岩波文庫『百人一首』を読む(2) 持統天皇
2 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 持統天皇
【訳】春が過ぎて夏が来たらしい。白い衣を干すという天の香具山、そこにまさしく目にも鮮やかに白衣がほされている。
【出典】新古今集・巻三・夏・175
題しらず 持統天皇御製
【解釈の要点】
①万葉集の原文は「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」、今日の定訓は「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山」である。平安時代の訓には違いがある。
②「白たへの」は枕詞だが、ここは白い色を言う。近年の万葉集の註では、「白たへの衣」は「斎衣か」とする。香具山は大和三山の一つで天から降ってきたという。『八雲御抄』には「あまのかご山はあまりにたかくて……」という注記がある。
③新古今集では夏歌の巻頭歌で、首夏ないしは衣更の歌であるが、香川景樹の『百首異見』は、梅雨の中休み、または梅雨明けに夏の到来を詠んだとする。さらに、首夏に衣を干す習俗はなく、衣を干すのは虫干し・土用干しであるとして、賀茂真淵の『宇比麻奈備』を批判する。しかし、上代人がさみだれの頃や水無月に「春過ぎて夏来たるらし」とは言わなかったであろう。
④下河辺長流の『三奥抄』は、持統天皇の皇居の藤原宮が香具山に近いことを指摘し、元来眼前の景を詠んだのを古めかしいとして「衣ほすてふ」と改め臣下の言を帝が聞いたようになったと論じる。
⑤契沖の『改観抄』は長流の説を踏襲するが、『百人一首』全体の構成を考えて、天智天皇と持統天皇の配置について書き入れし、「陰陽の理をふくめる」ものと指摘している。
【蛇足】
さて、ここからは、読んだ感想を「蛇足」という形で記して行きます。訳と出典はそのまま写しておりますが、解釈は勝手に要約して示しております。岩波文庫『百人一首』の凡例には、1989年學燈社『百人一首必携』に基づきながら書き下ろしたとありますので、その『百人一首必携』と最新の岩波文庫版を比較することで、著者というか校注者の久保田淳氏の現在の考えを今回も明らかにしてゆきたいと思います。その上で他の注釈書もぼちぼち参照して検証し、さらに私の考えも時には差し挟みたいと思います。
今回は訳には変更がありませんでした。學燈社『百人一首必携』執筆時から特に解釈については、この歌では変更する必要がなかったということです。その訳の特徴は、一旦一首全体を直訳した後に、下の句を再度訳出し直している点にあります。これは、四句目にある「てふ」という表現が伝聞をあらわす「といふ」の縮約形であるためで、このままでは下河辺長流の指摘通り、まるで臣下などから帝が土地の習俗を聞かされたかのような解釈しかできないわけです。それを解決する手段として、万葉集の原文の訓読に立ち返ったような解釈を改めて付け加え、衣を干す光景を眼前に見ていると解釈しているのかと思います。持統天皇の百人一首の表現に対しては、こうした直訳しておいて、万葉集の訓に相当する訳を加えるのは一般的です。さて、それでいいとは本当は誰も思っていない節があります。こうした解釈の淵源は、長流・契沖・真淵と受け継がれ、香川景樹が土用の虫干しを主張したのが例外くらいで、誰もが衣替えの季節を初夏と考えまして、香具山に衣が干されている実景の歌とされています。景樹は常識を以って、衣を干すのは土用の頃だよね、と言って見たんですね。
それなら、私も常識を振りかざしてみますが、衣替えだからと言って、近所の山に衣類を持参して干すなんてことがあるのでしょうか。実は岩波文庫が引用する『三奥抄』には、「山には日のよくあたれば、そこに住むものは、布をも衣をもほすなり」などと言っているんですが、さて、人家から離れた山に干し物をして果たして大丈夫なのかと考えると、『三奥抄』の見解はかなり恣意的なこじつけに見えて参ります。秋の実りの時期に田んぼの仮廬で鳥獣の害を防ぐということを考えると、はたして香具山に衣を干していいんでしょうか。
解釈に関しては、④⑤が加筆されておりまして、万葉集と新古今集のテキストの相違がやはり問題だと分かります。また、『百人一首』の冒頭の二首の配置について、「陰陽の理」という契沖の指摘が、加筆されていることから契沖独自の見解かもしれないけれども重要だということなのでしょう。父帝と娘の女帝という対比だけではなくて、秋から冬に対して春から夏、濡れた衣の袖に対して、衣を乾かすために干すということですから、この秀歌撰の出だしは陰陽の理と言えそうですが、はたして百首全体に波及するかというと、さほどでもないのであります。
ところで、講談社学術文庫の『百人一首 全訳注』(1983年)を見て見ますと、この注釈書は頓阿・東常縁・宗祇という流れの古注釈を紹介するところに特徴があるものですが、それを見るとちょっと驚くわけです。というか、にわかには頭に入りきらないところがあると正直に申し上げたいと思います。古注釈のほとんどは、「白たへの衣干す」というのを比喩だと述べておりまして、その中でも現存最古の『百人一首』の注釈書だとされる『百人一首抄』(宮内庁書陵部蔵501・406)は、理路整然と「白たへの衣」は春霞で、山が衣替えをしたのだと解説しております。そうだとすると、この持統天皇の歌の解釈は次のようになることでしょう。
ここ藤原の宮に春が過ぎて夏が来たらしいわね。夏になると白い霞の衣を
脱いで干すという天の香具山は、その姿をくっきりと現わしていること。
せっかくですから、『百人一首抄』を訳してご覧に入れましょう。
〇右の歌は、「春すぎて夏来にけらし」と言っているのは当然至極のことで、つたない詠みぶりと聞こえるでしょう。そんなふうに、(歌の内容を)理解していない人は思うに違いないことだろうか。この歌は、衣更の歌である。その根拠は、天の香具山は高山であって春の間は霞がふかく(この山を)覆い隠して、そこに山があるとも見えないが、春が過ぎてしまうと霞も立たなくなって、夏の空にこの山はくっきりと鮮明に見えるのを、「白妙の衣ほす」と詠むのだ。「ほす」は「衣」の縁語として用いられているのだ。どうして、鮮明に見えるからというので「白妙の衣」というのかと問う人がいる。春は霞の衣に覆われている山が、その霞の衣を脱いだような様子だから、「白妙の衣」と詠んでいる。(「白妙の衣」というのは)霞の衣について表現している言葉である。だから、「春過ぎて」と詠むのも、「夏来にけらし」と詠むのも、すべて(歌の修辞として)役に立っていて必要な言葉である。この歌は新古今集の夏の巻頭に入集している。衣更を詠んだ歌であることがその理由である。こうした(秘伝とも言うべき)ことはよくよく心の底に潜めて誰にも明かしてはならない、と(先師からの教えが)ありました。この歌を本歌取りして、「大井川かはらぬゐせきをのれさへ夏来にけりと衣ほすなり」と定家卿は詠んでいる。この歌は、井堰にかかる浪を衣と詠んでいる。こうした歌によって、(霞を衣とする)修辞の意図を理解するがよい。
以上ですが、気になるのは、下線を施してみました「こうした秘伝とも言うべきことはよくよく心の底に潜めて誰にも明かしてはならない、と先師からの教えがありました」というところで、原文だと「如此事尤心中にこめて人にあらはすべからずとぞ侍りし」という部分です。要するに「この事は秘伝だから内緒だよ」と言っているのでありまして、頓阿や東常縁あたりの説を古今伝授のように宗祇が承ったということなのでありましょう。中世の歌道の古今伝授のようなものだとすれば、ますます近世国学の先駆けであった契沖や真淵は気に入らないわけで、白妙の衣を意地でも実景だと主張したかったのではないかと感じます。しかし、なんとなく霞を衣にたとえる古注釈の秘伝の方が、おしゃれでいいのではないかと思うんですが、いかがなものでしょう。
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