超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(52) 藤原道信

明けぬれば暮るるものとは知りながら猶うらめしき朝ぼらけかな      藤原道信朝臣

      (後拾遺、恋二、672)


〔釈義〕

夜が明けてしま(って別れねばならなくな)った後には、やがてまた日が暮れ(て夜が来て逢える時がやって来)るもの(、そして日が暮れて夜が来て逢った後には、やがてまた夜が明けて別れる時がやって来るもの)とは、よく承知していることなのに、それでもやっぱり恨めしうてならぬ今朝の(、空に降り乱れ、地に落ちては消えてゆく泡雪は、殊更に物を思う二人の心を象徴する、こうした折柄にどうでも別れてゆかなければならないものだった今朝の)ほのぼの明けですことよなあ!


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、後拾遺集の詞書に「女の許より雪ふり侍りける日かへりて遣はしける」とあるが、物足りなさを感じる。この詞書の下に「帰るさの道やは変る変らねど解くるに惑ふ今朝の沫雪」とあるもう一首の歌には、雪の趣は勿論、後朝の趣もあらわされている。これに対して、この歌は後朝の趣のみで雪の趣を含めていない。

② 詞書の意味を考えると、女の許を訪れた時にはまだ雪は降っていなかったのであろう。もう一つの歌の「解くるに惑う今朝の沫雪」は、北村季吟の八代集抄が言うように「雪の事に、おんなのうちとけしをそへて」とあるのが当たっていよう。

③ 後撰集480「かつ消えて空に乱るる沫雪は物思ふ人の心なりけり」(藤原かげもと)の歌やその影響を受けた源氏物語・若菜上の二首の歌によって、「解くるに惑ふ今朝の沫雪」は、心打解けた女が別れを惜しんで、空に漂う沫雪のように物思いに消え入りそうな風情に心惑うことを意味する。

④ 玉葉集1443「衣々に別れかねつるやすらひに明け過ぎぬべき帰るさの道」に見るように、「帰るさの道」は帰途の道中ないし過程を意味する。道信のもう一首の歌の上の句「帰るさの道やは変る変らねど」は、「今朝は泡雪が解けて道がぬかっているのに当惑した」という意味に重ねて、「今朝のあなたの物思いに消えそうな風情を見ると別れかねた」という意味を持たせている。

⑤ 「明けぬれば」の歌は、一見明瞭な歌意であるが、降雪のことが入っていない。ここは、「朝ぼらけ」一般をうらめしきものと感ずるのではなく、今朝の朝ぼらけを嘆いている。どう恨めしいかは場面を共通する相手の推測に委ねる手法をとった。

⑥ 上の句の「明けぬれば暮るるものとは」は当然また、「暮れぬれば明くるものとは」を同時に含んでいる筈である。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、後朝の朝ぼらけというもののもつ一般的興趣を詠んだと受け取ることも可能であるが、詞書に合わせて解をとるときは、或特殊体験の感動の詠としての新鮮さを持つ。

② 女がうち解けたのははじめてであり、はじめて女の暖かい愛を得てせつない後朝の別れに共に泣き濡れた場面も想像される。

③ この歌は詞書を除けば、朝ぼらけの一般的興趣の歌と、或特殊体験の歌というような二解を許し得ることが問題になる。後者の歌意をあらわすには、末尾の句を「この朝けかな」「この朝ぼらけ」とする二つの表現が考えられるが、多少の難はあっても原歌の表現は選ばれたものである。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原道信の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、これまで著者が試みて来た同じような表現の歌を取り上げて、詞の意味を追究するという手法ではなくて、後拾遺集の詞書との対照性を問題として、詞書の「女の許より雪ふり侍りける日かへりて遣はしける」と照応する意味が汲み取れるかどうかを延々と論じております。その結果、この百人一首に採用された歌を、朝ぼらけの一般的興趣の歌と、もう一つの歌である「帰るさの道やは変る変らねど解くるに惑ふ今朝の沫雪」の興趣を込めた特殊な歌として、二重の解が可能であるという結論に達しています。しかしながら、こうした論法は強引な感じが否めないのでありまして、詞書を受けた降雪の朝の感慨はもう一首の歌が請け負い、それに対して、今後の交際に関わるような相手に対する熱い思いをこの歌に込めたと考えるべきで、二首それぞれに役割分担があるとしたほうがよさそうであります。ともかく、詞書と「明けぬれば」の歌の内容がかみ合わないというのであれば、詮索する価値はあるわけですが、冬の夜明けに使う「朝ぼらけ」という詞がある以上、詞書の「雪ふり侍りける日かへりて」と齟齬はないわけですから、別に二重の解があると力説する必要はないはずです。そしてまた、同じ詞書を持つ連作として勅撰集が取り上げているとしても、もう一首の内容を解釈に繰り込むということは、何か表現にその可能性がある場合に限るのではないでしょうか。そういう点からも、〔鑑賞〕において末句の「朝ぼらけかな」を「この朝けかな」や「この朝ぼらけ」に改造しようとしているのは、非常に無駄ではないかと思います。


〔蛇足の蛇足〕

藤原道信というこの歌の作者は、若くして亡くなった方なのであります。洒落た逸話のある方なのでありますが、あまり話題に上ることがないような気がいたします。なかなか交際上手な人でありまして、洗練された人物だったんでありますね。もしかしたら、この時代のダントツの貴公子かも知れないのであります。若くして死んでしまうと、子孫もふるいませんから、どうしても逸話の類が残らないのでありましょう。見つけ出して紹介したいと思います。この『百人一首』の歌はすらすら詠んださりげない歌でありまして、どこにも無理はないのでありますが、動詞を入れ換えてみると、


暮れぬれば 明くるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな(粗忽)


これでも一首は成立するわけで、「夜になったら必ず朝になるものだ(別れの時刻が来る)とは知っているが、やっぱり夜明けが恨めしい(そのまま一緒にいたいなあ)」という訳になりまして、こっちの方が実は後朝の歌としては素直ではないでしょうか。道信の歌は、それを一歩進めて、「朝になったら必ず夜になって(また逢える)とは知っているが、やっぱり夜明けが恨めしい(今夜もまた行くよ)」というようなことを言っているのでありましょう。「朝ぼらけ」は、『岩波古語辞典』によれば、秋や冬の夜明けのことでありまして、春だと「あけぼの」なんだそうであります。訪問して来た男が朝まだ暗い時間に支度をして帰るというのが、平安時代の習慣でありまして、同居する以前はこの朝の支度が面倒だったようであります。春だと早々と夜が明けてしまうわけで、うっかりすると寝床にいる間に夜明けを迎えるんですが、秋から冬は暗いうちから寝床を離れなければならないのであります。社会生活の時刻と、季節によって変化する自然の夜明けの時刻のずれによって、別の言葉が必要となったということでしょうか。


別居したままの婚姻生活があったという前提でないと、理解できない歌なのであります。だいたい、結婚自体が男の実家とはあまり関わり合いがなくて、女の家で婿を歓迎して終わるような習慣だったのであります。恋愛関係の場合も、夜になると男が訪問するというような通い婚の習慣でありまして、その結果、逢瀬を待つ宵の時刻が切なさの頂点で、これを「待つ宵」と呼びます。逢瀬を楽しんでも夜明けには男が支度をして女の家を離れますので、別れる夜明けがまたしても切ないわけです。こちらは「別れの暁」と称します。これが分からないと、実は道信の歌は意味不明なので、実は現代では人気がないだろうと思うのであります。著者の桑田明氏の解釈の迷走も、そのあたりに原因があるように思われます。つまり、道信の歌の上の句は、夕方には再訪することを明言していて、相手からすれば頼もしい内容でありまして、下の句では許されるならそのまま昼まで一緒に過ごしてしまいそうな勢いなのであります。『蜻蛉日記』にはそういう兼家のサービス残留の場面もありますので、道信の歌は当時の女性にとっては非常に好ましい内容だったと思います。


 藤原道信さんという方は、23歳くらいで早世した方でありまして、実はお父さんの藤原為光という方に先立たれまして喪が明けた時に詠んだ歌が有名なんですね。親孝行な人物だと言うことで、世間の評判のいい貴公子だったんですが、歌がうまくてお茶目な人でありまして、短い人生を惜しんだ人が大勢いたんでしょうね、『今昔物語集』には、この人の残した名歌を紡いだ説話も残されております。機知に溢れた人で、山吹の花を手にして宮中を黙ってうろつくのであります。女房たちが色めきまして、そんないいものを手にして、何黙って通過するのって盛んにからかうんですが、山吹の花を差し入れて、


くちなしに ちしおやちしお 染めてけり(道信)


つまり、ああこれはね、クチナシの色素でめちゃめちゃ染めてみたのさ、というような上の句でありまして、染料に使うクチナシに、「口無し」を掛けていて、要するに生意気な女房に連歌に応じてみろというような、挑発行為だったわけです。しまった、策略だと分かって、女房たちは困るわけです。応じたのは伊勢大輔という女流歌人でありまして、満点答案を探り当てます。


こはえもいはぬ 花の色かな(伊勢大輔)


「えもいはぬ」は、何とも言えない美しい、というようなイディオムなんですが、そこに「しゃべることが出来ない」という裏の意味がくみ取れるわけです。要するに、「一枚でもせんべいとはこれいかに?」という謎かけと同じでありまして、「一個でもまんじゅうと言うが如し」と答えるような、遊びなのであります。洗練された知的遊戯でありますし、嫌みがないという点で、なかなか楽しい応酬であります。この道信さんが長生きしていたら、この時代の世相はもっと明るかったのではないでしょうか。実方さんの友人だったようです。お父さんの為光さんが亡くなった後は、お父さんの兄弟である藤原兼家さんがお父さんの代わりになったそうであります。次の歌にかかわりがあるんでありますね。というか、次の歌を突き付けられたのが兼家さんであります。


嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る

   (『百人一首』第53番・右近大将道綱母) 

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