岩波文庫『百人一首』を読む(45) 藤原伊尹
45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公
【訳】かわいそうと当然言ってくれてもよい人がいるとは思われないので、この身は空しくなってしまいそうです。
【出典】拾遺集・巻十五・恋五・950
もの言ひける女の、後につれなく侍て、さらに逢はず侍ければ 一条摂政
【解釈の要点】
①謙徳公は一条摂政藤原伊尹の諡名。その家集『一条摂政御集』の巻頭歌である。「言ひ交しけるほどの人は、豊蔭にことならぬ女なりけれど、年月を経て返り事をせざりければ、負けじと思ひていひける あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 女からうじて、こたみぞ 何事も思ひ知らずはあるべきをまたはあはれとたれかいふべき 早うの人はかうやうにぞありける。今様の若い人は、さしもあらで上手めきてやみなんかし」。
②「思ほえで」は、自然にそう思われないでの意。下句に近い句を有する先行歌として、契沖の『改観抄』は凡河内躬恒が「比良の山」を詠み入れた『躬恒集』の「かくてのみわが思ふひらのやまざらば身もいたづらになりぬべらなり」を挙げる。
③女の返しは、「恋とか愛とか、そんな面倒なことは何もわからないでいるのがよいですから、どうしてあなたのことをかわいそうなどと、誰が言うものですか」ぐらいの意味か。『拾遺集』・恋五984には、「数ならぬ身は心だになからなん思ひしらずは怨みざるべく」とある。物事に敏感に反応する心など持たなければ、人を怨めしく思うこともない筈だ。だから彼女は自分が苦しまないために、あなたのことなど何とも思っていませんと開き直っている。哀願調に訴えた男に対して、高飛車な姿勢を保とうとしている。
④「豊蔭」は伊尹がわざと「大蔵史生倉橋豊蔭、くちをしき下衆なれど」と自身をやつした仮名である。
⑤「豊蔭にことならぬ女」というこの女は、本当に伊尹には身分的に釣り合わない、源氏物語の帚木の巻に言うような「中の品のけしうはあらぬ」女か。あるいはあとで泣きを見たくない自衛本能からこんな返しをしたか。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その特徴をみると、「あはれ」を「かわいそう」と訳しておりまして、特に解説も施されていません。「いふべき人」は「当然言ってくれてもよい人」と訳してありますので、「言うはずの人」ということで、そのまま現代語の「言うべき人」というニュアンスとして解釈してあります。「身のいたづらになり」は、「この身は空しくなって」とありますが、これも似た句を契沖の指摘する躬恒の歌を挙げるにとどめていますので、勝手に受け止めるなら、「身が破滅する」とか「死んでしまう」ということだと思われます。
解釈に関しては、「思ほえで」の解釈と下句の先行歌を紹介する②が新たに加わったものですが、典拠の『一条摂政御集』の本文を紹介する①、その本文の中の女の返事を解説する③、『一条摂政御集』における「豊蔭」という仮名の指摘をする④、そして女の正体とその態度を推測する⑤は、『必携』からほぼ受け継いだものです。女が「自衛本能からこんな返しをした」の部分は、『必携』では、「自衛本能が、このように突っ張った返しとなって現れている」と返歌の特徴を「突っ張った」とはっきりと表現されていましたが、今回は少し言葉を削ってありました。出典となっている家集に従うと、どういう状況での詠歌なのか分かるという点で、著者は解釈上の紛れは少ないと考えたようです。
同じ著者による「日本の文学 古典編』『百人一首 秀歌撰』(ほるぷ出版1987年刊)を参照しますと、「身のいたづらになり」のところは、「この身が破滅して」と訳して、解説では「この身が駄目になって」としたうえで、「王朝文学においては、社会的生命が失われる意に用いられる」とありました。例として、『落窪物語』の色好みの貴公子交野少将を挙げて詳しい説明がなされています。家集の女の返歌に関しても、この女性を気の強い女性だが、そういう姿勢が男の心をそそり、この頃の若い女性は体裁よくそつなく返事して終わることに不満を表明しているという解説があったりしました。相手の女に「負けじと思ひて」詠み送ったのだから、「身のいたづらになりぬべきかな」などとはもとより思っていないのであろう、という解説もありまして、深い洞察が記されていました。
さてここからは、改めて問題点を探ってまいりますが、現代でも理解できる言葉に落とし穴があるかもしれません。
「あはれ」は、「は」の発音が「わ」というように変化して「あわれ」という形で生き残っているので、「哀れ」という悲哀の心情語として認知されやすいことでしょう。実は古代では「あぱれ」と発音されていたと推定されていて、のちに「あっぱれ」と発音されるようになり、近世に至って「天晴れ」という表記が確立したと思われます。「天晴れ」という言葉を見たなら、現代ではまったく別の単語として認知されてしまうことでしょう。平安時代の「あはれ」は、自分の心情を述べる際は悲哀の吐露を表していたはずですが、他者を評価する場合には「かわいい」「すぐれている」「立派だ」というような賞賛を述べる表現でした。「あはれとも言うべき人は」という初句・二句のところは、「我をあはれとも言ふべき人」と補えますが、主語を文頭に立てて見ると、この部分は「人は我をあはれと言う」となります。
「人は我をあはれと言ふ」を、平安時代の「あはれ」の語法に即して解釈すると、「人が私をすてきであると言ってくれる」というような訳の方がふさわしいのであります。「我は我が身をあはれと思ふ」ならば、これは「自分の事を自分でかわいそうと思う」となるので、悲哀の感情でいいのでありますけれども、どうも謙徳公の歌の「あはれ」は悲哀の感情ではなさそうであります。百歩譲ったとして、謙徳公の歌の「あはれ」が悲哀を表すためには、「あはれとも思ふべき人は」でなければいけないはずでありましょう。まあ、何事も例外のある事でありますから、どこまで主張が通るのかわかりません。次の歌の「あはれ」は、どう解釈しましょうか。これは、訪問者の難渋を「哀れ」とするよりは、訪問者の熱意を「天晴れ」と称賛する歌ではないかと思いますけれども、心の底からの「感動的だ」ということでしょうか。
山里は 雪降り積みて 道もなし 今日来む人を あはれとは見む
(拾遺集・巻四・冬252 兼盛「題知らず」)
「いたづらになる」は、「死ぬ」ことを婉曲的にいう表現で、類似の言葉としては「はかなくなる」「むなしくなる」や、「なくなる」「身まかる」などが挙げられます。「恋死に」とか、「焦がれ死に」ということでいいと思いますが、ちょっと大げさであります。君がいないと僕はだめになりそうだよ、くらいの甘えた言い方のような気もいたしますが、いかがなものでしょうか? 社会的破滅というのは、ゴシップとして世間に漏れた場合でありまして、恋愛関係にある二人の間なら、「生きた心地がしない」とか「君無しでは人生は空しい」ということのほうがいいでしょう。
この謙徳公というのが、例の肥満体の朝成に恨まれた人物なのであります。藤原伊尹と言う人でありまして、世に言う一条摂政でありますが、恨まれたせいなんでしょうか、この人は50歳に満たないでなくなりまして、それから二年もしないでこの人の子供で優秀だった二人の男子が同日に命を落としているのであります。怨霊が強力だったわけです。そのうちの一人が、『百人一首』第50番の作者、藤原義孝でありまして、若くしてなくなった義孝には、行成という子供がいたのでありますけれども、行成は摂政の孫なのに身分が地下(ぢげ)という底辺に落ちてしまうんであります。
貴族というのは家柄で身分が決まるんですが、それも親が長生きしてのことですから、親が若くして死ぬと、摂関家だろうと何だろうと容赦なく転落したんであります。無事これ名馬でありまして、長生きすると子孫も安泰なのでありますが、そうでないと這い上がるのは至難の技、あまり人から恨みを買いたくないものであったろうと想像できますね。祟る悪霊も悪霊ですが、絡まれた方も大変なんですね。謙徳公の歌は、古典文法になじんでいると基本的な表現ですが、現代感覚では何を言いたいのか謎でありますね。
ある程度考えを絞ってから注釈書を見まして、うううと考え込んでしまいましたね。もとは、『拾遺集』に入っておりまして、巻十五の恋五でありますから、恋愛の終息を詠んだ歌、いってみれば未練たらたらの歌の一つであります。「もの言ひける女の後につれなく侍りて、さらに逢はず侍りければ」という詞書きが示すように、交際したのだけれど振られてしまって、逢瀬もないから、詠んで送ったと言うことです。「あはれ」を「哀れ」とするのが普通ですが、これを「天晴れ」としてはならないのかどうか、へそ曲がりの血が騒ぎます。「我をあはれと言ふべき人」というのは、「失恋してかわいそうだと自分を言うはずの人」というのが通説ですが、疎遠になった女性に対してそんなことを言い出すものでしょうか。それよりも「私をああ素敵なお人だと言うはずの人」というように、お世辞ながらも恋人としていい男と認知すると言う方向ではいけませんか。あなた以外に自分をほめそやす人が思いつかないから、もうおしまいだという歌じゃないでしょうか。
すてきよって 言いそうな人は 思い付かず 男やもめと 決まりそうだよ(粗忽超訳)
「思ほえで」というのは「思いつかないで」でいいと思うのですが、相手に歌を送っている以上、「あなた以外に思いつかないで」ということでないと、おかしいのではないかと思うのです。今でもこちらはぞっこんで、他に交際相手がいないということをちらつかせて復縁を迫るというのが、恋の基本ではないのかと思うんですが、いかがでございましょうね。あなたしかいないから、今回のこの歌を無視されたら、私は死んでしまいそうです、ということで未練たらたらの腐れ縁復活を懇望する歌ではないのでしょうか。だれも、こんなふうには解釈しないんですね。まあ、へそ曲がりの戯れ言でありまして、取り合わなくて結構ですが、たぶんこうとしか解釈出来ないはずですよ。おかしいなあ。くどいようですが、ここでの主張を使って、元の歌を分かりやすくすると、次のようになることでしょう。
我を天晴れと言ふべき女は、汝以外に思ひ浮かべられなくて、それ故恋ひ焦がれて我が身はいたづらになりぬべきかな。もう一度汝が我を天晴れと言ふを聞くこともがな。(粗忽謹釈)
最期に付け足した「もう一度汝が我を天晴れと言ふを聞くこともがな」という一文は、現代語で言うなら「もう一度そなたが私の事を素敵だというのを耳にすることがあるといいなあ」ということで、これで復縁を迫るという仕掛けであります。佐佐木信綱『百人一首講義』は解釈の末尾に「さてもあまりに、つれなき人にてこそあれ」と呪いの言葉を駄目押しで付け加えていますけれど、相手を呪う歌と考えては、駄目なような気がいたします。それだと、もはや恋の歌でも何でもなくて、ただの迷惑な人による脅迫行為でしかありません。
ところで、五味智英東大教授の旧蔵本を古書店で手に入れたことがあったということをずっと以前にブログに書いたことがありましたが、その中に鴻巣盛廣著の『新訳百人一首精解』(昭和27年刊・精文館書店)という本がありまして、それが書棚にまだ残っております。そこには「あはれ」の頭注があるんですが、著者は、
「此処では可愛いの意だ。悲しい意味ではない」
と断言しております。鴻巣盛廣という方は、明治14年(1881)生まれ、岐阜高山出身の国文学者で、東京帝国大学・大学院を出て鹿児島の第七高等学校造士館や金沢の第四高等学校で教鞭をとった方でありまして、昭和16年(1941)に亡くなっています。『万葉集全釈』という著作で知られた人で、講義の際には朗々と万葉歌を朗詠したそうです。「あはれ」を「いとほしいという気持ちも含まれている」と指摘するのは島津忠夫氏(角川ソフィア文庫)ですが、探せば同じような見解を持っていた注釈者はいくらでも見つかりそうですけれども、「あはれ」に関するこうした見解を強く否定している注釈書も見かけました。さて、決着を見ることはあるのでしょうか。
久保田淳氏も指摘していましたが、藤原伊尹の家集である『一条摂政御集』の冒頭に「あはれとも」の歌がありまして、女の返歌もあるのであります。改めてどんな歌かというと、
女、からうじてこたみぞ、
なにごとも思ひ知らずはあるべきを またはあはれと誰か言ふべき
四句目の「あはれ」は、悲哀の訳でも賞賛の訳でもなんとかなりそうですけれども、注目は「または」といういい方であります。下の句は反語文のはずですから、下の句の後に「もう二度と汝をあはれと言ふべくもあらず」となることでしょう。一度は「あはれ」と言ったのだとしたら、ここの「あはれ」は、「かわいそう」ではなくて、「すてき」でなければなりませんね。もちろん、私の思い込みでございますが、「または」というからには、交際のはじめか交際の途中で彼女は「なんていい男なの、あなたって」と「あはれ」を使ってほめそやしたのでありましょう。
贈答歌の存在を指摘する注釈書はいくらでもあるんですが、この四句目の「または」に注目する見解がないのは不思議ですね。大手柄ということでよろしいでしょうか?
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