岩波文庫『百人一首』を読む(57) 紫式部
57 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜はの月影 紫式部
【訳】空を行きめぐり、それかともはっきりと見定めないうちに、雲の中に隠れてしまった夜半の月――ちょうどそのように、たまたま出会ったのが本当に幼友達のあなたなのか、定かに見分けられないうちに、あなたは姿を隠してしまいましたね。
【出典】新古今集・巻十六・雑上・1499
早くよりわらは友だちに侍ける人の、年ごろ経てゆきあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほひて帰り侍ければ
【解釈の要点】
①『紫式部集』は自撰家集と考えられるが、この歌はその巻頭歌である。新古今集の詞書は『紫式部集』のそれとほとんど同じで、撰者たちがそのまま伝えようと努めた。ただし、家集では「十月十日」とする。香川景樹『百首異見』が「家集に十月とあるは七月の誤写なるべし」と述べ、家集での次の歌との関連によって「七月十日」が正しいとする説がある。実践女子大学本『紫式部集』では、この巻頭歌と次の歌の間に一行分の空白があり、脱文かもしれない。
②詞書の「年ごろ」は、多くの年。「月にきほひて」は、沈もうとする月と競争するかのように。「めぐり逢ひて」の「めぐり」は、月が天空を運行することから、「月影」の縁語。「わかぬまに」は、底本「宮内庁書陵部蔵堯孝筆」では「しらぬまに」。冷泉家時雨亭文庫本『百人一首』や新古今集によって改めた。「くもがくれにし」の雲は「月影」の縁語。「月影」は月の光。また単に月を意味する。家集の陽明文庫本では「月かな」。
③拾遺集・雑上470に「忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月のめぐりあふまで」の歌を、「橘忠幹が人のむすめにしのびて物言ひ侍ける頃、遠きところにまかり侍とて、この女のもとに言ひつかはしける」と詞書を付して収める。『拾遺抄』巻第十・雑下528にも採られているが、その詞書では「人のむすめ」ではなく、「人のめ」とする。同じ歌は『伊勢物語』11段に「昔、男、あづまへ行きけるに、友だちどもに、道よりいひおこせける」として載せられた。橘忠幹は長盛の子で、駿河介になったが、天暦九年(955)賊に殺されたという。下河辺長流『三奥抄』は「伊勢物語に」として、紫式部がこの歌を本歌にしたと考え、契沖『改観抄』はただ「本歌」として挙げる。賀茂真淵『宇比麻奈備』や香川景樹『百首異見』では、「忘るなよ」の歌に言及しない。紫式部がこの歌を知っており、意識してもいたであろう。
④『紫式部集』で巻頭歌なのは、相当大切な歌であることを意味する。新古今集・離別859には、「あさからず契りける人の、行き別れ侍けるに」という詞書を付して、同性の友と交わした「北へゆく雁のつばさに言つてよ雲のうは書きかき絶えずして」という歌がある。この歌を『紫式部集』の中で読むと、手紙の上書きに紫式部が「姉君」と書き、相手も彼女のことを「中の君」と書いて文通していた。この友との贈答歌で「行きめぐり」という言葉が用いられている。「北へゆく」の歌に対する返歌として、家集は「返しは西の海の人なり 行きめぐり誰も都に帰る山いつはたと聞くほどの遥けさ」という詠を掲げ、次に「津の国といふ所よりおこせたりける 難波潟むれたる鳥のもろともに立ちゐるものと思はましかば」の歌があって、「かへし」の文字はあるが、その先に本文の欠脱があるらしい。
⑤藤原為氏は『続拾遺集』を撰進する際に、この「難波潟」の歌を「津の国にまかれりける時、都なる女友達のもとにつかはしける 紫式部」として雑上1123に採った。「つかはしける」は方向が逆である。「おこせたりける」の主語は「西の海の人」で、紫式部の返歌が脱落したのだろう。
⑥『紫式部集』は、「筑紫に肥前といふ所より文おこせたるを、いと遥かなる所にて見けり、その返りごとに 逢ひ見むと思ふ心は松浦なる鏡の神や空に見るらん 返し、又の年持て来たり 行きめぐり逢ふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るとか知る」と続く。この「逢ひ見むと」の歌を藤原為定が、「浅からず頼めたる男の、心ならず肥前国へまかりて侍りけるが、便りにつけて文おこせて侍りける返事に 紫式部」として『新千載集』恋二1231に採ったのは、彼女の夫藤原宣孝への返事と考えたのである。しかし、「行きめぐり」の返歌をよこした「西の海の人」と読むこともできそうだ。
⑦「めぐり逢ひて」の「わらは友達」も、西国に下ったというこの「姉君」ではなかっただろうか。「めぐり逢ひて」も「北へゆく」も、同性の共に執着を抱く紫式部の素顔がのぞいている。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、まず月の歌として訳した上で、詞書に従って友人との短い再会の歌として訳してあります。上の句の「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に」は、「空を行きめぐり、それかともはっきりと見定めないうちに」「出会ったのが本当に幼友達のあなたなのか、さだかに見分けられないうちに」と訳してありまして、「見しやそれ」の「や」を疑問の係助詞として訳していると見受けられます。代名詞の「それ」は通説に従って「月」「幼友達のあなた」を指すとして、訳出してあります。
解釈と称する解説部分に関しては、詞書の日付が新古今集では「七月十日」なのに家集では「十月十日」となっている問題を扱う①、語句や修辞の説明と底本の異同について触れて校訂したことを提示する②は、ほぼ書き加えられたものです。『必携』では「月影」「月かな」の異同については、市販されているかるたが「月かな」となっていることを指摘していました。本歌と目される「忘るなよ」の歌に関する考証の③は、『必携』にもありましたが、今回の解説では『伊勢物語』にもあることなど詳しくなっています。『紫式部集』の中から関連する歌を検討して、「めぐり逢ひて」の歌の背景を探る④⑦も『必携』から受け継がれたものですが、それらの歌の後世の勅撰集における扱いの杜撰な点を考証する⑤⑥は、「めぐり逢ひて」の解釈にも影響がありますので、非常に重要な指摘を含んでいます。
まず、この歌の大切なポイントは、「見しや」の「や」が、「~するやいなや」という意味の即時の用法の間投助詞でありまして、従来の注釈書は概ねこの「や」を係助詞と解いて、存在しない結びの言葉を補うようです。著者も、「や」を係助詞とみなし、「それ」を「月」や「幼友達」と解釈していますが、即時の用法には気付かなかったようです。「それともわかぬ間に」という部分を省略して、即時の用法が分かるように提示してみます。
めぐりあひて 見しや 雲隠れにし 夜半の月影(粗忽による改造)
(訳)再会したと同時に、雲に紛れて見えなくなった夜半の月。
「逢ひて」は、あくまでも旧友との関係から出た言葉ですが、「めぐり」「雲隠れ」「夜はの月影」は縁語でありますから、この縁語を旧友に関する言葉に置き換えてみると、次のようになって、主題が露わになることでしょう。
あひて 見しや 帰りにし 早くよりの童友だち(粗忽の第二次改造)
(訳)会うと同時に、帰ってしまった幼馴染。
こうして、「めぐり」「雲隠れ」「夜はの月影」という縁語を詞書に従って置換すると、友達との再会という主題が出てくるわけで、「見しや」の「し」は、「帰りにし」の「し」と連動しているだけで、直接体験した旧友との再会と別れを過去の時制で表現しただけだと理解できるでしょう。そして、最後に決め手でありますが、「それともわかぬ間に」の「それ」は「月」や「友だち」を指すのではなくて、直前の「めぐりあひて見し」を受けるもので、言い換えると「めぐりあひて見しともわかぬ間に」というだけのことでありまして、これは「~するやいなや」の「いなや」に相当する部分と考えればいいわけです。「再会した気がしない」と述べただけです。この省略部分を「いなや」と改めて戻すと、次のようになります。
あひて 見しやいなや 帰りにし 早くよりの童友だち(粗忽の第三次改造)
(訳)会うやいなや、すぐに帰ってしまった幼馴染。
「それ」という指示語の内容を、和歌の後半に出て来る「夜はの月影」としたり、詞書の「童友だち」とみなしたりしたことが従来の誤りでありまして、「それ」は、その直前の「めぐりあひて見し」という部分だっただけのことであります。そして、「や」の即時用法を使った、大胆な構文の歌であることが従来読み解けなかったまま、みなさん四苦八苦してきただけのことでしょう。最後のトドメとして、「それ」を私の考える指示内容に置換えて、最終的な解釈を提示してみましょう。
あひて見しや あひて見しともわかぬまに 帰りにし 早くよりの童友だちかな(粗忽の第四次改造)
(訳)会ったと思ったら 会ったとも思わぬうちに すぐに帰ってしまった幼馴染であることよ。
この歌の問題点は二句目・三句目の「見しやそれともわかぬまに」の解釈であります。具体的に言うと「や」の文法的な意味が何なのかということと、「それ」が何を指すのかということであります。たとえば北原白秋は、「たしかその人かどうか明かに見分けないうちに」と訳しまして、句意のところで「見たが、それであるかどうか、はつきり顔の見分けのつかぬに」としておりますから、曖昧なところはありますが、「や」は疑問と考え、「それ」は友人の顔なのであります。『百人一首一夕話』は、「その人とも思ひ定めぬ間に」とか「その人かと見分けぬ間に」としていますから、「それ」は「その人」すなわち幼馴染の人なのでありましょう。『百人一首講義』は、該当部分を次のように敷衍して解釈し、さらに語句の解説をしております。
〇その見たる人は、むかしのかの人にてはありしか、はたあらぬか、いまだ慥かに思ひわかぬばかりなるに、(『百人一首講義』)
〇見しやそれともの見しは、まさしくその人ならんかともといふ意にて、やはうたがひの詞なり。(『百人一首講義』)
こうした解釈や文法解析は、近年でも受け継がれておりまして、次のような見解が代表的かと思います。
〇見しやそれとも 見たのがそれであるのかとも、の意。「それ」は表面上は月、裏は友達を指している。「や」は疑問の係助詞。〇わかぬ間に 見分けがつかないうちに。(有吉保『百人一首全訳注』講談社学術文庫)
〇「や」は疑問の係助詞。「それ」も表面は月を指し、下には友だちを指していう。「分かぬ」は区別できない、はっきりしないの意。現代語訳「いま見たのはその人かどうか見分けがつかない間に」(島津忠夫『新版百人一首』角川ソフィア文庫)
こんなふうに従来ずっと解釈され続けております。今回の著者の久保田淳氏も、そうした解釈を支持していると考えてよいでしょう。
一言皮肉を言いますと、昔からの幼馴染みの顔が区別できないという解釈を、白秋も含めて誰もがしているんですけれども、「友達の顔が判別できない」というのは、言ってみれば「雲間に見えたのが月かどうか分からない」ということでありまして、ほとんどナンセンスというか、滑稽な解釈に陥っているんですが、自覚あるんでしょうか。たぶん、自覚なんてさらさらないことでしょう。ちなみに、詞書を見ると「早くより童友達」というのは、昔から幼馴染でいいんですが、「年頃経て」というのは、せいぜい二三年の事を言っているはずなんです。久保田淳氏は「多くの年」と解説しますが、疑問です。ここは、何十年も会っていない老人の事じゃないので、顔の判別が付かないというのは、あり得ないんですが、その点何か反論はございますか?
こんな有名な歌を、こんなふうに誤解して来たというところに、闇があるのかも知れません。ともかく、この歌の意味をじっくりと語って見たいと思います。
『新古今集』巻第十六・雑上 1497番
早くよりわらはともだちに侍りける人の年ごろへて
行きあひたる、ほのかにて七月十日ごろ、月にきほひて
かへり侍りければ 紫式部
めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
さて、二句目に見える「や」は、すでに申し上げた通り即時を表す間投助詞の用法で、おそらく諸注釈が言う係助詞ではないと思います。係助詞とするために下になにか連体形結びの省略語句を補うんですが、そういう処置は誤りと考えてよいでしょう。この歌では「見しや」「雲隠れにし」とつなげまして、「見たとたんに雲隠れしてしまった」と解釈するのがいいはずです。というか、そういう構文に気付かないのが問題です。詞書に「月にきほひてかへり」とあるように、逢うや否や帰途に就いたことを表現したに過ぎない、非常に分かりやすい歌です。「それとも分かぬ間に」は相手ともっと旧交を温めたかったのにそれがかなわなかったことを、「幼馴染と出会ったのだとも意識出来ぬうちに」と表現したものでなければなりません。
歌だけ見ておりますと、お月様の歌なのであります。これが、『新古今和歌集』には、詞書きがついて入集しているわけですが、そうすると「月」は友人と言いますか、幼なじみの女友達を例えたものであると言うことが分かりまして、久し振りの再会の気分を巧みに表現したことが分かるのであります。歌の眼目は二句目にあるのでしょうが、現代語の感覚で理解しようとしてしまうと、ちょっとずれるところがあるのであります。改めて指摘しますが、「それとも」の部分が曲者なので、ここを慎重に理解する必要があるんです。「それ」というのが、指示名詞ですから「ああお月さんだ」とか「ああ友達だ」ということになってしまうのは、仕方ないと言えば言えるんですが、この「それ」が月や友人を指しているとすると、「見たものを月と分からず、逢った人も友人とは判断が付かなかった」という解釈に落ち着きます。これは詞書と矛盾します。
巡り合ったのは「月」であり「友人」で間違いないのでありまして、詞書には「行きあひたる、ほのかにて」とあるので、月を見た時間、友人と会った時間がすれ違いほどの「ほのか」なものなのです。
注釈書の類を見ますと、二句目の所については、だいたい共通しているようであります。「や」を疑問の係助詞とするんですが、そうなると結びの連体形というのが見当たらないわけで、おやおや、一体どうなさるのか、と思っていると、これを「見し月やそれなる」だなどと書いている注釈書まであるんですね。「見たのは月かどうか」などと訳しておりまして、それを「今見たのはその人かどうか」というふうに、詞書きに出て来る幼なじみの話題に引きつけるんです。問題の所在は、おそらく「分かぬ」の「分く」という動詞の理解にあるようで、勘所だけ言うと、「それとも分かぬ」というのは、これでイディオムのはずなんですね。「はっきりしない」「判断が付かない」という意味のはずなんです。だから、「や」を係助詞だと言っておきながら、なんとなく全訳のなかに「それ」を含んだこのイディオムの訳を交えて訳している注釈書が多いのであります。この歌は、「めぐり逢ひて見しや、雲隠れにし」とつながるわけで、「や」は間投助詞の用法で、即時を表していると見ると、歌全体が躍動感に溢れますね。「見るやいなや、いなくなった」ということであります。
「それとも分かぬ」という慣用句を見落とすと言うことは、まか不思議。ほんとにおかしなことです。つまり、「それ」というのは、和歌の中の言葉で言うなら歌の冒頭の「めぐり逢ひて見し」でありまして、訳すなら、「再会した」「久しぶりに顔を見た」ということのはずです。ですから、「それとも分かぬ」は、具体化するなら「再会したという実感もない」「久しぶりに顔を見た気もしない」という意味です。「それとも分かぬ」という表現だけに、「それとは気付かなかった」という洒落がふさわしい状況ということです。「それ」という指示代名詞が名詞を指すこともありますが、物事と言いますか文節を受けることだってあるわけです。
それをだに 思ふこととて 我が宿を 見きとないひそ 人の聞かくに
(古今集・巻十五・恋五811)
紫式部の歌が分かったら、有名な「ほととぎす 鳴くや五月の」と言う歌の構造も解けた気がいたします。
『古今集』巻第十一・恋一 469番
題知らず 詠み人知らず
ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ 菖蒲も知らぬ 恋もするかな
「鳴くや」「恋もする」というのは、相手の声を聞くやいなや恋に落ちたことを言い、「あやめも知らぬ」が「道理も何もない」ということで、恋に落ちた不可思議さを掛詞で表現したのでありましょう。「あやめ」は「菖蒲」と「綾目」を掛けております。通常は初句から三句目までの「ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ」までが「菖蒲・綾目」を導く序詞ということになっておりますが、それでは「鳴くや」が序詞の中でどういう役割かあやふやでありましょう。「鳴くや」「恋もする」という流れだと、ここに「鳴くやいなや恋もする」という、瞬時に恋に落ちるという面白さが加わって「綾目も知らぬ」が意味を成すはずです。紫式部の歌で、底本が三句目を「しらぬまに」とあるのは偶然ではなさそうです。
フレッシュマン 呼ぶやイタ飯 レストラン レシピも知らぬ 恋もするかな(粗忽)
社会人 話すや五月の 歓迎会 マニュアルなしの 恋もするかな(粗忽)
人柄を 知るや新人 語り草 上司も知らぬ 恋もするかな(粗忽)
名歌ほどにはまとまりません。どのような意味なのかは、作った本人もわきまえていないところが最大の欠点でございます。正しい正しいと叫んでも、これでは説得力がガタ落ちでございましょうか。しかしながら、むしろその方が愛敬があって、お後がよろしいようで。 本当に正しいとしたら、ほぼすべての従来の注釈を否定することになってしまうわけですから、大変なことです。私の勘違い、思い込み、早とちりであることを、心より祈っております。そうは言っても、下手な腰折れだけでは恥ずかしいので、源氏物語に引き付けて、古今集の歌をパロディにしたいと思います。「ほととぎす」はいろんなお邸をのぞき見して出歩く貴公子すなわち光源氏、「あやめぐさ」は端午の節句に薬玉にする香り高い植物ですが、当然美女のことでありまして、夕顔あたりを想定するのが筋でありましょう。
光る君 訪ふや五条の 謎の女 理もなく 恋もするかな(粗忽謹製)
ひかるきみ とふやごでうの なぞのひと ことわりもなく こひもするかな
(訳)光源氏の君は、京の五条の謎の女性にお声をお掛けになるやいなや、理性の歯止めも効かずに、恋に落ちられたことですねえ。
2012年の段階では、諸注釈が誤っているという確信だけがあって、それを具体的に指摘するところが弱かったと思います。白秋の評釈によって、彼が紫式部の歌の本質を捉まえながら、粉本の解説に惑っていることが何となく分かりました。2023年のころに、ブログをアップデートした際にも、「それ」の具体化を私自身誤っていて、「月」とか「友人」とか、従来の注釈書の解釈に引き寄せられていたのであります。著者の久保田淳氏も、従来の説を疑うことなく踏襲しております。しかしながら、「それとも分かぬ」の「それ」は、明らかにその直前の「めぐりあひて見し」でありまして、要するに紫式部の歌の上三句は、「見しやいなや」と言っているに過ぎないのであります。
そうそう、言い忘れたことがございましたので、この際ということで付け加えてみたいと思います。この歌は、紫式部の歌なんでありますけれども、実は源氏物語と非常に密接で問題をはらんでいるように思います。源氏物語に「雲隠」の巻というのがありまして、それは「幻」の巻と「匂宮」の巻の間に位置するのでありますが、現行の源氏物語普及版(例えば小学館の新全集とか、岩波の新大系とか、新潮社の古典集成など)では、ちゃんと「幻」と「匂宮」の間に出て来るのであります。これを一巻とすると、実は源氏物語は55巻仕立てになるのでありまして、「雲隠」の巻は源氏物語全55帖の42巻目に位置するはずであります。
そこまで言うと、実は泡を吹く人が出てくるわけで、どういうことかというと学校教育などでは、源氏物語は全54帖と教わるからであります。しかしながら、「雲隠」の巻を一巻とカウントすると、あの物語の現行本は全55帖なのであります。しかしながら、泡を吹く人が出て来るのは当然で、この巻は巻の名前だけで、本文は一行も存在しないからです。しかし、一行も存在しない「雲隠」の巻は、先ほど紹介した普及版の新全集、新大系、古典集成にはちゃんと出て来るはずです。例えば、与謝野晶子の『源氏物語』の文庫本(今は角川ソフィア文庫)でも出て来るはずで、旧版ではどういうわけか御影石の墓石のイラストが添えられておりましたが、今でもそうなのでしょうか。新しい版を見ていないので、実はよく分からないのですけれども、旧版は、「雲隠」を光源氏の死と捉えている通説に乗る形で、墓石のイラストを掲載していたのであります。
その墓石のイラストを、私はとても興味深いと感じると言いますか、あほくさいと思うと言いましょうか、間違っていると思うのであります。源氏物語の冒頭、「桐壷」の巻は例の長恨歌を踏まえて、帝の桐壷更衣への寵愛を描いているんですが、光源氏が最期に登場する第41帖の「幻」の巻では、光源氏が逝去した紫の上に逢いたくて、「大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂(たま)の行く方たづねよ」(大空を自由に行き来する幻術士よ。夢にさえ姿の見えない紫の上の魂の行方を捜しておくれ)と詠んでおりまして、これも長恨歌の後半をモチーフとしているわけです。だとすると、「雲隠」の巻の意味するところは簡単でありまして、光源氏は紫の上の幻を見るんですが、それは一瞬のことで、「それともわかぬ間に」幻は姿を消しまして、光源氏はますます悲嘆にくれてしまう、という結末なのであります。そうなると、もうほとんど長恨歌の焼き直しなので、勘のいい読者にはご自身の脳裡で物語を創造してくれていいですよ、というサインが「雲隠れ」という巻名のはずです。
源氏物語の光源氏を主役とする物語は、こうして文字でしたためられた41帖と、タイトルのみが知られた「雲隠」の巻1帖、合計42帖で構成されていたのであります。第42帖があると思って読もうとすると、すぐに次の巻になるわけで、第42帖そのものが雲隠れするという趣向なのでしょう。紫式部は人口に膾炙した「めぐりあひて」の歌を使って、最後に読者を煙に巻いたというか、雲隠れの術を使ったのであります。以上です。
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