岩波文庫『百人一首』を読む(78) 源兼昌

78 淡路島かよふ千鳥の鳴声に いく夜寝ざめぬ須磨の関守  源兼昌


【訳】淡路島へ飛び通う千鳥の鳴く声に、幾夜寝ざめたことだろうか、古の須磨の関守は。

【出典】金葉集・巻四・冬・170

   関路千鳥といへることをよめる


【解釈の要点】

①淡路島はいざなき・いざなみの二神の国生み神話でその生成が語られる瀬戸内海最大の島だが、誕生の経緯は『古事記』と『日本書紀』では伝承が違っている。一島が淡路国一国だったが、現在は兵庫県に属する。万葉集・巻三388で「わたつみは くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻ほし……」(作者未詳)、古今集・雑上911では「わたつ海のかざしにさせる白妙の浪もて結へる淡路島山」(読人不知)と詠まれた。

②「かよふ千鳥」という句は、大中臣輔親が文を送ったのに返事をよこさなかった女性に、後拾遺集・恋一625「満つ潮の干るまだになき浦なれやかよふ千鳥の跡も見えぬは」と言い送った歌に見える。

③須磨は万葉集の時代から「須磨の海人」がよく知られていた。須磨までが摂津国で、明石は播磨国となる。両国の境に須磨の関が置かれた。すでに41壬生忠見で引いたように、彼が新古今集・雑中1599「秋風の関吹き越ゆるたびごとに声打ちそふる須磨の浦浪」(忠見集)と詠んだ関、源氏物語・須磨の巻に「須磨にはいとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけん浦波、よるよるはげにいと近く聞えて……」と語られた関である。在原行平の須磨の関の歌をめぐっての議論も忠見のところで触れた。兼昌と同時代人と言ってよい源師俊の千載集・羇旅499「播磨路や須磨の関屋の板びさし月もれとてやまばらなるらむ」の歌によれば、王朝末期にはすでに廃されていた古関だったのだろう。

④源氏物語の須磨の巻では、先に引いた須磨の浦の秋に続いて、冬を過ごす光源氏の身辺を語って、「例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く」ので、「友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝覚めの床も頼もし」と独詠した源氏は、供人が皆寝静まっているので、「返す返すひとりごちて」自身もまた寝したという。下河辺長流の『三奥抄』はこの件りを引き、「須磨の浦に千鳥を読、ね覚のかなしきをいふは、源氏物語をもととするか」と考え、契沖の『改観抄』はそれを踏襲した。香川景樹の『百首異見』はこれを「いふにたらず」と一顧だにしないが、作者兼昌自身は源氏物語の中でも有名なこのあたりの叙述を意識したか。兼昌のこの歌を『百人秀歌』に選んだ定家は、ここに須磨の巻の俤を見ようとしたか。定家自身は26歳の年に「たびねする夢ぢはたえぬすまのせきかよふちどりのあかつきのこゑ」(拾遺愚草・皇后宮大輔百首)と、光源氏の詠と兼昌の歌を重ねたような一首を試みている。

⑤兼昌は百人一首の作者たちの中でも知名度は高くない。けれども、この歌は近世庶民の間にはよく知られていた。辻占売が「淡路島通ふ千鳥恋の辻占」の呼び声で、恋の吉凶を占う文言を欠いた紙片を売り歩いていた。千鳥の足跡から文字が作られたという古代中国の伝説もあり、「通ふ千鳥」は、文字→恋文という連想を生んだのであろう。斎藤緑雨の小説『かくれんぼ』や文集『あられ酒』に、「恋の辻占」を売り歩く男が登場する。佐々木信綱は明治36年(1903)刊行した第一歌集『思草』で、「さむき夜を辻占売が提灯の光きえゆく町はづれかな」と歌った。この一首も兼昌の歌と全く無縁ではない。

⑥兼昌は貴族社会にあっては皇后宮少進で終わった。藤原忠実の日記『殿暦』永久五年(1117)四月三日条によると、除目で大進に昇進する機会があったのに辞退している。沈淪をかこつことが一般的な当時の貴族社会の中では変わり種だった。

⑦大治三年(1128)の『住吉歌合』で、最晩年の兼昌入道は「萩恋」を「与謝の浦にひとむら立てる浜荻の又たぐひなき恋もするかな」と詠み、主催者で判者を兼ねた神祇伯源顕仲は、「たはぶれ歌にてや侍らん。されど、いま少し目や付き侍らん」として、左の源仲正の歌に勝つと判定した。「そよそよと荻吹く風は音すれど人は頼むる言の葉もなし」という仲正の歌の上句がよくないという理由だった。そして「みぎはなる潮葦にまがふ浜荻はよしとぞ見ゆる与謝の浦人」という縁語づくしの判歌を添えている。もう一首、鳥を詠んだ兼昌の歌を挙げておく。千載集・秋下327「わが門のおくての引板におどろきて室の刈田に鴫ぞ立つなる」。


【蛇足】

さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は訳に変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に変更の必要がなかったということです。その特徴を見ると、初句「淡路島」の後に格助詞の「へ」を補っておりますが、ここを「から」と補う注釈書もありまして、微妙でありましょう。四句目の「寝ざめぬ」のところは「寝ざめたことだろうか」と訳しまして、「ぬ」を完了とした上に推量表現を補っておりますから、著者は「寝ざめぬらん」という通説を支持しているようです。また、この歌を四句切れと見るようで、五句目の「須磨の関守」は倒置しているという判断なのでしょう。気になるのは、五句目に「古の」と補っておりまして、これには読み仮名が振ってあって「いにしえの」なんですが、「ぬ」は完了でありまして、別に過去の時制を表す助動詞はありませんから、この補いは誤読の結果と言えそうです。須磨の関所が廃されていたという解説がありますから、それを意識しての補いだと考えられます。

次に、解釈と称する解説の部分では、淡路島が神話に出てくる島で万葉集や古今集にも詠まれた歌枕であることを考証する①、「かよふ千鳥」という表現の先行例があることを示す②は、今回書き下ろされたものです。「須磨の関」について忠見の歌や源氏物語・須磨の巻、源師俊の歌を紹介する③もほぼ書下ろしですが、源師俊の歌は『必携』にもありました。源氏物語の光源氏の「友千鳥」の歌をめぐって、長流や契沖が本歌と見るのに対して景樹が否定していることを考証する④は『必携』から受け継がれたものです。面白いのは、兼昌のこの歌が近世においては辻占売の呼び声に使われ、明治時代にも存在したことを考証する⑤で、作者の知名度が低いにもかかわらず、歌は庶民には浸透していたことを示しています。⑥は兼昌が昇進を辞退した一件が藤原忠実の日記に見えることを伝え、⑦は兼昌が最晩年まで歌合に参加していたことなどを指摘しています。⑤⑥⑦は今回の書下ろしです。なお、『必携』では、賀茂真淵や香川景樹が兼昌のこの歌を酷評していることを紹介していました。


近年の注釈書を見ると、「淡路島通ふ」については、「淡路島から通ふ」が優勢ですが、「須磨から淡路島に通ふ」「須磨と淡路島の間を行き来する」など、今でも決着はしていないようです。また、『源氏物語』須磨の巻の影響は誰しもが認めまして、兼昌程度の作者が百人一首のなかに採用された理由と考えられています。また、下の句に関しては、五句目の「須磨の関守」を倒置法による主語だと一般には考えられていて、「須磨の関守は、……幾夜寝覚めたか」と解するのが一般的です。古註などでは、完了の助動詞の終止形である「ぬ」が問題にされまして、「目覚めぬらん」のような表現を想定して、「らん」が脱落しているとか、「目覚めぬる」という表現であって「ぬ」は「ぬる」を略したのだという説が唱えられていました。このうち、後者は、五句目の「須磨の関守」を呼び懸けの対象と考える説で、古くは契沖の『百人一首改観抄』、さらに香川景樹の『百首異見』などがこの立場で、近年も「幾夜目覚めぬ」を須磨の関守に呼び懸けているのだとする説は徳原茂美氏『百人一首の研究』(和泉書院・2015年刊)などで考証されております。


さて、下の句に関して、徳原氏の詳しい考察では、「須磨の関守」に対して呼び懸けの句であることに一定の説得力があり、古歌にも兼昌の他の作品にも、疑問詞ではじまって終止形で結んでいるという語法があるということで、実は結論は出ていると見えるのであります。徳原茂美氏の論考は、論文としては1991年(平成3年)に出たものですから、30年以上も前に出ているんですが、これがなぜかちっとも普及していないのであります。というよりも、契沖や景樹が主張しているんですから、普及していないどころか、注釈者には「須磨の関守」への呼びかけ説は不評ということなのであります。これはおそらく、詠作主体が第三者の関守に呼び懸けているということ自体が受け入れられていないということかと思います。たぶん、多くの注釈者は、光源氏が「須磨の関守」なのだと解しているはずで、兼昌の歌が須磨の巻の光源氏の境遇を詠んだ歌なのだと思っているのではないでしょうか。今回の岩波文庫版の久保田淳氏は、「いにしえの須磨の関守は」という解釈ですが、それは四句目が「幾夜寝ざめける」のような過去の時制でないと成立しないような気がいたします。


それから、もっと根本的な問題として「幾夜寝覚めぬ」で四句切れであるとして、「ぬ」を終止形と処理するのが近年の注釈書なんですが、「幾夜寝覚めたのか」と解してみると分かるんですが、「須磨の関守」への問いかけにしても、あるいは歌の享受者への問いかけだとしても(ほかに可能性はあるでしょうか?)、何だか間が抜けているのであります。「月に何回夜に目が覚めたか?」とか「月に何回も夜に目が覚めたか?」と問いかけると、反語なら「夜には目が覚めません」となって意味をなしませんし、誘導尋問的に「ええ、もちろん月に何回も目を覚ましました」という答えを引き出したとして、この問いかけは珍妙なんですね。だから、せっかくの考証が普及しないのだろうと想像されます。


前に取り上げた北原白秋の解釈の特徴は、四句目の「幾夜寝覚めぬ」を「幾夜寝覚めぬらん」とみなす点で、この「ぬ」は強意の助動詞の終止形であることを示したようです。「らん」は現在推量の助動詞を補ったということです。その結果、四句目は「きっと幾夜も寝覚めをするだろう」というような解釈を志向していると考えてよいでしょう。白秋の評釈を見ると、この歌を四句切れとして、五句目と倒置させていますので、白秋が考えていた兼昌の歌は、次のようなものです。これは、白秋が粉本とする佐佐木信綱『百人一首講義』や、さらにその粉本の尾崎雅嘉『百人一首一夕話』なども同様で、近年の注釈も同じように考えているようです。


淡路島(へ) 通ふ千鳥の 鳴く(憐れ深い)声に 須磨の関守(は) 幾夜(も)寝覚めぬ(らん)


この、「幾夜寝覚めぬ」は「幾夜寝覚めぬらん」の省略形だという説に対して、古注釈などではこれは「幾夜寝覚めぬる」の「る」が脱落したのだとする説もありまして、混迷の度は深いのであります。「ぬる」は完了の助動詞の連体形ですが、活用形の一部が脱落するのを、和歌の世界で許容できるのでしょうか。百人一首を愛する全ての人に問いたいのですが、助動詞の連語の「~ぬらん」の「らん」が脱落するとか、活用形「~ぬる」の「る」が脱落するというのであれば、その脱落前の形で収載する伝本はどこにあるんでしょうか? 助動詞の脱落という現象を、普通は認めないのに、なぜここだけそんな「とんでも学説」がまかり通るのか、不思議というよりは、怪奇現象でございます。おそらく、この歌は、元の兼昌の和歌の形がどうあれ、白秋などが考えた解釈以外の訳はないため、文法の解析が甘いのかもしれません。


淡路島へ 通う千鳥の 鳴く悲し気な声に 須磨の関所を守る番人は きっと幾夜も幾夜も夜中に目を覚ますのだろう(粗忽拙訳)


ただし、前以て言っておきますが、私はこの解釈は誤っているだろうと思います。ぼんやりとこのブログを眺めている方もいるでしょうから、もう一度言いますけれども、従来のこの四句切れ倒置法と見る解釈は、誤訳も誤訳、インチキだと申し上げておきたいと思います。


『金葉集』巻第四・冬 288(270)番

      関路千鳥といへることを詠める  源兼昌

淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守


この歌の問題点は、四句切れかどうかということであります。四句切れで、五句目の「須磨の関守」が倒置されていると見なすわけですけれども、古来注釈書は居心地の悪さを感じつつ、四句切れを支持してきたようです。その場合は、「寝覚めぬ」の「ぬ」を完了の助動詞の終止形とするわけですが、ちょっと待てよという気がいたします。問題なのは、「寝覚め」という動詞が今ありませんから、解釈しようとするとまずそこにおそらく弱点をはらむわけでありまして、さらに完了の助動詞の「ぬ」というものも、基本的には現代に残りませんでしたので、ニュアンスが本当に分かるのかどうか、とてもあやしいのであります。その結果、諸注釈は「寝覚めぬらん」の「らん」の省略であるとか、「ぬ」は「ぬる」の誤りであるというようなとんでもない自家中毒に陥りまして、てんやわんや、支離滅裂であります。思うに「幾夜」という副詞または名詞に秘密がありまして、これは「いくら」「いくつ」「幾晩」「幾月」などなど、「いく~」という形をしているんですが、それの究明の仕方がぬるいのだろう、と原因が推測できます。桑田明氏や徳原茂美氏の考証は、そこに踏み込んで疑問詞を終止形で受ける例をあぶり出しまして、それなりの結論が出ているんですが、その結果出て来る解釈が、多くの注釈者が想定する内容とズレてしまうという不思議なことが起きているわけです。文法的な解析は正しいかもしれないのに、出て来た解釈はぼんやりと違和感があるのです。


「いく~」は、疑問の副詞になる時と、否定にかかる陳述の副詞の時と、程度の名詞の時がある。


つまり、現代語で考えると、「いくら持ってる?」という時と、「いくらも持ってない」というときと、「いくらでも持っている」という時があるということです。とらえどころがないような印象ですね。だから、みんな扱いかねたのでしょう。千鳥の声で関守が夜中に起きてしまうという結果が自明なのに、そういう解釈を受け付けないところがあると言うことであります。そこで、余計なことを申し上げます。たぶん、この歌は句切れがないのでありますね。四句切れなら、ちゃんと「幾夜か寝覚めぬ」とか「幾夜も寝覚めぬ」というように、「か」とか「も」とか、それなりの係助詞を入れて、ここで終わりますよというようなサインがないといけないでしょう。「いくよ」のところに母音がありますから、係助詞を入れても字余りではなかったのに、それを兼昌は入れてないんですね。勅撰撰者も秀歌選の撰者も入れていません。だから、ほとんどの注釈者が思っているような句切れの歌ではないのでしょう。つまり、この歌は四句目では切れていないはずなのです。


四句目に「か」や「も」という係助詞が入るのに入っていない、という指摘は重要ですから、ぜひ心に刻んで、今後の人生に生かしていただきたいと切に願います。お願い申し上げ奉ります。


言い換えると、係助詞を直下に入れない、「幾夜+(連体形)+名詞?」という語法があったと言うことではないでしょうか。「幾夜、寝覚めぬ須磨の関守?」というような疑問文ではないか、という指摘をしてみたいのです。もちろん、文脈によっては反語文にもなるわけです。もし、こういう疑問・反語文が成立すると認められたら、文句なしの大手柄であります。「毎晩うるさい千鳥だけど、あの声に、どんだけ目が覚めないでいる須磨の関守さんなの? 毎晩千鳥の声に目が覚める須磨の関守さんでしょ?」ということです。語順と言いますか、文型が今と違うんじゃありませんか? 四句切れではないということは、兼昌の歌には句切れはなく、五句目の「須磨の関守」は反語の体言止めという説明になることでしょう。文法用語は苦手ですから、体言止めだけでもいいかと思います。


もう一度言いますが、四句目の所に解決しない問題がありまして、言いたいことが分かるのに、文法的に解決を見ていないという問題が残存しております。作者についても、どうしてこんな歌人が入っているのかという疑問がありまして、香川景樹さんなどは『百首異見』のなかで、『百人一首』は藤原定家の選んだものじゃないんだからかまわない、というようなことを言いきっております。それに対して、これは歌が『源氏物語』の須磨の巻を踏まえているから、俊成や定家の嗜好に合うのだという説もありまして、なかなか賛否両論かまびすしいのであります。池田弥三郎先生は、『百人一首故事物語』のなかで、「歯切れが悪くて、百人一首を読んでいると、これが、ずの連体形のぬのように聴きとれる」とちゃんと告白なさっていまして、だから皆さん、提案なんですけれども、「ぬ」は打消の連体形であると認めましょうよ。池田弥三郎先生は、そういう意味では視野が広くて、頭でっかちの学者をしのぐところがあったと私は思います。


この歌と作者が『百人一首』に入ったのは、西行の評価と、源俊頼さんとの因縁によるかも。


まず、外堀を埋めたいのですけれども、西行の歌論を伝えるものに『西行上人談抄』別名『西公談抄』というものがあるんですが、これは西行の談話を弟子の蓮阿という人が筆録したものでありまして、そこに入っております。これが意外と大きなインパクトがあるでしょう。それから、鴨長明の『無名抄』という歌学書に、源俊頼さんとのいい話があるのであります。藤原忠通公の邸宅で歌会がありまして、源兼昌さんは読み上げ係の講師をつとめておりましたが、俊頼さんの歌に作者名が抜けていまして、まごつくんですね。俊頼はただ読めよというもんですから、読み上げてみたら、歌の中に「としより」が隠れていていわゆる物名(もののな)になっていまして、兼昌さんは感心したと言うんであります。忠通公も、どれどれって歌の草稿を手にとって見たと言うことで、まあこんなところに人柄が表れるんであります。以上の話は、索引を使えば誰でも引っ張り出せます。合計2分の作業であります。では、「ぬ」が連体形だという内堀を埋めてみたいと思うのですが、仕上げをご覧じろ。


『新古今集』巻第十三・恋歌三 1153番

     百首歌に     式子内親王

逢ふことを けふ松が枝の 手向草 いくよしほるる 袖とかは知る


「いくよしほるる袖?」と分かる?、分からないでしょう、というような表現であります。「かは」は、もちろん反語の係助詞ですから、式子内親王の歌は、歌の四句目と五句目に、それぞれ反語表現があるという、複雑な歌なのです。「どれだけ袖をぬらしたと思ってるの?」というのが自然な言い回しでありますが、この歌を証拠にして源兼昌さんの歌に迫ることを許してもらえればいいわけであります。だから、例の歌は、全体をカッコで包み、その下に「とかは知る」という相手に同意を求めつつ、相手の想像力を超えた事態を愁訴するものだと分かればいいわけであります。幾晩考えた内容だと思いますか、想像付かないでしょう。二晩くらいです。


「淡路島(へ) 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」(とかは知る)


(訳)「淡路島へと行き通う千鳥の鳴く哀愁を帯びた声に、幾夜寝覚める事のない須磨の関守」とお分かりか、分からないことでしょう。須磨の関守は、毎晩のように目覚めているのです。


「寝覚め」というのは、「寝覚む」という動詞の活用形でありますけれども、夜中に不規則に目を覚ましてしまうということであります。「ぬ」を打消の連体形に見なせば、「幾晩目を覚まさない関守?と思ってるの?毎晩なんだよ」ということでありまして、これで一件落着であります。池田弥三郎先生も、きっとあの世でお喜びでありましょう。だれもが打消の連体形に見えていて、それを言い出せなかったのは、「幾夜+(連体形)+名詞」という構文が、あまり一般的じゃないからでしょうね。あまり、証明にはなっておりませんが、見付けちゃった人の勝ちと言うことでありましょう。香川景樹さんは、『新古今集』に入っている藤原清輔の歌「年へたる宇治の橋守こと問はむ幾世になりぬ水のみなかみ」(新古今集巻七・743)を例示して、すべっております。索引が完備していない時代ですから、例を見付けるのに苦労なさったんでしょうね。いい時代になりましたね。たぶん、百人一首を扱った中での私の最大の手柄はこれです。


兼昌の 詠みたる歌の 解釈を 幾夜案ぜぬ 暇な老人(粗忽)

(訳)源兼昌の詠んだ「須磨の関守」の歌の解釈を、幾夜も案じない暇な老人とご存知か、幾夜も幾夜も案じに案じた、暇も暇、暇を持て余している老人とご存じあるまい。(別にそれほど暇でもないが、ほんとは二晩くらいは考えました。)


「とかは知る」という表現はなくてもいいですが、あったほうが数段分かりやすいということでよろしいでしょうか。なお、よい子はここに出て来た結論を決して拡散しないようにしましょう。何故なら、どこかのブログに書いてあったからと主張しても、ブログごときものに影響されたと非難されるでしょうし、答案に書いても、教室で自主研究として発表しても、あなたの得には何一つなりませんので、謹んで自重していただきたいものです。 

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