超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(78) 源兼昌
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守 源兼昌
(金葉、冬、288)
〔釈義〕
淡路島の遠い浦路を経て(妻を求めて)通うて来る千鳥が(、通うかいもなく妻に逢うことが出来ないで悲しそうに)啼く(暁の)声に、(恋しい人を離れて旅寝している私は、独り寝覚めていて同じ悲愁の思いにしみじみとそれを聞き、同じ悩みを持つ友を得たように思って慰められさえしているのだが、一夜二夜ここに泊った私とはちがって、ここに住み着いて暮らしている関守のそなたは、この悲しい千鳥の声に今はもう馴れてしまっているかも知れないけれど、さぞかし長い間、今の私のような経験をしたことであろうなあ。馴れるまでにそなたは、)一体幾夜ほど(、こんな千鳥の声に)寝覚め(て眠れなかっ)たかえ? (思う人の許に棲むこともなく、このさびしい関路で暮らしている)須磨の関の関守よ!
〔釈義〕の要旨
淡路島の遠い浦路を経て通うて来る千鳥が(妻に逢うことが出来ないで)啼く声に、(旅寝している私は、友を得て慰められているが、ここに住み着いて暮らしている関守のそなたは)一体幾夜ほど(千鳥の声に)寝覚めたかえ? 須磨の関の関守よ!
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、金葉集の詞書に「関路千鳥といへる事をよめる」とあり、題詠である。問題点の一つは、「淡路島通ふ」が「ここから淡路島に通って行く」か、それとも「淡路島からここに通って来る」かということ。もう一つは、下の句が「須磨の関守は幾夜寝覚めぬらむ」と疑問推量の意か、「幾夜寝覚めぬるか、須磨の関守よ」と関守に問懸ける意か、ということ。
② 「淡路島通ふ」は、「淡路島を(に・へ)通ふ」なら自然だが、「淡路島から通ふ」意にとるのは不自然と思われる。然るに、千鳥の声が淡路から須磨へ近づいて来るのを聞いた方がふさわしいため、「淡路島から」を取る註が多い。百人一首60番「大江山」、58「有馬山」を参考にすると、「淡路島通ふ」も「淡路島を(経て)通ふ」のような意味か。雄の千鳥が妻鳥を求めて、淡路島の長い浦路を経て須磨の浦まで通うのである。
③ 諸註皆この千鳥の鳴く声を哀切な声と見ており、源氏物語の次の部分の記述を念頭に持ったものと解する。
……と独りごち給ひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
友千鳥諸声に啼く暁はひとり寝覚の床も頼もし(『源氏物語』須磨巻)
この部分について、諸家は「友千鳥」を「群千鳥」と解するが、「友千鳥=(わが)友なる千鳥」の意に使われている例を見るとき、須磨の巻の「友千鳥」も「わが友なる千鳥」の意味と考えられる。さらに、「諸声に鳴く」の意味も類例を見ると、「わが友なる千鳥がわれと声を合せて鳴く」の意に解することが出来る。同愁の友が共に泣くことにおいて、辛いのは我一人ではないのだと心が明くなって「頼もし」となるのである。兼昌の歌が須磨の巻を念頭におくとする諸家の見解は、この場面を私見のように想定することにおいて妥当する。
④ 折から旅泊にあってまどろみかねていた作者は、鳴く千鳥たちをわが友として親しく感じたにちがいない。その時作者は、もう一人の友がいることに想到したのである。それはこのさびしい関路を住みかとしている須磨の関守であった。
⑤ 「わが髪の雪と磯部の白波といづれまされり沖つ島守」(土佐日記、正月廿一)のように疑問詞を掲げて終止形で結ぶ用法は古くからあったのであり、しかも疑問句の後にある人格を指名する句は相手への呼懸句と見るべきである。
⑥ 都人にとって、淡路島はもとより須磨も遠い僻地であろうし、淡路島は昔淳仁帝がいわゆる淡路廃帝となって謫遷された島であるし、須磨は在原行平の謫居の地であり、また源氏物語の主人公光源氏の謫居の地ともされた。それ以外にも、千鳥の鳴く声が哀切であることを、「あはぢ→逢はで」が示し、「須磨の関」には「すまの→棲まぬ」を暗示している。この歌に登場する千鳥・関守と、影の登場人物である作者の三者が、皆同愁相憐れむ関係にある。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、「関路千鳥」の題詠の具体化として須磨の地を選んだ。さらに源氏物語須磨の巻の「友千鳥」の場面を取り入れた上に、淡路島の哀愁味まで加えた。こうして素材はもう十分に整ったのに、もう一人の関守なる人物を点出して用いた。
② 上の句には茫洋とした海の彼方の淡路島のイメージ、妻恋の千鳥が凍る寒夜を衝いて浦伝いするイメージ、暁に哀れに鳴く声を旅泊の臥床にわびしく聞いて涙を流す若い作者のイメージが浮かんで来、下の句では孤独な作者が年老いた関守に問懸ける場面が出て来る。
③ 定家がこの歌を高く評価して、これを本歌とした「旅寝する夢路は絶えぬ須磨の関かよふ千鳥の暁の声」(続後拾遺集590・拾遺愚草790)という歌を詠んだ。恋しい人に逢う内容の旅宿の夢破れて、現実には妻恋の千鳥の声が聞こえるという、定家一流の妖艶な趣の歌であるが、兼昌の本歌の詩情にいたく共鳴したのであろう。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の源兼昌の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、まず「淡路島通ふ」という表現の内容を吟味して、「淡路島を経て通ふ」という独自の解釈を提示しています。次に著者は、兼昌の歌の本説に当たるとされる『源氏物語』須磨の巻を分析して、「友千鳥」は「群千鳥」ではなく「わが友なる千鳥」であり、「諸声に鳴く」は詠作主体と千鳥が声を合せて鳴くのであり、詠作主体は千鳥と共に泣くことで心が明るくなっているのだと主張します。これは、須磨の巻の一節を、兼昌がそのまま歌にしたのだという立場だと理解することになるでしょう。さらに、下の句の解釈に関しては、疑問詞を終止形で結ぶ土佐日記の歌の例などを挙げて、「須磨の関守」に対して「幾夜寝覚めぬ(=幾夜目が覚めたか?)」と疑問を投げかけたものだと主張しています。
近年の注釈書を見ると、「淡路島通ふ」については、「淡路島から通ふ」が優勢ですが、「須磨から淡路島に通ふ」「須磨と淡路島の間を行き来する」など、今でも決着はしていないようです。また、『源氏物語』須磨の巻の影響は誰しもが認めまして、兼昌程度の作者が百人一首のなかに採用された理由と考えられています。しかし、須磨の巻の情況によって詠作主体がこの歌に詠み込まれているとか、千鳥を仲間として思いを寄せ、頼もしいと思っている歌なのだとまでは、従来指摘されていません。また、下の句に関しては、五句目の「須磨の関守」を倒置法による主語だと一般には考えられていて、「須磨の関守は、……幾夜寝覚めたか」と解するのが一般的です。古註などでは、完了の助動詞の終止形である「ぬ」が問題にされまして、「目覚めぬらん」のような表現を想定して、「らん」が脱落しているとか、「目覚めぬる」という表現であって「ぬ」は「ぬる」を略したのだという説が唱えられていました。このうち、後者は著者の桑田明氏と同様に、五句目の「須磨の関守」を呼び懸けの対象と考える説で、古くは契沖の『百人一首改観抄』、さらに香川景樹の『百首異見』などがこの立場で、近年も「幾夜目覚めぬ」を須磨の関守に呼び懸けているのだとする説は徳原茂美氏『百人一首の研究』(和泉書院・2015年刊)などで考証されております。ただ、そこには桑田明氏の見解への言及はありませんので、ちょっと気の毒な感じは拭えません。
さて、下の句に関して、徳原氏の詳しい考察では、「須磨の関守」に対して呼び懸けの句であることに一定の説得力があり、古歌にも兼昌の他の作品にも、疑問詞ではじまって終止形で結んでいるという語法があるということで、実は結論は出ていると見えるのであります。徳原茂美氏の論考は、論文としては1991年(平成3年)に出たものですから、30年以上も前に出ているんですが、これがなぜかちっとも普及していないのであります。というよりも、契沖や景樹が主張しているんですから、普及していないどころか、注釈者には「須磨の関守」への呼びかけ説は不評ということなのであります。これはおそらく、詠作主体が第三者の関守に呼び懸けているということ自体が受け入れられていないということかと思います。たぶん、多くの注釈者は、光源氏が「須磨の関守」なのだと解しているはずで、兼昌の歌が須磨の巻の光源氏の境遇を詠んだ歌なのだと思っているのではないでしょうか。
それから、もっと根本的な問題として「幾夜寝覚めぬ」で四句切れであるとして、「ぬ」を終止形と処理するのが近年の注釈書なんですが、「幾夜寝覚めたのか」と解してみると分かるんですが、「須磨の関守」への問いかけにしても、あるいは歌の享受者への問いかけだとしても(ほかに可能性はあるでしょうか?)、何だか間が抜けているのであります。「月に何回夜に目が覚めたか?」とか「月に何回も夜に目が覚めたか?」と問いかけると、反語なら「夜には目が覚めません」となって意味をなしませんし、誘導尋問的に「ええ、もちろん月に何回も目を覚ましました」という答えを引き出したとして、この問いかけは珍妙なんですね。だから、せっかくの考証が普及しないのだろうと想像されます。
〔蛇足の蛇足〕
前に取り上げた北原白秋の解釈の特徴は、四句目の「幾夜寝覚めぬ」を「幾夜寝覚めぬらん」とみなす点で、この「ぬ」は強意の助動詞の終止形であることを示したようです。「らん」は現在推量の助動詞を補たということです。その結果、四句目は「きっと幾夜も寝覚めをするだろう」というような解釈を志向していると考えてよいでしょう。白秋の評釈を見ると、この歌を四句切れとして、五句目と倒置させていますので、白秋が考えていた兼昌の歌は、次のようなものです。これは、白秋が粉本とする佐佐木信綱『百人一首講義』や、さらにその粉本の尾崎雅嘉『百人一首一夕話』なども同様で、近年の注釈も同じように考えているようです。
淡路島(へ) 通ふ千鳥の 鳴く(憐れ深い)声に 須磨の関守(は) 幾夜(も)寝覚めぬ(らん)
この、「幾夜寝覚めぬ」は「幾夜寝覚めぬらん」の省略形だという説に対して、古注釈などではこれは「幾夜寝覚めぬる」の「る」が脱落したのだとする説もありまして、混迷の度は深いのであります。「ぬる」は完了の助動詞の連体形ですが、活用形の一部が脱落するのを、和歌の世界で許容できるのでしょうか。百人一首を愛する全ての人に問いたいのですが、助動詞の連語の「~ぬらん」の「らん」が脱落するとか、活用形「~ぬる」の「る」が脱落するというのであれば、その脱落前の形で収載する伝本はどこにあるんでしょうか? 助動詞の脱落という現象を、普通は認めないのに、なぜここだけそんな「とんでも学説」がまかり通るのか、不思議というよりは、怪奇現象でございます。おそらく、この歌は、元の兼昌の和歌の形がどうあれ、白秋などが考えた解釈以外の訳はないため、文法の解析が甘いのかもしれません。
淡路島へ 通う千鳥の 鳴く悲し気な声に 須磨の関所を守る番人は きっと幾夜も幾夜も夜中に目を覚ますのだろう(粗忽拙訳)
ただし、前以て言っておきますが、私はこの解釈は誤っているだろうと思います。ぼんやりとこのブログを眺めている方もいるでしょうから、もう一度言いますけれども、従来のこの四句切れ倒置法と見る解釈は、誤訳も誤訳、インチキだと申し上げておきたいと思います。
『金葉集』巻第四・冬 288(270)番
関路千鳥といへることを詠める 源兼昌
淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
この歌の問題点は、四句切れかどうかということであります。四句切れで、五句目の「須磨の関守」が倒置されていると見なすわけですけれども、古来注釈書は居心地の悪さを感じつつ、四句切れを支持してきたようです。その場合は、「寝覚めぬ」の「ぬ」を完了の助動詞の終止形とするわけですが、ちょっと待てよという気がいたします。問題なのは、「寝覚め」という動詞が今ありませんから、解釈しようとするとまずそこにおそらく弱点をはらむわけでありまして、さらに完了の助動詞の「ぬ」というものも、基本的には現代に残りませんでしたので、ニュアンスが本当に分かるのかどうか、とてもあやしいのであります。その結果、諸注釈は「寝覚めぬらん」の「らん」の省略であるとか、「ぬ」は「ぬる」の誤りであるというようなとんでもない自家中毒に陥りまして、てんやわんや、支離滅裂であります。思うに「幾夜」という副詞または名詞に秘密がありまして、これは「いくら」「いくつ」「幾晩」「幾月」などなど、「いく~」という形をしているんですが、それの究明の仕方がぬるいのだろう、と原因が推測できます。桑田茂氏や徳原茂美氏の考証は、そこに踏み込んで疑問詞を終止形で受ける例をあぶり出しまして、それなりの結論が出ているんですが、その結果出て来る解釈が、多くの注釈者が想定する内容とズレてしまうという不思議なことが起きているわけです。正しいかもしれないのに、出て来た解釈はぼんやりと違和感があるのです。
「いく~」は、疑問の副詞になる時と、否定にかかる陳述の副詞の時と、程度の名詞の時がある。
つまり、「いくら持ってる?」という時と、「いくらも持ってない」というときと、「いくらでも持っている」という時です。とらえどころがないような印象ですね。だから、みんな扱いかねたのでしょう。千鳥の声で関守が夜中に起きてしまうという結果が自明なのに、そういう解釈を受け付けないところがあると言うことであります。そこで、余計なことを申し上げます。たぶん、この歌は句切れがないのでありますね。四句切れなら、ちゃんと「幾夜か寝覚めぬ」とか「幾夜も寝覚めぬ」というように、「か」とか「も」とか、それなりの係助詞を入れて、ここで終わりますよというようなサインがないといけないでしょう。「いくよ」のところに母音がありますから、係助詞を入れても字余りではなかったのに、それを入れてないんですね。だから、ほとんどの注釈者が思っているような句切れの歌ではないのでしょう。つまり、この歌は四句目では切れていないはずなのです。
四句目に「か」や「も」という係助詞が入るのに入っていない、という指摘は重要ですから、ぜひ心に刻んで、今後の人生に生かしていただきたいと切に願います。お願い申し上げ奉ります。
言い換えると、係助詞を直下に入れない、「幾夜+(連体形)+名詞?」という語法があったと言うことではないでしょうか。「幾夜、寝覚めぬ須磨の関守?」というような疑問文ではないか、という指摘をしてみたいのです。もちろん、文脈によっては反語文にもなるわけです。もし、こういう疑問・反語文が成立すると認められたら、文句なしの大手柄であります。「毎晩うるさい千鳥だけど、あの声に、どんだけ目が覚めないでいる須磨の関守さんなの? 毎晩千鳥の声に目が覚める須磨の関守さんでしょ?」ということです。語順が今と違うんじゃありませんか? ということは、兼昌の歌には句切れはなく、五句目の「須磨の関守」は反語の体言止めという説明になることでしょう。文法用語は苦手ですから、体言止めだけでもいいかと思います。
もう一度言いますが、四句目の所に解決しない問題がありまして、言いたいことが分かるのに、文法的に解決を見ていないという問題が残存しております。作者についても、どうしてこんな歌人が入っているのかという疑問がありまして、香川景樹さんなどは『百首異見』のなかで、『百人一首』は藤原定家の選んだものじゃないんだからかまわない、というようなことを言いきっております。それに対して、これは歌が『源氏物語』の須磨の巻を踏まえているから、俊成や定家の嗜好に合うのだという説もありまして、なかなか賛否両論かまびすしいのであります。池田弥三郎先生は、『百人一首故事物語』のなかで、「歯切れが悪くて、百人一首を読んでいると、これが、ずの連体形のぬのように聴きとれる」とちゃんと告白なさっていまして、だから皆さん、提案なんですけれども、「ぬ」は打消の連体形であると認めましょうよ。池田弥三郎先生は、そういう意味では視野が広くて、頭でっかちの学者をしのぐところがあったと私は思います。
この歌と作者が『百人一首』に入ったのは、西行の評価と、源俊頼さんとの因縁によるかも。
まず、外堀を埋めたいのですけれども、西行の歌論を伝えるものに『西行上人談抄』別名『西公談抄』というものがあるんですが、これは西行の談話を弟子の蓮阿という人が筆録したものでありまして、そこに入っております。これが意外と大きなインパクトがあるでしょう。それから、鴨長明の『無名抄』という歌学書に、源俊頼さんとのいい話があるのであります。藤原忠通公の邸宅で歌会がありまして、源兼昌さんは読み上げ係の講師をつとめておりましたが、俊頼さんの歌に作者名が抜けていまして、まごつくんですね。俊頼はただ読めよというもんですから、読み上げてみたら、歌の中に「としより」が隠れていていわゆる物名(もののな)になっていまして、兼昌さんは感心したと言うんであります。忠通公も、どれどれって歌の草稿を手にとって見たと言うことで、まあこんなところに人柄が表れるんであります。以上の話は、索引を使えば誰でも引っ張り出せます。合計2分の作業であります。では、「ぬ」が連体形だという内堀を埋めてみたいと思うのですが、仕上げをご覧じろ。
『新古今集』巻第十三・恋歌三 1153番
百首歌に 式子内親王
逢ふことを けふ松が枝の 手向草 いくよしほるる 袖とかは知る
「いくよしほるる袖?」と分かる?、分からないでしょう、というような表現であります。「かは」は、もちろん反語の係助詞ですから、式子内親王の歌は、歌の四句目と五句目に、それぞれ反語表現があるという、複雑な歌なのです。「どれだけ袖をぬらしたと思ってるの?」というのが自然な言い回しでありますが、この歌を証拠にして源兼昌さんの歌に迫ることを許してもらえればいいわけであります。だから、例の歌は、全体をカッコで包み、その下に「とかは知る」という相手に同意を求めつつ、相手の想像力を超えた事態を愁訴するものだと分かればいいわけであります。幾晩考えた内容だと思いますか、想像付かないでしょう。二晩くらいです。
「淡路島(へ) 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」(とかは知る)
(訳)「淡路島へと行き通う千鳥の鳴く哀愁を帯びた声に、幾夜寝覚める事のない須磨の関守」とお分かりか、分からないことでしょう。須磨の関守は、毎晩のように目覚めているのです。
「寝覚め」というのは、「寝覚む」という動詞の活用形でありますけれども、夜中に不規則に目を覚ましてしまうということであります。「ぬ」を打消の連体形に見なせば、「幾晩目を覚まさない関守?と思ってるの?毎晩なんだよ」ということでありまして、これで一件落着であります。池田弥三郎先生も、きっとあの世でお喜びでありましょう。だれもが打消の連体形に見えていて、それを言い出せなかったのは、「幾夜+(連体形)+名詞」という構文が、あまり一般的じゃないからでしょうね。あまり、証明にはなっておりませんが、見付けちゃった人の勝ちと言うことでありましょう。香川景樹さんは、『新古今集』に入っている藤原清輔の歌「年へたる宇治の橋守こと問はむ幾世になりぬ水のみなかみ」(新古今集巻七・743)を例示して、すべっております。索引が完備していない時代ですから、例を見付けるのに苦労なさったんでしょうね。いい時代になりましたね。たぶん、百人一首を扱った中での私の最大の手柄はこれです。
兼昌の 詠みたる歌の 解釈を 幾夜案ぜぬ 暇な老人(粗忽)
(訳)源兼昌の詠んだ「須磨の関守」の歌の解釈を、幾夜も案じない暇な老人とご存知か、幾夜も幾夜も案じに案じた、暇も暇、暇を持て余している老人とご存じあるまい。(別にそれほど暇でもないが、ほんとは二晩くらいは考えました。)
なお、よい子はここに出て来た結論を決して拡散しないようにしましょう。何故なら、どこかのブログに書いてあったからと主張しても、ブログごときものに影響されたと非難されるでしょうし、答案に書いても、教室で自主研究として発表しても、あなたの得には何一つなりませんので、謹んで自重していただきたいものです。
コメント
コメントを投稿