岩波文庫『百人一首』を読む(19) 伊勢

19 難波潟みじかき蘆のふしのまも 逢はでこの世を過ぐしてよとや  

伊勢

【訳】難波潟に生えている蘆の、短い節と節の間、そのように短い時の間も逢わないで、短いこの世をすごせとおっしゃるのですか。

【出典】新古今集・巻十一・恋一・1049

       (題しらず) 


【解釈の要点】

①「難波潟」は大阪湾の昔の呼び方。万葉集では「難波の海」が二例なのに、「難波潟」は八例用いられている。蘆はイネ科の水辺に茂る大きな多年草。長い中空の茎に節がある。その節と節との間隔を「みじかき」と表現したのは、地下茎に近い部分を言ったか。屋根を葺いたり、垣に結ったり、薪代わりに燃やしたり役立ったから、蘆刈りは昔から見なれた仕事であった。

②「難波潟みじかき蘆の」は「ふしのまも」を起こす有意の序。蘆の節と節との間が短いことから、「ふしのま」に掛かる。蘆が倒れ臥しやすいことも、「ふし」という語に掛かりやすいか。蘆が倒れている姿と、身を横たえている女の姿をだぶらせてもよい。「ふしのま」は、万葉集に「朝夕に 満ち来る潮の 八重波に なびく玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ……」(大伴家持・巻19・4211)がある。

③「過ぐしてよとや」は「過ぐしてよとや言ふ」の意。万葉集で家持が「秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか」と詠んでいる。

④下河辺長流の『三奥抄』は「難波潟は蘆をいはんため、蘆はふしの間をいひ、此世をいはんためなり。ふしのまといへば、則みじかき心あれども、別てみじかきあしのと読るは、其短が中のみじかきをいはんとてなり、奇妙といふべし」という。これは今の注釈書ならば「世」は「節(よ)」と掛詞、「難波」「節(ふし)」「節(よ)」は「蘆」の縁語と書くところであろう。契沖の『改観抄』は、以上を受け、柿本人麻呂の「夏野行く小鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや」(万葉集巻四503)の上の句と、家持の万葉集の長歌を引く。

⑤賀茂真淵『宇比麻奈備』は、「夏野行く」の歌と家持の長歌に言及して、「あしの節の間の有が中に短きを設け出たり。そを此歌には、しばらくの間の意にとれり」と述べ、さらに第五句について、万葉集の人麻呂の「「ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し」(巻一47)と「塩気立つ荒磯にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とそ来し」(巻九797)を引き、「此世を過とは命の終るまでをかけたる也」という。香川景樹の『百首異見』はこれを誤りとして批判している。

⑥『新古今集』では、直前の歌が伊勢の歌で「題しらず」なので、この歌も詠作事情はわからない。伊勢の家集『伊勢集』は他撰歌集で、古歌が混入している。伊勢が実作者であることは疑わしい。

⑦この歌は、「津の国のながらふべくもあらぬかなみじかき蘆のよにこそありけれ」(新古今・雑下1848・花山院)など、新たな歌を呼び起こした。


【蛇足】

さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。

今回は、訳に大きな変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。その特徴を見ると、上二句が「ふしのま」を導く序詞で、「ふしのま」を「節と節の間」という意味と「短い時の間」を掛けた表現として処理してあります。それから四句目の「この世」の修飾句に「短い」と付け加えてありまして、どうやら「世」を「節(よ)」との掛詞と見なして、二句目の「みじかき」が「節(ふし)」だけではなく、四句目の「この世」にも響いているという解釈のようです。

解釈と称する解説部分では、②の序詞に関する説明部分が『百人一首必携』から受け継がれたものですが、実はこの部分に面白い知見がありまして、「ふし」に「臥し」が掛けてある可能性が指摘されております。ただ、「臥し」を訳に反映させていませんから、強く主張するわけではなかったのかも知れません。⑦も『百人一首必携』にあるものですが、『必携』では『節(よ)』と『世』の掛詞である旨を明記していました。花山院の歌が、ひるがえって伊勢の歌の「この世」の修辞の根拠になっていると見ていることが分るかと思います。それ以外は、書下ろしでありまして、①と③は歌に出て来る「難波潟」や「蘆」「過ぐしてよとや」という語句や表現について補足した部分、④⑤はこの歌の修辞について、下河辺長流・契沖・賀茂真淵・香川景樹の見解を紹介しつつ、そこに出て来る参考歌を掲示したものとなっています。⑥も今回の追加ですが、この歌が伊勢の詠んだものではないという、困った事実を伝えるものですが、さすがにもう誰も驚かない事かと思います。実は、『百人一首必携』には、この歌が言外に「それはあんまりです」のような男に対する怨み言がこめられているとする解説があったのでありまして、著者は「このように怨ぜられる男は、男冥利に尽きる」と述べていたのですが、今回女が男に贈った怨みの歌であるという解説は見送られたと考えられます。

今回の解説を見ていて思ったのですが、近世の歌学書の引用を読み解くのもなかなか労力が要りまして、さらに引用されている和歌を理解するのも骨が折れまして、まとめていても誤読してしまいそうでありました。間違っていたら、すべて要約した私の責任であります。


さて、ここからは勝手に考えを述べて参ります。この伊勢の歌は、細かい点で注釈書に対立点があります。たとえば、「みじかき」が「蘆」に掛かるとする説がありますが、そうじゃなくて今回の著者のように「みじかきふし」なんだよという説が多数です。一般的には、今回の久保田淳氏のように「難波潟短き葦の」を序詞として、「ふしの間も」を掛詞と解くわけですが、「節の間も」にはそれ以外に掛けている言葉が見当たりませんので、比喩ではないかという井上宗雄氏説もあります。実は、辞書の中には「節の間」で「少しの間」とするものがありますけれども、これはあまり信用できません。これだけ有名な歌が有りながら、現代語において、「節の間」なんて熟語は使われていないはずですから、この伊勢の歌の解釈が辞書に紛れ込んだのでしょう。解釈が循環していて、実は役に立たない可能性が高いのです。それから、この歌が独詠なのか贈答歌なのかという対立もありまして、分かりやすい歌だけに、紛糾するようです。


序詞の問題について余計なことを言うと、むしろ節と節が「合はで」と、あなたと私が「逢はで」を掛けたとみなし、上三句の「難波潟短き葦の節の間も」を「あはで」を導く序詞とする方がましかもしれない、などと思うのですがいかがでしょうか。「合はで」と「逢はで」を掛詞とする注釈は、見たことがありませんので、もし認めてもらえるなら、大手柄ということになります。一歩譲ると、上三句が「みじかい間も」というニュアンスがほの見える有意の序なんだと言ってしまえばいいでしょう。

それから、女流歌人伊勢の歌ではありますが、むしろ噂に聞いた女性に対して交際を迫る男の歌とみなしたほうが、『新古今集』の恋歌一での配置に納得がゆくかと思います。「題しらず」のこの歌に関しては、作者の性別に縛られて解釈する必要なんてないような気がするんですが、いかがなものでありましょうか。


改めて考えると、初句で「難波潟」と広大な難波の葦原を想像させまして、そこに一般には背丈の高い葦には不似合いな「短き」という修飾句を持ってきて、ほらあの葦の「節の間」だよというふうに焦点を絞っているのが、この歌の眼目のような気がいたします。葦は茎から葉が直接出るために、葉を落として加工すると節の部分のゆがみが案外目立つもののはずです。特に、室内調度とする簾などの場合には、節のずれが案外気になるものだったと思います。それを「節の間も合はで」と言っているわけで、簾越しで対面したりする平安時代の男女にとって、意中の相手と会話する最初は、ずれている節のところが気になるんじゃありませんか。よって、歌の主旨は、「みじかき間も(汝と)逢はで(我に)この夜を過ぐしてよと(思ふ)や」と迫るだけの話でしょう。この後、簾をひょいと上げて、侵入するんですね。


従来の注釈書の対立に乗じて、思いつきを解説してみましたが、いかがでありましょう。賀茂真淵の『宇比麻奈備』なんかもそうですが、歌の主体が恋の終りを意識して、非常に深刻になっているとか、相手をなじっているなんてとるのが多いのですが、みんな馬鹿みたいな解釈であります。新古今集の恋一に採用された歌ですから、恋の終りの歌じゃないんですから、相手をなじっているんじゃなくて、「ちょっと共寝しましょう」と誘っているんですね。この歌を、「怨恨の歌だ」とはっきり断言している解釈もあるわけですが、新古今集の配列という視点を忘れていて驚きます。


【蛇足の蛇足】

ここから、蛇足に蛇足を重ねます。昔、書いたことの焼き直しで恐縮です。

『百人一首』というのは、探せばいくらでも注釈したものがありまして、昭和40年代50年代には力作ぞろいだったのであります。ただし、江戸の昔から従来の説をありがたくコピーアンドペーストするか、諸説を網羅するかどちらかで作られたものでありまして、別にちゃんと考究されてきたわけでもないようであります。近代においては万葉集の専門家と平安時代の専門家は別でありまして、中世には中世の専門家がいたわけでありますから、実は『百人一首』を一人の人が考究し尽せるのかどうか、かなり怪しいと見るべきでありましょう。よって、いつも思うのでありますが、実はちっとも解釈は行き届いていないような気がするのであります。その、悪しき例がこの伊勢の歌でございましょう。恋の始まりの歌なのに、相手をなじったり恨んだり、罵声を浴びせていると解釈して、まったく平気であります。

注釈書を企画する側はどうなのか、考えて見ます。出版社は商売として売るわけですから、当然ながら一首で1ページもしくは見開き2ページをあてがうわけで、限られたスペースでは語りつくせるわけもなく、よく言うお茶を濁す程度の説明になることは明らかであります。さらには、簡単で分かりやすいというのを売りにしたり、優雅で上品な王朝絵巻を企んだりしますので、商業ベースに合わせると従来の説を焼き直したほうが無難でありまして、珍説・奇説を述べてもまずいのは火を見るよりも明らかなのであります。編集する人は、ある程度通説を確認して、そこそこの原稿を作っておきまして、著名な方にお伺いを立てることでしょう。そういう中では、今回の岩波文庫版『百人一首』は、近世の注釈の淵源を探っておりますので良心的なものだと感じます。

考えてみると、歌と言うものは、詠む歌人は必死に作るわけで、そのエネルギーたるや大変なものがあるわけですが、受け取る側がみんながみんな必死の形相で味わい尽くすわけではありません。字面を見たり、口に出したりしまして、やがて覚えてしまえば折に触れて唱えたりするわけですが、必ずしも意味を正確に汲み取ろうとか、正しく解釈しようとするものではありません。近年の歌謡曲だって同じでありまして、作詞家の努力ほどには、聞く側は真剣ではないのであります。子供のころに聞き覚えた歌謡曲の歌詞を、大人になった今改めて吟味すると、実にたくさんの誤解をしていたりしまして、思わず苦笑することになります。

「骨まで骨まで愛してほしいのよ」(城卓矢『骨まで愛して』)と来たら、骸骨になっても抱きしめなきゃいけないのかと思いましたし、「世の中変わっているんだよ」(日吉ミミ『男と女のお話』)と言われたら、そうだよな世の中はへんちくりんなもので満たされているわいと、子供時代の私は思ったのであります。たぶん、正しくは「死んで骨になるまで愛してくれ」と望んでおりますし、「世の中は絶えず変化しているのだよね」と一般論が展開しているのであります。これと同じようなことが、『百人一首』にあっても驚かないわけで、享受する側が油断して誤解している可能性は大きいのであります。だから、実は伝統的な解釈も大したレベルじゃないのでありまして、数種の注釈を比較すればすぐに分かります。そして、良心的なものを見たら、ちゃんとそれぞれの歌の定説なんて、あるようでないことは書いてあります。


しかし、良心的な注釈も、100首となると行き届かないものだと思います。伊勢の歌ではみんな油断しまくっていたのでありましょう。先行する注釈書の指摘の範囲の中で、みなさんほどほどにまとめているようにみえます。そこで、従来の説に対して思うところを述べさせていただきますと、伊勢の歌は、三句目までの「難波潟短き蘆の節の間も」が「合はで」「よ(節)」を導いている有意の序詞でありまして、歌の趣旨は「逢はでこの夜を過ぐしてよとや」という部分になることでしょう。一般には「このよ」のところは「この世」と考えられていますが、不仲になって縁が切れそうならそれでもいいでしょうけれど、恋のはじめなら「この夜」がいいのではないかと思います。

(二人を隔つる御簾は)難波潟(の)短き蘆の節の間も、合はで(汝のをかしき姿はあきらかなり)。(短き間もかくてあだに)逢はでこの夜を、(我と)過ぐしてよと(汝は思ふ)や。(共寝せむと思ふゆゑに、そこもとへ参らむずらむ)。

〔粗忽謹訳〕私とそなたを隔てるこの御簾は、どうやら短いとされる難波潟の蘆でこしらえたものでございますね。節の部分も揃わずに、その蘆の隙間からそなたの美しい姿が見えておりますよ。節の間も合わない簾越しで虚しく、短時間でもこのまま一夜を共にしないで時を過ごしてもかまわないと、そなたはお考えですか? ぜひとも共寝したいので、そなたの許へ入らせていただきます。(男性バージョン)

お楽しみいただくだけで充分でございます。女性バージョンなら最後のところを「共寝せむと思ふゆゑに、近うおはしませ」となることでしょう。


ちょっと思いついたことがありますので、最後に余計なことをさらに少し付け加えてみたいと思います。何を思いついたのかというと、三句目の「節の間も」というのが、「一節(ひとよ)」を意味しているのではないかということです。そして、それが「一夜(ひとよ)」をさらに暗示しているとしたら、この歌は非常に分かりやすくなることでしょう。

  難波潟 みじかき蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

すなわち、この歌の主旨は「一夜も合うことなくこの人生を過ごせと言うのか」となりまして、ひょっとすると、そういう遊びを含んだ歌だったのかもしれません。


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