超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(49) 大中臣能宣

御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ     大中臣能宣

       (詞花、恋上、224)(六帖31658、火)


〔釈義〕

禁裏の御門を警衛する衛士たちの焚く篝火(が、闇の中に赤々と燃えている。ああ、この篝火)が、夜はこうして盛んに燃え、昼は消える、そのように私の胸の中の恋の情火も、夜は(わが慕う人にどうでも会いたいと)はげしく燃え盛り、昼は(もうだめだ、わが愛は受入れては貰えないのだと、)消え沈んで気が滅入ってしまうということを繰返して、全く物思いに苦しんでいることだ。


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、詞花集で「題しらず」となっているが、衛士の焚く火に託して恋の情火の激しさと苦しさを述べた歌である。「燃ゆ」と「消ゆ」が「物を思ふ」とどうかかわり、どんな意味をあらわすのかを明らかにしたい。

② 勅撰集や源氏物語の歌から例を探ると、「燃ゆる思ひ」は明らかに「思ひという火が燃ゆ」という情火であるが、これに対して「思ひ消ゆ」は、物思いがやんで心に安らぎが来るという例もあるが、中には「気が滅入る」「絶望して死んでしまう」という意味の歌がある。

③ 問題の歌の「燃え」は「燃ゆる思ひをし」の比喩的言い方で熱烈な恋情の起ることを意味し、「消え」は「思ひ消え」の比喩的な言い方で、わが愛が受入れられる見込みはないと絶望の気持に沈み込むことを意味する。

④ 古今六帖では、三句目・四句目が「昼は絶え夜は燃えつつ」となっているが、この「絶え」は「魂断え=断魂」又は「望み絶え」の比喩的な言い方である。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、衛士の焚く火が夜な夜な夜通し燃え続けて、暁には燃え尽きて燻り、昼は全く消えて灰ばかりになるのを、恋心の、恋情燃えさかり、燻り、やがて反動的に絶望し意気消沈して繰り返す比喩とした。

② 夜は恋の情炎燃え上がり、昼は反対に鬱屈して沈みこむというのは、愛の成就のおぼつかない者にとって真実である。禁裏の御門というイメージは厳粛な感じを伴う場所柄だが、恋の真実の厳粛さを象徴する。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の大中臣能宣の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、勅撰集などから「思ひ燃ゆ」「思ひ消ゆ」の類例を持つ歌を挙げた部分、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、禁裏の篝火を言う序詞からの続きでは意味の明らかな「燃え」「消え」について、恋の「物思ふ」という内容との関連では実際どのような意味なのかを追究しています。「燃え」については、特に問題なく恋情が燃え盛るでいいと結論付けていますが、「思ひ消ゆ」に関しては、「物思いが止む」「気が滅入る」「絶望して死ぬ」という三つの意味があることを突き止めまして、この歌に関しては「気が滅入る」であると主張しています。


なお、古注釈では著者の言うような「気が滅入る」とする説もありますが、その一方に「昼は人目をはばかって恋の思いを隠している」というような説や、「昼は恋の思いが慰められている」というような説もあって、実は解釈は容易に収束しないようであります。おそらく、篝火の昼夜の状態の違いに着目すると、昼間は燃えていないということになりますので、「恋の思いを隠している」とか「慰められている」という見方が生じるのでありましょう。これに対して、恋情は意識ある限り燃え盛るとすると、「消え」を昼間は逢う可能性もないので意気消沈するという恋煩いの方向に解釈しているということかと思います。歌を享受する側の恋愛のイメージが反映するので、なかなか面白い点なのです。著者の桑田明氏は、そうした恣意的な解釈に対して、「思ひ消ゆ」の例を探って、三つの意味に分け、「思いが止む」「気が滅入る」「絶望して死ぬ」から「気が滅入る」を選択したわけです。少しだけ、曖昧だった解釈に筋が通ったという印象です。


〔蛇足の蛇足〕

前に取り上げた北原白秋の評釈の感想部分に「熱烈な恋の歌である」と断定が入りまして、さぞや白秋の大好きな歌ではないかと推測いたしました。その後に「真に恋する人の偽らぬ声であらう」という文言が付くんですが、不倫の発覚によって逮捕された経験のある白秋の経歴を考えると、断然説得力が感じられます。東京近辺で引越しを繰り返した白秋は、ある時新聞社に勤める男の家の隣に越すんですが、そこには夫婦仲に悩む奥さんがおりまして、白秋はその女性と恋仲となったのであります。亭主が訴え出たために白秋とその女性は逮捕されてしまったそうです。その後、奥さんの離婚が成立すると、白秋は彼女と婚姻関係を結ぶんですが、残念ながら離婚してしまいます。熱烈な恋だったことは間違いないでしょう。


風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ 砕けて物を 思ふころかな

    (『百人一首』第48番・源重之)


御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ

    (『百人一首』第49番・大中臣能宣朝臣)


二首の歌で共通するのは、初句から二句目が序詞と言うことなのであります。それぞれ、「風をいたみ岩打つ波の」が「砕けて」を導く序詞、「御垣守衛士のたく火の」が「燃え」「消え」を導く序詞ということになります。もちろん、「おのれのみ砕けて」や「夜は燃え昼は消えつつ」を導いていると考えるのが、もっと正確かも知れません。


ところで、火のないところに煙を立てると、序詞の末尾の「の」をどうするかという問題があります。前にもあったんですが、そこでも指摘したような気がします。この「の」を「~のような」と訳すのが、お約束ですけれども、そんな語法が現代にないのだから、少しおかしいわけです。これは、主格で訳して構わないわけで、そうすると「波が物を思ふ」「火が物を思ふ」となってしまうんですね。こういう解釈が変だというなら、途中に「ような」という比喩の補いを入れるわけなのですけれど、「の」のところではなくて、「砕けてというように」「消えつつというように」とすればいいわけです。こういう解釈は、井上宗雄氏の著書である『百人一首』(有朋堂)が上手なんでありますね。島津忠夫氏『新版百人一首』(角川ソフィア文庫)も同じであります。あれ、みんな同じかなあ。


注釈書を見ておりましたら、気になることが書いてありました。どうやら江戸時代末期の歌人香川景樹の『百首異見』が「此歌六帖には、衛士のたくひのひるはきえ夜はもえつつ、とあり。此集には六帖よりとりて入られたりと見ゆれば、昼夜を打かへたるは撰者のさかしらなるべし」と指摘したらしいのですが、『古今和歌六帖』の第一帖「火」に次のような歌が存在するようなのです。


きみがもる ゑじのたくひの ひるはきえ 夜はもえつつ 物をこそ思へ

     ※初句に「みかきもり」とする異伝もあります。


さかのぼって、江戸時代の初期には契沖が能宣の家集に「みかきもり」の歌が見えないことから、能宣の歌ではないかもしれないと疑義を発していたこともあって、もはや誰もこの歌を能宣の歌だとは思っていないようなのであります。藤原定家が勅撰集から選抜しているのだとしたら、別にこの問題は無視できるわけですが、はたして詞花集の撰集を信用してよいのかということと、ほんとに能宣の歌なのかという問題は、しっかり残るわけです。


桑田明氏の『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』という分厚い注釈書は、作者伝には一切触れていません。解釈に特化した注釈書なのであります。以前扱った北原白秋の作者伝のところには、大中臣能宣が若い時に入道式部卿の宮の子の日の行事に招かれて詠んだ歌が紹介されていますが、その歌にまつわる逸話が面白いのですが、白秋は紙面が小さいので逸話の紹介を断念したことでしょう。尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』や佐佐木信綱の『百人一首講義』は、詳しく伝えています。かいつまんで言うと、行事が終わって自宅に戻った若い日の能宣が父の頼基に詠んだ歌が絶賛されたと報告したんですが、父親はちょっと間を置いてから、傍らの枕を手にして能宣をひっぱたいたのであります。お前、将来帝の子の日に招かれたらどんな歌を詠むつもりだ、親王程度の子の日にこんないい歌を詠みやがって、というように叱られたというのであります。枕と言ったって、スポンジの枕や羽枕ではなくて、恐らく函枕と称する固い枕でありますから、殴っている父の頼基には、専門歌人として時と場合を考えない息子に対して殺意すらあったと思います。それくらい出来のいい歌であります。『百人一首』に入れるなら、こっちの方がよかったかもしれないわけです。


拾遺集・巻一・春 24番

     入道式部卿のみこの、子の日し侍りける所に   大中臣能宣

千歳まで 限れる松も 今日よりは 君に引かれて よろづ世や経む


なお、『明月記』に記事のある『百人秀歌』を定家の撰集とするものの、『百人一首』については定家撰を疑うという向きもあるんですが、この際私の考えを述べておくと、『百人秀歌』から『百人一首』の歌の入れ替え、配置換えに関しては、定家以外の人が手出しできるようなレベルではないと思います。だいたいにおいて、歌道家の継承意識は高くて、定家ですら俊成のしたことはそのまま受け入れていると思いますので、定家の仕事をちょっとだけ変更して『百人一首』をこしらえることはしにくいと思うのであります。もちろん、盛んに作られた偽書のことなんかを気にするなら、これも偽書ということになるでしょうけれど、そういうことは時が立つと露見するんじゃないでしょうか。


後で出て来る源俊頼の「うかりける」の歌は、『百人秀歌』の「山桜」の歌を差し替えているんですけれども、そんなことができるのは藤原定自身か、あるいは定家の嗜好を知り尽くしていた後鳥羽院か、その二人以外には考えられません。ちょっと大胆過ぎる変更なんですね。最近、いろいろとネットを検索していたら、『百人一首』は定家撰ではないと旧知の大学教授が発信していたので、気になって言及してみました。 

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