岩波文庫『百人一首』を読む(17) 在原業平
17 ちはやぶる神代も聞かず龍田川 から紅に水くくるとは 在原業平朝臣
【訳】さまざまな不思議なことがあったという神代にも聞いたことはないよ。龍田川の水をこのようにから紅にくくり染めにするとは……。
【出典】古今集・巻五・秋下・294
(二条の后の、春宮の御息所と申ける時に、御屏風に、龍田河にもみぢ流れたるかたを書けりけるを題にてよめる)業平朝臣
【解釈の要点】
①「ちはやぶる」は「神」、ここでは「神代」にかかる枕詞。「神代」の語は、万葉集巻一13「中大兄の三山の歌」に「香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」と詠まれ、業平は古今集・雑上871で「大原や小塩の山もけふこそは神世の事も思出づらめ」と詠んでいる。業平の歌の神代は、二条の后に関する歌に出て来る。
②下河辺長流の『三奥抄』や契沖の『改観抄』は、「神代も聞かず」を「立田川をほめむとて」言ったと考え、古今集・秋下283の「龍田河もみぢ乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」を本歌という。
③龍田川は、大和国生駒山に発し、南流して斑鳩町の三室山南方で大和川に注ぐが、古歌に詠まれたのは合流点以西の大和川下流である。
④二条の后は清和天皇の后妃藤原高子である。清和天皇は嘉祥三年(850)誕生してまもなく東宮となり、天安二年(858)9歳で践祚した。高子が春宮の御息所となったのはこの頃か。この年業平は34歳であるが、高子は17歳。『伊勢物語』で業平と高子は恋人同士とされるが、年齢差は大きい。
⑤『伊勢物語』106段では、この歌は主人公の男が実際に龍田川のほとりで詠んだことと語られる。
⑥『伊勢物語』6段、主人公の男は女を盗み出て芥川を渡り、雷鳴も激しい雨夜だったので、荒れ果てた蔵に女を入れていたが、女は蔵の中にいた鬼に食われてしまう。男は「白玉か何ぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを」と詠んだという。この話の種明かしは、二条の后の兄たちが妹を男から取り戻したというものである。
⑦「から紅」は深紅、岩波古語辞典に「韓から渡来の紅の意」という。古今集にはもう二例あるが、ともに紅涙を意味する。
⑧「水くくる」は、『顕注密勘』「顕注」で「紅の木の葉の下を水のくぐりてながる」と解し、下河辺長流や契沖も同様に考えた。しかし、賀茂真淵の『宇比麻奈備』などは「水をくくりぞめ(纐纈)にする事」「今いふしぼり染に同じ」と言い、香川景樹の『百首異見』も同意した。近年の注釈書も括染めのことと解することが多い。
⑨業平の代表歌としてはいささか物足りない気もするが、屏風絵を題とした歌というのであればふさわしい。
さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は、訳に変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。ただ、末尾の部分「から紅にくくり染めにするとは……」が「からくれないにくくり染めにしたとは……」とありまして、漢字を当てたり時制を修正したりしていますが、問題視するようなものではありません。その特徴を見ると、「神代」を修飾する「さまざまな不思議なことがあったという」という補いがあることでありまして、よくある補いですが、ここから「龍田川の水をから紅にくくり染めにする」ということが、神代にもなかった「不思議なこと」ととして詠まれているという理解であると見てよいと思います。近年の注釈書も、ほとんどこうした理解です。問題は「水くくる」の部分で、ここは著者はくくり染めすなわち纐纈染めという見解ですが、近年の注釈でも島津忠夫氏『新版百人一首』(角川ソフィア文庫)などは、『顕注密勘』を重視し、定家の本歌取りの歌などを根拠に「水潜る」を定家の解釈として提示しています。この歌は「水くくる」を比喩としてではなく、神代にもなかった奇異な現象として詠んでいますから、「水潜る」よりも「水括る」という、纐纈染めと見る方がよいように感じます。
それから、この歌はどう考えても倒置法による歌でありますが、著者はその倒置を修正しないで、そのまま訳しております。そこに問題があるというか、『百人一首』注釈の問題があるように感じますが、その点はあとで述べたいと思います。
解釈と称する解説部分では、まず④の部分が『百人一首必携』からの引き継いだ部分で、著者は業平と高子の年齢を明らかにしつつ、恋人と言うには年齢差があることを問題として指摘しています。また、⑧の「水くくる」についての部分も『百人一首必携』から引き継いでいますが、『必携』のほうでは、顕昭から契沖までは「水潜る」と解していて、真淵以降は「水括る」と解するようになり近年はだいたい真淵に従っていると整理しています。業平の甥(兄行平の子)である在原友于には、
時雨には龍田の川もそみにけり からくれなゐに木の葉くくれり
という歌があるそうで、今回も引用されているんですが、『必携』では「きわめて折衷的な考えだが」と断ったうえで、叔父業平、甥友于の歌は共に「潜る」と「括る」の掛詞ではないかと久保田淳氏は述べていました。今回はこの折衷的な掛詞説は控えたということなのかもしれません。④⑧以外では、⑤⑨が『必携』から受け継がれていますが、①②③⑦の語釈に関する部分が新たに書き下ろされたほか、業平による高子誘拐事件を素材とする歌物語の紹介である⑥が追加されていました。
さて、ここから私の考えを述べてゆこうと思います。とりあえず、二句切れ倒置の歌としてこの歌を理解するとしまして、倒置を改めると、次のようになります。
龍田川、から紅に水括るとは、ちはやぶる神代も聞かず。
念のため、著者の理解に沿って言葉を補ってみますけれども、著者は三句目の「龍田川」を「水」の修飾句にしておりまして、無理があるように感じます。
龍田川の水を(かく)から紅に括(染めにす)るとは、(奇瑞ありし)神代にも聞かず。
実はこの補いの部分というのは、諸注釈書でばらばらでありまして、どうやら「龍田川」が全体の中で主語なのか補語なのか、全く定まっていないようであります。「龍田川が水を括る」という解釈の一方で、「龍田川に紅葉が散りしいて水を括る」とする解釈もありますし、「龍田川に紅葉がちりばめ、その下を水が潜る」という説も存在します。さらには、「龍田川の水の下を水が潜って流れる」というような、「唐紅」が消滅した意味不明の解釈もありますし、明治時代の佐佐木信綱『百人一首講義』では、「龍田川」が訳出されません。そして、そのあたりの混迷ぶりを誰も問題にはしていないようでありまして、それぞれ勝手に気ままに訳して平気であるようです。龍田川を擬人化して、その龍田川が水を括って染めているという解釈を考える注釈者は、これと対立する和歌の中に現れない紅葉が擬人化されて、その紅葉が水を括り染めするという解釈をどう思っているのか、どちらもよく考えると擬人法で訳して置けばごまかしがきくだろうという嘘っぱちでありましょう。著者の久保田淳氏の訳では、「くくり染め」の主語はどこにも見当たりませんし、三句目の「龍田川」も実は行方不明であります。つまり、だれが龍田川の水を纐纈染めしているのか、謎のまま放置されておりまして、三句目は実は解釈から省かれているようです。
以上のように、この歌は、実は専門家でも解釈がおぼつかないのであります。それならいっそ、こうしてしまえとばかりに、数年前に考えましたのは、
知は敗る紙よも効かず断つた側 カラー呉れないに見ずグーグルとは(粗忽)
作った本人である私も訳が分からず、どういう意味なのかは読む人にお任せでありますが、あと1000年もすればこれを根拠に、業平の歌に奇妙奇天烈な解釈を施そうとする人も出て来ることでありましょう。後世の歌によって、古歌の解釈を施すという荒業を古典の和歌の研究者の手法にたまに見かけるので、そう言うことが「あり」というなら、私の歌によって業平の歌を解釈するということも、遠い将来においては充分可能でありましょう。
前回の歌は業平のお兄さんだった行平の歌でありましたが、あの歌の「因幡」には古来「往なば」が掛けてあるというのが定説ですが、それは後世藤原定家の時代などに、そういう掛詞の歌があるから仕方ないのでありますけれども、行平に掛詞の意識があったかどうか、ひょっとするとまったく無かったかもしれないのであります。この歌でも、くくり染めと言われると反論しようもないのでありますが、「水を括る」という言い方が成立するのかどうか。どうもわからない事ばかりであります。「纐纈染め」(こうけつぞめ)というのは、糸などを使って布地を括り、染色してから糸を外して、独特の柄と触感を出すものかと思います。和服の女性が手に持つきんちゃく袋の布地として見ることが多いと思うのですが、合っているでしょうか。独特の、ファジーな幾何学模様が特徴です。それを知っていると、「潜る」説よりも「括る」説に傾くものなのであります。
ついでに思いつきを記しておきます。三句目の「龍田川」というのは、私が考えたところでは、それで独立した一文でありまして、「ああ龍田川よ」と解釈すればいいのではないでしょうか。つまり、この和歌は、二句切れ倒置法なんですが、三句目はこれで一つの文でありまして、二つの文から成る和歌なのではないでしょうか。「これこそ龍田川であるよ」でもいいですし、「なんと面白い龍田川の風景であることよ」でもいいと思います。古文に還元したら、「これやこの龍田川」とか「あなをかしの龍田川のけしきや」などになることでしょう。それから、括り染めなら、川を布地に見立てているはずですから、ここで言う「水」は、「水面」とか「川の流れ」のことですが、そういう指摘をしない注釈書も多いと思います。さて、私の解釈を示してみますが、誰もこういう当たり前の見方は従来していないのです。大手柄でございましょう。初めに、倒置を修正し、補いをいれ、それから解釈を示します。
(あなをかしの)龍田川(のけしきや)。(龍田姫が龍田山の紅葉を染めると神代の古ごとを聞きけれども、まことは)唐紅に(龍田姫が)水括る(もの)とは(思いのほかにて)、ちはやぶる神代(の古ごとに)も聞かず。
(訳)ああ、何て面白い龍田川の風景よ。秋になると龍田姫が龍田山の紅葉を赤く染めるものだと神々の時代の伝説を耳にしたけれども、実際見に来て見れば、何と龍田姫が、赤いが上にも赤く龍田川の水面を括り染めにしているものだとは予想だにしなかったことで、神々の時代の伝説としても聞いたことがありませんでした。
※龍田姫……龍田の地にいて、染色を得意とする秋の女神。龍田山の紅葉は、龍田姫が染めるとされている。
参考歌は、後撰集・巻五・秋上・378「題しらず」詠み人知らず「見るごとに秋にもなるかな龍田姫紅葉染むとや山も着るらむ」となりますが、これは『古今六帖』648番にも見えます。「水括る」の主語は、龍田姫ということになりますが、要するに龍田山の見事な紅葉は龍田姫の染色と決まっておりまして、それを前提にしなければ業平の歌はピンボケした解釈しか出来ないのではないかと思う次第です。
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