岩波文庫『百人一首』を読む(10) 蝉丸
10 これやこの行も帰るも別ては 知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸
【訳】これがまあ、これから旅立つ人も旅から帰ってきた人も、知っている同士も知らない他人も、別れては逢い、逢っては別れる、逢坂の関なのだなあ。
【出典】後撰集・巻十五・雑一・1089
相坂の関に庵室をつくりてすみ侍けるに、ゆきかふ人を見て
【解釈の要点】
①第三句「別ては」には異同がある。定家本『後撰集』は「別つつ」とする。『百人秀歌』は「わかれつつ」、冷泉家時雨亭文庫本『百人一首』は「わかれては」である。
②下河辺長流『三奥抄』の頭書には「これやこの大和にしては我が恋ふる紀伊路にありとといふ名に負ふ背の山」(万葉集・巻一・35)を引く。
③一首の中に「行も帰るも」「知るも知らぬも」「別ては……逢坂」と対立する言葉を三組も組み合わせた技巧の歌だが、うるさく感じられない。「これやこの」という初句の効果とともに、関を人生の縮図として読み手が了解し、共感するからだろう。
④「知るも知らぬも」という句をもった歌は、古くから少なくない。「筑波嶺の峯のもみぢ葉落ちつもり知るも知らぬもなべてかなしも」(古今・東歌、1098)は常陸歌である。「知るも知らぬも」という句の背後には、親疎を分かたない人なつかしい感情が働いている。真静法師の「足柄の関の山路をゆく人は知るも知らぬもうとからぬかな」(後撰・羇旅・1361)は蝉丸の歌の影響例だろうか。
【蛇足】
さて今回も、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きたいと思います。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示してみました。省略したところもありますので、ご注意願います。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と今回の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は、訳に大きな変更がありませんでした。ただ學燈社『百人一首必携』のときには、「逢うては別れる」とありましたが、これを「逢っては別れる」とより口語訳を整えた以外には、執筆時から特に解釈に変更を加える必要はなかったということのようです。訳の特徴としては、初句の「これやこの」を、「これがまあ」と訳しておりまして、注釈書の多くは今回の岩波文庫と同じように訳していると言いますか、岩波文庫もこの訳を採用したということのようです。だとすれば、この初句は民謡のおはやしのように受け止められているわけですが、注釈書の中には「これ」を「行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢ふ」を指している指示語として後から訳しているケースもありまして、さてどちらの処置が適切なのか、考えて見てもよさそうであります。
解釈に関しては、①と②が今回の書下ろしです。①で述べられているのは、第三句のところが藤原定家のテキストとして見ても、揺れに揺れていて定まらないという問題をはらんでいるようです。②では、この「これやこの」と言う表現が、万葉集にあるということを『三奥抄』が指摘しているわけですが、その指摘がどういう意味があるのかについては、特に解説がありません。これに対して、③と④は『百人一首必携』とほぼ同文ですが、対句仕立ての表現の妙味について解説し、そのなかでも「知るも知らぬも」という表現に焦点を当てて、同じ句を持つ歌を紹介して蝉丸の歌の面白さの由来について考察を深めています。
ところで、著者が取り上げている点について、香川景樹の『百首異見』がかなり過激に見解を述べておりますので、それを紹介したいと思います。まず、景樹は三句目の異同に関しては、「わかれてはとせるはあやまりにて、聞えぬ事なり」と批判を加えておりまして、「つつ」ならいいけれど「ては」は駄目だという見解だったようです。また、「これやこのは、これやかのにて、かのといふべきを、このといふは古言なり」としたうえで、「門人位田義比云ふ。この歌は旅行く人のよめりしならん。そこに庵作りて常に住みをる人の、これやこのとはいふべくもあらじといへり、げにさること侍り」と逢坂の関の住人だった蝉丸の作とは言えないと疑っているのであります。テキストが揺れるというのも問題ですが、歌の内容が作者とされる蝉丸にそぐわないというわけで、実はこの歌は面倒な問題をいろいろ抱えているということなのであります。
一言思ったことを書き付けますが、日本語において「この」と「かの」や「あの」は識別すべきものでありまして、「これやこの」は「これがかの」「これがあの」と同じだという説明は、成り立たないかもしれません。成り立つなら、今でも「これやこの」が使われてもいいはずでありましょう。たぶん別物というか、認知の仕方の枠組みが違うのかもしれないと想像いたします。現代語の「これがかの」「これがあの」は、「これ」が眼前の事物・事象・状況で、「かの」「あの」はよそで仕込んだ情報というか、噂の内容であります。蝉丸の歌の「これやこの」は、どうも「これ」が眼前の事物・事象・状況という点は同じですが、「この」は眼前の土地というか地名というか名前のようであります。よそから摂取した情報ではなくて、摂取して語り手の脳裏に定着した名前やブランドではないでしょうか。だとすると、疑惑は晴れまして、逢坂の関に住み着いている蝉丸が普段と同じ人が行き交う逢坂の関を描写したということになるでしょう。
語順を変えて、歌の主旨を分かりやすくすると、次のようになることでしょう。
行も帰るも別れては知るも知らぬも逢ふ、これやこの逢坂の関
蝉丸の歌の「これ」というのは、「行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢ふ」を指しておりまして、この人々が離合集散するカオスのターミナルが、「この逢坂の関」の良いところだ、特筆すべき特徴だと指摘していると考えられそうです。こうした理解を訳に反映すると次のようになるかもしれません。
旧知の人も赤の他人も、地方へ行くのも都に帰るのも、ここで別れては逢う、
逢っては別れるという特徴が、この「逢坂の関」の良いところだ。
こういう解釈だと、ほんとに軽い名所の紹介の歌でありまして、古注釈が言う「会者定離」「万物流転」という仏教の無常観読み取れるというような見解からは、かなり距離が生じてしまいそうです。ところで、岩波書店の新日本古典文学大系シリーズの中の『後撰集』(片桐洋一氏)の作者解説では、解説に困って、蝉丸が逢坂の関に住んでいたことだけは分かるとするんであります。これやこの、やけくその解説ってものでございましょう。注を付けている当該の歌を根拠にするのは、冗談にしかなりません。
それにしても、この歌を見ると、日本語の基本的な語彙にはなんら変化がないということが分かって、言語と言うものが根本のところでは案外変化しにくい、という性質を知ることが出来ると思います。だからこそ、油断すると解釈が混迷するのであります。これやこの、扱いの面倒な古典というもの。
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