超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(72) 紀伊
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ 祐子内親王家紀伊
(金葉、恋下、501)(祐子内親王家紀伊集25098)
〔釈義〕
評判に高い、あの高師の浜のやたらに打寄せる波は、袖に打掛けないように遁げましょうよ。打掛けられたが最後、袖がぐっしょり濡れもしましょうもの。(浮いたお方という噂も高いあなた様のあだ情は、お受けしないことにいたしましょうよ。一度お情けをいただいたが最後、それっきり捨てられてしまい、私の袖は絶望の涙で濡れ通しということにも、きっとなりましょうもの。
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、金葉集の詞書によると、「堀河院の御時、艶書合によめる」と題した中納言俊忠の歌「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ」(金葉集500)の「かへし」となっている。
② 俊忠の歌の末句には、「いかまほしけれ」という異文があってそれを採用する注釈も多いが、「いか」に特に懸詞がないなら「ゆか」の形でないのか不審である。また「夜こそ行かまほしけれ」は求愛が露骨に思われる。「言はまほしけれ」の方が歌意が通じる。
③ 紀伊の歌の二句目が「高師の浦の」となっている本もあるが、家集には「高師の浜の」となっている。贈歌の「ありその浦」は越中の歌枕であるが、普通名詞「荒磯」と解することも可能であり、紀伊は普通名詞として受取って応じたのであろう。
④ 紀伊の歌の四句目の「かけじや」の「かく」を、「波を袖にかける」と「あなたに心(=思い)をかける」を懸けたものと諸註では解しているが、「あだ波はかけじや」のかける主体は波であって我ではない。「あなたに心(=思い)をかける」ことを問題にするのは文面に合わない。
⑤ 「あだ波はかけじや」の「じ」は、打消意志をあらわす助動詞だと言ってもよいが、それは「ないつもりだ」「まい」と口訳出来るようなものではなく、「ないようにしよう」と口訳すべきもので、「あだ波〔あだ情〕は打掛けないようにしようよ。(打掛けられないように遁げようよ。)」の意となる。これは、百人一首42の清原元輔の歌の「波越さじ」の「越す」の主体が波であるのと同趣であり、防止の意に相当する。
⑥ この歌は、北村季吟八代集抄にいうように、「身を投げむ渕もまことの渕ならでかけじやさらにこりずまの波」(源氏物語、若菜上)を参考にしていて、この例でも「かけじ」の意味は同様に防止であると思われる。
〔鑑賞〕の要旨
① 俊忠の贈歌の五句を「いかまほしけれ」とする時は積極的な態度の歌だが、「いはまほしけれ」なら遠慮がちなしおらしい求愛の歌である。紀伊の「あだ波はかけじや」という応答は、いかにも高飛車に出た拒絶であり、真向から一刀両断に斬捨てた感じがする。すれっからしの女性の掛合に勝誇った姿が何か毒々しさを伴って浮ぶ。
② しかし、王朝的感覚はそうでないであろう。男の求愛を一応拒絶するのが女のたしなみであり、男の態度に難癖をつけることもおくゆかしいとされていたと考えられる。相手を浮気男ときめつけることも、却って女の心を動かす男性として認めたことになる。これを贈られた男は、女への慕情を増すことになるだろう。
③ この歌は、贈歌の歌枕をすり替えて、高師の浜のあだ波に袖の濡れることを防止しようという意味と、浮気な相手の詞に乗らないで破滅を防ごうという意味を二重に持たせたところ、実に鮮やかな手際の詠みぶりである。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の紀伊の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、まず贈答歌の贈歌、返歌それぞれの異文について言及しておりまして、贈歌に関しては「いはまほしけれ」のほうがいいのではないかと結論付けております。そうすることで男性の求愛の歌が控えめな内容となりますが、これに対して紀伊の返歌が非常に高飛車に感じられると著者は指摘しまして、ただそれが却って男の慕情を増すのだというような見解のようです。また、紀伊の歌の「あだ波はかけじや」について、諸註に見られる「あなたに心をかけまい」「あなたに思いをかけまい」とする説を退けまして、「あなたのあだ情は、お受けしない」というような解釈を正解であると提示しています。
おそらく、「あだ波はかけじや」という表現の中の「あだ波」を、「あなたの発する浮気な言葉」の比喩と取るのか、それとも「あだ波」を、「浮気な言葉をよこすあなた」「浮気な人」とみなすのかによって、意見が相違するわけで、中には「あだ波」の解説と、提示した口語訳がちぐはぐになっているような注釈書も存在いたします。これは結局「波を袖に掛く・袖が濡れる」という表現が、あくまでも浜辺の体験をあらわす言葉でありまして、それを恋愛における状況の比喩にした時に、人によって理解がずれるということでありまして、決着が着くのかといえば、なかなか簡単に白黒が付くようには思われません。「袖が濡れる」というのが、後で捨てられて泣くはめに陥るということを比喩しているのであれば、「波を袖に掛く」ことが、単に男から言い寄られることだと見るのは物足りないわけで、女の方が男に好意を懐くことを意味するのだという発想でありますから、一理あると言えるのかもしれません。比喩的な表現というものは、現実を余すことなく表現する必要があるというものでもないはずなので、そこに飛躍があったり、多少の非対称な関係があっても仕方ないかもしれません。著者は、「あだ波」を「あだ情」と釈義で表現しておりますが、ここを「浮気な言葉」とする注釈もあり、もう一度確認すると「浮気なあなた」「浮気な人」とする注釈もけっこう存在するわけです。
なお、「あだ波はかけじや」の「は」は係助詞でありまして、これは強調というような働きをしているものでありまして、この「は」の位置に格助詞を補えば「あだ波をかけじや」となりまして、著者はこの部分の主体を「あだ波」と言うんですが、正しくは主体は「我」のはずでありまして、「我はあだ波をかけじや」もしくは「我はあだ波を袖にかけじや」と考えるべきだと思います。
〔蛇足の蛇足〕
上でも指摘しましたが、「あだ波はかけじや」というところが、実はよく分かりません。前に取り上げた北原白秋は「何と言われても思いをかけますまい」と訳出しておりまして、どうも「我は汝に思いを掛けまい」と理解しているようです。この点は、白秋が粉本とすることの多い佐佐木信綱『百人一首講義』と意見を異にしているようで、信綱は「仰せらるる事は、聞きいれじ」と訳出しておりますので、「我は汝の言ふことは聞き入れまい」という理解です。信綱の訳は尾崎雅嘉『百人一首一夕話』から影響を受けています。近年の注釈を見ると、白秋のような訳をするものもありますし、雅嘉・信綱のような訳をするものもあります。今回の著者は後者を支持しているわけです。「じ」は打消しの意志の助動詞「じ」の終止形でいいと思いますが、近年の注釈書が「や」を感動の終助詞とする点については判断が付きません。単なる強調で、終助詞の「かし」のような働きではないかと思ったりいたします。「あだ浪はかけじや」の「は」を、格助詞の「を」に置き換えて「あだ浪を(我は袖に)掛けじや」と考えて見ると、「あだ言を我は気に掛けじや」という意図がくみとれますから、信綱のような解釈がよさそうです。ちょと、紀伊の歌を変形してみます。
音に聞く 高師の浜の 寄する浪 あだには掛けじ 袖もぞ濡るる(粗忽改変)
「もぞ」は「もこそ」と同じように、危惧とか懸念とか不安などを述べる用法で、近年では「~すると大変だ」「~したら困る」などと訳出するようです。「我は波をあだに掛けじ」というのは、もちろん元の歌の表現とは違うのでありますけれども、「騙されないわよ」というようなニュアンスはこれでも汲み取れるかもしれません。要するに浜辺に関わる表現が、恋愛の比喩に使われていても、一対一対応するわけではないので、理解には幅を持たせるべきだと思うのであります。
音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ
(『金葉集』巻第八・恋下 510(463)番 祐子内親王家紀伊「かへし」)
四句目の途中で切れるという歌であります。色っぽい歌でありますが、作者のことを何も知らないのでありまして、知らないはずであります。この歌を歌合に参加して詠んだ時には、70歳のお婆さんであったそうです。うわあ、すごいなあと思いましたら、島津忠夫先生の『新版百人一首』(角川ソフィア文庫)では、同じ歌合の時に一緒に出詠した筑前という女房は、なんと紀伊を上回ることおびただしく、90歳だったなんて書いてあります。ひいおばあさまは、現役の歌人であらせられるというような感じですね。恋の歌を詠む催しだったそうですが、こういう女房が代詠してくれているから姫君は安心して、交際したり、男を品定めしたり、すんなり結婚できたのでありましょう。
堀河院御時艶書歌合によめる 中納言俊忠
人しれぬ思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ
かへし 一宮紀伊
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ
堀河天皇というのは、一般には知られていない帝王ですけれども、白河院の秘蔵っ子でありまして、残念なことに若くして崩御したのであります。崩御までの克明な日記が『讃岐典侍日記』というものに残っておりまして、息絶える瞬間の様子までがなまなましく描かれているんです。非常に優秀で、秀才肌、官僚気質でもあり、その一方で芸術家肌でありまして、長生きしたら四海波穏やかで、歴史が相当違っていたことでしょう。その御前で催されたという「堀河院御時艶書合」(ほりかわいんのおんときのけそうぶみあわせ)に提出した歌なのだそうです。「艶書」というのは、ラブレターの事でありまして、普通に漢字を当てたら「懸想文」でありましょう。集まった歌を男女で組み合わせて、恋の贈答歌の形式にしたのでありまして、紀伊とつがえられたのは、中納言藤原俊忠という貴族でありますが、これが藤原俊成さんのお父上、要するに藤原定家さんのお祖父さまなのでありますから、『百人一首』の中でも意義深い和歌の一つなわけです。この歌のうまみというのは、まったく海岸での海水浴の一場面のような歌であると言うことなのです。「噂に聞く、和泉国の名所高師の浜の波なんて、袖に掛けませんよ。濡れたら困るもの」ということなのであります。
高師の浜というのは、大阪府高石市の海岸のこと。高師浜駅まで実在するそうです。サッカー協会の川渕三郎さんの出身地だそうですが、申し訳ないことに、大阪府にそう言う都市があることを、私はさっきまで存じ上げませんでした。そして、ここにしたためても、すぐに忘れてしまうことでしょう。
ともかく、紀伊の歌は浜辺の歌なのでありまして、本来なら歌枕を詠んだ旅の歌ということですね。それが、歌合の主旨からすれば、どこからどうみても恋の歌なのであります。
しかし、これが、「あだ波」という歌語の存在によって、いきなり反転しまして、恋の歌に早変わりするわけです。そうすると、地名であった「高師」というのは、「音に聞くのも高し」となって、評判のプレイボーイが登場してしまいます。「掛けじとするあだ波」というのは、手練手管の恋の駆け引きに引っかかるまいということでありまして、「袖の濡れもす」というのは後で泣きを見ると言うことであります。浜辺の歌としては「波」で袖が濡れますが、当然ながら恋の歌としては「涙」で袖が濡れることになります。「もこそ」というのは、すでに指摘済みですが、危惧・懸念、要するに不安を表明するもので、「~すると困る」と訳したりするのが基本です。70歳のお婆さんとは思えない、味わいのある控えめな、いえいえ理解できたらとても激しい恋の歌なのであります。噂の男性が、私の魅力に目を付けて口説いてきたわね、うれし恥ずかし、というようななかなかの風情なのであります。
よくよく注意して見れば、「音に聞く」「高し」「あだ」「袖の濡れ」というように、恋に関連する詞が連なっておりますから、単なる羈旅の歌、海岸の歌、汀の水遊びの歌、というにはとどまらないわけであります。
最初から恋の歌だと思ってみると恋の歌なんですが、京都あたりの貴族が和泉の国までお出かけして、慣れない海岸の波打ち際を歩いているとしたら、これは単に海岸で戯れているだけの、たわいもない歌なのであります。「あだ波」は、辞書を見ると「無意味に立ち騒ぐ波」というような解説が出てきますが、実は諸説紛々でありまして、定説なんかないのでありまして、もしかしたら規則的に打ち寄せる波の合間に、少し高い波が来たりすることを言うのかもしれません。だとすれば、宮廷女房と貴族が職務上打ち合わせなどをする時に、冗談で口説いたり口説かれたりしているんですが、桜がきれいだったり、月が明るいと盛り上がりまして、少し本気になったりすることを例えるのかもしれません。
音にきく たかしの浜の 袖の波 濡れもこそすれ うれし恥ずかし(粗忽謹製)
※「たかし」のところを、「あきら」「ひろし」「きよし」などお好みの名前でどうぞ。
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