超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(98) 藤原家隆

風そよぐならの小川の夕暮は御禊ぞ夏のしるしなりける       従二位家隆

    (新勅撰集、夏、192)(壬二集13806)


〔釈義〕

風がそよそよと岸辺の楢の葉に吹きそよいでいる、この(由緒ある)ならの小川の夕暮(、今ここで行われている夏越の祓に私も参加しているのだが、川風はいかにも涼しくて、もうすっかり秋の気配であり、ここで)は、ただ御禊の行事だけがまだ夏であることを示すしるしなのだなあ。(楢の葉にそよぐ川風は御恵み深い神の御心のあらわれでもあろうか。私も御禊しいしい、思うことを祈り続けよう。)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、新勅撰集の詞書に「寛喜元年女御入内の屏風」とあり、壬二集にも同様な詞書の後に「六月祓」とあり、夏越の祓の屏風絵の賀歌である。

② この歌は、「御禊するならの小川の川風に祈りぞ渡る下に絶えじと」(古今和歌六帖30996、新古今集1378、八代女王)、「夏山の楢の葉そよぐ夕暮は今年も秋の心地こそすれ」(後拾遺集231)の両歌を本歌に取っているが、前の歌の「川風に」は勅撰集の例を考えると、風は祈願を受納する神の心のあらわれ、ないし神威を厳粛にかんじさせるものと捉えられている。「みそぎする」の歌の川風は、その涼しさに神の恵みの心を感じ、安んじて祈りを捧げる条件にとりこまれている。

③ 御禊と祈りとの関係は、わが罪咎を禊によって祓すると同時に、祈願を祈ることもある。御禊は消極的に罪咎を取除こうとするのであり、祈りは積極的に所願を満たそうとする。

④ この歌は、二つの本歌のよき趣を併せて叙景の歌にしたものと見るのが普通であるが、夏越の祓の諸歌に見るように、自分が御禊をするのであり、かぜそよぐ涼しさに神の恵みを感じて、希望をもって所願を祈ろうという抒情をもなしている。


〔鑑賞〕の要旨

① ならの小川は普通に京都上賀茂神社の境内を流れる御手洗川と言われているが、万葉歌人八代女王の作としては、奈良の都の近辺、ないし大和の国にありそうに思える。

② 六月晦日の夕暮に行われる夏越の祓は、古代の伝統を存続させて栄える御代を寿ぐ気持にも通じて来る。伝統ある地の清冽な六月祓の印象がこの歌の心となっている。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原家隆の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、本歌の八代女王の歌に見える「御禊」と「祈り」を問題として、古歌を検討して消極的に罪咎を払うこともある一方、積極的に祈願を主体にする可能性を指摘しています。さらに、著者は、この歌を単に行事を第三者的に見物するという歌ではなくて、詠作主体が御禊の実行者であって、叙情歌として詠まれているという指摘をしています。二首の本歌の「祈りぞ渡る」や「今年も」という表現を考えると、詠作主体が御禊の主体として行事に参加している歌ですから、著者の主張は蓋然性が高く、これはひょっとして従来の解釈にない、新鮮な理解を示したかもしれません。


万葉集・巻第四・626

   八代女王献天皇歌一首

君尓因 言之繁乎 古郷之 明日香乃河尓 潔身為尓去  

        一尾云、龍田超 三津之濱邉尓 潔身四二由久

   八代女王の天皇に献れる歌一首

君により 言の繁きを 古郷の 明日香の川に みそぎしに行く

        一尾に云はく、龍田超え 三津の浜辺に みそぎしにゆく


著者は特に指摘もしておりませんが、八代女王の万葉集に出て来る歌はここにあげた明日香川の歌一首でありまして、古今和歌六帖にある歌は作者未詳でありまして、そちらの「ならの小川」の歌が新古今集で八代女王の歌として採録されております。著者が〔鑑賞〕において、ならの小川は、奈良の近辺や大和の国のものではないかという推察をしているのは、万葉集の歌などを踏まえた上での見解だったのかもしれません。伴信友が、上賀茂神社の本殿に奈良社という社があるから「ならの小川」なのだと述べているらしい(角川ソフィア文庫)のでありますが、万葉歌人が山城国の地名を歌に詠んだというのも不思議なことでありまして、諸注釈はそのあたりの追及はまったくしておりませんから、著者の桑田明氏は一歩踏み込んでみたのでありましょう。


〔蛇足の蛇足〕

『新勅撰集』巻第・夏 192番

    寛喜元年女御入内屏風   正三位家隆   ※『百人一首』では、従二位。

風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける


藤原家隆さんというのは、もちろん『新古今集』の撰者の一人でありまして、奥州の玄関口に当たる白河の関というところを訪問しますと、松平定信公が江戸時代にここが昔の白河の関蹟だろうと認定した神社があるんですけれども、その白河神社という神社の境内の中に、この藤原家隆さんがわざわざ京都から贈ってきたという「従二位の杉」というのがあるんであります。本当なら樹齢800年と言うことになりまして、あるいは二代目なのかもしれませんが、ともかくそういうことを示す掲示板が存在するのであります。従二位というのは相当に身分が高く、『新古今集』の撰者たちというのは、たとえば『古今集』の撰者の代表であった紀貫之などが望めない高位高官なのであります。島津忠夫先生が、角川ソフィア文庫で、この人は寂蓮の女婿であるという指摘をしていまして、寂蓮という方は一時俊成さんの養子でしたから、要するに俊成ファミリーの人だったわけであります。


もちろん俊成さんのお弟子の中でも傑出した人であることは間違いなく、定家のよき相棒、定家がマイケル・ジョーダンなら、この人はスコティ・ピッペン氏に間違いないわけで、定家よりも遙かに好人物という印象があるのであります。2011年段階なら、1990年代にNBAでシカゴ・ブルズが6回優勝した時の主力の二人ジョーダンとピッペンは充分通用いたしましたが、今となってはちょっと古いかもしれません。直近の2010年代を考えるなら、定家はステフィン・カリー、家隆はクレイ・トンプソンかもしれません。家隆は「かりゅう」でありまして、こっちが「カリー」ってことでしょうかね? というようなことを書き付けていたら、成績不振のクレイ・トンプソンは別のチームに放出されて、コンビは解消してしまいました。


風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

   (『百人一首』第98番・従二位家隆)


みそぎする ならの小川の 川風に 祈りぞわたる 下に絶えじと

   (『新古今集』巻第十五・恋五 1376番 八代女王「題知らず」)


夏山の 楢の葉そよぐ 夕暮れは 今年も秋の 心地こそすれ

   (『後拾遺集』巻第三・夏 231番 源頼綱朝臣

    「俊綱朝臣のもとにて、晩涼如秋といふこころをよみ侍りける」)


二句目の所に掛詞があると言われても、ピンと来ないわけです。樹木の楢の間を風がそよいでいるんですが、みそぎをしている川が、「ならの小川」という川でありまして、これが賀茂神社のそばの御手洗川の別名のようなのであります。納得は行かないのですが、根拠となる歌を見ますと、なるほどとおもうわけで、これは本歌取りのお手本のような歌なのであります。まず、『新古今集』恋五の「みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと」という歌が本歌でありまして、家隆の歌のなかのみそぎする人というのが、恋の成就を願って「ならの小川」で水浴びしているという光景であることが明らかになります。次に、『後拾遺集』夏の「夏山の楢の葉そよぐ夕暮れは今年も秋の心地こそすれ」という平凡な夏の歌が本歌でありまして、なるほど、こちらの末句が隠し味になっていまして、賀茂神社の夏の夕暮れは「秋の心地こそすれ」みそぎをするからには夏なんだね、というふくらみが生じるんですね。


天皇に入内する女御のための屏風歌であったそうですが、だからこれも題詠であります。


詠まれた場を考えると、絵が先か歌が先かは分かりませんが、題を与えられたはずで、家隆は詠んだ後で定家に相談したそうです。だから、実感というわけではありませんが、洗練された見事な夏の歌であります。「そよぐ」という触覚があり、「みそぎ」を遠望する視覚があり、みそぎする人物の祈願の内容が恋の成就であるという、想像力がありまして、これに風にそよぐ楢の葉擦れの音、ならの小川のせせらぎの音、みそぎの水音、などの聴覚があり、夕暮れによってモノトーンにな沈んでゆく光景には、昼間の京都市中の暑さと、賀茂神社境内の涼感が対比されて、なかなかいい歌です。すっきりまとまって、天皇や女御が屏風を見ても、すぐに理解できますし、慶事にふさわしい恥ずかしくない歌であります。


ちなみに、注釈書を見ると誰もがこの歌を誉めるんですが、本当にいい歌だからここにあるのか非常に疑問です。もちろん、現在上賀茂神社の中で復元されている「ならの小川」のフォトなどを見ると、とてもきれいに管理されていて、いにしえもそうなら、夏の終わりに御禊のためにそこで水を浴びてもいいなと思わせるところがありまして、京都の夏の終りの気分を自然と想像して、涼しさを誰もが満喫したのだろうと思ったりいたします。


沢村貞子さんという女優さんが昔おりまして、映画にもたくさん出たんですが文章も冴えていて、有名な方でした。その方のエッセイの中に、近頃は暑くてかなわないと出てきまして、どんなかと思ったら、最高気温が28度もあって汗が出る、昔はこんなじゃなかったとあって、驚いたことがありました。2010年代の夏の最高気温38度なんてのがどんなに異常だったか分かります。時代によって暑さ寒さの変遷があるということなんですね。旧暦夏の終りは今のお盆位の時期ですから、普通の年であれば、昼間は暑くても、夕暮れは涼しくて秋めいたものだったのでしょう。


元の屏風歌は、寛喜元年(1229)に企画されたものですが、鎌倉幕府の第四代征夷大将軍となった藤原頼経の姉妹であった竴子という方が、御堀河天皇にお輿入れする時の屏風のためのものでした。頼経や竴子の父は藤原道家ですが、母は藤原公経の娘でありまして、『百人一首』のこのあたりの歌の周辺は関係者で固められております。面白いのは、歌を選ぶにあたって家隆は定家に相談して見せているんですが、定家の『明月記』には家隆の持って来た歌が出来が悪いというようなことが書いてありまして、最後に七首選んだけれど、いいのは「ならの小川」の歌だけだと言っていたそうです。このあたりは、藤原定家を研究していた石田吉貞さんの『百人一首評解』が詳しく書いていて、面白いのであります。晩年になって、権力の中枢に座った道家や公経と、歌道の大家である定家や家隆が協力して、慶事を切りまわしているんですけれども、そこでも心配事は尽きないのでありまして、相棒の家隆の詠作が低調なのを気にしていたのであります。「しょうがないなあ、いいのはこれだけか」って、ため息が聞こえます。


前宮内卿(=家隆)七首、……今度宜しき歌、唯だ六月祓いばかり尋常なり。

   (藤原定家『明月記』寛喜元年十一月十四日) 


それにしても、日記にあれこれ日々の感想をしたためていたために、こんなことまで知れてしまうというのは、さすがに驚かされます。

 

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