超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(48) 源重之

風をいたみ岩打つ浪のおのれのみ砕けて物を思ふころかな     源重之

      (詞花、恋上、210)(重之集20036)


〔評釈〕

風がひどいので(、それに煽られて沖から打寄せ磯の)岩を打つ浪が(、岩はしっかりと構えて動かぬので、)自分だけ砕け散るように、(恋の風に激しく煽られて、それで恋する人に衷情を頻りに愬えていったのだが、相手は冷淡に構えてちっとも動いてくれぬので、)自分だけがさまざまの物思いに心砕けて乱れる今日この頃だなあ。(ああ苦しい!)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、詞花集の詞書によって百首中の恋の歌として作られたものである。動かぬ岩を冷淡な相手の女に、風に煽られ岩に打寄せて砕ける浪を自分に喩えたものである。「風をいたみ」について特に説明した注釈が見当たらない。

② この歌において、動かぬ岩が冷淡な恋の相手の比喩、岩に打ち寄せて砕ける浪が悲恋に泣く自分の比喩なら、「風を痛み」にも恋に関係ある何らかの事態でなければならない。

③ 「風を痛み」の用例は万葉集から勅撰集に見られるが、「周囲の反対が激しいので」「親の反対が激しいので」というように第三者の反対を比喩的に表す例がある一方で、この歌を含めて自滅行為と見られるような例があり、自分の思慕を妨げる他人の行動・態度が見当たらない。

④ 恋の病も一種の風だと考えれば、「風を痛み」の比喩する内容を「厄介な恋の狂熱に激しく煽られて」のように解すると、問題の歌は歌意全体が極自然に通じる。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、片恋の心を具体化するに当り、烈風に煽られて岩打つ磯の砕け散るイメージを借りたことはすばらしい着想である。万葉集の「風を痛みいたぶる浪の間無く吾が念ふ君は相念ふらむか」や伊勢の「わが恋は有磯の海の風を痛み頻りに寄する浪の間もなし」(新古今)などが参考になっただろう。

② 伊勢集には「風吹けば岩打つ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな」という歌があったらしく、この歌の創作としての価値は削減されるが、「風ふけば」を「風を痛み」に改めた点には創作的な価値は認められる。

③ この歌は、「風」「岩」「浪」それぞれが比喩の意味をもつとともに、その活動のあり方が片恋のドラマの比喩として鮮明であり、当時において新鮮だっただろう。

④ この歌は女の立場で詠んだ歌と見ることも可能だが、男の立場で詠んだ歌と取る方がまさっている。「岩打つ波」に繰り返し恋人に言い寄るイメージが、男の方がふさわしい。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の源重之の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、万葉集や勅撰集から「風を痛み」の句を持つ歌を例示して具体的な検討を加えた部分、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、従来序詞としてくくられる中で、特に検討されてこなかった初句の「風を痛み」という表現に着目して、それが恋の歌のどういう情況に対応するものかを追究しています。


著者は一貫して序詞について、単に特定の詞を導くためだけの機能的なものとする解釈を否定しておりまして、歌の内容に深く関わりのある、いわゆる「有意の序」として位置づけようとしています。今回も、その例にもれず、「風を痛み」の諸例を挙げまして、そこに二種類に分けられる意味の違いを見出しました。一つは周囲や親の反対を「風」が比喩しているものでありまして、これらは詞書などによって確認できるわけです。もう一つは、周囲や親と関係なく、恋愛の障害となる例でありまして、これを著者は「恋の病」による、自滅行為を招く本人の激情ではないかと結論付けています。


なるほどと、一応は納得したのですけれども、源重之の歌の「風をいたみ」の「風」に、著者が分類したもう一方の親とか周囲の反対というのが入っていても、別に差し支えがないのではないかと思うのですが、いかがでございましょうか。さらにはまた、平安時代の事ですから、身分違いの恋ということでもいいのではないかと思うのであります。源重之は、陸奥の掾で生涯を終えたようでありまして、だとしたら都人として赴任した先で、地方の女性が靡いてくれないというような悲哀もあったかもしれないのであります。「有意の序」を強調するあまり、比喩的な表現である「風」「岩」「浪」と言ったものを具体化し過ぎると、歌を享受する側の自由度が失われてしまうかもしれません。あくまでも海岸の風に吹かれて岩に砕け散る浪の映像というものを想像し、詠作主体の心情というものをあれこれ想像して楽しんでもかまわないことでしょう。もちろん、この歌に詳細な詞書が存在して、それぞれの比喩が明らかになることもあるでしょう。また、逆にこの歌を物語化するなかで、「風」や「岩」や「浪」を面白おかしく具体化したものがあっても、それもまた構わないわけです。著者は、詠作主体を男と見立て、「岩」は女性の比喩だと決めつけていますけれども、例えば「岩」が女の親であるとか、さらには女の夫であるとか、そいう可能性だってあるのではないかと、無用な突っ込みはいくらでも思いつきます。


〔蛇足の蛇足〕

「砕けて」を導く序詞がどこまでなのか紛らわしいような気がいたします。初句と二句が「砕けて」を導くとする説と、初句から三句目までが「砕けて」を導くとする説があると思います。面白いのは、注釈書が一方を修辞技法の説明で採用しながら、解釈を見るともう一方の説で訳していたりすることで、何とも不思議なことになっております。解決法は簡単で、初句と二句が序詞で、「おのれのみ砕けて」が序詞に導かれた掛詞とみなせばよいのではないでしょうか。要するに「勝手に自分だけ砕け散る」波と「勝手に自分だけ自滅して」悩む私(男または女)が二重化されていると取ればよいだけの話です。著者の桑田明氏も、この点に関してはいろいろな可能性を述べています。


著者同様に北原白秋も、「動かぬ巌を恋人に、くだける波を自分にたとへたのである」と句意で指摘し、その結果として訳出で「あの人が何とも思つてくれないので」としておりまして、さらに「先方の頑固な冷さ」に言及しておりますので、白秋も序詞を意味のあるものとして受け止めていることが分かります。こういう、比喩になっている序詞を「有意の序」と呼ぶのかもしれません。ただ、女性を岩に例えていると言われてしまうと、否定するのは難しいのですが、考え過ぎじゃないかと思ったりします。京都の内裏で東宮に献上する百首でありまして、岩打つ波なんて見たこともない宮廷人も多かったと思いますので、序詞はあくまでも、「おのれのみ砕けて」を印象付けるもののような気がいたします。


指先を 珈琲カップ 滑り落ち 砕けて物を 思ふ頃かな(粗忽)


この重之の歌は、恋の歌としてはなかなかよくできた歌なんですが、では名歌の誉れが高いかというと、さほどでもない歌であります。どうやら、オリジナリティに欠けるところがあるようで、盗作とまでは言わないのですけれども、似たような歌がすでにあったらしくて、そのことがすでに指摘されています。同じ下の句の歌が複数見つかっておりますから、ひょっとすると誰もがチャレンジするお題が「砕けてものを思ふ頃かな」の正体かも知れません。つまり、歌人の力量を試すために、宮廷人が歌の一部をばらまいて、それに付け句をさせられることがあったようです。枕草子には、藤原公任が出題した「すこし春ある心地こそすれ」に清少納言が即座に応じた話がありますが、私家集を広く探ると、同じお題で詠んだ別人の付け句が出て来るのではないでしょうか。歌人に一斉に出題してみたというなら、似たような歌が出て来るのも、やむを得ないような気がします。


作者の源重之という方は、陸奥の豪族のお婿になっていたようで、非常に羽振りがよかったものですから、平兼盛なんかがこの人の姉妹に目を付けて歌をやりとりしたようであります。平兼盛が体よく断られてがっかりした話が、歌物語か何かにございました。安達ヶ原の鬼婆の話と、ちょっと関連いたしまして、埋もれた歴史が少しあるような風情なのであります。両者に交渉があったわけですから、重之は兼盛とだいたい同時代の人と考えて良さそうであります。兼盛は、国守を歴任して正暦元年(990)に亡くなっております。一方の重之のほうは、やはり国守を務めましたが、太宰府に出かけたり陸奥に出かけたりして長保二年(1000)ころに没したとされているのであります。『拾遺集』巻第九・雑下の559番に兼盛の歌が次のように出ておりまして、両者の間に何らかの深い関係があったことは間違いがありません。



  陸奥国名取の郡黒塚という所に重之がいもうとあまたありと聞きて言ひ遣はしける   兼盛

陸奥の 安達の原の 黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか


「鬼」というのは、安達ヶ原の黒塚に鬼婆がいて、若い女性を殺して生き肝を取っていたという、凄惨な伝説に引っかけたものであります。もちろん、鬼どころか、うら若い美しい女性がいると聞いて、お嫁に欲しいと申し出たわけであります。この結果が、『大和物語』58段に出ておりまして、まだ若いからそのうち適当な時に、などといなされまして、さらに歌を一首詠み送って、京都に戻って楽しみに待っていたそうです。ところが、くだんの女性は別の男を夫にして京都に来たそうなのです。噂に聞いた兼盛は抗議するんでありますが、相手の方が一段上手でありまして、二度目に贈った自分の歌を「陸奥土産だよ」と言って突き返されたそうです。その歌は、次の歌なんですが、気持ちは分かるけれど、ちょっと言い過ぎなところがあるような気がいたします。女性に年齢のことをあれこれ言ってはいけないでしょう。


花盛り 過ぎもやすると かはづ泣く 井出の山吹 うしろめたしも

    (『大和物語』58段・兼盛)


井出という地名に、陸奥から京都に「出で」という動詞がかけてありまして、ちゃんと保存しておいて返したと言うことは、ひょっとすると兼盛の押しが足りなかったんですね。兼盛が年増になっちゃうよなんてせかすもんですから、次に求愛してきた男性に迎合してしまったんでありましょう。さっさと彼女を盗んで京都に連れて来ればよかったと思います。歌を与えるだけで、行動が伴わないのでは、女性の方は疑心暗鬼になるだけです。この女性は、源重之のお父さん、兼信の子供であったらしいのでありますが、ともかく重之の一族は安達ヶ原のあたりで羽振りのいい暮らしをしていたらしいのであります。


安達ヶ原というのは、今で言うと福島県の二本松のあたり、智恵子抄のふるさと付近というと分かる方がいるでしょう。重之の一族も、兼盛も、都からの侵入者であります。たぶん、賜姓源氏や賜姓平氏というような皇族由来の人々は田舎ではもてたのでありましょう。世が世なら、帝にだって成れた人たちですから。

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