岩波文庫『百人一首』を読む(72) 紀伊
72 音に聞く高師の浜のあだ浪は かけじや袖の濡れもこそすれ 祐子内親王家紀伊
【訳】噂に高い高師の浜の、ただざわざわと立ち騒ぐ波にはかかりますまいよ、袖が濡れると大変です。名高い浮気なお方のお情けは受けますまい、あとで泣きを見るのはごめんです。
【出典】金葉集・巻八・恋下・469
返し 一宮紀伊
【解釈の要点】
①康和四年(1102)の『堀河院艶書合』での詠。金葉集・恋下ではこの前に468「堀河院御時の艶書合によめる 中納言俊忠 人しれぬ思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ」とあり、それへの「返し」である。
②藤原俊忠の作は「わたしは人知れずあなたに思いをかけています。荒磯の浦を吹く風で波が寄るように、夜お話したい(お逢いしたい)ものです」の意。それに対して、拒絶の心で返した。これまた疑似恋愛、模擬恋愛の贈答歌だが、初めから恋歌として詠まれたので、撰者源俊頼は恋の部に入れたのであろう。
③紀伊・俊忠両人の家集に見える。詠まれた場を記すのは『帥中納言俊忠集』の詞書で、「二間におはしまして、上のをのこども、歌よみの名ある女房のもとに、けさうぶみの歌よみてつかはせと仰せられし時」という。『一宮紀伊集』や金葉集では、紀伊の歌の第二句は「高師の浦の」だが、俊忠の集では百人一首と同じく「高師の浜の」である。「高師の浜」は和泉国、大阪府堺市から高石市にかけての海岸。万葉集巻一66に「大伴の高師の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ」(置始東人)と詠まれる。
④『新編国歌大観』や『私家集大成』の索引によると、「音に聞く」という初句に始まる歌は相当多い。紀伊にももう一首「音に聞く秋のみなとは風に散るもみぢの舟の渡りなりけり」とある。「あだ浪」はざわざわ立つ波で、誠意のないうわべだけの愛情の比喩。素性が古今集・恋四722「底ひなき淵やはさわぐ山河の浅き瀬にこそあだ浪は立て」と詠んでいる。あだ情けを懸けようとして失敗した男が翌朝送った歌への女の返歌として、後撰集・雑二1159「とりもあへず立ち騒がれしあだ浪にあやなく何に袖の濡れけん」(読人不知)という例歌もある。
⑤「かけじや」は、懸けまいよの意。「や」は相手に呼びかける終助詞。源氏物語・若菜上の巻で、兄の朱雀院の出家後、源氏は二条宮に住む朧月夜の女君をひそかに訪れ、一夜を共に過ごした翌朝、咲きかかった藤の花を一枝折らせて、「沈みしも忘れぬものを懲りずまに身も投げつべき宿の藤波」と詠みかけると、朧月夜は「身を投げんふちもまことのふちならでかけじやさらに懲りずまの浪」と返歌した。下河辺長流の『三奥抄』は、紀伊の歌の下句は朧月夜のこの返歌を「本歌にしたるにや」と考え、契沖の『改観抄』も踏襲する。源氏物語の歌句を取り込んだとすればその早い例となり、注目してよい。賀茂真淵の『宇比麻奈備』や香川景樹の『百首異見』はこの問題に言及しない。「もこそ」は、濡れるといけないからと、将来に対する危惧を表す働きをする。
⑥『一宮紀伊集』の後半に「左京の権大夫百首のうち」として二十九首の題詠が収められている。ここでいう「左京権大夫」は源俊頼で、これらの題詠は『堀河院御時百首和歌』、略して『堀河百首』と呼ばれ、後に藤原俊成が撰進した千載集の序文では三代集などの勅撰集と同様に重視されている最初の組題百首での作である。組題とはセットされた歌題を全作者が詠む方式のこと。本百首は堀河天皇の長治元年(1104)末頃から嘉承元年(1106)前半頃までに成立したらしい。それに最も深く関わった人として俊頼の名を挙げているのだから、『一宮紀伊集』のこの記載は重要である。堀河天皇に献じられたこの百首は、作者は十六人に及び、女房では紀伊は肥後・河内らと共に出詠した。そして、「関」を「超えぬより思ひこそやれ陸奥の名に流れたる白川の関」と、まだ見ぬ陸奥へ惹かれる思いを述べたり、小式部内侍が「まだふみも見ず」と歌った天の橋立を、「海路」の題で「船とめて見れども飽かぬ松風に浪寄せかくる天の橋立」と詠んでみせた。ただしこれは題詠の歌だから、彼女が本当に天の橋立の絶景を見ていたかどうかはわからない。
⑦素意という法師は、俗名は藤原重経で紀伊守、出家して紀伊入道と号した。後拾遺集に七首入集した。藤原清輔の『袋草紙』では、一宮紀伊の夫だという。素意は朝廷の御用牧場の河内国楠葉の御牧を騎馬で通ろうとして管理人に咎められ、「紀伊入道素意なり。後拾遺の作者にはあらずや」と言い放って、管理人をへこましたという逸話の持ち主である。しかし後代に名を残したのは、後拾遺集では一首の入集にとどまった紀伊であって、素意ではない。それはやはりこの「音に聞く高師の浜のあだ浪は」の歌の御蔭に違いない。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、「あだ浪」について「ただざわざわと立ち騒ぐ波」と訳していますが、解釈と称する解説でもそのように説明し、さらに「誠意のないうわべだけの愛情の比喩」とそこで触れている通り、訳でも「浮気なお方のお情け」と二重に解釈が施されています。「あだ」は漢字表記すれば「徒」でありまして、「あだなり」という形容動詞の語幹が名詞と結びついて「あだ人」「あだ心」など恋愛における不誠実な人物や浮気心など、人を貶す言葉として多用されました。今は通じない言葉かもしれません。「もこそ」は「もぞ」と並んで、危惧・懸念・不安の表現ですが、「ぞ」は「濡れるぞ・濡れたりするぞ」というふうにニュアンスが現代にも残っています。久保田淳氏は、歌を二重に訳しまして、「濡れもこそすれ」は「あとで泣きを見るのはごめんです」と味のある解釈を提示しています。気になる点を挙げるとすると、三句から四句にかけての「波はかけじ」を「波にはかかりますまい」とするんですが、これは「我は袖に波をかけじ」ですから、「袖に波なんかかけますまい」のように訳すべきかと思います。
次に、解釈と称する解説の部分では、この歌が『堀河院艶書合』の歌であるとする①、歌は疑似恋愛であるが金葉集では恋の部にあることを指摘する②、二句目に存する異同を指摘する③は、『必携』から受け継がれたものですが、③の後半の「高師の浜」に関する部分は今回の加筆です。「音に聞く」や「あだ浪」について解説する④も『必携』から受け継がれていますが、「音に聞く」に関しては歌の引用の代わりに「情報が乏しい時代であるだけに、人々は絶えず聞き耳を立てていたのであろう」という一節があったり、「あだ浪」の例歌のうち後撰集の歌を詳しく解説して、「紀伊はこの作などを念頭に置いているのかもしれない」という指摘がありましたが、今回は省かれています。これらに対して、⑤以降は今回の書下ろしです。⑤は「かけじや」「もこそ」の文法を指摘しつつ、源氏物語・若菜上の朧月夜の歌を契沖などが本歌と指摘し、源氏物語を取り込んだことに注目しています。⑥は『一宮紀伊集』の『堀河百首』についての重要性を指摘し、紀伊の出詠歌を紹介しています。⑦は、紀伊の夫であった素意の逸話などを紹介したものです。
おそらく、「あだ波はかけじや」という表現の中の「あだ波」を、「あなたの発する浮気な言葉」の比喩と取るのか、それとも「あだ波」を、「浮気な言葉をよこすあなた」「浮気な人」とみなすのかによって、意見が相違するわけで、中には「あだ波」の解説と、提示した口語訳がちぐはぐになっているような注釈書も存在いたします。これは結局「波を袖に掛く・袖が濡れる」という表現が、あくまでも浜辺の体験をあらわす言葉でありまして、それを恋愛における状況の比喩にした時に、人によって理解がずれるということでありまして、決着が着くのかといえば、なかなか簡単に白黒が付くようには思われません。「袖が濡れる」というのが、後で捨てられて泣くはめに陥るということを比喩しているのであれば、「波を袖に掛く」ことが、単に男から言い寄られることだと見るのは物足りないわけで、女の方が男に好意を懐くことを意味するのだという発想でありますから、一理あると言えるのかもしれません。久保田淳氏は「浮気なお方のお情けは受けますまい」と、解しています。比喩的な表現というものは、現実を余すことなく表現する必要があるというものでもないはずなので、そこに飛躍があったり、多少の非対称な関係があっても仕方ないかもしれません。著者は、「あだ波」を「浮気なお方のお情」と訳出しておりますが、ここを「浮気な言葉」とする注釈もあり、もう一度確認すると「浮気なあなた」「浮気な人」とする注釈もけっこう存在するわけです。
なお、「あだ波はかけじや」の「は」は係助詞でありまして、これは強調というような働きをしているものでありまして、この「は」の位置に格助詞を補えば「あだ波をかけじや」となりまして、この部分の主体は「我」のはずでありまして、「我はあだ波をかけじや」もしくは「我はあだ波を袖にかけじや」と考えるべきだと思います。
上でも指摘しましたが、「あだ波はかけじや」というところが、実はよく分かりません。前に取り上げた北原白秋は「何と言われても思いをかけますまい」と訳出しておりまして、どうも「我は汝に思いを掛けまい」と理解しているようです。この点は、白秋が粉本とすることの多い佐佐木信綱『百人一首講義』と意見を異にしているようで、信綱は「仰せらるる事は、聞きいれじ」と訳出しておりますので、「我は汝の言ふことは聞き入れまい」という理解です。信綱の訳は尾崎雅嘉『百人一首一夕話』から影響を受けています。近年の注釈を見ると、白秋のような訳をするものもありますし、雅嘉・信綱のような訳をするものもあります。今回の著者は後者を支持しているわけです。「じ」は打消しの意志の助動詞「じ」の終止形でいいと思いますが、近年の注釈書が「や」を感動の終助詞とする点については判断が付きません。単なる強調で、終助詞の「かし」のような働きではないかと思ったりいたします。「あだ浪はかけじや」の「は」を、格助詞の「を」に置き換えて「あだ浪を(我は袖に)掛けじや」と考えて見ると、「あだ言を我は気に掛けじや」という意図がくみとれますから、信綱のような解釈がよさそうです。ちょと、紀伊の歌を変形してみます。
音に聞く 高師の浜の 寄する浪 あだには掛けじ 袖もぞ濡るる(粗忽改変)
「もぞ」は「もこそ」と同じように、危惧とか懸念とか不安などを述べる用法で、近年では「~すると大変だ」「~したら困る」などと訳出するようです。「我は波をあだに掛けじ」というのは、もちろん元の歌の表現とは違うのでありますけれども、「騙されないわよ」というようなニュアンスはこれでも汲み取れるかもしれません。要するに浜辺に関わる表現が、恋愛の比喩に使われていても、一対一対応するわけではないので、理解には幅を持たせるべきだと思うのであります。
音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ
(『金葉集』巻第八・恋下 510(463)番 祐子内親王家紀伊「かへし」)
四句目の途中で切れるという歌であります。色っぽい歌でありますが、作者のことを何も知らないのでありまして、知らないはずであります。この歌を歌合に参加して詠んだ時には、70歳のお婆さんであったそうです。うわあ、すごいなあと思いましたら、島津忠夫氏の『新版百人一首』(角川ソフィア文庫)では、同じ歌合の時に一緒に出詠した筑前という女房は、なんと紀伊を上回ることおびただしく、90歳だったなんて書いてあります。ひいおばあさまは、現役の歌人であらせられるというような感じですね。恋の歌を詠む催しだったそうですが、こういう女房が代詠してくれているから姫君は安心して、交際したり、男を品定めしたり、すんなり結婚できたのでありましょう。
堀河院御時艶書合によめる 中納言俊忠
人しれぬ思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ
かへし 一宮紀伊
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ
堀河天皇というのは、一般には知られていない帝王ですけれども、白河院の秘蔵っ子でありまして、残念なことに若くして崩御したのであります。崩御までの克明な日記が『讃岐典侍日記』というものに残っておりまして、息絶える瞬間の様子までがなまなましく描かれているんです。非常に優秀で、秀才肌、官僚気質でもあり、その一方で芸術家肌でありまして、長生きしたら四海波穏やかで、歴史が相当違っていたことでしょう。その御前で催されたという『堀河院御時艶書合』(ほりかわいんのおんときのけそうぶみあわせ)に提出した歌なのだそうです。「艶書」というのは、ラブレターの事でありまして、普通に漢字を当てたら「懸想文」でありましょう。集まった歌を男女で組み合わせて、恋の贈答歌の形式にしたのでありまして、紀伊とつがえられたのは、中納言藤原俊忠という貴族でありますが、これが藤原俊成さんのお父上、要するに藤原定家さんのお祖父さまなのでありますから、『百人一首』の中でも意義深い和歌の一つなわけです。この歌のうまみというのは、まったく海岸での海水浴の一場面のような歌であるという点なのです。「噂に聞く、和泉国の名所高師の浜の波なんて、袖に掛けませんよ。濡れたら困るもの」ということなのであります。
高師の浜というのは、大阪府高石市の海岸のこと。高師浜駅まで実在するそうです。サッカー協会の川渕三郎さんの出身地だそうですが、申し訳ないことに、大阪府にそう言う都市があることを、私はさっきまで存じ上げませんでした。そして、ここにしたためても、すぐに忘れてしまうことでしょう。
ともかく、紀伊の歌は浜辺の歌なのでありまして、本来なら歌枕を詠んだ旅の歌、勅撰集で言うなら「羇旅」に配置すべき歌ということですね。しかし、歌合の主旨からすれば、どこからどうみても恋の歌なのであります。つまり「あだ波」という歌語の存在によって、いきなり反転しまして、恋の歌に早変わりするわけです。そうすると、地名であった「高師」というのは、「音に聞くのも高し」となって、評判のプレイボーイが登場してしまいます。「掛けじとするあだ波」というのは、手練手管の恋の駆け引きに引っかかるまいということでありまして、「袖の濡れもす」というのは後で泣きを見ると言うことであります。浜辺の歌としては「波」で袖が濡れますが、当然ながら恋の歌としては「涙」で袖が濡れることになります。「もこそ」というのは、すでに指摘済みですが、危惧・懸念、要するに不安を表明するもので、「~すると困る」と訳したりするのが基本です。70歳のお婆さんとは思えない、味わいのある控えめな、いえいえ理解できたらとても激しい恋の歌なのであります。噂の男性が、私の魅力に目を付けて口説いてきたわね、うれし恥ずかし、というようななかなかの風情なのであります。
よくよく注意して見れば、「音に聞く」「高し」「あだ」「袖の濡れ」というように、恋に関連する詞が連なっておりますから、単なる羈旅の歌、海岸の歌、汀の水遊びの歌、というにはとどまらないわけであります。このことをしっかり受け止めて、ひとつ前の71番経信の歌や、さらにその前の70番良暹法師を眺めたら、恋の情緒があることをどうやって否定するのでしょうか? まったくもって否定できませんよね。
紀伊の歌は、最初から恋の歌だと思ってみると恋の歌なんですが、京都あたりの貴族が和泉の国までお出かけして、慣れない海岸の波打ち際を歩いているとしたら、これは単に海岸で戯れているだけの、たわいもない歌なのであります。「あだ波」は、辞書を見ると「無意味に立ち騒ぐ波」というような解説が出てきますが、実は諸説紛々でありまして、定説なんかないのでありまして、もしかしたら規則的に打ち寄せる波の合間に、少し高い波が来たりすることを言うのかもしれません。だとすれば、宮廷女房と貴族が職務上打ち合わせなどをする時に、冗談で口説いたり口説かれたりしているんですが、桜がきれいだったり、月が明るいと盛り上がりまして、少し本気になったりすることを例えるのかもしれません。不規則に押し寄せる情感というのは、恋情の基本かと思います。
音にきく たかしの浜の 袖の波 濡れもこそすれ うれし恥ずかし(粗忽謹製)
※「たかし」のところを、「あきら」「ひろし」「きよし」などお好みの名前でどうぞ。
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