超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(71) 源経信
夕されば門田の稲葉音づれて葦のまろ屋に秋風ぞ吹く 大納言経信
(金葉、秋、183)(経信集25276)
〔釈義〕
(昼間はさすがにまだ残暑がきびしいが、)夕方になると、まず庵の前にある田の稲葉にさわさわと葉ずれの音がし、それが秋風の訪れの前触れとなって、それに続いて葦で屋根を葺いたわが仮庵に、秋風が一杯に吹入って来ることだ。(まことに夕方はすがすがしくさわやかな今日このごろであるよ。)
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、金葉集の詞書に「師賢朝臣の梅津の山里に人々まかりて、田家秋風といへる事をよめる」とあって、作歌事情は明かであり、歌意も平明であるが、どんな情感か決しかねるので、「秋風ぞ吹く」で結ぶ歌を勅撰集で拾って検討してみる。
② 古今集には「秋」が「飽き」の意を含んでいる歌があるが、それに準じて「秋風」も「飽きの風」の意味を持たせてあると解される「忘れじの言の葉いかになりにけむ頼めし暮は秋風ぞ吹く」(新古今1303)のような歌群がある。また、その一方で、「秋風」が索漠・荒寥・悲愁・無常といった感を漂わせる「故郷は散るもみぢ葉に埋もれて軒のしのぶに秋風ぞ吹く」(新古今533)のような歌群がある。これらは重い情感である。
③ それに対し、軽い気分の爽涼・爽快といった情感である「手もたゆくならす扇のおき所忘るばかりに秋風ぞ吹く」(新古今309)のような歌群がある。万葉集にも「君待つと吾が恋ひ居れば我宿の簾動かし秋の風吹く」(万葉集巻四488)のような例が見られる。秋ないし秋月・秋風といったものに対する情感が悲愁・寂寥といった方向に傾くのは漢文学や仏教無常観の影響によるであろうが、元来自然の景物や現象は主観的精神状況によって明暗種々相を呈して来る。
④ 同じ作者経信の「秋風ぞ吹く」の類例を見て見ると、これらの歌の秋風を見聞く情感は、懐旧の情を誘うものや悽切なものもあるが、農山村の情景の生動に伴う清新な情感を詠んで爽涼・爽快に入るものもある。「夕されば」の歌は田家の生活に身を置いて詠んだものと考えられ、「音づれ」という表現は自然の生命の躍動する感があるので、まことに清新で爽快である。
⑤ 「夕されば〇〇する」という形は、一時の感動を詠んだものではなく、或期間の習慣的な現象としての把握の詠出と受取れる。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、秋のはじめ頃の田家の生活を叙したもので、まだ残暑もきびしく、昼間はうだっているが、夕暮れ時になると、稲葉が音をたてはじめ、庵に涼しい秋風が吹いて来る一連の現象が活写されて、そこに静かに生きる田園情趣が豊かに漂っている。
② この歌は詞書によって題詠であることが知られるが、実感の叙景の歌であるように感じられる。ここには、田家の生活の爽やかな一面が生き生きと描かれている。俗世を離れて閑居の味わいを楽しむといった方丈記の境地を思わせるものである。時代の先駆をなす清新な作者独自の歌境が見られる。
③ 「門田の稲葉音づれて」は、稲葉が音をたてるのであると同時に、秋風が稲葉に訪れて音をたてるのでもあり、また稲葉の音づれが秋風の来ることの前ぶれともなっていることを示して、巧妙な措辞である。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の源経信の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、勅撰集における「秋風ぞ吹く」を末句に置く和歌を分析して、恋の終焉や寂寥感の歌群がある一方に、爽快感を詠んだ歌群があることを指摘しまして、「夕されば」の歌は爽快感のある軽い気分の歌であるということを主張しています。ただし、この歌の秋風を戸田茂睡などは「時節の景気あはれにも、さびしくも、感情骨髄にしみて、まことに身にしむやうなる歌」と評していますので、重い情感を感じる向きもあることでしょう。著者は、この歌が題詠であることを充分承知しながら、田園生活の実感がこもった歌として高く評価しておりまして、方丈記に連なるような閑居の楽しみを感じさせる歌だとも言っておりまして、そういう指摘は従来の注釈書も同様であります。
何となくでありますけれども、現代の都市化した日本社会では人口の半分くらいはもはや田んぼや畑のある環境が理解できないことでしょうけれど、今でも地方に行って幹線道路から外れれば、門田に囲まれて倉を数棟持つような豪農の家なんて珍しくもないのであります。50年も前であれば、地方の都市は貧弱でありまして、どこまでもどこまでも田んぼや畑でありまして、この源経信の歌を見せられたら、安心してその情景に浸る人の方が多かったのではないでしょうか。貴族からしたら、別荘に招かれた際の題詠をこなした歌なんですが、それを実感がこもっているというのは、あまりにも誉め過ぎでありまして、題詠を巧みにこなして卒がない歌道家らしい歌いっぷりを賞賛すべきではないのかと思います。平安時代なら、都市らしい都市は京都のみのはずでありまして、日頃都市の住人として暮らしていた貴族は、郊外に別荘を持って田園生活に憧れる気持を満たしたことでしょうから、一種の贅沢な田園趣味の歌と考える方がいいと思います。
著者はあまり問題にしていませんが、「門田」というのは領主などの土地持ちの直営田を指す言葉でありまして、実はかなりの豪邸が存在していてそれを取り巻いて広大な田地が広がっているのが普通です。説話には、門田を見てうっとりしている土地持ちが、急に出家遁世を思い立って高野山を目指すために周囲を驚かすという話があったような気がいたします。そこからすると、四句目に出て来る「葦のまろ屋」という仮小屋が奇妙でありまして、井上宗雄氏はこれを源師賢の梅津の別荘を指していると指摘したことがありますが、そうだとしても門田とは相容れない表現に見えます。久保田淳氏は、「葦のまろ屋」を稲の番をする田守の寝泊まりする小屋であろうと解説しておりまして、だとすると門田の豪邸とは別に番小屋があるということになるでしょう。
〔蛇足の蛇足〕
『金葉集』巻第三・秋 183(163)番
師賢の大納言の山里に人々まかりて、田家秋風と
いへることをよめる 大納言経信
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろ屋に 秋風ぞふく
『百人一首』の一つ前の「さびしさに」の歌について、恋の歌の可能性というのを提示いたしました。まあ、仮にその70番の良暹法師の歌について、恋の歌の可能性を否定する人がいるとして、不思議でも何でもありません。普通に受け止めたら、あれはどう見ても季節の歌であります。ただ、そういう鈍い方が、次のこの「夕されば」の歌を見てみたら、顔面蒼白、『アバター』の主人公並みに青くなるのは間違いありませんね。少し言葉が荒くなっておりますが、育ちが悪いと思ってお許しください。
秋の夕暮れという状況はまったく一緒でありまして、三句目に「おとづれて」とありますから、当時の結婚の形態である、通い婚ということを意識するには充分なのであります。「稲葉」というところに「往なば」を掛け、「秋風」のところに「飽き」を掛ければ、道具立ては70番の歌も71番の歌も、まったく同じだと言えるでしょう。良暹法師も大納言経信も、実はそういうことを意識しながら、プロとして歌を作っていたはずなのであります。仮に意識していなかったとしても、時代の方向はそっちを向いていたと穏やかに考えてもいいかもしれません。
大納言経信は、源氏でありまして、だから源経信なんですが、平安時代後期、いわゆる院政期に登場する歌道家の祖と言っていいのでしょう。歌壇の大御所ですが、それなのに不思議なことに勅撰集の撰者になれませんでした。『後拾遺集』というのは、白河院が下命したものですが、その側近の藤原通俊という、歌に関してはいまいちの人物が編纂しましたので、この源経信さんはたいそうお怒りになり、批判の書をしたためたのであります。それは、『難後拾遺』というような、ある意味まがまがしいタイトルの本であります。『後拾遺集』に入った歌で、駄目な歌を痛烈に批判した本であります。その執念は、ご子息の源俊頼が次の『金葉集』の撰者になることに結びつきましたので、ある意味無駄ではなかったと言えるでしょう。親子二代の歌人ということであります。孫が俊恵法師でありまして、それが鴨長明のお師匠さんに当たります。
ともかく、この「夕されば」の歌は、もはや新しい息吹が感じられる歌なわけでありまして、それはどの辺にあるかというと、季節の歌であるにもかかわらず、そこに人事というか恋愛が潜められているわけです。「夕方になると女を訪問してその住まいに男がやってくる」ということが、微妙な約束事によって隠し味になっているんですね。インドカレーを食べたら、ものすごくおいしいんだけれども、そこにはお醤油であるとか梅干しだとか、鰹のダシが効いているというようなことでしょうか。チョコレートでもいいと思います。ですから、めちゃめちゃうまいということですね。表面的には秋の歌で、平安貴族の田園趣味だとか、山里趣味といったものが背景にあるのは間違いなのでしょうが、隠し味が秋の夕暮れの男の訪問という人事でありまして、恋の影のないところでは、この歌は薄っぺらい風景画でしかないのであります。つまり、恋が隠し味ですから、これはうまみがたっぷり。ふむ。
でもって、諸注釈を見て見ると、この歌をまるっきりの叙景歌として受け止めていて、すがすがしいとか清新だとか、そんなふうな歌と称賛するんであります。ふむ、ふむ。「往なば」「おとづれ」「飽き」というような言葉の響きについて、何一つ気付かないというようなことが生じております。不思議の極みですね。「技巧を全く用いず、すっきりと詠みあげたところに、経信の新しさがある」と言い切っている注釈書(井上宗雄氏『百人一首』有朋堂、1967年)もありまして、本当にその通りだと同感する一方で、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱りたくなったりする今日この頃なのであります。
うらやまし 門田の稲葉 見るまろや 飽きずに通ふ まめ男かな(粗忽)
さて、この経信の歌について、恋の情趣を背景とすると、どうなるのかということを考えてみたいと思います。まず、「門田」というところから、ここは院政期と言う時代背景を考えるなら、もう荘園化された領地と言うことになりましょう。在地地主がおりまして、名目上は貴族などに寄進されているわけで、貴族は時折地主のもとに滞在などして、田植えや稲刈りなどを見物したり、夏には風になびく田んぼを避暑がてら見に参ります。荘園と言うのは、今で言えば村でありまして、働いているのは「賤・山がつ」と称する庶民・農民でありまして、住まいは貴族の目から見ると「葦の丸屋」という質素なものなのです。そこに見目麗しい若い女性「賤の女」が働いていれば、貴族や公達の目に留まりまして夜には忍び合う関係に発展するかもしれません。しかしながら、滞在は短く、また恋の冷めるのも早いのでありまして、初秋には「飽き」が生じることもあるでしょう。高貴な恋人が都に戻って「往なば」、もはや賤の女のもとに通って来るものは「おとづれもせず」、つまりいなくなり、訪れるのは吹き出した秋風だけという状況が生じるのであります。
(荘園からいとしき貴人が都に往なば、うれしき訪れも絶えて)夕されば 門田の稲葉(を吹く風のみが賤の女のもとを)おとづれて (いぶせき)葦のまろ屋に (定めとは言へ飽かれて身に滲む)秋風ぞふく(※粗忽による補い)
〔訳〕(門田のある荘園からいとしい高貴な方が都に去ったら、うれしい訪問も途絶えて)夕方になると、門田の稲葉を(吹く風だけが)音を立てて(身分の低い女性の許を)訪ねて来るばかりで、(粗末な彼女の)葦で葺いた丸屋に、(定めとは言いながらも飽きられて冷たく身に滲みる)秋風が吹く。(粗忽謹訳)
補った部分を排除しても、充分通じるような気がいたしまして、背景には身分差のある恋があって、例えば伊勢物語を本説取りした藤原俊成の「夕されば野辺の秋風身に滲みて鶉鳴くなり深草の里」(千載集259)なんかに通じる風情ではないかと思うのでありますけれども、いかがでございましょうか。「夕されば」「いなば」「おつづれて」「秋風」というような道具立てを無視して、これを純粋な山里趣味の叙景歌である、爽快な歌だとか、生命の躍動感があるというような理解は、何か積極的に誤読しているのかと疑われるわけです。俊成の歌は、白洲正子氏『私の百人一首』(新潮文庫)も指摘しております。
なお、契沖の『百人一首改観抄』には、次のような指摘がありまして、契沖は分かっていたのかと思うのですが、講談社学術文庫の『百人一首全訳注』(有吉保氏、1983年)では、「人の来訪を待つ心を介在させる必要はない」とばっさりと切り捨てておりまして、有吉保氏は「風景の客観的描写でつらぬかれている」と評する立場ですから、契沖の指摘を一部引用しつつも一蹴して顧みなかったようです。
歌の心は、田家の夕を問ひてくる人もなきに、ひとり秋風の音づれくる時の感情をいへる。先づ、かど田のいねにそよめきて後あしのまる屋に吹きくれば、人を問ふときにともなるひとして消息いひ入れて、主人は後より入り来るがごとし。(契沖『百人一首改観抄』下)
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