超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(50) 藤原義孝
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝
(後拾遺、恋一、669)(義孝集24451)
〔釈義〕
(あなたのためなら喜んで献身しよう、それで死んでも構わないと思うあとから、いやそうではない、二人が結ばれてあなたを仕合せにしてあげるためには、この命を長く生きることも必要なのだと思い返し、こうして)あなたのために、一向惜しくもなかったこの命までも、どうぞ長生きでも出来たらなあと思い願ったことでしたなあ(、以前には。それがどうでしょう、今ではまるきりちがっているのです。契を交した後の今の気持は、あなたに離れていることがただもう辛くて、こんなことなら、あなたの為に長生きするどころか、いっそひと思いに早く死んでしまいたいくらいになっているのです。こんな私の気持、わかって下さるでしょうね)。
〔釈義〕の要旨
あなたのために、一向惜しくもなかったこの命までも、どうぞ長生きでも出来たらなあと(以前には)思い願ったことでしたなあ。(今では早く死んでしまいたい。)
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、後拾遺集の詞書に「女の許よりかへりて遣はしける」とある。諸註多くは「君がため」は「惜しからざりし」に係るとし「あなたに逢うためなら惜しくもないと思っていたわが命までもいよいよ逢うことの出来た今では、いつまでも長くあってほしいと思っていることだ。」と解しているが、一部には「君がため」は「長くもがなと思ひける」に係るものとして「以前には惜しくもなかったわが命までも、あなたに逢った今ではあなたの為に命までも長くあってほしいと思っていることだ」と解する。
② 「君がため」を「君に逢うために」と解することと、「思ひけるかな」を「今では思っていることだ」と解することには、疑問を感ずる。
③ 勅撰集や源氏物語・栄花物語の例を見ると、若菜や菊・松などが詠み込まれ、「君がため」の意味は、「君に奉仕する目的で」の意ととってよく、人を祝う歌に使われている。これに対して、「君がため」が「君故に」「君の所為で」の意ととれる例もある。義孝の歌では、諸註が「あなたに逢うために」ととるが、「君に奉仕する目的で」の意ととるほかない。
④ 勅撰集の「思ひけるかな」の例を見て見ると、「以前はそうだったが今はちがう」「とんでもない、それは間違っていた」「どうやらそれは浅慮だった」というような余情を伴うものである。これによって考えると、義孝の歌の「思ひけるかな」もまた、通説のように「今思っていることだ」の意味ではなく、「思ったことだなあ(、その思いは今ではちがって来た)」の意味である。
⑤ 「君がため」は直下の「惜しからざりし」に係ると見るの自然であり、また「長くもがなと思ふ」に係ると見ることも可能である。このような場合は、両方に係ると見る。
⑥ こうして歌意を詮じ詰めてゆくと、従来とは正反対の解釈に落ち着く。「あなたのために惜しくなかったこの命までも、考え直してはまた、あなたのために長くでもあってほしいものだと思ったことだなあ。その思いは、今はちがって来たのだ。」のようになり、結局今は「あなたのために長生きしたいどころか、反対に早く死にたくなった」ということになる。一旦契を交した後の心は、離れることのせつなさに支配され、激しい苦しみとなり、早く死にたいと悶えるまでに至る、と思われる。
⑦ 「さへ」は、普通あるが上に添加わる意味をあらわすものではなく、「さへ」は本来事の到達する極限をあらわすのであって、添加はその一つの場合に過ぎない。「命を長くもがなと思うところまでわが愛は到達しける」の意味ととるべきである。
⑧ 「もがな」は、普通「あってほしい」の意に解しているが、「でもあったらなあ」「でもあってほしい」の意で、「長くある」ことが究極の目的なのではなく、愛の奉仕という究極の目的のための条件として「長くでもあってほしい」というのである。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌の心は通説の正反対の趣で、崇高な理性的愛と見えたものが劣悪な煩悩の欲情に堕したことを認め、しかもそれがどうすることも出来ない恋のさがであることを知る趣である。献身的な愛が命長くというおおらかな共生の愛に生長した後を承けて、盲目的欲情の激烈な渦に入ったことを暗示して、文学性豊かな世界をもたらしている。
② 表面全体が昨日までの事を述べたものであり、主旨となるものは全く余情の中という特殊性を持つ。昨日までの心を美しかったものとして懐かしむと共に、今の激しい恋の欲情を恥ずかしくて言うに堪えないものとして、以心伝心に強く愬える効果がある。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原義孝の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、勅撰集などから「君がため」「思ひけるかな」という同じ表現を持つ歌を挙げた部分、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、勅撰集の同一表現を検討して、「君がため」を「君に奉仕する目的で」という意味ではないかと結論付ける一方、末尾の「思ひけるかな」を「以前はそう思っていたが、今はそう思っていない」という意味だと主張しておりまして、それまでの通説とは真逆の解釈を提唱しております。「君がため」は、二句目に係るという説と、四句目に係るという説が現代でも対立しているのでありますけれども、著者は独特の理論を持っているようで、二句目にも四句目にも掛かるとして〔釈義〕においても、その方向で訳出しております。
君がため 長くもがなと 思ひしかど 死なばや死なむ と思ふ今朝かな(粗忽謹訳)
著者の主張を歌にするならこんなふうかと思って作って見まして、そう言うこともあるかもしれないと思ったりいたします。要するに、「君がため惜しからざりし命」と思っていた段階がありまして、それが「君がため命さへ長くもがな」と願うようになった段階を経て、後朝の今の段階では「早く死なばや」という心情に変化した、というのですけれども、紆余曲折の結果命は惜しくなくなったというところが、微妙におかしいという気がいたします。ひょっとしてと思うのでありますけれども、著者は「思ひけるかな」の「ける」を過去の助動詞のように理解しているふしがありまして、その結果、勅撰集の「思ひけるかな」の歌を誤読しているような気がいたします。ただ、著者の責任というのではなく、古今集の貫之の歌などが従来微妙に誤読されてきていたようで、著者がそれに惑わされた可能性が高いと思います。
古今和歌集・巻第十六・哀傷歌・834番
あひ知れりける人の身まかりにければよめる 紀貫之
夢とこそ 言ふべかりけれ 世の中に うつつあるものと 思ひけるかな
著者も挙げている貫之の歌ですが、例えば小町谷照彦氏『古今和歌集』(ちくま学芸文庫)はこれを「親しくしていた人が亡くなったので詠んだ歌」「やはり一切は夢というべきだった。この世の中にたしかな現実があるのだと、うかつにも思い込んでいたよ」と訳しておりまして、歌の中で二箇所に出て来る「けれ」「ける」という助動詞「けり」は過去の時制で処理されています。詞書にも「ける」「けれ」が出てきますが、こちらは説話などに使われる間接体験の過去の用法でいいと思いますが、歌に使われた「けり」の活用形はおそらく詠嘆とか気付きと呼ばれる用例のはずで、過去の間接体験をあらわす「けり」ではないのであります。知人の死を過去のこととして伝えるのであるならば、上の歌は次のように古今集において表記されるべきだったでしょう。
あひ知れりける人の身まかりにければよめる 紀貫之
夢とこそ 言ふべかりしか 世の中に うつつあるものと 思ひしことかな
小町谷照彦氏の訳を修正すると、「(受け入れがたい知人の死を)夢というべきだなあ。この世の中に(人の死という厳しい)現実があるのだと、(今更ながら)思い知ることよ」でありまして、どうやら「思ひけるかな」は、著者の桑田明氏が分析結果として言うような「以前はそうだったが今はちがう」「とんでもない、それは間違っていた」「どうやらそれは浅慮だった」というような余情を伴うものではなくて、おそらく、予想になかった事態が進行して真実が明らかになったというような情況を受けて「(改めて・今更ながら)しみじみ思うことだなあ」という発見・気付きの感情を述べているのではないでしょうか。この場合、どうやら発見した事柄や気付いた内容は、やや陳腐な、口に出すのも恥ずかしいというような一般論に堕した感想のようです。著者が否定的なニュアンスを感じ取ってしまったのにも、原因があったと言えることでしょう。著者は後拾遺集までの例を挙げていますので、そこに出てこない新古今集の歌を掲示してみます。
新古今和歌集・巻第一・春歌上・5番
入道前関白太政大臣、右大臣に侍りけるとき、百首歌よませ侍りけるに立春の心を
皇太后宮大夫俊成
今日といへば もろこしまでも 行く春を 都にのみと 思ひけるかな
これも著者の見解に沿って考えれば、「以前は日本の京都にだけ春が来たと思っていたが、それは間違っていた」、ということになるのでしょうけれども、これはおそらく「暦の立春は中国渡来の概念だけれど、春の到来はやはり日本の京都にだけ来たんだと、つい思うことだなあ」というような感慨なのでありましょう。暦は中国が本家だという理性に対して、ここにだけ春が来たという、少し幼稚で手前勝手な、偽りのない正直な気分を述べたのだと思います。
それでも、著者の勇み足のお蔭で、藤原義孝の歌が、死ぬほど思い詰めていた恋の相手と一晩共寝して成就した翌朝には、「惜しからざりし命さへ長くもがな」というような気持を抱きまして、それをちょっと陳腐だと思っていたことが分かりました。陳腐だなと思いつつも後朝の文にして相手に届けたというのは、非常にほほえましい限りではないでしょうか。若々しいし、恋というのは成就すると人を変えるのであります。
〔蛇足の蛇足〕
この歌の作者は、例の謙徳公のご子息であります。三蹟の一人である藤原行成の父上であると言ってもいいと思います。この歌の勘所については、昔聞いたことがあります、初句の「君がため」をどこにかけるか、と言うことでありました。当時は四句目に掛かるのであって、二句目には掛らないということでけりがついたように言われていましたが、今見ると決まりませんね。この歌は玉虫色に意味の変わる歌かも知れません。じっくり考えてみようと思います。
(昔は)君がため 惜しからざりし 命さへ (今は)長くもがなと 思ひけるかな
初句の「ため」が分からないのであります。つまりこの歌は、解釈不能なところがあるのであります。『百人一首』15番の光孝天皇の「君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ」の時には、揺れないのであります。「君がため」は、「出て」「摘む」動作が「君」を思ってすることで、「若菜」を提供するという献身の対象を明示している表現であります。ここからすると、「惜しからざりし命」というのは、言い換えれば「命を捨てることも厭わない」「死んでもいい」ということで、恋の思いを遂げるためなら命を捧げて当然という、破滅志向の発言でありましょう。しかしながら、義孝の時代は平安時代の半ばでありますから、単純ではいけないような気がするんであります。「死んでもいい」というのは、はたして「君がため」になるんでしょうか?
それでもって、「君がため」という初句が、二句目ではなくて四句目に掛かるのだという説がありまして、膝を打って喜んだ日があるんですが、それはどうもうがちすぎ、格好いいけれど眉唾ものの説のような気がいたします。その説をもっと鮮明にするためには、義孝の歌を次のように改作すればいいのかなと思うのであります。試しに作って見ました。
逢ふ前は 惜しからざりし わが命 君がためには 長くとぞ思ふ
歌の内容を恋愛の範囲だけで解釈するのが普通のようですが、そうするとこの改作によって出現するのは、恋を成就する前に「死んでもいい」と考えていた命知らずの人でありまして、一体この人は自分の命を何ゆえに粗末にしてもいいと思っていたのか、非常に不気味でありましょう。現代のネット上には「無敵の人」という概念があります。これは、学歴もない、職もない、恋人もいない、金もない、というような状況だと、自分の命も他人の命も大切には思えなくて、何をしでかすか分からない人で、そういう「無敵の人」が不可解な事件を起こすのではないかと指摘されて久しいのであります。「君がため」を四句目に掛けると、二句目からの「惜しからざりし命」と言い切る理由が「君がため」ではなくなって、恋愛の外に理由を求めることになりそうです。つまり、思いを遂げる前は自暴自棄の「無敵の人」だったのに、恋人ができたら「まともな人」になったというような、なんだか救いようのないバカの歌でありましょう。
もちろん、こういう言い方はいい過ぎでありまして、仏教に馴染んでいた義孝の人生を前提にして、現世を仮の世と認識した深い厭世観だと取るんでありますが、さて、恋の歌の前半が仏教の観念を詠み込んでいい物かどうか、非常にいぶかしいのであります。ちょっと女性と関係したら、それまでの宗教観をかなぐり捨てましたというような歌が、本当にあるものなんでしょうか。あるとしたら、謎でありますけれども、たぶんそんな歌は秀歌にはなりません。
ともかく、「ため」は普通の文章に出て来ると、妙なニュアンスの時がありますから、用心するに越したことがないのであります。「あなたのために」とすると親愛の情がつのりますが、「君のせいで」とすると反感がみなぎるというか、恩着せがましくなりますね。後者を取る注釈者は、いないと思うけれど、駄目だという根拠はないと思うな(笑)。この場合の「ため」は、原因を示す用法で漢文体にある用法と言われております。著者の桑田明氏も「君に奉仕する目的で」のほかに「君の所為で」という例があると指摘しておりました。
『後拾遺集』巻第十二・恋二 669番
女のもとより帰りて遣はしけり 少将藤原義孝
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
今思うのは、実はこの歌の肝は三句目の「命さへ」の「さへ」であって、諸注釈はこれを「何かに加えて~までも」の意の「添加の副助詞だ」という指摘はするんですが、じゃあ何に「命」を添加したのかについては、おそらく無視して何も記述していないのであります。この歌の表現には「命」と肩を並べるような、「惜しい」「惜しくない」と言えるものが他に存在しませんので、歌の表現の外にその添加されている「命」の前提となる「何か惜しくないもの」を指摘しないとダメなのじゃないかと思います。現代語なら「までも」と訳せばそれで終わりでいいのでありますが、古典の「さへ」の場合はそうはいかないというのが決まり、すなわちルールのはずですから、そこを無視する注釈の態度は謎であります。気付かないだろうから、頬かむりして済ませるというのは、許されるものではないのであります。今ならヒゲをそっていないのをマスクでごまかす所業と同じであります。じゃあ、私と同じ気持ちですね。だって、楽ですものね。
前日も 昨日も今日も 見つれども 明日さへ見まく 欲しき君かも
(『万葉集』巻第六 1014番 橘宿禰文成)
こんな歌もあるくらいですから、「さへ」を現代語のように単なる強調表現のように処理すると、ちょっと危ないのであります。「前日(おとつい)」「昨日今日」に加えて、「明日」までも逢いたいなあ、と橘文成は言っています。じゃあ何があるのかと問われても困るんですが、ふと浮かぶのは「名」でありまして、宮廷貴族が気にするのはこれだろうという気がいたします。男女の恋愛というのは当事者にとっては人生に不可欠のものでありますが、社会全体からすると若い人の恋愛というのは面倒な困りごとでもありまして、雑音というかノイズというか、なるべくない方がいいものであります。『源氏物語』でも、光源氏の恋愛沙汰が父の桐壷帝に聞こえたりすると、あれこれ言われるものだったはずです。「名」というのは「評判」でありますから、よからぬ噂が立てば、出世にだって響くのは現代も同じでありましょう。浮気や不倫や暴力やいじめで職を棒に振るのは、昔も今も変わらないのであります。評判が悪ければ、人事評価に響いて、出世は閉ざされるのであります。義孝の上の句は、次のような内容ではないでしょうか。
君がため つかさくらゐも 惜しからず 名も命さへも 捨てんとぞする(粗忽謹製)
コロナによる社会の閉塞状況が2020年以降何年も続きましたが、その間、芸能人や芸能プロダクションの不倫や不祥事による凋落を目にすると、驚くどころか怖いくらいです。令和時代は今までとは社会の倫理が違っております。そう考えると、明治時代と大正時代の境目で北原白秋が不倫の汚名で地に落ちたところから、昭和の時代以降それなりの評価を受けるところまで名誉を回復したのは、非常に稀有なことだと分かります。それにしても、白秋の解釈も「さへ」に関して、ここで指摘したところまでは言っておりませんが、もしこうした解釈を教えて差し上げたら、きっと我が意を得たりと喜んでくれたのではないでしょうか。これって、もしかしてとびきりの大手柄でございましょうか?
君がため 惜しからざりし (地位も名誉も)命さへ 長くもがなと (陳腐にも)思ひけるかな
(粗忽による補い)
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