりますよ、月光のような素敵な崇徳院様、というようなことかとふと思うのは深読みでしょうね。宮廷和歌と言うのは、油断のならないものだと、思うのですが、いかがでございましょう。というか、百首を召した帝に対する寿ぎがあって当然のような気がするのであります。歌道を奨励してくれる崇徳院への感謝が込められていると考えた方が、ごく自然なような話ではないでしょうか。えへん。ひょっとして今回も大手柄を立てたのでありましょうか。


  末の世に 飽きられかけし 歌の道 百首お召しの 院のかしこき(粗忽)  

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