岩波文庫『百人一首』を読む(51) 藤原実方
51 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方
【訳】このようにあなたを恋していると口に出して言うでしょうか。言わなかったから、そうとも知らないでしょう。伊吹山の艾がくすぶり燃えているような、わたしのあなたに対する恋の思いの火を。
【出典】後拾遺集・巻十一・恋一・612
女にはじめてつかはしける
【解釈の要点】
①『実方朝臣集』では、詞書は「人にはじめてきこえける」。
②「えやは言ふ」から「伊吹」へと言い掛け、「伊吹のさしも草」が「さしも」を起こす有意の序となる。下句は、普通ならば「燃ゆる思ひをさしも知らじな」という文章を倒置したもので、副詞「さしも」は本来は上にある「燃ゆる思ひ」を承けて、そうだともの意にいう。「知らじな」は、知らないだろうなと、相手の心を推量して言う。「燃ゆる思ひ」は激しい恋情。「思ひ」には「火」を掛け、「燃ゆる」とともに、「さしも草」の縁語となる。
③「伊吹のさしも草」という表現は、実方と同時代の和泉式部も恋の歌で用いた。新古今集・恋一1012の「題しらず けふもまたかくや伊吹のさしも草さらばわれのみ燃えやわたらん」という歌だが、実方の歌との先後関係はわからない。
④『古今六帖』第六「草」の「ざふの草」に「さしもぐさ」と注記して、「あぢきなや伊吹の山のさしも草おのが思ひに身をこがしつつ」、「なほざりに伊吹の山のさしも草さしも思はぬことにやはあらん」、「下野やしめつの原のさしも草おのが思ひに身をや焼くらん」などの歌を載せる。これによれば、「言ふ」と「伊吹」の掛詞、「さしも草さしも」という続け方、「さしも草」に「思ひ」を取り合わせることなどは、いずれも「さしも草」の歌でのパターンに沿った歌い方であったと知られる。
⑤顕昭の『袖中抄』第二に実方のこの歌を引いて、「顕昭云……このいぶきの山は、みの近江のさかひなる山にはあらず。下野国のいぶきの山なり。能因坤元儀に出也」と断言する。能因は旅の歌人として知られるが、『能因歌枕』の著者とされ、同書は広本・略本二種の伝本が存する。そしてそれとは別に『能因坤元儀』という著作もあったらしいが、これは散佚した。顕昭はこの本の記述を信頼していたようで、自身の著述にもしばしば引用している。『能因歌枕』の広本には「国々の所々名」として、国ごとに歌枕を記すが、その「しもつけの国」に「いぶきの松山」、「みのの国」に「いぶきのたけ」とあるので、顕昭の断定にそのまま従えない。
⑥順徳院の「八雲御抄」第五名所部「山」の項に「いぶき 美乃 通近江 さしもぐさ」とあるので、院は実方の歌の「伊吹」を美濃国と近江国の国境、現在の岐阜県と滋賀県の境にそびえる伊吹山のこととしている。
⑦清少納言の『枕草子』で一応巻末とされる章段に「まことにや、やがては下るといひたる人に 思だにかからぬ山のさせも草たれかいぶきのさとはつげしぞ」という歌があるが、校注者によって下野国としたり、近江と美濃の境の伊吹山と考えたりしている。清少納言は実方や和泉式部の同時代人。
⑧下河辺長流の『三奥抄』、契沖の『改観抄』は『袖中抄』の顕昭説を引き、『枕草子』の清少納言の歌をも「まことや、下野へくだるといひけるひとに」という詞書と共に引く。賀茂真淵『宇比麻奈備』は『改観抄』に従った。香川景樹の『百首異見』はあっさりと「伊吹山は下野なる事、諸抄に弁ぜり」と片付けている。
⑨日本歴史地名大系9『栃木県の地名』では、「栃木市」のうち「吹上村」(現在、吹上町)の項で、「鴻巣山の南東麓の小丘を伊吹山と」言うと記し、『古今六帖』の「なほざりに伊吹の山の」の歌を引き、「川原田村(現在、川原田町)の項で「川原田一帯から北の木野地の一部にわたる地を標茅ヶ原といい」と記し、『古今六帖』の「下野やしめつの原の」の歌を引く。伝承の根源はやはり『能因坤元儀』らしい。
⑩ひそかに想いを寄せていた女が灸治すると聞いて、実方は艾を贈り、この歌を添えたか。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、初句の「かく」を「このようにあなたを恋している」と具体化してありますけれども、「だに」の訳が抜けております。二句目のところにある「えやは言ふ」は「口に出していうでしょうか。言わなかった」と訳しまして、「やは」の反語は汲み取れますが、副詞「え」の可能のニュアンスは欠けております。「伊吹のさしも草」は序詞で「燃ゆる」を導くと見たようで、これを有意の序として恋の思いの比喩として訳出しています。なお、解釈と称する解説部分で、四句目と五句目が倒置していることは指摘していますが、訳では、倒置したままの解釈となっています。五句目の「思ひ」には「火」が掛けてあると見て、訳にも反映しています。なお、同じ著者の「日本の文学 古典編」『百人一首 秀歌撰』(ほるぷ出版1987年刊)では、
これこれとだけでも、どうして言うことができるでしょうか。口に出して言えないものですから、あなたはそうとも知らないでしょうね、伊吹山産の艾のようにいぶりくすぶって燃えている私の思いを。
とありまして、「えやは言ふ」「え言はず」の「え」という副詞の訳をきちんと可能で訳したり、「だに」を「だけでも」と訳出したり、四句目の「な」を詠嘆で「ね」と訳したりして、かなり正確を期したものになっています。ただ、「だに」の訳は「だけでも」よりも「さえ」のほうがよさそうでありますし、そもそも「さしも草」が灸治に使う「艾(もぐさ)」というのが、『古今六帖』の「草」にあるという解説と矛盾すると見えます。著者の考証は「伊吹」がどこにあるかという点を問題にしていますので、「艾」という治療用の材料については疑問はなかったようです。
解釈と称する解説部分に関しては、序詞や縁語・掛詞を解説する②、『古今六帖』第六の「草」に「さしもぐさ」があって四首の歌が載ることを指摘する④、実方が歌を相手に贈るさいに「艾」を添えたかと想像する⑩は、『必携』から受け継がれたものです。実方の家集の詞書を紹介する①、実方と同時代の和泉式部の「さしも草」の歌を紹介する③、定家と同時代の顕昭が伊吹山を能因に従って下野としたことを考証する⑤、定家と同時代の順徳院が伊吹山を美濃と近江の境とする説を指摘する⑥、清少納言の枕草子に出て来る「させも草」の歌を紹介し、そこに出て来る「いぶきのさと」が校注者によってどこか定まらないことを報告する⑦、近世注釈書は伊吹山は下野説が有力であることを指摘する⑧、近代の地名辞典を引用する⑨は、今回追加されたものです。
なお、『必携』には、「実方の恋人の一人であった清少納言の枕草子「草は」にも「さしも草、八重むぐら」とある」という記述があったのですが、今回は何故か省かれていました。また『古今六帖』には四首ありますが、そのうち「契けむ心からこそさしま草おのが思ひにもえわたりけれ」は『必携』では紹介されていましたが、今回は、実方の歌との類似点が少ないので省かれたようです。
なお、「かくとだにえやは言ふ」については、「むねにあまる思ひをいひやらねば」(『応永抄』)と解するのが一般的だったようですが、「詞は限りあるものにて、思ふ心は限りなければ、かくとだにえやはいふ、えいひやらぬなり」(契沖『改観抄』・真淵『宇比真奈備』)と解する方向もあったようです。「かくとだにえやは言ふ」というのは、「やは」の反語を打消しに変換すると、「かくとだにえ言はず」でありまして、自分の閉塞状況を告白しているだけのような気がいたします。それから、注釈書の類は誰も指摘しませんが、この「だに」は「だに~まして」という類推用法ですから、「まして」以下の補いが必要な気がいたします。下の句を「まして」で導かれるものと処理するものには、『文法詳解百人一首精釈』(加藤中道館)がありますが、「かくとだに我はえ言はず」を受けているのに、「まして」以下で主語が「汝」となって「燃ゆる思ひをさしも知らじな」というのは、ちょっとちぐはぐな感じがいたします。それから、余計なことを一つ言うと、「だに」の類推用法の裏には、「せめて~だけでも」という最小限の希望・願望の用法が隠れていますので、それも補うと意味が鮮明になるかもしれません。ほるぷ出版版の久保田淳氏の訳に「だけでも」が出てきた点は、一理あるわけです。
(かく思ひを寄せたりとだに、我は汝に言はばやと思ひしかど)かくとだにえやは言ふ(=え言はず、まして逢ひに汝を訪ふこともせず、年頃経にけり。されば、伊吹のさしも草のごとく)燃ゆる(我が)思ひの火を、(汝は)さしも知らじな。(粗忽謹んで補う)
※このように心から慕っているとだけでも、せめて私はそなたに言いたいと思っていたが、「このようにお慕いしております」とさえ言うことが出来ましょうか、とても言えませんし、まして逢うためにそなたを訪ねることもしないで、何年にもなりました。ですから、伊吹のさしも草のように燃える私の恋の炎を、そなたはそうとは御存じないことでしょうね。初めての告白をどうぞお許しください。(粗忽謹訳)
態度にも見せず、言葉にもしないで長年さりげなくやり過ごしてきた気持ちを、いよいよ隠し切れなくなって披露するというような歌ではないかと思います。「好きだったのよ、あなた、胸の奥でずっと」(松任谷由実作詞『まちぶせ』)というような歌謡曲の一節が浮かびまして、これというのは宮廷貴族が職務上顔見知りとなった女房や女官などに告白するという情況を想定しないと面白くないかもしれません。告白もしないし、ましてや夜中に相手の局に押しかけるなんてことをしなかったことを、暗示しているような気がするんですが、いかがでしょう。
著者は、「伊吹のさしも草」について盛んに考証しておりますが、以前取り上げた北原白秋は「伊吹は伊吹山で下野にあつてさしも草のある所」と説明しておりまして、さらに「さしも草」に関して「蓬で作る艾草の事、灸に用ふ」と説明していました。「艾草」は、漢字音は「がいそう」ですが、「もぐさ」のことであります。こうした説明は、注釈書などでは一般的で、現代でもおおよそ継承されているものです。念のため、白秋が粉本とする佐佐木信綱『百人一首講義』を引用してみます。
いぶき山は、下野にある名所なり。さしもぐさは、艾草とて蓬にて製する今いふもぐさなり。(佐佐木信綱『百人一首講義』)
さらに、角川ソフィア文庫『新版百人一首』(島津忠夫訳注)の語句の説明を引用してみると、次のように説明があります。こちらは、伊吹山の所在地を下野と近江の二説を併記し、さしもぐさも艾草と蓬の二説を併記しているように見えます。
えやはいぶきの=「えやは言ふ」(いうことができようか、できない)に地名の息吹をかける。『袖中抄』巻二は下野国とするが、『八雲抄』『内裏名所歌合』は近江とする。さしも草=艾草(もぐさ)。蓬の異称。「さしも」を同音のくり返しによって言い出す序。(角川ソフィア文庫『新版百人一首』島津忠夫訳注)
近年では、定家の時代の理解を前提に、伊吹山は滋賀県と岐阜県の境の山とする注釈書が多くありまして、要するに近江国の伊吹山が優勢でありますが、それは何よりお灸に使うもぐさの産地だからなんだそうです。ただし、Wikipediaの「もぐさ」を見ればわかりますが、近江の米原辺りがもぐさの生産地になるのは江戸時代の話でありまして、百人一首ともぐさを関連付けるのは問題があると最初に指摘しておきたいと思います。憶測すると、商才に長けた近江商人が、百人一首を利用して艾を売り出したのが江戸時代だったかも知れません。近世の国学者はそれには毒されていなかったのではないでしょうか。
さてさて、実方の歌では「伊吹のさしも草」「燃ゆる」「火」というのが縁語でありまして、それぞれが掛詞にもなると言うような、なかなか修辞技巧の凝らされた歌なのであります。これらを除くと、歌の主題の部分は「かくとだにえやは言ふ、さしも知らじな燃ゆる思ひを」でありまして、よくよく考えると歌の主旨は告白できませんということなんですが、それでも女性に送ったわけですから、実は手練手管のくどき文句なんでありますね。問題点は何かというと、「さしも草」がお灸に使うモグサであるというところから、「燃ゆる」「火」を誰も疑わないんですが、そうだとすると初めての告白にしては随分過激な表現でありますね。というか、恋の相手にお灸を比喩にした歌を送り付けるものでしょうか。
もう一度確認すると、ここで言う「さしも草」というのは、実はヨモギの異称であります。この歌を、実はヨモギの歌なんですよ、草餅にするあの香り高い草ですよと言ったらどうなるのか。お灸にして背中に載せなさいと、モグサに添えて歌を送るのでないなら、これは伊吹山と呼ばれる山の萌え始めたヨモギの歌でもいいはずではないのかと思います。「もゆる」は草木が芽生えることを表す「萌ゆる」となることでしょう。そうすると、「思ひ」の「ひ」は、春の「日」ということになって、情景が一変いたします。試訳を提示すると、どうなるかというと、
伊吹山のヨモギは、萌え初めた日がいつとも、確かなことはこれこれとさえ言えません。だから知りませんよね。萌え初めた私の恋心を。(粗忽試訳)
ふーむ、これは、これは。瓢箪から駒でございますな。こっちが断然いいではありませんか。いったいどこの誰なのでしょうか、お灸に据えるモグサだって言い張った人は。驚天動地の新解釈が生まれてしまいましたが、こちらの方が初めて告白する時の恋の甘さが感じられることでしょう。またまた大手柄でありますね。実は、2011年に百人一首を考えていた頃に、実方のこの歌をにらんで5分で思い付いたのが嘘みたいですね。ヤッター。
しかしながら、忠告をいたします。この歌の「燃ゆる」を「萌ゆる」だと主張し、「思ひ」の「ひ」に「火」ではなくて「日」が掛かっているはずだ、などと主張しておりますと、たとえばお勉強のために検索した人が見てしまうと、百害あって一利なし、あらぬ誤解を植え付けてしまい、先生に叱られたり、どこかで恥をかいたりすることでしょう。真面目に調べているわけでもありませんから、奇をてらい、定説を裏から眺め、常識を揺さぶろうとしているだけなのであります。なんのためにそんな馬鹿なことをするのかと言えば、自分の楽しみでしていることですから、信用してはなりません。もう一度言いますが、「ここで書くものを引用したり、真に受けてはなりません」ので、転載厳禁、拡散不可、引用も駄目、盗用は訴えることにいたしましょう。何より、世間の辞書の類は、『百人一首』の俗説と齟齬のないように書いてあるわけで、国語辞書や古語辞典の記述を疑う習慣のない方は、このブログを読んではなりません。
このことは 誰にも教えちゃ 駄目ですよ すでにコロナは 明けにけるかも(粗忽2023年春謹製)
「さしも草」を小学館の『日本国語大辞典』(第二版)で引いてみると、『枕草子』の例が出てきますが、そこでの清少納言の扱いは完全に草でありますから、それを「もぐさ」と結びつけていいのかどうか、あやしいのであります。『後拾遺和歌集新釈』(笠間注釈叢刊)で実方の歌を見ますと、『古今六帖』の歌が四首(3586~3589番)引用されているんであります。「伊吹のさしも草」というのは、「もゆるおもひ」と「こがし」「こがるる」を導くのでありますが、そうなるとやはり「火」に関するものなのでありましょうか。だいたい、「燃ゆ」と「萌ゆ」が語源が同じなのかどうか、私にはにわかに判断が付きませんので、引用されている和歌の解釈などをじっくりと考えて判断することにいたしましょう。
実方は、清少納言のまったくの同時代人、もっと言うと知り合いでもあります。枕草子を読むと、実方はかなり清少納言に執着していたような気がします。ついでに言うと説話集などでは、実方が宮中で藤原行成にからみまして乱暴狼藉を働き、その結果陸奥に飛ばされた話が出て来ます。行成が清少納言のお気に入りだったのは、枕草子を読めば明らかでありまして、さて事の真相はどんなものだったのでしょうか。
驚いたのは、なんとなく実方の歌がきっかけで、「もぐさ」と「さしも草」が結びついている可能性があって、草としての「さしも草」が元来どういう植物か判然としないようなのであります。なあんだ、そんなことなのか。やはり、つきつめると、すべては藪の中であります。また、伊吹も、下野の国ではないかという異説が昔からあって、じゃあモグサの生産地の近江の伊吹山って、後付けの可能性もあるんじゃありませんか。織田信長が、西欧の薬草を伊吹山に導入させたという話すらございます。その後で、江戸時代に才覚のある近江商人などが、謳い文句として百人一首の実方の歌を使うことを思いついたとしても、別に不思議なことではありません。
たとえば、若狭の国の小浜からアメリカ合衆国の大統領になった人がいるよ、なんてことが数千年後にはまことしやかに語られる可能性もありますね。
名著『枕草子解環』(同朋舎)というのは、萩谷朴さんの大著ですが、「草は」という一節に、「蓬」と「さしも草」が別別に出て参りまして、萩谷朴さんは同じものだよとあっさり説明されています。同じものを二度挙げたのは、清少納言が実方の歌が好きだったからだよなどと萩谷朴さんは書いています。ただし、解説の所に「さしも草」は『古今六帖』に見えないけれど云々とありまして、あれれ、どうなっているの? と謎が深まるのであります。もう一度「蓬」の解説を見て見たら、そこには蓬の歌が三首、さしも草の歌が四首あると紹介していますから、うっかりしただけのことのようです。あの大著には、そういうミスは結構あるんですよ。
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
(『百人一首』第51番・藤原実方)
久保田淳氏も指摘していますが、この「さしも草」というのは、確かに『古今六帖』に載っております。今までも、何度か触れましたが、『古今和歌六帖』とも呼ぶんですけれども、平安時代初期に出来たと考えられている古い和歌集なんです。季節・気候・歳事、さらには草木・鳥獣などを始めとして、ものの名前ごとに和歌を編纂したものであります。『万葉集』『古今集』『後撰集』のあたりをカバーしているんですが、残念ながら編者が誰か、成立がいつか、そう言うことがさっぱり分からない謎の本であります。便利な参考資料だったはずなんですが、内容に見合った古い善本が出て来ないわけで、安心して使えないところがございます。
それの、第六帖の草の項目のなかに「さしも草」も入っているんですが、最初の目次には書いてないのですが、本文を見ると「ざふの草」の下位分類として本文には示してありました。四首あるんですが、そのうち二首が「いぶきのやまのさしも草」とあるんだけれども、一首は「しもつけやしめつのはらのさしもぐさ」とあるわけです。伊吹山は滋賀県が有名ですが、下野(栃木県)にもあるわけで、陸奥に旅した実方のことを考えると、下野も捨てがたいということなんですね。それから、「もぐさ」はお灸に使いますが、言葉の実例は鎌倉時代をさかのぼりません。「さしも草」は、どうみても草でありまして、製品化された「もぐさ」とは別物でありましょうし、『古今六帖』でも植物の範囲でありまして、だったら「もゆる」は、縁語としては「萌ゆる」でありまして、これを「燃ゆる」と掛けることはさしつかえないでありましょう。
3586 あぢきなや いぶきのやまの さしもぐさ おのがおもひに 身をこがしつつ
3587 ちぎりけん 心からこそ さしまぐさ おのがおもひに もえわたりけれ
3588 なほざりに いぶきの山の さしもぐさ さしも思はぬ ことにやはあらぬ
3589 しもつけや しめつのはらの さしもぐさ おのがおもひに 身をややくらん
『古今和歌六帖』の四首の歌というのは、見たところ同じ歌のバリエーションに過ぎないような気がいたします。何となく、異伝を全部収載したというような趣に感じられます。ただ、最初に考えた段階では、『古今和歌六帖』を持ってくると、「こがし」や「やく」のせいで「さしも草」がどうしてもお灸に据える「もぐさ」になってしまうので、何だかいやいや引用していたのでありますけれども、あれから随分時は経過しておりまして、少し悪知恵が働きそうであります。つまり、お灸のために製品化された「もぐさ」を『古今和歌六帖』が雑草の分類に入れるのはやはり乱暴でありまして、それが腑に落ちないのは今も同様であります。
もう一度「もぐさ」説の支持者に問いますが、お灸を歌に詠んでいたと本当にお考えですか?
ところで、野山の草でも、時によっては「燃える」「焼く」場合があるのではありませんか。つまり、冬季になって草は枯れまして、さて春を迎えるにあたって野焼きをする場合があります。それなら、野山に生えている草でも火を放って焼くわけで、盛んに燃えるのであります。日本の気候だと、夏の間に繁茂したまま枯れて行く草というのはたくさんありまして、そこに火を放って次の耕作に備えるのは、「焼き畑農法」というものであります。九州の阿蘇山周辺の「野焼き」という春の風物詩もまだございますね。その時に燃やさなければならない草のことを「さしも草」とは言わないのかどうか、気になる所です。蓬というのは雑草の代表みたいなものでありまして、芽ばえた時は食用にしますけれども、後は放置されて霜枯れしていることでしょう。ならば、火を放って枯れ草を処分いたしますが、元来蓬は非常に生命力の強い植物ですから、ちゃんと焼け跡から芽吹くものなのであります。
こうなると、一人で「さしも草」というものを「蓬の枯れた状態」と妄想していることになります。つまり憶測にすぎないわけですが、そうすると実方の歌の「伊吹のさしも草」というのは、秋から冬にかけて萎れたり枯れたりした状態なわけで、これって上の句の「かくとだにえやは言ふ、え言はず、まして逢ひに汝を訪ふこともせず、年頃経にけり」という、内向的で生真面目な男性官僚の比喩になっているのではないでしょうか。これこそ有意の序としてふさわしいわけで、灸治につかう「艾(もぐさ)」なんかより、はるかに歌の内容にふさわしいことでしょう。そんな、枯れ草だって火を放てば「燃える」わけですし、その後に春には新芽が「萌える」というおまけがつきます。さあ、この説、買った、買った、誰か買わないか?
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