岩波文庫『百人一首』を読む(70) 良暹法師
70 さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづくもおなじ秋の夕暮 良暹法師
【訳】さびしさに堪えかねて、家を出てじっと見つめると、どこも同じようにさびしい秋の夕暮れ。
【出典】後拾遺集・巻四・秋上・333
題不知
【解釈の要点】
①清少納言は枕草子の冒頭で、四季それぞれの最も魅力的な時を「春は曙」「夏はよる」「秋は夕暮」「冬はつとめて」と端的に提示した。「つとめて」は早朝の意。これは王朝歌人の好みと合致していると言ってよい。
②八代集の範囲で見ると、「秋の夕暮れ」という歌の句は27例、それに対して「春の夕暮」は能因の新古今集・春下116「山里の春の夕暮来て見れば入相の鐘に花ぞ散りける」の一首のみ。「夏の夕暮」「冬の夕暮」の例はない。私撰集では『古今六帖』第六の「小倉山ふもとの野辺の花すすきほのかに見ゆる秋の夕暮」(作者未詳)の一首、私家集では長徳元年(995)九月、陸奥に赴任する藤原実方を送った藤原隆家が「別れ路はいつも嘆きは絶えせぬにいとどわびしき秋の夕暮」(資経本実方朝臣集)と、餞の歌を詠んだことなどが比較的早い作例であろうか。
③良暹自身は洛西の大原に住んでいる時に、藤原国房から後拾遺集・雑三1039「思ひやる心さへこそさびしけれ大原山の秋の夕暮」という歌を送られている。後拾遺集では良暹と国房の二首の他、源時綱・源資通・源顕房室隆子の三人が、秋上302「君なくて荒れたる宿の浅茅生にうづら鳴くなり秋の夕暮」(時綱)、秋下375「年つもる人こそいとど惜しまるれ今日ばかりなる秋の夕暮」(資通)、哀傷554「いかばかりさびしかるらん木枯しの吹きにし宿の秋の夕暮」(右大臣北方=源顕房室)と、いずれも第五句にこの句を置いた歌を詠んでいる。
④このような傾向の先に、新古今集・巻第四・秋歌上の三夕の歌も生まれたのである。
362心なき身にも哀れは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮(西行)
363見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮(藤原定家)
364さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮(寂連)
⑤賀茂真淵の『宇比麻奈備』は、「秋の夕暮と一句にいふ事、古へより古今の頃まではなし。物をかくいひつづめて、一つの名の如くする事は、後世の歌のことせく成て有事也。其後にはかく様にいふをよしとのみ思へり。いにしへ歌のゆたか成をとなへくらべ見よ。くしたる(「屈したる」か)事しらるべし。又春の曙はおもしろく、秋の夕は悲しきはさる事なれど、後の人は有が上にもふか入して、物に泥めり。(中略)余りに深からんとするは、なかなかに浅き心の見ゆる也。此秋の夕ぐれもいささかなづみて聞ゆ」と論評する。それに対して香川景樹の『百首異見』は「こは大原などに住れし時の詠なるべし。これをしも余りに深からんとして浅き心の見ゆといふ方に思ひ落せるは、例の情しらぬ心なりかし」と批判した。
⑥詞花集・雑下361に、「病おもくなり侍りけるころ、雪の降るを見てよめる」として、おぼつかなまだ見ぬ道をしでの山雪ふみわけて越えむとすらん」という良暹の歌がある。源俊頼の『俊頼髄脳』には、上句を「しでの山まだみぬ道をあはれわが」として、死に臨んだ人々の歌を集めた箇所に収められている。
⑦『俊頼髄脳』のおわりの部分に、東三条殿で四条宮(後冷泉天皇の后藤原寛子)の見た夢が「さわがし」、気がかりなものだという理由で盛大な祈祷が行われた際、公卿・殿上人が池に船を浮ばせて船楽を演奏しようとした時に、集まっていた多くの僧の中に良暹がいて、船中の貴族たちに、「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな」と連歌をしかけたが、船を漕ぎ続けて中の島を二廻り廻っても、誰も下句を付けることができなかった。後にこのことを聞いた後冷泉天皇はひどく驚いて、このことは人々の恥ではない、わたしの恥だと言って機嫌を損じた。さらに宇治でこのことを伝え聞いた関白頼通は、源経信などがその場にいなかったために、そのような恥かしいことになったのですと申し上げたという。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、初句の「さびしさに」を「さびしさに堪えかねて」と言葉を補い、二句目の「宿を立ち出でて」は「家を出て」と簡潔に訳し、三句目の「ながむれば」は「じっとみつめると」と訳してあります。「宿」の訳はこれでいいと思いますが、「ながむ」の訳は「周囲を見渡すと」とか「物思いにふけると」のように訳さないとまずいような気がいたします。『百人一首 秀歌撰』(ほるぷ出版1987年)では、訳は同じですが、解説で「ながむれば」を「じっと物思いに沈みながら見つめるとの意」としています。五句の「秋の夕暮」には「さびしい」という補いがしてあります。『百人一首 秀歌撰』ではここが「寂しさがゆきわたっている」という補いになっておりますから、より分かりやすい訳だったと言えるでしょう。
解釈と称する解説部分に関しては、清少納言の枕草子の指摘する四季の魅力が歌人の好みと合致するという導入の①、それを受けて八代集では「夕暮」に関して「秋の夕暮」という表現が圧倒的であることを指摘する②、後拾遺集には良暹のこの歌を含めて五首「秋の夕暮」の歌がありすべて第五句であると指摘する③、その傾向が新古今集の三夕の歌に結実したとする④、これらは今回加筆されたものです。それに対して賀茂真淵が「秋の夕暮」という成句を後世のやり過ぎであると断じて、深みを求めてかえって浅いと難じていることを紹介する⑤は、『必携』から受け継がれたものです。良暹の辞世の歌を紹介する⑥、良暹の仕掛けた連歌に貴族が反応できなかったことで後冷泉天皇が心痛を覚えたという⑦は、今回書き下ろされています。なお、『必携』には、近世の注釈書を引用した次のような一節がありましたが、今回はこれを割愛したようです。割愛した理由は分かりません。
古今集・雑躰の巻頭に見える読人不知の短歌(実は長歌)に、「すみぞめの 夕べになれば ひとりゐて あはれあはれと 嘆きあまり せんすべなみに 庭にいでて たちやすらへば」と歌う。『宇比麻奈備』はこれを引き、「秋の夕べ、宿に居も堪ぬばかりの淋しさに、なぐさむやと、立出て見放るに、いづこのけしきも同じく、淋しき夕暮にざりけるとなり」と言う。これ以前『改観抄』は「立出とはかりそめに庭などに出るにあらず。住捨て出るなり」と論じたが、これは『百首異見』で「とばかり立出てそこら見やりたる也。一時秋夕の淋しきに堪ずとて、俄に家出する人有べきにあらず」と批判された。確かに、今の場合契沖の説は考え過ぎだろうが、昔は飛花落葉を観じて悟り(発心集巻三第三四話)、心地よく穂波の続く門田を見わたして発心した人もいた(同巻一第六話)。秋夕のさびしさに家を捨てる人もいたかもしれない。(『百人一首必携』)
昭和54年(1979)に風間書房から刊行された『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』で著者の桑田明氏は、清少納言の「秋の夕暮」との関連に言及し、清少納言の「秋の夕暮」が「をかし」という興趣であったのに対し、中世における「秋の夕暮」の歌と言うのは「あはれ」の興趣を詠んだものであるという影響関係と変質を解説しています。その変質の転換点にあるのが、今回の良暹法師の「さびしさに」の歌ではないかという指摘をしています。
なお、久保田淳氏が『百人一首必携』で言及しておりますが、「立ち出でて」について契沖が「かりそめに庭などに出るにはあらず、住み捨てて出るなり」と発心による出家のように極論していますが、諸註は支持していません。また、「いづくも同じ」に関しては、四句切れなのかそうでないのかについては、現在でも結論が出ていないようです。そして、この歌の主旨に関しては、宗祇『百人一首抄』の「いづこも又我がこころのほかの事は侍らじ。われからのさびしさにこそと、うちあんじたる心なり」という理解が優れているとされていまして、室内と室外の同一性と言うよりは、詠作主体が自分の内面に思い至るという解釈が支持されているようです。
著者の訳を見ると、「宿を立ち出でてながむれば」は「家を出てじっと見つめると」と訳してありまして、この「眺むれ」を現代語の「眺める」とほぼ同義として処理してあるのが分かります。下の句に関しては、「どこも同じようにさびしい秋の夕暮」と訳しているんですが、その趣旨を著者は特に説明していません。要するに、家の中でも堪え難いほど淋しくて、家を出たものの「秋の夕暮はやはりさびしい」と吐露しまして、結局家の外でも同じ結論に達したというような歌だと解しているようです。
以前取り上げました北原白秋の句意を見ると、「ながむれば」は「方々を見廻すこと」と説明してありまして、訳出では「あちこちと眺めて見たが」というふうに、この「ながむれ」を、これも現代語の「眺める」と同義として処理してあるのが分かります。白秋の訳出を再掲載して、彼が元の歌の表現に対して補ったところを確認すると、「蕭条とした」「なんといふ寂しさの満ちた」ですから、寂しいのでアクションしたけれど結局寂しかったという歌だと理解したことが分かります。
あまりもの淋しいので、家を出て、あちこちと眺めて見たが、やつぱり何所も同じやうに蕭条とした秋景色である。なんといふ寂しさの満ちた夕暮であることよ。(北原白秋『小倉百人一首評釈』)
白秋が粉本とすることの多い佐佐木信綱『百人一首講義』では、句意に関しては「ながむれば」だけが掲示してありまして、「ここは物思ひつつ眺望する意なり」と解説がありますので、「ながむれ」を古語の「眺む」の意味を意識した「物思ひつつ」という表現を加えております。信綱の訳出を参考までに引用してみましょう。信綱は「心をはるけん」ために外出したと明示し、「さしてをかしき事はなく」と秋の夕暮について指摘をしておりまして、これは藤原定家の「花も紅葉もなかりけり」を意識したような解釈なのでしょう。「ながむれば」のところが、「をちこち見わたせば」とあって、句意の説明とかみ合っていない点がやや物足りません。
あまりに物さびしさにたへかねて、心をはるけんと、我宿をたち出で、をちこち見わたせば、ここもかしこも、さしてをかしき事はなく、同じさまにさびしき秋の夕暮のけしきなり。(佐佐木信綱『百人一首講義』)
信綱が粉本とすることの多い尾崎雅嘉『百人一首一夕話』の訳出を、参考までに掲示してみたいと思います。雅嘉の訳はシンプルで、補いも少ないのですが、「ながむれば」は「あちこちを眺め渡せば」とあって、眺める対象を「あちこちを」と明示してありまして、これが信綱や白秋に受け継がれているように見えます。三者とも「淋しき」の類の表現を「秋の夕暮」の前に補っている点も、影響があったとみていいかと思います。
余りに物淋しさに我が宿を出でてあちこちを眺め渡せば、ここもかしこもさして変わる事もなう、同じやうに淋しき秋の夕暮の景色ぞ。(尾崎雅嘉『百人一首一夕話』)
三者を比較すると、信綱の解釈が際立っておりまして、実は近年の注釈はこれらに対して後退しているところがあったりするのであります。元の歌の二句目の「宿」は、雅嘉や信綱は「宿」のままですが、白秋は「家」と訳しています。この「宿」を、「庵」とする注釈が多く、桑田明氏をはじめ近年の注釈書は「庵室」とか「庵」としていますが、これは正しいのでしょうか。いえ、「宿」という古語には、「庵」という意味はないはずです。
後拾遺集』巻第四・秋上 333番
題知らず 良暹法師
寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮
こんな歌があったんでありますね。作者についても、この人一体誰なの?というような感じでありましょう。「良暹法師」の「暹」の字は、学研の『漢和大辞典』によれば、日部12画に出て来る漢字で「太陽がのぼる。また、そののぼる太陽。日の出」の意味なのだそうです。また、読み方も呉音・漢音ともに「セン」となっておりました。今回の岩波文庫もそうですが近代の注釈書などでは、この作者名を「りょうぜん」と濁って呼んでいますが、はたして正しいのか、かなり疑問があります。歌の内容は眺めて見れば考えるまでもなくすぐに分かってしまいまして、印象に残らない可能性があるわけです。ただ、そう言う場合に注意しなければいけないのは、後の時代の先駆けとなった和歌というようなものが、模倣されて目立たないというだけで、実は歴史の中では斬新であったというようなことがあるものです。後の時代には「三夕の歌」などという「秋の夕暮」を詠んだ歌のベストスリーが選ばれたりするわけで、そうした静かなブームの始まりかも知れません。久保田淳氏は、「秋の夕暮」が古今集にはなくて、後拾遺集に五首も出てくることを指摘し、それが新古今集に三夕の歌として結実したと見ているようです。
それから、注意点としては「宿」というのは、基本的には「お邸」または「住まい」のことでありまして、「旅の宿」ではありませんから、その点は注意しないといけないでしょう。これを近年の注釈書は「庵」とするんですが、首をひねります。「宿」には、仮の宿である「庵」の意味はありません。人の身を寄せる建物ですが似て非なるものです。混同して、どうするのでしょうか?
それから三句目の「ながむれば」の「眺む」という動詞は、古語の場合、目的格がはっきりしないと「物思いにふける」というような単語のはずなんですが、皆言葉を補って訳してあります。「あたりを」「外の気色を」「あちこち」というのが補ってありまして、それを捨ててみてもいいのではないでしょうか。そうすると、「いづくも同じ」の意味が変質するような気がいたします。つまり、「庵も外も、どこもかしこも同じ寂しい秋の夕暮れ」とするのが諸注釈の解釈なんですが、それってばかばかしいですよね。季節は秋、時刻は夕暮れだったら、一応日本国内であればもちろん、京都周辺なら、そりゃあどこだってすべからく「秋の夕暮」に決まっているわけです。へそ曲がりだから、おかしいと気が付いたのかもしれません。和歌を訳すときに、言葉を補いさえすれば解釈出来るというのは、幼稚な受験知識みたいな感じがいたします。みなさん、大丈夫なのでありましょうか? いえいえ、ちっとも大丈夫じゃないですね。倒置法でもなさそうだし。何か、違う解釈を見つけ出しそうで、大手柄の予感がします。
寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮
(『百人一首』第70番 良暹法師)
この歌の問題点は、やっぱり二句目の所でありますね。注釈書が「宿」を「庵」と訳す誤りは、作者が法師だからなのでありましょうが、そういう先入観が専門家の構造的な問題であることは、すでに何度か指摘しました。お勉強が好きと言うことは、先入観の塊ですから、大方はそれが役立ちまして、試験などをすいすいとすり抜けてゆくのであります。それで、先生になりまして、通説に従ってご講義などをなさいますので、研究なさる前にすでに解釈がすり込まれた頭脳なのであります。これを免れているのは、若干二十歳くらいで『百人一首講義』を上梓した佐佐木信綱博士でありまして、この方は「庵」などと誤りません。「宿」そのままでありまして、何ら解釈する必要を感じなかったのでしょう。詩人の大岡信さんは、ちゃんと「家」と訳出していまして、センスの問題はあるようです。今回の久保田淳氏も「家」としております。それと、誤訳がいくつもの注釈書で共通するのは、注釈書を出版するシステムにも問題がありそうであります。そのことも、前に指摘しました。
やはり、動詞の解釈が問題でありましょう。「立ち出で(たちいで)」って、現代語にありますか?
微妙でありますね。古典には「いづ」と言う動詞がありまして、これは下二段動詞であります。活用が現代からみると奇妙でありまして、「いで/いで/いづ/いづる/いづれ/いでよ」となるんですが、これが現代語ではどうなったかというと「でる」になるわけで、語頭の「い」がいつのまにか脱落してしまいますね。それでもって、活用が下一段に移行しまして、「で/で/でる/でる/でれ/でろ」となったんであります。そうすると、「たちいづ」という複合動詞は「たちでる」になるはずですが、そんな動詞ありましたか? あれれ、現代語のリストの中からはなくなってしまったのではないでしょうか。少なくとも私の頭には存在しない言葉のような気がします。『日本国語大事典』(第二版)は、「たちいでる」を載せましてこれで「たちいづ」の例を吸収し、「たちでる」はあるにはあるが風前の灯火のような用例しかないのであります。
これは、小学館の『日本国語大辞典』のルールとしては、多少恥ずかしくとも、項目として立てるなら「たちでる」にすべて吸収するべきではないのでしょうか? みなさん、知恵は絞った後ですから、野次馬の意見であることはもとよりご承知の上のこと。まあ、ともかく、今ない動詞ですから、ニュアンスが分からないのでありますね。何となく辞書などを参考にすると、今までいた場所から「きっぱり」立ち去る、というのが一般的で、あとは自然現象で雲などが「ひょっこり」現われることかと思います。割と、突然の行動というか、急な自然現象というか、その行動や現象が目立つ場合に使われる言葉なのかもしれません。契沖のように「住み捨てて出るなり」のほうが正解の可能性があるでしょう。
さて、そろそろ思ったことを述べてみたいと思います。へそ曲がりの私が今思いつきで考えて見ると、この歌には恋の歌の匂いがいたしまして、その上での秋の歌でありましょう。
まず、「秋の夕暮」というのが、男が女のもとに通う時間帯でありまして、秋になると日没が早まり、つまり女の待つ時間が長くなるのであります。男から言うと、相手を待たせることが多くなるということです。そして、これは古典の常道でありますが、「秋」には「飽き」を掛けまして、二人の恋愛が倦怠期に至っていることを暗示いたします。もしくはもう別れを覚悟する時期が来たことを意味するんであります。さらに、「ながむ(眺む)」というのは、遠くを見る目でぼんやりすることでありまして、恋の物思いを暗示しますから、「ながむれば」というのは「見渡せば」とはまったく違うのであります。作者が男性で、それも仏門の人であるということをあえて外してみると、これは訪問の途絶えがちな男を待つ女性の歌になるわけです。そしてその上で、あえて言いにくいことを言うならば、僧侶には昔から男色の伝統がありますから、住職が寵愛の稚児などを待つとすると成立してしまいます。さらに、「いづく」というのは「どこ」というのが普通の訳ですが「誰・どなた」と人を指す用法もあるんですね。以上を踏まえて、試みの訳を提示すると、
来ないあの人を待って寂しさに自らの家を後にして、宮仕え先で物思いにふけると、どの女房も私と同じ殿方に飽きられて憂鬱な境遇に沈んでいるかもしれない秋の夕暮れよ。(粗忽謹訳)
〔語釈〕〇宿……家。住まい。お邸。〇立ち出でて……きっぱりと後にして。ぱっと離れて。〇ながむれば……物思いにふけると。恋の悩みに沈んでいると。〇いづく……どの方も。どの人も。〇同じ……同じ境遇の。〇秋……「飽き」を掛ける。
と、見事に恋の歌に大変身でありますね。『百人一首』第9番の小野小町の「花の色は」の歌に劣らない、妖しい歌に変身であります。これは、掛け値なしの大手柄かもしれません。そして、それを秋の部に配置するからいいわけであります。作者の詠作意図は別にして、藤原定家さんなら気が付いていたはずでありましょう。純粋な寂しい叙景歌ではなくて、恋の情趣に満ち溢れた季節感を詠んだ歌であります。地名というか歌枕に依拠しない、内面の「秋」を追求した歌なのであります。新古今集などの主流になった、余情妖艶の歌の先駆けではないかと思います。とは言うものの、私自身は「余情妖艶」という言葉の意味もよく分かっておりませんし、こういう主張に何の根拠もありませんので、無視していただいて結構です。ただ、表現そのものを吟味したら、叙景歌とは見えない側面が多すぎることを指摘したいのです。
以上を踏まえて、注釈書をとくとご覧あれ。それらの杜撰さと、そして無難さに、きっと驚くことでしょう。ただし、ここで施した解釈を試験で書いたり、リポートにして出すと大幅減点は免れませんので、自己責任でお願い致します。それからまた、こんな解釈を剽窃しても、後で損をするばかりですので、どうか忘れていただきたいものです。なお、こうした見解は2012年ころにブログに掲載しておりましたので、気が付いた方は気が付いていたかもということを申し述べておきます。
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