超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(97) 藤原定家

来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ      権中納言定家

     (新勅撰集、恋三、851)(拾遺愚草11014)


〔釈義〕

いくら待っても姿を見せぬ人を、やはり私は待っている、ここ松帆の浦(は今日もまた例)の夕凪(、荻の葉のそよとの音も立たず、たださえ息づまるような暑苦しさ)の中で、いつものように焼くところの藻塩、ああその藻塩が、その身も焦がれて塩を焼くように、私は自分自身も心身共に焦れ焦れして(藻塩を焼いては、徒にまたこの夕から宵を通して待ち過すのです。こんなに私は苦しんでいるのに、私の待つ人はどうして訪れて下さらないのでしょうか。)……


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、新勅撰集の詞書に「建保六年内裏歌合の恋の歌」とあるが、拾遺愚草には「建保四年閏六月内裏の歌合、恋」とあり、実際建保四年閏六月九日の内裏歌合にも見えているので、後者の方が正しい。

② 歌意を考えるに、「まつ」は懸詞で「来ぬ人を待つ松帆の浦の」と続き、「松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の」は「身も焦れ」の序で同時に比喩であり、来ぬ人を待って、松帆の浦の夕凪に焼く藻塩の如く、身も焦れつつ待ち苦しむものをと、つれない人を恨む女の気持を愬えたものである。

③ 末尾が「つつ」止めになっているが、ここは「身も焦れ焦れして」の後に、「こんなにも私は待ちくるしんでいるのだ」、さらに「だのにその人は私を顧みてくれないよ」といった意味が省略されている。

④ この歌は、万葉集の次の歌を本歌に取っている。

名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 暮凪に 藻塩焼きつつ 海未通女 ありとは聞けど 見に去かむ 由のなければ 大夫の 情はなしに 手弱女の 念ひたわみて たもとほり 吾はそ恋ふる 船楫をなみ(万葉集巻六、935)

定家の歌は、この笠金村の長歌の後日譚として受取れる。こう見る時、ロマンチックな一篇の物語が出来る。

⑤ この歌で、夕凪を選んでいるのは、本歌がそうなっている以外に、諸註では多く、男の来訪すべき刻限が夕方ないし宵であること、夏から秋にかけての夕凪は暑苦しさに耐え難いものであり、こうした状況にさらに恋の苦しさを重ね合わせた相乗効果を挙げている。さらにもう一つの理由は、秋風に荻の葉の音することが恋の歌に多いが、夕凪は無風であるから荻の葉の音することもないことである。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、恋の題詠として、笠金村の万葉集の長歌を本歌に取り、その後日譚としての内容をもたせた。こうした本歌の取り方は、伊勢物語123段から取った俊成の「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」に倣ったかと思われる。

② 夕凪を設定したことは、適切で効果的である。海人社会にあっては宵は早くから寝静まるであろうし、男が海を舟で渡って来るのは暗くなってからでは無理であろうから、夕こそ恋の語らいのはじまる時であり、海人にとっては藻塩焼く刻限であった。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原定家の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、「まつ」の掛詞や「身も焦れ」を導く序詞の指摘、末尾の「つつ」止めの後の省略を指摘したうえで、万葉集の本歌を紹介しまして、定家の歌が本歌の後日譚になっていると主張しています。これは、俊成の「鶉鳴くなり」の歌が伊勢物語123段を本説取りしたのと同じであることも指摘しています。著者独自の考えとしては、〔義趣討究〕の末尾で秋風に吹かれる荻の葉が、恋人の来訪に譬えられることが多いという点を踏まえて、この歌に「荻の葉」の音が背景に存すると考えた点と、〔鑑賞〕において、海人の暮らしぶりから夕凪の時刻が恋の場面としては必須であると考えた点があります。著者は〔釈義〕において「荻の葉」を補っておりますが、別にそのように考える必要はないように感じますし、海人の生活を想像して宵や夜ではなくて「夕凪」の時刻が必然だったという考えも、何となく蛇足に過ぎないと見えます。定家の歌は詠作主体を海人と考えなければ鑑賞できないというようなものではありませんので、著者は修辞に使われた本歌の世界を、どこまでも本歌取りした歌の内容に影響させたいようですが、むしろ、待つ夕暮の辛さを効果的に表現するために選ばれたのが「夕凪」だという、従来の指摘で充分な気がいたします。


〔蛇足の蛇足〕

本歌は、『万葉集』巻六・935番の長歌(936番・937番の反歌二首は省略)ですから、これを示しておきたいと思います。最後の読みは、著者と若干違うところがあります。


三年丙寅秋九月十五日幸於播磨国印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌

名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名芸尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 余四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣恋流 船梶雄名三

名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海少女 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ 大夫の 情はなしに 手弱女の 思ひたわみて たもとほり 我れはそ恋ふる 舟楫をなみ


著者は、まず「待つ」と「松」の掛詞を認定して、「待つ」「松帆の浦」をそれぞれ訳出しています。この歌は、実は倒置法の歌だと思いますが、以前取り上げた北原白秋なども倒置法にはしないで、「来ぬ人を待つので」と、掛詞までの部分を理由条件として位置づけ、「松帆の浦の夕凪に焼く藻塩」を「待つ宵」の感情の比喩と考えて、「火に焦がるるやうに」と訳出しまして、「身も焦がれつつ」を導き、結論として「苦しいことである」と補っていました。ひとつには、「ので」という確定条件の補いが、歌には出てこないものである事、それから歌の末尾の「つつ」の反復・継続の助詞を無視している点など、かなり問題があったと言えましょう。この二点は、実は粉本である佐佐木信綱の『百人一首講義』から引き継いだものですが、実は尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』では、この二点に瑕疵はないと見えます。なお、三書とも、倒置法を認めていないようです。著者の桑田明氏は、「つつ」に関しては「焦れ焦れして」と反復・継続を反映した解釈を示していましたが、倒置法になっているということは指摘していません。


まてどもまてども来ぬ人を待つとて、松帆の浦の夕ぐれの風のなぎたるほどに、焼く藻塩の火にこがるる如く、我身もこひこがれて、夕ぐれごとに待つことのいたく苦しき事よ

   (佐佐木信綱『百人一首講義』)


待てども待てども来ぬ人を待つといひかけて、その松帆の浦の夕なぎとて日暮れに風のなき時に焼く藻塩の火にこがるるやうに、我が身もかの来ぬ人を待ちわびて、恋ひこがれつ恋ひこがれつする

   (尾崎雅嘉『百人一首一夕話)


「つつ」は、『百人一首』1番の天智天皇の歌で「露にぬれつつ」、4番の山部赤人の歌で「雪はふりつつ」、さらに15番の光孝天皇の歌でも「雪はふりつつ」とありまして、三つとも文末の詠嘆用法のようでしたから、そう言った歌の影響かも知れませんが、定家の歌に関しては、全体が倒置法で、「つつ」は反復・継続の接続助詞の役割を負っていると思うのですが、どうも世間の注釈書類は違うようです。定家の歌を倒置法と考えて、その倒置を本来の日本語の語順にすると、定家の歌は次のような形にした上で解釈されるべきだと思うんですが、いかがなものでしょうか。


松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 来ぬ人を 待つ(倒置を修正した形)


さらに、「焼くや」の「や」は、例の即時の「や」の用法でありまして、おそらく恋の歌の伝統として次の歌の影響があることでしょう。これは、『百人一首』57番の紫式部の「巡り逢ひて」の歌や、91番の良経の「きりぎりす」の歌なんかでも指摘しましたが、切迫した感情を表現するものとして使われるのかと思います。


ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな

   (『古今集』恋一 469番 詠み人知らず「題知らず」)


そうすると、定家の歌では「夕なぎに焼くや」が、おそらく「夕なぎになるや」のようなニュアンスで「こがれつつ待つ」という、「待つ宵のつらさ」の表出につながってゆくのだろうと思います。夕暮れを告げる夕凪がきっかけとなって、胸の炎が点火し、やがて全身をほてらせるような感情になりまして、待ちに待つという切なさになることでしょう。「つつ」の反復はもちろん、それを接続助詞として、「待つ」という和歌の冒頭に倒置することは必須の解釈だと思うのです。それから、「人」はやはり、二人称の方が圧倒的によろしくて、せいぜい「あの人」というような恋人を指す言い方までが許容でありまして、三人称にしたのでは臨場感は薄れることでしょう。


松帆の浦の夕凪に、焼く藻塩の煙が立ち昇り、藻が焦がれに焦がれるように、私は夕暮になるやいなや、身を焼くような恋の炎によって、じりじりと恋い焦がれながら、おいでにならないあなたを待ちに待っているのです(粗忽試訳)


さて、ここまで紹介して、念のため近年の注釈書の訳を並べて見ますので、一緒に鑑賞いたしましょう。


待てども待てども来ない人を待って、あの松帆の浦の夕なぎの海辺に焼く藻塩ではないが、身も心も恋いこがれつつ、私には切ない毎日が続くのです。

    (角川ソフィア文庫『新版百人一首』昭和44年初版、平成11年新版初版)

※「藻塩ではないが」という表現は昔の修辞法の処理法の一つ。「つつ」のあとに、「わたしには切ない毎日が続くのです」と補いがされています。


来ぬ人をまつ身のこがれ 松帆の浦の

そよりともせぬ凪のくるしみ

じりじりと海士の焼くのは藻塩だろうか

やけるのは いえ 私の身です

来ぬ人を待つ身は焼けて焦がれてよじれて

    (講談社文庫『百人一首』昭和55年発行)

※「つつ」の反復を「焼けて焦がれてよじれて」に託していますが、「よじれて」は賛否があるかもしれません。「来ぬ人を待つ」を末句の「身もこがれつつ」に重複させて補っています。


いくら待っても来ない恋人を待つ私は、松帆の浦の夕なぎの海辺に焼く藻塩のように、身は恋いこがれていることです。

    (講談社学術文庫『百人一首全訳注』昭和58年発行)

※「待つ」のあとに、主語の「私は」を補い、文末の「つつ」は無視して、末句を述語と処理しています。


来てはくれない恋人を待つ、松帆の浦の夕凪の時刻に、私は焼くわ、藻塩を。その塩と同じように私の身も焼き焦がしながら。

    (角川ソフィア文庫ビギナーズクラシック日本の古典『百人一首(全)』

※「焼くや藻塩の」の部分を、なぜか倒置法と処理して、「私は焼くわ、藻塩を。」と解釈していますが、文法的にはナンセンスな解釈の典型でしょう。それに、詠作主体が藻塩を焼いていることになっていますので、これは海辺の海人(海女)の労働歌の意味も持たせたようです。さすがに受け入れがたい訳ですが、どうなっているのでしょうか(笑)


それはそれ、これはこれでありまして、ひとそれぞれの鑑賞というものは存在していいことなのであります。


〔蛇足のさき〕

『新勅撰集』巻第十三・恋三 849番

      建保六年内裏歌合に恋歌   権中納言定家

来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ


『百人秀歌』だと、この歌が最後の100番の歌でありまして、その後に藤原公経さんの歌が来るのであります。もし、『百人秀歌』と『百人一首』がどちらも藤原定家さん自身の自選秀歌撰だとすると、まったく自分の歌を落とす気持ちは無かったと言うことになりますね。『古今集』において紀貫之は、歌が足りなくなると自分で作って「詠み人知らず」として入れてしまったなんて話を聞いたことがあるんですが、その一方で『後撰集』の撰者である梨壺の五人という方々は、自分たちの歌を採用しませんでした。紀貫之は不評を買い、梨壺の五人は敬意を勝ち取ったらしいのであります。そう習ったか、本で読んだだけで検証していないので間違っているかも知れませんが、撰者のあり方としてはどちらもアリでありましょう。


この藤原定家の歌も、『新古今集』の歌ではなくて、『新勅撰集』の巻十三・恋歌三・849番に入っているんであります。『新勅撰集』の撰者は藤原定家さん自身ですから、まあ言ってみれば自讃歌でありまして、たしかに一度見たら忘れられない「もみもみ」した歌であります。「もみもみ」がどういう概念なのかは私にはまったく分からないんですが、ずるい言い方をすると「もみもみ」という擬態語は、この歌のためにあるのではないでしょうか。夕餉(ゆうげ)の時間に来ない人を待つのはつらいかも知れませんね。身もだえしつつ、モミモミと恨みの言葉をつぶやきながら待つのでしょうが、歌もそんな感じで作るんでありますね。「揉む」と言う言葉から来ているはずですから、何となく分かる気もいたします。「もみにもむ」「もみ込む」「もみほぐす」わけで、手塩にかけて丁寧に仕込むということなら、歌の中にいろんな仕掛けがあって、従来の歌を素材にしていても、それとはまったく趣向を変えて味付けをするということかもしれません。掛詞や縁語を駆使し、訳そうにも一筋縄ではゆかないような複雑な歌になっているということなんでしょうか。季節や風景の歌に見せて、実は恋の情趣を色濃く持ちつつ、恋の歌や述懐の歌に見せかけて、季節や風景の歌をこしらえるというようなことなのかと思うんですが、さて辞書には何て書いてあるのでしょう。


〇もみもみ【揉揉】〔歌論用語〕心をつくして深い内容をこめ、表現をこらすこと。「定家は……やさしくもみもみとあるやうに見ゆる姿、まことにありがたく見ゆ」(後鳥羽院御口伝) 『岩波古語辞典補訂版』


そうだろうなという概説的説明ですね。後鳥羽上皇のお言葉の中の「ありがたく」は、「めったにない・ごくごく稀」と言う意味でしょう。他の歌人にはない、唯一無比の表現だと感じていたというのかもしれません。『和歌文学大辞典』を見たら、やはり俊頼の「うかりける」の歌を『後鳥羽院御口伝』の記述に沿って引用し、こういう歌らしいよと紹介しているのであります。


この歌の問題点は、「待つ」と「松帆の浦」の掛詞の所を、二重のものにして連続して解釈してよいのか、どうかということです。この一首の歌をそのまま頭からしっぽまでそのまま訳して行って、倒置法がないとして解釈する注釈書が多いのですけれども、そうすると「つつ」というのを反復詠嘆のように解するしかなくなるのではなかったか、と思うのですが、そこのところはちょっと待ってくれと言いたいわけです。


結論だけ言ってしまうと、この歌は倒置法でありまして、「身もこがれつつ来ぬ人を待つ」で終わると考えると面白いんですね。


つまり本当は「松帆の浦の」から歌が始まると言うことではないでしょうか。あるいは、いっそのこと「来ぬ人を待つ松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ来ぬ人を待つ」として、最初と最後が同じフレーズになるといいのだと思います。ちくま文庫の『百人一首』(鈴木日出男さん)はそう言う訳になっていまして、同感と言いますか、それが絶対にいいのだと思います。それから、四句目の「や」は、紫式部(第57番歌)の所でも、また良経(第91番歌)の所でも指摘したのですが、間投助詞だけれども、単に語調を整えるというような生ぬるいものではなくて、これは「~するやいなや」という即時の用法であるはずでしょう。「焼くや(藻塩のごとく)身も焦がれ」ということで、「動詞+や+動詞」という構成を見逃してはなるまいと思うのです。時刻は夕暮れで男の通う時刻ですから、「焼く」は単に藻塩のことだけではなく、他の女の所へ行くのではないかと嫉妬の炎を燃やすことでありますから、この歌のなかで「藻塩の」だけが単純な修辞でありまして、これを「藻塩の(ごとく)」と理解するのがいいでしょう。「焼くと藻塩が焦がれるように、焼くと身もこがれつつ待つ」ということであります。この歌は、繰り返し詠むうちに、螺旋状に繰り返される無限構造でありまして、そのことはもし指摘する人がいないなら大手柄、たぶん鈴木日出男さんは気が付いておられます。


いくら待っても来ない人を待つ自分は、松帆の海辺の夕なぎの頃に焼く藻塩ではないが、身も焦がれつつ、いつまでも待ちつづけている。

   (ちくま文庫日本の古典『百人一首』1990年発行)

※「待つ」のあとに「自分は」と主語を補っています。「藻塩ではないが」というのは修辞の処理の一方法ですが、実際に詠作主体が塩焼きに参加するわけではないことを示しています。


いろんな解釈があるものだと思う一方で、どうして倒置法について指摘がないのか、不思議であります。「焼くや焦がれつつ待つ、焼くや焦がれつつ待つ、焼くや……」と言うようなループ構造で、次第にフェイドアウトして行くのがよさそう。なんとなく、恋人は来ないままで終わってしまいそうな感じがいたします。それはともかく、「身もこがれつつ待つ」でありますから、今現在の待っている心境が焦がれに焦がれているだけで、毎日続くとかいつまでも待っているというような継続ではないと思うんですが、そこはどうなんでしょうか。 

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