岩波文庫『百人一首』を読む(52) 藤原道信
52 明けぬれば暮るる物とは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな 藤原道信朝臣
【訳】夜が明けてしまえばいずれは暮れるものとはわかっていながら、それでもやはり恨めしく思われる朝ぼらけですね。
【出典】後拾遺集・巻十二・恋二・672
女のもとより雪降り侍ける日帰りてつかはしける 藤原道信
【解釈の要点】
①通い婚は夜が明ければ恋人同士も別れなければならない。また逢えるとはわかっているものの、夜が明けるのは恨めしい。古今集・恋三637「しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき」(読人不知)、古今集・恋三640「しののめの別れを惜しみわれぞまづ鳥より先に泣きはじめつる」(寵)、拾遺集・恋二732「いつしかと暮を待つ間の大空は曇るさへこそうれしかりけれ」(読人不知)、拾遺集・恋二722「日のうちに物をふたたび思ふかなとく明けぬると遅く暮るると」(大江為基)などの歌とともに味わうべき作であろう。
②『岩波古語辞典』は、「あさぼらけ」という語について、「夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くあけぼのという」と解説する。この歌は詞書から、雪の朝と思われる。『百人一首』には「朝ぼらけ」で始まる歌が、31坂上是則と64権中納言定頼と二首あるが、いずれも冬の歌である。
③「女のもとより雪降り侍ける日帰りてつかはしける」という詞書は、この歌の直前の後拾遺集・恋二671「帰るさの道やはかはるかはらねどとくるにまどふ今朝の淡雪」に付けられたもの。作者はやはり道信である。
④『道信朝臣集』では、この歌は連続して載るが、順序は「明けぬれば」の歌が前、「帰るさの」の歌が後で逆である。「明けぬれば」の詞書は、その前の「たえなむと君がしけるを知らずしてまた昔とも思ひけるかな」という歌の詞書の「ある女」を受けて「おなじ女のもとよりかへりて」とある。「帰るさの」の詞書は「女のもとよりゆきのふりけるあしたにかへりて」で後拾遺集の詞書と同内容である。こうなると二首での女性は同一人物ではない可能性も生ずる。「明けぬれば」の歌が詠まれた季節にも関係する。
⑤『落窪物語』巻三に正月の歌に「朝ぼらけ霞みて見ゆる吉野山春や夜の間に越えて来つらむ」とある。後撰集・春下130にも「朝ぼらけしたゆく水は浅けれど深くぞ花の色は見えける」(紀貫之)という作が採られている。「朝ぼらけ」は「多く秋や冬に使う」というのは、あくまでも大体の傾向を言ったのであろう。
⑥賀茂真淵は『宇比麻奈備』に後撰集・恋四882「けふそへに暮れざらめやはと思へども堪へぬは人の心なりけり」(藤原敦忠)を、初句を「けふさへに」として引く。道信の歌に先行する歌で、思う女性に早く逢いたい、早く日が暮れないかなあという点では、道信の歌に通じる。
⑦『道信集』を見ると、藤原実方に関わる歌がかなり多い。道信は実方が陸奥に赴任する前年の正暦五年(994)に世を去った。享年二十三。拾遺集・哀傷1283「殿上にて、これかれ、世のはかなきことをいひて、朝顔の花見るといふ所を」の詞書で、「朝顔を何はかなしと思ひけん人をも花はさこそ見るらめ」は、世人にも口ずさまれていた。この歌が讖(しん)をなしたのであろうか。
【補足】
198ページ6行目に「とは言うものの、これはあくまでも大体の傾向を言ったのであろう」という表現が出て来ますが、『百人一首必携』を見ると、この「これ」というのは『岩波古語辞典』の「あさぼらけ」の説明の中の「多くは秋や冬に使う」という解説を受けたもののようです。よって、⑤の要約では言葉を補い、位置もずらしてあります。本来②を受けるものですが、③④を増補した結果、指示語「これ」と距離が離れてしまい、やや不明瞭になったかと思います。
また、⑦では、道信と実方の歌が多数引用されていましたが、割愛いたしました。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、「明けぬれば暮るる物」を「夜が明けてしまえばいずれは暮れるもの」と訳していますので、已然形に接続した接続助詞の「ば」を、恒常条件で訳してあります。五句目の「朝ぼらけ」は訳さずにそのまま使っておりますが、解釈と称する解説では『岩波古語辞典』を引用していますので、それを元にすると「夜がほのかに明けた頃」のような訳がふさわしいかもしれません。
解釈と称する解説部分に関しては、通い婚の時代には朝が別れの時刻で恨み悲しむものであることを例を挙げて検証する①、「朝ぼらけ」を『岩波古語辞典』をもとに秋や冬の夜明けに使うとする②、しかしながら秋や冬の夜明けではなく正月や春の歌もあると注意喚起する⑤は、『必携』から受け継がれております。これらに対して、後拾遺集の配列を指摘する③、それと配列が異なる『道信朝臣集』を指摘する④によって、実は「明けぬれば」の歌が「雪降り侍ける日」の作かどうか疑われ、歌を贈った相手も「帰るさの」の歌とは別人の可能性があるという注意喚起がここでも著者から発せられています。近世の注釈書については⑥で賀茂真淵の先行歌の指摘のみで、最後の⑦で藤原実方との歌を介しての実方との密接な関係が紹介されておりました。⑦に出て来る「讖(しん)をなした」というのは、「予言になった」という意味かと思います。
藤原道信というこの歌の作者は、若くして亡くなった方なのであります。洒落た逸話のある方なのでありますが、あまり話題に上ることがないような気がいたします。なかなか交際上手な人でありまして、洗練された人物だったんでありますね。もしかしたら、この時代のダントツの貴公子かも知れないのであります。若くして死んでしまうと、子孫もふるいませんから、どうしても逸話の類が残らないのでありましょう。見つけ出して紹介したいと思います。この『百人一首』の歌はすらすら詠んださりげない歌でありまして、どこにも無理はないのでありますが、動詞を入れ換えてみると、
暮れぬれば 明くるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな(粗忽)
これでも一首は成立するわけで、「夜になったら必ず朝になるものだ(別れの時刻が来る)とは知っているが、やっぱり夜明けが恨めしい(そのまま一緒にいたいなあ)」という訳になりまして、こっちの方が実は後朝の歌としては素直ではないでしょうか。道信の歌は、それを一歩進めて、「朝になったら必ず夜になって(また逢える)とは知っているが、やっぱり夜明けが恨めしい(今夜もまた行くよ)」というようなことを言っているのでありましょう。「朝ぼらけ」は、『岩波古語辞典』によれば、秋や冬の夜明けのことでありまして、春だと「あけぼの」なんだそうであります。ただし、そうとは限らないということを久保田淳氏は実例を示して注意喚起しておりまして、肝に銘じるべきでしょう。ともかく、訪問して来た男が朝まだ暗い時間に支度をして帰るというのが、平安時代の習慣でありまして、同居する以前はこの朝の支度が面倒だったようであります。春だと早々と夜が明けてしまうわけで、うっかりすると寝床にいる間に夜明けを迎えるんですが、秋から冬は暗いうちから寝床を離れなければならないのであります。社会生活の時刻と、季節によって変化する自然の夜明けの時刻のずれによって、別の言葉が必要となったということでしょうか。同居が当たり前になった結果、「朝ぼらけ」というような言葉は不要になったのかもしれません。
別居したままの婚姻生活があったという前提でないと、理解できない歌なのであります。
だいたい、結婚自体が男の実家とはあまり関わり合いがなくて、女の家で婿を歓迎して終わるような習慣だったのであります。恋愛関係の場合も、夜になると男が訪問するというような通い婚の習慣でありまして、その結果、逢瀬を待つ宵の時刻が切なさの頂点で、これを「待つ宵」と呼びます。逢瀬を楽しんでも夜明けには男が支度をして女の家を離れますので、別れる夜明けがまたしても切ないわけです。こちらは「別れの暁」と称します。これが分からないと、道信の歌は意味不明なので、実は現代では人気がないだろうと思うのであります。つまり、道信の歌の上の句は、夕方には再訪することを明言していて、相手からすれば頼もしい内容でありまして、下の句では許されるならそのまま昼まで一緒に過ごしてしまいそうな勢いなのであります。『蜻蛉日記』にはそういう夫の兼家のサービス残留の場面もありますので、道信の歌は当時の女性にとっては非常に好ましい内容だったと思います。
藤原道信さんという方は、23歳くらいで早世した方でありまして、実はお父さんの藤原為光という方に先立たれまして喪が明けた時に詠んだ拾遺集・哀傷1293「限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣果てなきものは涙なりけり」の歌が有名なんですね。親孝行な人物だと言うことで、世間の評判のいい貴公子だったんですが、歌がうまくてお茶目な人でありまして、短い人生を惜しんだ人が大勢いたんでしょうね、『今昔物語集』には、この人の残した名歌を紡いだ説話も残されております。機知に溢れた人で、山吹の花を手にして宮中を黙ってうろつくのであります。女房たちが色めきまして、そんないいものを手にして、何黙って通過するのって盛んにからかうんですが、山吹の花を差し入れて、
くちなしに ちしおやちしお 染めてけり(道信)
つまり、ああこれはね、クチナシの色素でめちゃめちゃ染めてみたのさ、というような上の句でありまして、染料に使うクチナシに、「口無し」を掛けていて、要するに生意気な女房に連歌に応じてみろというような、挑発行為だったわけです。しまった、策略だと分かって、女房たちは困るわけです。応じたのは伊勢大輔という女流歌人でありまして、満点答案を探り当てます。
こはえもいはぬ 花の色かな(伊勢大輔)
「えもいはぬ」は、何とも言えない美しい、というようなイディオムなんですが、そこに「しゃべることが出来ない」という裏の意味がくみ取れるわけです。要するに、「一枚でもせんべいとはこれいかに?」という謎かけと同じでありまして、「一個でもまんじゅうと言うが如し」と答えるような、遊びなのであります。洗練された知的遊戯でありますし、嫌みがないという点で、なかなか楽しい応酬であります。この道信さんが長生きしていたら、この時代の世相はもっと明るかったのではないでしょうか。実方さんの友人だったようです。お父さんの為光さんが亡くなった後は、お父さんの兄弟である藤原兼家さんがお父さんの代わりになったそうであります。次の歌を突き付けられたのが、道信の父代わりになった兼家さんであります。
嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
(『百人一首』第53番・右大将道綱母)
コメント
コメントを投稿