超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(74) 源俊頼

憂かりける人を初瀬の山おろしよ烈しかれとは祈らぬものを      源俊頼朝臣

       (千載、恋二、707)(散木奇歌集八、恋下)


〔釈義〕

私にふさぎこむ思いをさせて全く冷淡だった人を、憚って捧げたお祈りに、応えて下さった筈の観音さまの霊験とは、なんとまあ、無情な初瀬の山颪ってことだよ。その無情な初瀬の山颪よ、(私はそれの吹き方が一層)烈しいものであれとは祈らなかったのに(、前よりもっと烈しい寒さの身にこたえるものになってしまって! そのように、あの人の冷淡さがもっと烈しくなるようにと祈ったのではない、あの人がやさしくなるようにして下さいとお祈りしたんだのに、却ってあの人の無情さ冷淡さは、前より一層ひどいものになるなんて!ああ、何としよう)!


〔義趣討究〕の要旨

① この歌には、釈義上の問題点が二つある。第一は「憂かりける」ないし「憂かりける人を」がどこへつづくかということ。第二は「山おろしよ」の「よ」はいかなる意味かということ。通解では、「初瀬の山おろしよ」を挿入句と見、「よ」は呼懸の終助詞だと見ている。こう見るとこの歌は三句切れとなるが、「憂かりける人を、烈しかれとは祈らぬものを」と続くととるのは破調であり、中世の歌人たちに名歌としてもてはやされたとは思えない。

② 「初瀬の山おろしよ」を呼懸とすると、「憂かりける人を烈しかれとは祈らぬものを」は、初瀬の山颪に向って言い懸けた内容だが、そうとすれば「烈しかれとは祈らぬ」は「憂かりける人」に言うのであって、山颪に何も言っていないことになる。

③ 「涼しさは秋やかへりて初瀬川古河の辺の杉の下蔭」(新古今集261)を参考にすると、「初瀬川」の「初」は「恥づ(る)」を懸けている。問題の歌も、「はつ」を「恥づ(る)」との懸詞と見て、冷淡で打ちとけぬ相手の態度に対して、「気づまりに思う」「憚る」と意味であると考えられる。この歌の上の句は、「憂かりける人を(恥づる)」が序で、「初瀬の山おろしよ」が本題ということになる。

④ 下の句の祈りは初瀬観音に捧げた祈願で、祈りの目的は観音の霊験によって冷淡な人が態度を変える事であったが、結果は期待に反して烈しくなったことを、初瀬の山颪に重ね合わせている。

⑤ 俊頼の散木奇歌集の恋の歌において、歌中に体言止めの句があると、それは「冬の池の入り江の芦間さえさえていつかは霜のうちも解くべき」などのように、比喩の対象をあらわしたものになっている。「憂かりける」の歌の構造もこれと同様で、「初瀬の山おろし」は比喩の対象である。すっきりさせれば、「憂かりける人を恥ぢて祈った結果は、憂かりける初瀬の山颪みたいなものよ」に落ち着くのである。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、千載集の詞書に「権中納言俊忠家に、恋の十首よみ侍ける時、いのれども不逢恋といへる心を」とある。作者は、住吉物語の主人公が初瀬に参詣して恋の成就を祈る場面を取り上げた。原典ではまだ見ぬ恋であり、その祈願はかなえられたが、それをつれなき人に逢わぬ恋で、しかも願意がかなえられぬものに置き替えた。

② 初瀬寺に参籠したけれどかいもなかったといって、仏を恨む気持にまで発展させたが、その気持を直接あらわさず、初瀬の山颪に恨みを肩替りさせている。こうすることによって、この歌は人事の歌にとどまらず、自然詠の要素を具え、辛さを肌で感ずる深い趣をもった。

③ 上の句で強烈な主観を叩きつけるように一気に打ち出し、下の句は激情を和めた趣で思いの内容を繰広げはじめる。定家が近代秀歌にこの歌について「心深く詞心にまかせてまねぶとも言い続けがたく、誠に及ぶまじき姿なり。」と言っているのもなるほどと思われる。

④ 上の句の結びに、「よ」があることによって強調する効果をもたらし、字余りが却って重みを持たせる効果を生むと思われる。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の源俊頼の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、通説について二つの問題点を指摘しまして、批判の対象としています。三句目の末尾は、「よ」のある本とない本があって、この本文異同が問題ですが、「よ」がある場合三句切れが確定するわけですが、「初瀬の山おろしよ」を挿入句として扱って「憂かりける人を・はげしかれとは祈らぬものを」と接続させる通説の弱点を、著者は痛烈に批判しています。そこから「初瀬」と「恥づ(る)」の掛詞を検討して提唱していますが、著者の主張は複雑すぎて私などには理解が困難なところが多々あるように感じられました。


近年出版された小田勝氏『百人一首で文法談義』(和泉書院、2021年)には、ここで紹介している桑田明氏の説は出てきませんが、古注釈も含めて俊頼の「憂かりける」の歌についての解釈のパターンの整理が試みられていて、とても有益だと思います。小田勝氏は、「憂かりける人を」の係り先をA「激しかれ」とB「祈らぬものを」の二箇所が考えられるとして、次のように分類しました。

  ⅠA 「憂かりける人を、(初瀬の山おろしよ)、激しかれ」とは祈らぬものを。

  ⅠB 憂かりける人を、「(初瀬の山おろしよ)、激しかれ」とは祈らぬものを。

Aは、賀茂真淵や香川景樹などが提唱していて、これが通説化していることは桑田明氏も指摘するところでした。これに対して、小田勝氏はBではないかと考えているようです。どちらにしても、「初瀬の山おろしよ」が挿入句でありまして、「よ」があるために序詞として機能しないという弱点が存在すると見ることになるのでしょう。ともかく、どちらも掛詞を認めないという点で共通点がありまして、これに対して掛詞を認める説を小田勝氏はⅡとしております。

  Ⅱ 憂かりける人を果つ      激しかれとは祈らぬものを

           初瀬の山おろしよ

「果つ」と「初瀬」の掛詞は、島津忠夫氏や長谷川哲夫氏が採用していて、古注釈にもあるということを指摘しています。「恥づ(る)」との掛詞はこちらのバリエーションということになるでしょう。小田勝氏は、掛詞があるとする説に対しては否定的です。


〔蛇足の蛇足〕

以前取り上げた北原白秋の解釈は、小田勝氏の分類だとⅠAに当たりまして、観音に願をかけた内容と結果を補い、これに対して願とは真逆の結果を嘆くという歌に即した解釈を施すものです。歌に即した訳出を白秋の解釈から再構成すると、「私につらく当つてゐたその人を、自分はかうひどくなるやうにとは祈らなかつたのに」となりまして、補いの部分は「人の心が、やはらぐやうにと、初瀬の観音に願をかけて置いたのに、前よりもつらく、初瀬の山おろしのやうにはげしくあたるやうになつた」の部分です。白秋は「初瀬の山おろし」を序詞として処理していますが、近代の注釈もだいたいその方向だと思います。なるほどなあ、と思いますけれども、はたしてそういうことでいいのでしょうか。


やはり百人一首を愛する人に問い質したいのですが、この歌というのは、句切れがあるのでしょうか、それともないのでしょうか。白秋の解釈も、それ以外の近年の注釈でも、この歌に関しては句切れの事なんか誰も考慮していないのであります。要するに三句切れが、どうしたことかなかったことになるのです。それから、初句の「ける」ですが、これを過去の助動詞として説明する注釈書が多いのですが、恋人の様子を語るのに過去の間接体験の「けり」を使っていると見るのは誤りだと思いますので、せめて詠嘆の助動詞と説明するしかないと思いますが、そんなところから話が始まるのは、何だか情けないような気がいたします。さらに、恋の歌の中に出て来る「人」というのは、二人称が断然よかったはずなんですが、諸注釈はだいたいというかほとんどというか例外なく三人称で処理していたりするのでございます。


さて、今、この歌に関して考えていることを、かいつまんで説明してみたいと思います。まず、この歌は初句切れの歌でございましょう。私も一時は「憂かりける人」と考えていましたが、やはり詠嘆の助動詞を考えると初句で切れまして、「ける」は詠嘆にさらに詠嘆の加わった連体止めなのでしょう。言葉を補うなら、「憂かりけることぞかし」のようなことになると思います。初句切れで全体が倒置していますので、末句の「ものを」は逆接詠嘆というよりは、逆接の確定条件で、初句に連なるものだと考えるのがいいと思います。


「うかりける人」という表現は、「ける」を取り除くと「憂き人」ということになるのですが、この表現というのは、交際していたのに近ごろご無沙汰の「冷淡な人」「嫌な人」という意味でありまして、「憂き人をはげしかれ」と祈る・祈らないというⅠAは、格助詞の「を」が「はげし」が受けるのは無理なので成立しないことでしょう。では、「憂き人を『はげしかれ』と祈らぬものを」は一見いいように見えますが、これの結論というのは「憂き人はいとどはげしくなりまさる」ということで、実は何の救いもない内容の歌になるんですが、いいのでしょうか? なんとなくなんですが、まだ相手に望みのある時に「憂き人」というふうに相手を呼ぶのはおかしいのでありまして、「憂かりける」は初句切れだと思うんですが、念のため「憂き人」を俊頼が詠みたかったなら、次のように詠めば済むことだったのではないでしょうか。


憂き人を 初瀬の夜半の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを(粗忽改造)


そうじゃないとしたら、俊頼の意図としては初句の「憂かりける」は、ひょっとして「初瀬の山おろし」もしくは「山おろし」に掛かるのかもしれません。「人を」という表現を差し置いて、実は「憂かりける初瀬の山おろし」と俊頼は言いたいのではないでしょうか。これを、主語述語の関係に修正すると「初瀬の山おろし(が)憂かりける」となりまして、これなら何の問題もない表現ではないでしょうか。


それから、初句の「ける」を詠嘆とすると、この和歌には過去の助動詞は使われていないことになります。この歌の末句は「いのらぬものを」でありまして、これを「いのらざりしものを」のつもりで「いのらなかったのに」と訳してある注釈は、すべて何かをごまかしていると断じていいと思います。「はげしかれとは(我は観音に)祈ってはいないのに」というのが俊頼の表現ですから、過去に祈って現在激しくなっているという時間軸の設定は、たぶん誤読しているのであります。おそらく、初瀬を吹く山おろしは、穏やかに吹いてほしいという期待を裏切って、激しく吹きまくっているわけで、そういう自然現象を背景にして、「初瀬の山おろしよ、優しく吹いてと祈っているが、激しく吹いてとは祈っていないのに、つらいことだわ」というのが、おそらく一首の表面的な内容なのでしょう。


そして、非常に提案しにくいのでありますが、あえて持説を押し出すと、「初瀬」のところに、おそらく「外せ」という四段活用動詞「外す」の命令形が掛けてありまして、「外す」は恋愛関係の場合は、「恋の相手を取り逃がす」という意味なので、ここは「人を外せ」によって、吹き荒れる初瀬の山おろしが観音の御告げのように「まるであなたを(観音様が)取り逃がせとすすめている」というような内容が隠されていると思われます。「はつせ」に「はづせ」が掛かっているというような指摘は、これまでまったくされてこなかったようですが、そういう掛詞に何か問題でもあるのでしょうか?


(観音の御告げは)憂かりける。人を外せ(と言はぬばかりの)初瀬の山おろしよ。(山おろしを)はげしかれとは(誰も)祈らぬものを、


以上から、この俊頼の歌は、初瀬の長谷寺の観音様に恋愛成就を祈りに参詣したのでありますが、夜通し祈りを捧げているのに、初瀬の山おろしがますます激しさを増しまして、つらく感じるという自然描写が表面の内容なのです。そして、祈りの内容は近ごろ訪問の途絶えた「あなた」を追いかけるのは諦めよという観音の御告げがあるような気がして、そうじゃないのにと憂鬱に思っているということではないでしょうか。恋する人が誰もが味わう、恋の不安、憂鬱を詠んだものでしょう。祈れば祈る程不安が募り、それは長谷寺を吹き下ろす山おろしによって増幅しているのであります。


①表面=初瀬の祈祷を邪魔するほどの山おろしの音の怖さ

初瀬のやまおろしをはげしく吹けとは祈らぬものを、ますますはげしく吹きすさめば憂かりけることぞかし。


②内実=山おろしから喚起される日ごろの恋人の冷淡さへの嘆き

汝を外せ、諦めよと吹く初瀬のやまおろしの如く、汝は「我に冷たくあれ」「訪れも途絶えよかし」とは、みじんも観音に祈らぬものを、離れ離れの汝が憂かりけることぞかし。


つまり、この歌というのは、初瀬の長谷寺に参詣して夜通し観音様に現世利益の祈願をしていることを前提として、その祈願を邪魔するように吹きすさぶ初瀬の山おろしに焦点を当てて詠んだものなのでしょう。だから、実はありふれた祈願の内容など、この歌では微塵も触れていないのであります。詠作主体が男性なら、意中の女性がすげない態度を改めて逢瀬を認めてくれるように祈願するでしょうし、詠作主体が女性なら、言い寄る男性が毎晩のように通い詰めてくれることを祈願するわけです。俊頼は、そんなありふれた祈願の内容を込めた歌ではなく、祈願の障害となる山おろしを、掛詞を使って「人を外せ」と迫るものとして表現した可能性が高いことでしょう。この歌から「人を」という表現を抜き去り、代わりに「夜半の」を適当な位置に入れて見ると、


憂かりける 初瀬の夜半の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを(粗忽改造)


となりまして、これはただ山おろしを詠んだだけの歌になるわけです。


〔蛇足の蛇足の蛇足〕

以前書いたものを、掲載しておきます。ご参考までに。


『千載集』巻第十二・恋二 707番

      権中納言俊忠の家に恋十首の歌詠み侍りける時、

      いのれども逢はざる恋といへる心を      源俊頼朝臣

憂かりける 人をはつせの 山おろしよ 激しかれとは 祈らぬものを


これが、『百人一首』のへそであります。「あの定家ときたら、俊頼の歌が大好きらしくてさあ、それもよりによって ”もみもみ” したのが好きらしいんだ(笑)」、というようなことを後鳥羽院が『後鳥羽院後口伝』という歌論書で指摘しております。要するにこの二人は似たもの同士でありまして、意地の張り合いがあったと言うことなのであります。さらに『新古今集』を選定する際の、イニシアティブ争いがありまして、政治的な帝王はもちろん後鳥羽院なんですが、こと和歌というか歌道においては、定家の方が帝王であるわけで、後鳥羽院の面子がつぶれるくらい、定家は悪口雑言を摂関家などに言いふらしたようなのであります。どちらもどちらでありまして、結局仲直りのかなわないまま、一人は隠岐の島に幽閉されて生涯を台無しにし、一人は京都に踏ん張りまして、再度の勅撰集撰者の名誉を勝ち取りまして『新勅撰集』というものの撰者になりました。若い頃に宮中で喧嘩沙汰を起こして官位が滞った時期もあったのに、最終的には中納言まで累進できたのも、本人にとっては奇跡だったはずです。「京極中納言定家卿」というのは、鎌倉時代中期以降の呼び名ですが、本人はうれしかったろうと思います。


又、俊頼堪能の者なり。歌の姿二様によめる。うるはしくやさしき様もことに多く見ゆ。又、もみもみと人はえ詠みおほせぬ様なる姿もあり。此の一様、則ち定家が庶幾する姿なり。うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬ物を。この姿なり。(『後鳥羽院御口伝』)


文庫本の紹介です。二度目かも知れません。紹介したいのは、池田弥三郎さんの『百人一首故事物語』(河出文庫)でありまして、昭和59年(1984)12月4日初版発行というとこですが、その日は大安だったんでしょうか、出版した本の奥付に記載するには珍しい中途半端な日付であります。池田弥三郎さんは、大正3年(1914)12月21日生まれで、慶応大学の国文科の教授を務めた方であります。慶応大学の国語の試験を廃止してしまったご当人でありますが、卓見でもあり、単なる稚気溢れる野蛮行為でもありましょう。亡くなったのは、昭和57年(1982)7月5日ですが、まだ67歳ですから、今だと早すぎるんですが、当時としては天寿を全うされた方に入りますね。


銀座の天ぷら屋さんの次男で、洒脱な都会人。慶応受けるのには、国語って要らないんだぜ、ということを田舎の子は知らないのであります。その密かな差別のアイテムを作ったのがこの方。さすがだ。


かすかな記憶では、軽妙洒脱な方でありまして、安心して聞いていられる都会人の話し方をする方でありました。折口信夫の弟子でありますけれども、学者さんと言うよりはエッセイストとして優れた方であると、若い日の私なんかは認識していたんであります。この文庫の内容は、江戸の川柳や狂歌から『百人一首』を眺めていまして、とても役にたつものであります。この本の、この源俊頼の歌の所で、池田弥三郎さんは「人を初瀬 なにか掛詞があるべき箇所であろう」とご指摘なのであります。だから、池田弥三郎さんには腹案があったと思うのですが、別に和歌の専門家ではありませんから、新説を提示して頑張る必要もないし、さりげない指摘で終わっているんであります。このあたりが、やっぱり銀座風なんでございましょうね。無理をしないし、無理強いをしないのであります。


諸注釈は、「人を祈らぬ」と理解しているが、それはおそらく誤り。そう言う語法はありません。今も昔も「神に人を祈る」とか「仏に人を祈る」などという語法は普通ではないと思うんですが、どうなのでしょう。


もとより調べて言うわけではないのですから、間違っていたらご容赦下さい。古代には「神を祈る」という語法もあったそうですが、平安時代には「神に何かを祈る」という言い回しのはずなんであります。具体的には「神仏に願い事の成就を祈る」というのが基本文型でありまして、教わらなくても昔からそうなっていたようであります。『日本国語大事典』(第二版)が詳しく解説しておりますね。この和歌に即して言うなら「初瀬の長谷の観音様に、今まさに恋愛の成就を祈っている」わけでありまして、それなのに相手が冷たくなっておりまして、日頃のご無沙汰を思うだけでもつらいのに、山おろし吹きすさぶ徹夜の祈願はつらくて「憂かりける」という状態に陥っているわけです。もともとが、「祈れども逢はざる恋」という題に即して詠んだ歌でありまして、作者は男ですが、男の歌でも女の歌でもかまわないものです。「憂かりける人」というのは、諸注釈は「憂き人」に過去の「けり」が付いたものであると主張していますが、それは誤りでしょうね。訳しにくいんですが、初句切れにして「憂鬱だなあ」となるのがいいでしょうね。「初瀬」の掛詞で考えられるのは、恥じるという意味の「恥づ」の終止形か、終わるという意味の「果つ」の終止形、そして外すという意味の「はづす」の命令形、「外す」だと意味が通ります。倒置法の歌だとみなすなら、こうなります。


「初瀬の 山下ろしよ 激しかれとは 祈らぬものを (激しく吹くは)憂かりける 人を外せ・外せ・外せ……」


吹き下ろす山からの強い風に、初瀬の観音様のメッセージは、「お前の相手を捨てよ・あの人を捨てよ・あなたを捨てよ」というものでありまして、恋のターゲットから外しなさい、あきらめなさいと言っているのかも知れません。これを証明するにはどうするかというと、「初瀬」に「外せ」が掛けてある例を探すことでありますが、これ一例だからと言って、掛詞が成立しないわけではありませんよね。一回きりの、不発の駄洒落と言うこともありますし、否定する根拠はあまりないと思います。もともと、「もみもみ」した歌でありますから、おかしな掛詞があって不思議はないのであります。京極中納言様が大好物なんですから、普通を超えた「もみもみ」であるはずなんですね。参考になるかどうか分かりませんが、『新古今集』にはこんな歌がございました。詠み人知らずの歌です。 


『新古今集』巻第十六・雑歌上 1518番

  能宣朝臣大和の国まつちの山近く住みける女のもとに夜更けて

  罷りて逢はざりけるを恨み侍りければ    詠み人知らず

たのめこし 人をまつちの 山風に さよふけしかば 月も入りにき


これを本歌取りした後鳥羽院の歌も、恋の三・1197番に見えますから、「人を待つ」と「待乳山」(大和の国の歌枕のようです)が掛けてありまして、これは別に変ではありません。同じ感覚で、当時の歌人が源俊頼さんの歌を見たならば、「人をはつせ」のところには、おそらく掛詞を想定したことでありましょうね。というわけで、ひょっとすると大手柄でありましょうか。まったく自信はありません。私が銀座の老舗の息子なら、こんな説を唱えて、大手柄なんて吹聴しないはずであります。かっこ悪いものね。賤・山がつの子だから、かくもぶざまに本音が言えるんです。

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