岩波文庫『百人一首』を読む(50) 藤原義孝
50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝
【訳】あなたに逢うためならば惜しくなかったこの命までも、やっと逢えたこの翌朝は、長生きしていつまでも逢い続けたいと思いました。
【出典】後拾遺集・巻十二・恋二・669
女のもとより帰りてつかはしける 少将藤原義孝
【解釈の要点】
①冷泉家時雨亭文庫藤原為家相伝本『後拾遺和歌集』では、第五句は「おもひぬるかな」、同蔵『百人秀歌』でも「思ぬるかな」。同蔵承空本『義孝朝臣集』にも「人のもとよりかへりて」として収める歌で、第五句は「おもひけるかな」。同蔵『義孝集』では、詞書は「人のもとより返て、つとめて」、第五句は「思ひぬるかな」。同蔵『百人一首』は、第五句は「おもひけるかな」。ここでは底本のままとする。
② 恋人に逢うためならば命も惜しくないという歌は少なくない。古今集・恋二615「命やは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに」(紀友則)、もっといじらしいのになると、拾遺集・恋一686「あはれとし君だにいはば恋ひわびて死なん命も惜しからなくに」(源経基)などという純情なのもある。
③下河辺長流の『三奥抄』頭書は、新古今集・恋三1152の「人の許にまかりそめて、朝につかはしける 昨日まで逢ふにしかへばと思ひしをけふは命の惜しくもあるかな」(廉義公藤原頼忠)の歌をこの義孝の歌の注として引き、契沖『改観抄』も、同じく頼忠の歌を引いて、それが友則の歌を採ったもので、義孝の歌の「類歌」であるという。どちらが先に詠まれたかは微妙である。
④恋に命を代えるのは、恋死にの場合だけではなかった。主ある女に通う場合も命がけだった。拾遺集・雑恋1227「男持ちたる女をせちに懸想し侍て、ある男のつかはしける 有りとても幾世かは経る唐国の虎臥す野辺に身をも投げてん」(読人不知)という大仰な歌もある。『三奥抄』や『改観抄』は、『文選』巻二十一の司馬遷の言葉「人固有一死、或重於太山、或軽於鴻毛」(報任少卿書)を引いていて、『三奥抄』は「逢事にかへんとおもひし命は、鳥の毛よりもかろくして、後の命は、太山のおもきがごとく、おしまるる也」と論じ、藤原家隆の「逢ふ事は虎臥す野辺を分け来ても帰る朝に身をや惜しまむ」(玉吟集・初心百首)を引いて、義孝の歌の心に同じだとしている。女と逢えたのちには、いつまでも生きていたいと願うのは人情である。
⑤天は非情で、『大鏡』・藤原伊尹伝で「花を折り給ひし君達」と賞された義孝に齢を貸さなかった。『大鏡』に「天延二年甲戌の年、疱瘡おこりたるにわづらひ給ひて、前少将(挙賢)は朝に失せ、後少将(義孝)は夕にかくれさせ給ひにしぞかし」とある。家集を見ると、恋も相当場数を踏んでいる。
⑥『三奥抄』や『改観抄』は多くの歌を引いて論じたが、賀茂真淵の『宇比麻奈備』は大意を述べるにとどめ、この歌に対しては冷淡である。香川景樹の『百首異見』は主として『改観抄』の態度を「只歌は古歌にもたれてよむものと思へるくせより、いささか姿の似たるあれば其歌おもかげにたちて、さるこころに思ひなさるるよりの謬なるべし」と批判する。景樹の批判は、類似した表現に共通する昔の日本人の心性を探ろうとする姿勢を否定することになる。
⑦新古今時代歌人が愛した義孝の歌は「秋の夕暮」と題する『藤原義孝集』の「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露」という一首か。無造作に並べたような、下句での対句が面白い。建久七年(1196)、定家は主君の藤原良経から、義孝のこの歌を一字ずつ歌頭に置いて三十一首を詠めと命じられ速詠した。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにして行きたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴を考えてみると、初句の「君がため」を「あなたに逢うためならば」と言葉を補って訳しております。その結果、初句は二句目の「惜しからざりし」にのみ掛かってゆくという判断だと分かります。「君がため」は、二句目に掛かるのか、四句目に掛かるのかという議論がありますが、著者は初句は二句目に掛かると見ているようです。また、「やっと逢えたこの翌朝は」という補いがありますが、これは詞書によって後朝の歌であることが分かりますから、それを意識した具体化です。「長くもがな」という願望表現については、「長生きしていつまでも逢い続けたい」とありますので、寿命が延びることによって、逢瀬を継続することを希望しているとみています。
解釈と称する解説部分に関しては、逢瀬のためなら命も惜しまないという主題の歌を指摘する②、命がけの恋は人妻に通う場合もあると指摘する④、この歌とはうらはらに義孝が早世したことを『大鏡』から引用する⑤、新古今歌人に愛された義孝の「秋はなほ」の歌を紹介する⑦は『必携』からほぼ受け継がれたものです。これらに対して、第五句の異同を指摘する①、長流や契沖が指摘する藤原頼忠の類歌を紹介する③、『文選』を引いて藤原家隆の歌を義孝の歌に通じることを指摘する『三奥抄』を紹介する④の後半、古歌に影響されて歌が詠まれたという考えから古歌の指摘に偏る契沖を景樹が批判していることを伝える⑥、さらに定家が良経から義孝の歌を使って三十一首の歌を詠まされた件を紹介する⑦の後半は、今回岩波文庫版で追加されたものです。興味深いのは、⑥の景樹の態度を著者の久保田淳氏が否定していることで、影響歌を論じることが、「日本人の心性を探ろうとする姿勢」だとして契沖の仕事などを肯定的に捉えております。著者はたくさんの類歌を一貫してこの著作で紹介しておりますから、景樹の契沖批判は看過できなかったようです。
この歌の作者は、例の謙徳公のご子息であります。三蹟の一人である藤原行成の父上であると言ってもいいと思います。この歌の勘所については、昔聞いたことがあります、初句の「君がため」をどこにかけるか、と言うことでありました。当時は四句目に掛かるのであって、二句目には掛らないということでけりがついたように言われていましたが、今見ると決まりませんね。この歌は玉虫色に意味の変わる歌かも知れません。じっくり考えてみようと思います。
(昔は)君がため 惜しからざりし 命さへ (今は)長くもがなと 思ひけるかな
初句の「ため」が分からないのであります。つまりこの歌は、解釈不能なところがあるのであります。『百人一首』15番の光孝天皇の「君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ」の時には、揺れないのであります。「君がため」は、「出て」「摘む」動作が「君」を思ってすることで、「若菜」を提供するという献身の対象を明示している表現であります。ここからすると、「惜しからざりし命」というのは、言い換えれば「命を捨てることも厭わない」「死んでもいい」ということで、恋の思いを遂げるためなら命を捧げて当然という、破滅志向の発言でありましょう。しかしながら、義孝の時代は平安時代の半ばでありますから、単純ではいけないような気がするんであります。「死んでもいい」というのは、はたして「君がため」になるんでしょうか?
それでもって、「君がため」という初句が、二句目ではなくて四句目に掛かるのだという説がありまして、膝を打って喜んだ日があるんですが、それはどうもうがちすぎ、格好いいけれど眉唾ものの説のような気がいたします。その説をもっと鮮明にするためには、義孝の歌を次のように改作すればいいのかなと思うのであります。試しに作って見ました。
逢ふ前は 惜しからざりし わが命 君がためには 長くとぞ思ふ(粗忽試作)
歌の内容を恋愛の範囲だけで解釈するのが普通のようですが、そうするとこの改作によって出現するのは、恋を成就する前に「死んでもいい」と考えていた命知らずの人でありまして、一体この人は自分の命を何ゆえに粗末にしてもいいと思っていたのか、非常に不気味でありましょう。現代のネット上には「無敵の人」という概念があります。これは、学歴もない、職もない、恋人もいない、金もない、というような状況だと、自分の命も他人の命も大切には思えなくて、何をしでかすか分からない人で、そういう「無敵の人」が不可解な事件を起こすのではないかと指摘されて久しいのであります。「君がため」を四句目に掛けると、二句目からの「惜しからざりし命」と言い切る理由が「君がため」ではなくなって、恋愛の外に理由を求めることになりそうです。つまり、思いを遂げる前は自暴自棄の「無敵の人」だったのに、恋人ができたら「まともな人」になったというような、なんだか救いようのないバカの歌でありましょう。だから、初句を二句目を飛び越えて四句目に掛かるとする考えは、まったくいい加減なものでありましょう。
もちろん、こういう言い方はいい過ぎでありまして、仏教に馴染んでいた義孝の人生を前提にして、現世を仮の世と認識した深い厭世観だと取るんでありますが、さて、恋の歌の前半が仏教の観念を詠み込んでいい物かどうか、非常にいぶかしいのであります。ちょっと女性と関係したら、それまでの宗教観をかなぐり捨てましたというような歌が、本当にあるものなんでしょうか。あるとしたら、謎でありますけれども、たぶんそんな歌は秀歌にはなりません。やはり、二句目を飛び越える初句というのは、眉唾物と断じてよさそうです。
ともかく、「ため」は普通の文章に出て来ると、妙なニュアンスの時がありますから、用心するに越したことがないのであります。「あなたのために」とすると親愛の情がつのりますが、「君のせいで」とすると反感がみなぎるというか、恩着せがましくなりますね。後者を取る注釈者は、いないと思うけれど、駄目だという根拠はないと思うな(笑)。この場合の「ため」は、原因を示す用法で漢文体にある用法と言われております。
『後拾遺集』巻第十二・恋二 669番
女のもとより帰りて遣はしけり 少将藤原義孝
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
今思うのは、実はこの歌の肝は三句目の「命さへ」の「さへ」であって、諸注釈はこれを「何かに加えて~までも」の意の「添加の副助詞だ」という指摘はするんですが、じゃあ何に「命」を添加したのかについては、おそらく無視して何も記述していないのであります。この歌の表現には「命」と肩を並べるような、「惜しい」「惜しくない」と言えるものが他に存在しませんので、歌の表現の外にその添加されている「命」の前提となる「何か惜しくないもの」を指摘しないとダメなのじゃないかと思います。現代語なら「までも」と訳せばそれで終わりでいいのでありますが、古典の「さへ」の場合はそうはいかないというのが決まり、すなわちルールのはずですから、そこを無視する注釈の態度は謎であります。気付かないだろうから、頬かむりして済ませるというのは、許されるものではないのであります。コロナの流行でマスクが必須でしたが、それを言い訳にして、ヒゲをそっていないのをマスクでごまかす所業と同じであります。じゃあ、私と同じ気持ちですね。だって、楽ですものね。
前日も 昨日も今日も 見つれども 明日さへ見まく 欲しき君かも
(『万葉集』巻第六 1014番 橘宿禰文成)
こんな歌もあるくらいですから、「さへ」を現代語のように単なる強調表現のように処理すると、ちょっと危ないのであります。「前日(おとつい)」「昨日今日」に加えて、「明日」までも逢いたいなあ、と橘文成は言っています。じゃあ何があるのかと問われても困るんですが、ふと浮かぶのは「名」でありまして、宮廷貴族が気にするのはこれだろうという気がいたします。男女の恋愛というのは当事者にとっては人生に不可欠のものでありますが、社会全体からすると若い人の恋愛というのは面倒な困りごとでもありまして、雑音というかノイズというか、なるべくない方がいいものであります。『源氏物語』でも、光源氏の恋愛沙汰が父の桐壷帝に聞こえたりすると、あれこれ言われるものだったはずです。「名」というのは「評判」でありますから、よからぬ噂が立てば、出世にだって響くのは現代も同じでありましょう。浮気や不倫や暴力やいじめで職を棒に振るのは、昔も今も変わらないのであります。評判が悪ければ、人事評価に響いて、出世は閉ざされるのであります。義孝の上の句は、次のような内容ではないでしょうか。
君がため つかさくらゐも 惜しからず 名も命さへも 捨てんとぞする(粗忽謹製)
コロナによる社会の閉塞状況が2020年以降何年も続きましたが、その間、芸能人や芸能プロダクションの不倫や不祥事による凋落を目にすると、驚くどころか怖いくらいです。令和時代は今までとは社会の倫理が違っております。そう考えると、明治時代と大正時代の境目で北原白秋が不倫の汚名で地に落ちたところから、昭和の時代以降それなりの評価を受けるところまで名誉を回復したのは、非常に稀有なことだと分かります。それにしても、白秋の解釈も「さへ」に関して、ここで指摘したところまでは言っておりませんが、もしこうした解釈を教えて差し上げたら、きっと我が意を得たりと喜んでくれたのではないでしょうか。これって、もしかしてとびきりの大手柄でございましょうか?
さて、上の句について手柄を挙げたと述べたついでに、下の句といいますか、五句目の「思ひけるかな」というところに出て来る「ける」について、余計なことを述べて見たいと思います。この「ける」は助動詞「けり」の連体形ですが、学習参考書の百人一首の品詞分解を見ると、時には過去の助動詞で処理されていたりします。この歌の詞書にも「ける」が出てきますが、こちらは説話などに使われる間接体験の過去の用法でいいと思いますが、歌に使われた「けり」の活用形はおそらく詠嘆とか気付きと呼ばれる用例のはずで、過去の間接体験をあらわす「けり」ではないのであります。どうやら「思ひけるかな」は、おそらく、予想になかった事態が進行して真実が明らかになったというような情況を受けて「(改めて・今更ながら)しみじみ思うことだなあ」という発見・気付きの感情を述べているのではないでしょうか。この場合、どうやら発見した事柄や気付いた内容は、やや陳腐な、口に出すのも恥ずかしいというような一般論に堕した感想のようです。新古今集の歌を掲示してみます。
新古今和歌集・巻第一・春歌上・5番
入道前関白太政大臣、右大臣に侍りけるとき、百首歌よませ侍りけるに立春の心を 皇太后宮大夫俊成
今日といへば もろこしまでも 行く春を 都にのみと 思ひけるかな
これはおそらく「暦の立春は中国渡来の概念だけれど、春の到来はやはり日本の京都にだけ来たんだと、つい思うことだなあ」というような感慨なのでありましょう。暦は中国が本家だという理性に対して、ここにだけ春が来たという、少し幼稚で手前勝手な、偽りのない正直な気分を述べたのだと思います。ですから、藤原義孝の歌は、死ぬほど思い詰めていた恋の相手と一晩共寝して成就した翌朝には、「惜しからざりし命さへ長くもがな」というような気持を抱きまして、それをちょっと陳腐だと思っていたと考えられるでしょう。陳腐だなと思いつつも後朝の文にして相手に届けたというのは、非常にほほえましい限りではないでしょうか。若々しいし、恋というのは成就すると人を変えるのであります。
さて、「思ひけるかな」に関して、陳腐な結論に到達してそれを述べたというようなことを言ったわけですが、その上で今回の岩波文庫の解釈と称する解説部分の冒頭を見ると、五句目の所に「おもひぬるかな」という異文がありまして、興味をそそられます。この異文の「ぬる」というのは、助動詞「ぬ」の連体形ですが、これは完了の意味ではなくて、恐らく強意の用法というもので、「思ったなあ」と訳出するのではなくて、「確かに思うことよ」などと訳すべきものかと思います。現代語の「た」には過去や完了の意味の他に詠嘆などというものがありますので、「た」という訳で済ますことは可能です。ただ、この「ぬる」は「確かに」などと副詞的に訳した方がいいのではないかと思います。ですから、「思ひけるかな」と「思ひぬるかな」という異文の存在があることから、ここが過去や完了ではないことを感知すべきかもしれません。なお、久保田淳氏の別の著作「日本の文学 古典編」『百人一首 秀歌撰』(ほるぷ出版1987年刊)を見ると、この五句目に関して、応永本『百人一首抄』が引用されています。それは、ここまで述べたようなことを言っているのではないかと思うんですが、いかがでございましょうか。
『思ひけるかな』と言ふ詞、尤も見所なり。人を思ふ心の切なる様なり。
我が心引返し、かくも侍る事にといへる所を、能く見侍るべき事にこそ。
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