岩波文庫『百人一首』を読む(56) 和泉式部

56  あらざらんこの世の外の思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな  和泉式部


【訳】こんなに病が重いのですから、わたしはきっと死んでしまうでしょう。来世での思い出として、もう一度あなたにお逢いしとうございます。

【出典】後拾遺集・巻十三・恋三・763

   心地例ならず侍りけるころ、人のもとにつかはしける


【解釈の要点】

①底本は56の歌と57の作者名を誤ってとばし、行間に細字で、歌は片仮名交りに補う。ここでは、片仮名を平仮名に改める。

②榊原本『和泉式部集』の詞書「ここちあしきころ、人に」によって、「例ならず」がここでは「あしき」を意味することがわかる。生命の危険を感ずる病気になっていたのであろう。

③下河辺長流の『三奥抄』が、『文選』陸士衡の「歎逝賦」の終り近く、「精浮神淪、忽在世表、寤大暮之同寐」の部分を引き、「世のほかは、此本をおもひて、よめるなり」と断じ、契沖『改観抄』も同じ部分を引き、「あらざらん此世の外、めづらしくよめり」と評する。賀茂真淵『宇比麻奈備』、香川景樹『百首異見』とも、「歎逝賦」には言及しない。和泉式部が『文選』に親しんだか否かは何とも言い難い。

④名詞としての「思ひ出」は、古今集・賀346「わが齢君が八千代に取りそへてとどめおきては思出でにせよ」(読人不知)が早い例か。拾遺集・別350「思出でもなきふるさとの山なれど隠れゆくはたあはれなりけり」(弓削嘉言)の歌は長徳二年(996)の藤原伊周の配流に関係するから、和泉式部の時代とほぼ同じ頃の詠である。賀茂真淵『宇比麻奈備』は「おもひ出とは、さきによき事の有りしを、後に思ひ出て、身のむかしかかる事も有しぞとおもひなぐさみとすること也」という。思い出を昔体験したよいこと、嬉しかったことなどに限定するのはどうかと思うが、万葉集で思い出す対象は、たとえば巻十一2521「かきつはた丹つらふ君をゆくりなく思ひ出でつつ嘆きつるかも」(作者未詳)のように、専ら恋人であるから、来世での思い出に恋人と逢うことを願うのは極めて自然な感情である。

⑤「いまひとたびの」の句は、26貞信公の歌にもあった。『和泉式部日記』では帥宮敦道親王が石山詣でをした和泉式部に「あさましや法の山路に入りさして都の方へ誰さそひけん」と言い送ったのに対して、彼女は「山を出でて暗き道にぞ辿り来し今ひとたびの逢ふことにより」と返した。

⑥「あらざらん」の歌は自らの死を思う歌であった。しかし、彼女はその生涯を通じて、深く愛した何人かの人々との愛別離苦の悲しみに遭わねばならなかった。帥宮敦道親王の死後の作品群は、悲しみを沈めて歌われ、情念の強さを訴えかけてくる。和泉式部集と新古今・冬824「のべ見れば尾花がもとの思草かれゆく程になりぞしにける」は万葉集・巻十2270「道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ」(作者未詳)が下にあるが、枯れ薄の根元の小さな花を見つめている孤独な女の姿が浮かび上がる。これは『和漢朗詠集』の「無常」に載る「観身岸額離根草、論命江頭不繋舟」の訓読文を一字ずつ歌頭に詠み入れた連作群の一首。帥宮挽歌群に属する。

⑦悲しみをそのまま声にした哀傷歌もある。和泉式部集「とどめおきて誰をあはれと思ひけん子はまさるらん子はまさりけり」。後拾遺集・哀傷568では三句目「思ふらん」。これは娘の小式部の内侍が男子を出産後夭折した時、主君上東門院から供養経の表紙にするためと、なき娘の唐衣を求められて献上する際に添えた歌である。自然の感情をそのままに吐露して、深い共感をさそわれる。

⑧『紫式部日記』で紫式部は歌人としての和泉式部を評して次のように記す。「歌はいとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの目にとまる、よみそへ侍り。それだに、人のよみたらむ歌、難じことわりゐたらんは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌のよまるるなめりとぞ見えたるすぢに侍るかし。恥づかしげの歌よみやとはおぼえ侍らず」。『俊頼髄脳』で藤原公任が激賞したと伝えられる和泉式部集・後拾遺集・恋二691「津の国のこやとも人をいふべきにひまこそなけれ蘆の八重葺き」の歌はその例であろう。歌人としての天性が備わっている。


【蛇足】

さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、初句切れの歌と見ていたようで、「あらざらん」を「こんなに病が重いのですから、私はきっと死んでしまうでしょう」と、詞書の「心地例ならず」を補って訳してあります。ただ、直訳すると「病が癒えて生き続けることはないだろう」とか「元気になることはないだろう」くらいではないかと思います。「私は死ぬだろう」と「生きられそうもない」は内容は同じですが、「あり」もしくは「あらず」を「死ぬ」「はかなくなる」とは区別したほうがいいような気もいたします。「逢ふこともがな」は、「逢うことがあるといいなあ」ですから、「逢いたい」ということですので、「あなたにお逢いしとうございます」という訳でよいと思います。

解釈と称する解説部分に関しては、③の契沖の『改観抄』の引用と④の『宇比麻奈備』の引用部分が共通するほかは、ほぼ全面的に書き改められていました。『必携』では、「あらざらむこの世のほか」について香川景樹の『百首異見』を引用していましたので、初句が二句目を修飾する強調表現の解説になっておりました。また『必携』では、三句目の「思ひ出でに」が「おもひでに」なのか「おもひいでに」なのかを吟味しつつ、真淵の「思ひ出」は「よき事をなぐさみとする」という説とそれに対する景樹の否定を考証していましたが、景樹の意見はそこでも極論と退けていましたので、今回は景樹の意見を省いたようです。①は底本に瑕瑾があることを解説し、②は後拾遺集の詞書の「心地例ならず」を『和泉式部集』によって病気と結論付け、③は初句二句を長流や契沖が『文選』によるとする説を紹介し、④は「思ひで」についての考証です。⑤は四句目の「いまひとたび」という表現が『和泉式部日記』にあることを指摘し、⑥⑦は和泉式部の死に関する歌の傾向を考察し、⑧は同時代人の紫式部による和泉式部の歌人としての評価を紹介しています。


この歌を初句切れではないかとするのは、『小倉百人一首新釈』(白楊社、1954年刊)でありまして、犬養廉氏との共著ということになっておりますが、作者伝以外の執筆者は小高敏郎氏のようです。その鑑賞の項目で「初句の『あらざらむ』はここで切れるので、単に『此の世の外』の修飾に止まらず、『間もなく死んでしまうだろう』と吾が身の行末に思いをはせた感じが出ている、次いでまた第三句で切れるから、歌に流麗なところは乏しくなるが、反面強さが出て来て、はげしい恋情のこもった歌である」とありまして、この場合の「第三句で切れる」が何を意味しているのか実はよく分かりません。ほとんどの注釈者は、二句目に掛かるものと説明しておりますから、著者の久保田淳氏はあえて通説を否定したことになるでしょう。


昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』は、初句の「あらざらむ」を同様の表現を持つ歌と比較して初句切れではないと結論付け、初二句は「死んだあの世での」という来世を詠んだとしています。その上で和泉式部の歌から、彼女の来世観を導き出し、厭離穢土欣求浄土の気持は持ちながらも、この世の愛欲が来世は妄執となって、思い悩むことだろうと覚悟していたことを明らかにしました。また、こうした考えが長恨歌の影響を受けていると考え、来世に期待せずに今生での逢瀬を切望する気持に理解を示しています。長恨歌の末尾には、「天長地久有時尽、此恨綿々無絶期」とあり、愛欲の絆を結んだものが生々世々に離恨を解くことが出来ないと述べていました。この歌が長恨歌に影響を受けて、今生に契りを結んだ愛人と二世を誓っても所詮遂げられないという来世観であると見ると、「あらざらむ」の歌の、来世における今生の思い出に今一度の逢瀬を願う気持ちの哀切さが理解できます。なお、この歌と長恨歌を結び付けた言説はざっと注釈書を見渡したところではありませんが、長恨歌の末尾の句の内容は和泉式部の歌の内容と齟齬がないように感じますので、大変なお手柄かもしれません。


古典に於ける最高の女流歌人と言えば、もちろん和泉式部であります。その和泉式部と敦道親王という皇子様とのダブル不倫を描いたのが『和泉式部日記』です。若い日の私は、ああなるほど、そういうことか、と冷静に読めたんですけれども、どうもお年を召した大学の先生方はそうは行かなかったようでありまして、いろんな意味で興奮なさる要素があったようです。身分に差がある場合の恋愛の深まり方に、特に学問的に興味深い点があるのでありましょう。今の私は、あの先生方と同じくらいの老人になりましたが、今も不倫を描く日記の内容に何も感じません。ともかく歌のうまさと美貌で、宮廷社会の華であった人であります。こんな人生最後の思い出に逢いに来てというような歌をもらったら、大概の男性は喜ぶでしょう。


宮内庁書陵部の堯孝本『百人一首』は、百人一首の最も古い善本と言うことで、世に出ているものでありますが、よく見るとトラブルが起きておりまして、書写の誤りがあるのであります。久保田淳氏も指摘しております。和泉式部の名前の後に、紫式部の歌が書いてありまして、仕方なく抜けている和泉式部の歌と、紫式部の作者名を細字で補っているのであります。和泉式部の歌は「アラサランコノ世ノ外ノオモヒ出ニイマヒトタヒノアフコトモカナ」と片仮名漢字交じりでありまして、「世」という字を比較すると、筆遣いからして別人の補いのようでありまして、ああ、書き損じたのかと誰かが気が付いたわけです。本人が気が付いていたら、ここで破り捨てて、もう一度書くのじゃありませんか。粗忽な人間ならよくあること、私のしたことなら驚くに値しません。しかし、古典の本となると、この瑕疵は非常にまずいことであります。それにしても、それより古い『百人一首』の善本が出て来ない、というのは本当でしょうか。  


三句目から後は平凡な表現です。全体が平凡な表現なんだけれども、特に、「思い出に」から後が、とてつもなくありふれた表現なのであります。では、類歌がたくさんあるのかというと、そんなことは無くて、案外誰かの歌を本歌取りしたのでもなく、さして本歌取りされてもいないのであります。個性的には見えないのに、模倣もしていないし追随するものも少ない、というところにこの歌の秘密があるのでしょう。調べる腕力があまりないので、『新編国歌大観』第一巻勅撰集編の索引を引いてみての感想です。


さて、この歌の問題点は、「この世のほかの」という二句目にすべて掛かっているような気がいたします。北原白秋は、「後世又来世の事」と指摘しておりまして、それでいいと思いますが、佐佐木信綱『百人一首講義』は不思議なことに、「この世の外は、すなはちかの未来の世をいへり」と淡白に理解し、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』も「この世の外の先の世にて」とあるだけで、特に何も問題を考えていないふしがあります。近代の数冊の注釈書を見た限りでも、この歌の背景に仏教があると指摘するものが無いのですが、それでいいんでしょうか。桑田明氏のアプローチは数少ない例ということなのです。


普通の日本人の死生観では、実は死んだら終わりでありまして、この世以外の所など考えないのであります。そんなわけない、と思う方は、熱心な仏教徒やキリスト教徒、もしくは新興宗教かぶれのお目出度い方たちであります。普通には、死にたがっている人がいると、一生懸命「死んじゃだめだよ」って引き留めているはずです。今日本人は、「天国に行く」などと言いますけれども、仏教でもキリスト教でもない、さらに神道でもないような、ふわふわした「天国」という概念があるような気がいたします。子供向けでもありまして、クリスマスのサンタさんと同じような、曖昧模糊とした共同幻想としての「天国」が存在し、死んだら「天国に行く」と言い習わしているのではないでしょうか。そういう、宗教心の薄い気持ちで「この世の外」を考えると、言い換えとしては「後世・来世」と仏教語を持ってきていても、内実は「未来の世」とか「先の世」程度に収まってしまいまして、漠然とした死後の世界を浮かべるに過ぎないような気がいたします。


ともかく、和泉式部の場合は、現代よりは仏教の影響下にいたはずですから、「この世のほか」というのは「来世」と言い換えるだけではなくて、輪廻転生した先の六道のどれかであるはずです。しかしながら、転生後の思い出になるような執着というのは、仏教では御法度でありまして、危篤になったり臨終になってから、誰かに逢いたいというのは、うっかりすると畜生道や餓鬼道や、はたまた地獄へ堕ちる危険な発言とも言えるでしょうね。この歌は、背景に型破りな所があるのではないかと言うことです。つまり、詠めそうでいて、誰にも詠めない恋の歌ということです。よもや、こうした指摘は大手柄でございましょうか? 執着を残してしまうと、うっかりすると転生すらかなわずに、『源氏物語』の六条御息所のごとくに醜悪な姿で現世に漂ってしまうことだってあると考えられていたのかもしれないのであります。そこまで考えると、長恨歌を手掛かりとした桑田明氏の考察は、参照に値する見解に思われますが、この本の出版以後にも問題にされたことはなかったように見受けられます。


誰にあげたかということで、注釈者がもめるんですけれども、そうですか、誰にあげたか決まらない歌のようです。


上の句に出て来る「あらざらむこの世の外の」という部分を考えてみると、これって仏教の「後世・来世」のことだから、輪廻転生した後のことを考えて詠んだものかもしれないというのが、私の2011年の東日本大震災後くらいの結論でありまして、コロナが収束しかけた2023年にアップデートして再掲載した時もそれを継承いたしました。しかし、佐佐木信綱の『百人一首講義』や尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』のそっけない対応を見ているうちに、ちょっと思いつくことがございました。ふと信綱の見解にも一理あると思ったわけです。桑田明氏の追究した点を考慮すると面白いと思います。


和泉式部は自分自身の人生を振り返って、成仏の叶わない罪深さを痛切に感じて、輪廻転生する事は無理だと思っていた可能性が高いと思います。


つまり、「あらざらむこの世の外」というのは、死後の世界ではありましても、来たるべき来世、仏教でいう後世とは違うのかもしれません。和泉式部は、四十九日後に振り分けられる六道から、自分は漏れてしまうと思ったのかもしれないのであります。まさしく、『源氏物語』における六条御息所のように、成仏することなく、何か奇怪な姿をして物の怪として漂うことを覚悟していたのかもしれない、ということです。それなら、この初句・二句の何とも捉えどころのない表現はぴったりかも知れません。「この世から自分が人間の姿を失って去ったのちの、輪廻転生からはみ出たところ」というような認識ですね。ややや、とんでもないことを思いついてしまいました。


和泉式部は、紫式部の書いた『源氏物語』における六条御息所の行末を、己の将来の姿と覚悟していたのかもしれません。百人一首と『源氏物語』の関係を深く考察した上坂信男氏『新版百人一首・耽美の空間』(右文書院、2008年刊)は、六条御息所の伊勢下向の心情に重なるとしていますが、死後の六条御息所とは結び付けておりません。 

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