超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(43) 藤原敦忠

逢ひ見ての後の心に較ぶれば昔は物を思はざりけり       権中納言敦忠

      (拾遺、恋二、710)(拾遺抄、恋上、263)(六帖33444、あした)


〔釈義〕

(恋しさに堪えられなかったあなたに、とうとう逢って契りを交すことが出来、これで長い間の願いもかなってうれしやと思ったのも束の間、さてあなたに別れて帰って来る段になると、もうあなたから離れるのが辛くて遣瀬なくて、こんなに苦しい物思いをしようとは全く思いもかけぬことでした。この)はじめての逢瀬の後に来る心の辛さに較べると、(あなたに懸想してただの一度なりとも契りを交せたらと恋い焦れた長い間の物思いの苦しさも物の数ではなく、)逢う前のあの頃は(今から考えれば)物思いというほどのことはしていなかったのでした。(あなたに逢って心も体も固く結ばれてしまった今は、あなたに離れては苦しさにいても立ってもいられないのです。)


〔釈義〕の直訳に対応する部分

逢瀬の後にくる心の辛さに較べると、逢う前のあの頃は物思いはしていなかった。


〔義趣討究〕の要旨

① この歌、拾遺には「題しらず」だが、拾遺抄の詞書は「はじめて女のもとにまかりて又のあしたにつかはしける」と後朝の歌で、歌意も後朝の歌である。

② 万葉集や拾遺集の類似の発想の歌をみると、長い間の恋の苦しみから解放されるため一度の逢瀬を願っていたが、成就してみると離れる辛さに耐えかねる。後朝の辛さに較べれば逢見るまでの物思いは物の数でもないのである。恋する心の真実がある。


〔鑑賞〕の要旨

① 万葉集の類歌では、逢瀬を交してからは恋心がまさると表現し、拾遺集の類歌でも表現の工夫はあるものの、逢瀬の後の恋心と逢瀬以前の恋心を等質のものとして扱っている。しかるに敦忠の歌では、逢瀬の前後の心情を程度の差ではなく、思う心の質の違いを述べている。

② この歌では、後朝の様、帰り着いてからも泣く姿、恋に悶える過去の姿、逢瀬の様などがイメージされる。

③ 上二句は今の心情と有様を、下三句は昔の心情と有様を表して対立するが、言葉は重複を避けながら対句的な意味を構成している。内容は単純だが深い情趣を生んでいる。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原敦忠の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、引用されている和歌の例、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、万葉集から二首、拾遺集から三首の類似の発想の歌を引用して、それらと敦忠の歌の相違点を分析しています。それらの歌では、逢瀬を経て恋心の深まりを意識しているわけですが、敦忠の歌では、質的に変化したと著者は主張しています。やや、我田引水的と言いますか、当該の歌を賞賛するための表現に堕しているかもしれません。質が変化したというよりも、逢瀬によって劇的に愛情が増したことを、昔の物思いは今から見れば物思いではないというような、おしゃれな言い方になっていると考えるべきではないのでしょうか。愛情が深まったという代わりに、恋の苦しみを俎上に載せた点が面白いのだと思います。恋慕の苦しみなんて、恋を維持しようとする苦しみに較べれば、大したことはないというところが大切だと思います。桑田明氏の挙げた歌から二首引用してみたいと思います。


なかなかに見ざりしよりも相見ては恋しき心まして念ほゆ(万葉集、巻11、2392)

逢見ては慰むやとぞ思ひしを名残しもこそ恋しかりけれ(拾遺集、恋二、711)


なお、有吉保氏『百人一首全訳注』(講談社学術文庫、1983年)は、古い注釈書の説の要点を分析して、次のような三つの解釈が存在することをまとめています。


(1) 女のもとにはじめて通って行った翌朝に詠んだ、いわゆる後朝の歌。

(2) 女と逢って契りを結んだ後に、種々の事情で逢えないでいると逢う逢う以前よりも深くせつない恋心を感じさせられる。

(3) 女と逢って契りを結ぶと、それ以前にはなかったいろいろな心配が生じて悩むことになる。


拾遺抄の詞書や古今六帖の分類では(1)ですが、拾遺集の恋の二では「逢不逢恋」の中に配列されていることから、(2)のように逢えない事情が生じたと見たり、(3)のように逢瀬の後に世間の人目を気にしたり、恋人の心変わりを恐れたりすると見るようです。(3)を主張する宗祇は、その意見の最後に、


かやうの歌をあまりにやすく見侍らんは、ほいなきことにこそ侍らめ。


と注意喚起しておりまして、本来は後朝の単純な歌ではなかったはずだと見ていたようです。


〔蛇足の蛇足〕

四句目のところが、「昔は物を」とあるものと、「昔は物も」とあるものがあって、ちょっと揺れるんであります。揺れるからには何かあるんですが、結論が出るような違いではなさそうであります。作者については、あまり馴染みがないのでありますが、左大臣時平の三男と言うことですから、菅原道真を左遷した張本人の子孫と言うことで、やがて怨霊となった雷神様ににらまれた一族と言うことになります。前に出て来た「右近」の恋の相手でもあります。歌の方は、非常にホットな恋の歌の一つでありまして、私でもいいなあこれと思うくらいですから、人気があるんじゃないでしょうか。


ただし、歌の理解の仕方には古来大問題がありまして、これをある朝女性に送った歌と取るか、もっと人生の機微を詠んだ歌と見るか、そんなところでもめるんであります。要するに、贈答歌の習慣のなかで、特定の相手と言いますか、恋人に贈った歌というのがもともとの姿なのであります。ところが、これを独詠と言いますか、普遍を目指した芸術として理解すると、人生の真理が垣間見えるのかも知れません。そう思うと、それなりにいい味が出ておりますよ。拾遺抄では、「はじめてをんなのもとにまかりて又のあしたにつかはしける」という詞書を持つ歌群のなかにありまして、やっぱりもともとは贈答歌ということかもしれません。一般には、後朝の歌ではなかったものを、後朝の歌として拾遺抄が採用したとされておりますが、逆の可能性だってあることでしょう。贈答歌と見る方が愛の深まりの歌となりますけれども、後朝の歌ではないとみなすと宗祇のように世間の目だとか恋人の裏切りの可能性だとかを考えるわけです。  


『拾遺集』巻第十二・恋二 710番

    題しらず       権中納言敦忠

逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物も 思はざりけり


さて、何も問題がないのかなあと思いましたら、いちばんはじめの部分が曲者でありますね。ここの『百人一首』の歌の表記は、特に意識せずに岩波文庫の『王朝秀歌選』〈樋口芳麻呂校注)を引用してみました。見た目に分かりやすくするために、句と句の間を開けているのは、私が勝手にやっているんですけれども、樋口芳麻呂先生も、三句目と四句目の間には切れ目を入れていまして、そうでもしないと、歌という物は意味不明であります。元来、古典の場合は句読点すら付いていないことが普通でありまして、その流れを和歌では今でも守っているというわけです。『万葉集』の原文を表記する時は、割と句ごとに分かつようでありますが、俳句もそうしないと私には難しく感じられますね。


藤原敦忠の歌の問題点を、あえて指摘しますと、初句のところの「逢ひ見」という部分が曲者です。これは当然「逢ひ見る」という動詞ということになるのですが、そんな動詞、現在はないわけで、用心しないといい加減な解釈の温床になります。辞書にこういう見出しがあっても、それを鵜呑みにしてはならないだろうと思うのであります。けっこう、『百人一首』の解釈に従って見出しを作ってしまうことがあるようで、学習参考書としての辞書の場合は、あまり信用してはいけません。はっきり言って、疑って掛かるのがいいと思います。


結論を言うと、この動詞は「あひ」という接頭語が付いているものでありまして、動詞の本体は「見る」のはずです。つまり「逢ひ~」という複合動詞は存在しないと考えて置く方がいいのであります。「あひ(相)」という接頭語は、二人で、一緒にと言うことを添えていまして、「見る」が二人が会ったということを意味している動詞なのであります。注釈者の技量を見るのにはいいかもしれません。つまり、「逢ふ」と「見る」をそれぞれ訳出して、動詞が二つあるような解釈は、駄目なんです。ちなみに、小学館刊行の『日本国語大辞典』(第二版)は「あいみる」の項目の「語誌」というところが詳しくて、「逢い見る」を否定したくて否定したくて仕方ないという書き方になっています。もっとはっきり、「逢い見る」という動詞はなかったんだ、『百人一首』のこの歌の誤読から、間違えてしまったんだと言えばいいのに、と感じます。というか、そう思ってみると、息の根を実は完全に止めてありますね。それなのに……。


分かっての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 知らなすぎなり(粗忽)


どうやら、「あひ見る」という動詞は、別に恋愛を意味する言葉でもなかったようでありますね。ただし、歌の中で使われる「見る」とか「語らふ」は深い関係を暗示するというか、二人が関係を持ったことを示す場合も多いのであります。歌物語をはじめとする恋愛を扱った物語の中でも同様であります。それから、なかなか言いにくいのですが、「逢ふ」という動詞も「見る」や「語らふ」と同様でありまして、単に「逢ふ」というだけではなくて、逢瀬をして夫婦の契りを交わしたことを表したりします。ただ、上にも述べたように「逢ひ見る」なんて動詞はないので、「逢ひ」の部分に過剰な意味を持たせるのは不可なのであります。


もちろん、『百人一首』のこの歌は、恋愛心理の機微を突いていて、恋愛体験が多少ある人ならよくわかる、恋をした時の混乱、あるいは深い仲になった時の物思いの深さという物を教えてくれるわけです。だから、「あひ見る」が「逢ひ見る」だと誤解されて、男女の逢瀬を表現しているというふうに、進化したというか、深読みされてしまったのは致し方ないわけですね。しかし、これは「あひ語らふ」なんかと同じで、複数で事を為していることを示す「あひ(相)」という接頭語でありまして、現代で「語らう」で充分なように、「見る」と言っているだけの方がいいのかも知れません。大方の注釈書の訳は、「逢ひ」も「見る」も訳出しようとしていますが、これは尾崎雅嘉や佐佐木信綱を粉本として、延々と拡大再生産して来た結果でしょう。


つまり、昔の和歌を独詠だと考えると、大きく振りかぶって恋愛の深い真実を詠んだ歌と解したくなるわけであります。そこを、ぐっと抑えて、今まで噂に聞いただけだったとか、簾越しで会話した程度だったのが、二人っきりで対面した後で贈った歌であるとしたら、軽い恋愛の告白になって、軽くていいのではありませんか。いくら好色な平安貴族だって、初対面で関係をばっちり結ぶわけではありません。告白のために訪問して顔を初めて見て、思いを告げて帰ることだってあるわけです。その後で手紙を送って、君を見てから、何だかどうしようどうしよって考え始めたよ、これって恋かも、と言うようなことです。だったら、すれ違った誰にでも贈れる歌ではありませんか? 拾遺集の「題しらず」という言葉からすると、後朝(きぬぎぬ)の歌ですらない可能性もあるわけです。


またしても手柄をあげてしまいました。ありもしない「逢ひ見る」という動詞を、歌の内容を過剰に意識するあまり辞書に掲載してしまうというのは、辞書を作る時に起きがちな不手際だろうと思うのであります。ここは一旦クールダウンして、「見て」という表現に等しいと判断するのがいいはずです。なお、例の宮内庁書陵部蔵の堯孝法印筆本『百人一首』の影印では、初句の部分はすべて平仮名で「あひみての」と書かれております。つまり、最初のところは「逢ひ」ではなく「あひ」と書いてありますね。次の歌の冒頭には漢字で「逢」が使われていて、使い分けがあるように見えます。 

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