超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(41) 壬生忠見
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見
(拾遺、恋一、621)(天徳四年内裏歌合35649)
〔釈義〕
(あの方に)恋しているという私の評判は、早くも立ってしまったことだ。深く思い染めてはいたが、それは誰にも知らせず、あの方にさえも知られないように、私の心の秘密としてこそそうしていたのだ、だのに。(ああ、どうしよう。全く途方にくれる。私は一体どうしたらよいのか?!)
〔義趣討究〕の要旨
① 「思ひそむ」の意味を普通「思ひ初む」ととるが、思慕をはじめる情況は問題ではなく、肝心なのは思慕し続けることが人知れずであるべきで、「思ひ染む」がよく、これは「深く思いこむ」意である。
② 源氏物語や万葉集の例を見ると、「思ひ始む(初む)」の用例もあるが、「思ひ染む」と解すべき例も多い。古今集以降の歌の例を見ると、「そむ」「思ひそむ」は、「染む」「思ひ染む」であり、これは「見そむ」「知らせそむ」と同じである。「染む」は、染色するように、新しい事態のはじまりが以前の状態に対して質的変化を来し、それが持続することを意味する。
③ 「人知れず」は「人に知らせず」であり、「誰にも知られないように」の意であるが、これらは恋の相手に贈った歌に使われていて、この「人」とは直接には片恋の相手を意味している。
④ この歌は、上の句の内容と下の句の内容が著しい対照をなしていて、下の句は片恋であることを示し、上の句の評判が立ったという「恋す」は、片恋の相手その人に恋すと解するべきだ。
⑤ 下の句「人知れずこそ思ひ染めしか」は、「人知れず思ひ染めしかど」とは同じ意味ではない。ここには、「人知れず思ひ染めし」ことに執拗に拘り、どうしてこんなに憂名が立ったのかといつまでもくよくよする情思がある。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌の上の句は、現実に世間にあらわれ出た結果であり、下の句は、実際に自分のなした行動であるが、両者が完全に対蹠的であり、この行動とこの結果は矛盾する。当の恋の相手にも知らせない片思いで、名が立ったことは相手にも迷惑であり、困惑するばかりである。
② 同じ恋の顕われた歌でも、40の兼盛の歌は、積極的に進もうとする爽快さと、油断して色に出てしまったというユーモアがあるが、この忠見の歌は深刻な悩みがあるだけで重苦しい。
③ 「まだき」という語に着目すると、早晩名の立つことが予想されていることを示し、それが予想外に早く来たために戸惑っている。戸惑う自分を客観的に眺めたところにユーモアが出ている。この歌は、忍ぶ恋が顕われて失敗した嘆きを想像し、いとおしむ歌という興趣表現である。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の壬生忠見の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、引用されている和歌の例、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、「思ひそめ」の「そめ」を吟味して、万葉集や源氏物語、また勅撰集などの例を挙げながら、「初め」ではなく「染め」であるということを主張しています。「思い始めた」という解釈に比べて、「心に深く思うようになった」という解釈は味わい深いもので、かなりの説得力があるように感じられます。また、「人知れず」の「人」を三人称ではなく二人称で、片恋の相手の事であると指摘する点も、肯定してよいかと思います。さらに、平兼盛の歌の分析を受けて、兼盛の歌が恋に対して積極的な姿勢を見せたものと対照的に、この壬生忠見の歌は、予想していた恋の露見に対して戸惑う様子を詠んだものだと、著者は分析を深めておりまして、非常に興味深いと思います。
つまり、壬生忠見をはじめとする宮廷歌人は、歌人である前に宮廷の官人でありまして、そうした宮仕えの生活の中で、特定の相手に恋心を抱いた場合に、相手にも周囲にもそうした感じを悟られないようにするのが必須の処世術だったはずであります。そういう意味では、天皇や大臣家の貴公子などとは立場の違う、一般の宮廷人の恋愛に対する感情を掬い取っていると考えられるわけです。おそらく、宮廷に関わる官人や女官・女房にアンケートを取ったら、ひょっとすると平兼盛の「しのぶれど」の歌よりも、この壬生忠見の「恋すてふ」の歌の方が、支持は圧倒的だったかもしれないのであります。
近代においては、学校教育の期間が長くなりまして、言い換えると無駄に長いモラトリアム期間を若者は学校に閉じ込められるのであります。共学の場合、「誰が誰を好きだ」というような情報はあっという間に学校中を駆け巡りまして、一部は羨望の感情も生まれることでしょうけれど、ほとんど揶揄・中傷の対象となって評判を落とすのが関の山だったはずであります。できることなら、自分が誰を好きであるとか、誰から好かれているなどということは、誰にも気取られずに通過するのが最善でありまして、今も昔も人生を快適に生きるのには、恋愛感情はばれないのが一番でありましょう。
宮廷社会も同じような閉鎖空間だったとすれば、現代の我々は宮廷和歌を理解することが可能なのかもしれません。
〔蛇足の蛇足〕
この壬生忠見の歌は、天徳四年の内裏歌合で、平兼盛の歌とつがえられまして負けてしまった歌であります。たしかに、負けはしたんですけれども、こうして『百人一首』に並んで入るぐらいですから、この二首の歌というのは、歌合史上最高の組み合わせだったわけでありまして、この二首に優劣を付けるのは大変なことだと、当時の歌合の関係者も気付いていたようなのであります。どうも主催者の村上天皇が右の歌を密かに口ずさんでおられる、というような指摘がありまして、右の歌すなわち平兼盛の歌が勝ったと言うことなのです。このあたり、判詞には、
「少臣頻候天気、未給判勅、令密詠右方歌、源朝臣密語云、天気若在右歟者、因之遂以右為勝」(『新編国歌大観』第五巻)
(書き下し)しばらく臣しきりに天気をうかがう。いまだ判のみことのりを給はず、密かに右方の歌を詠ましむ、源の朝臣密かに語りていはく、天気もしくは右にありか、これによりてつひに以つて右勝ちと為す
とありまして、「天気」というのは帝の嗜好というか、天皇のお好みということですね。遊びなんだけど、みんな真剣なんであります。根回しなんてないわけで、帝が勝敗を決めなさいと言うと、みんな狼狽していたんであります。ひょっとしてどちらか勝たせたい方があるのか? なんて判者は思いまして、そうするとひそひそアドバイスするしっかり者もいるのであります。和歌の本質は遊びなんですが、それでも本気でありますから、右往左往するんでありますね。
内裏和歌合 天徳四年三月卅日於清涼殿有此事
廿番 左 忠見
こひすてふ わがなはまだき たちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか
右勝 兼盛
しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと 人のとふまで
判者は左大臣の藤原実頼という人だったのでありますが、この人は謹厳実直な人物だったようですが、判詞のなかで左の歌もいい歌だとコメントしておりまして、和歌を理解し、批評も出来るなかなかの人物であります。藤原定家は『百人秀歌』や『百人一首』に採用するに当たって、この二首を引き離さないように留意したのでありましょう。
現在、解釈が紛れることはないだろうと思うのですが、ひとつ揺すぶってみるなら、二首の歌のなかの「人」というのを一般には三人称の「他人」の意味で取るのが普通でしょうけれども、これを和歌を解釈する際の基本に立ち返って二人称、すなわち「あなた」と見なしたらどうなるのかということです。従来の解釈だと、それぞれの歌は、言ってみれば独詠として理解するわけですが、それは近代的な解釈であって、たとえば恋愛の場面の贈答歌として使うことを前提に置き、「人」を和歌の受け手と設定すると、成り立つで有りましょうか?
古注釈も含め、分からなくなったら注釈するんであります。ということは、注釈者は分かっていない人?
そうしますと、忠見の歌の方は、「恋をしているという私の評判は早くもあなたのお耳に達したことです。あなたに人知れぬ思いを抱き始めたばかりなのに」という、あわてて告白する緊迫感が生じます。また、兼盛の歌の方はどうなるかというと、「私の恋心は、隠しておりましたが、表情に出てしまったことです。何かお悩みですかと、あなたが尋ねるまでに」となるのであります。帝のお使いなどで、后の許に出入りするような機会が有れば、女房などと接することもありますから、恋愛を前提としない交際もあるわけですね。それなのに恋に落ちてしまったというような場合を想定すると、それとなく相手に告白することになるわけでありまして、案外すてきではございませんか? 著者の桑田明氏も忠見の歌の「人知れず」の「人」は二人称として理解しようとしていまして、共感いたしました。
本来、そういう自由恋愛の告白の歌ではないのか。純粋に独詠の歌って、古典にあったんでしょうか?
従来通りに「人」を「他人」とするような独詠とすると、詠作主体が男であっても女であっても、ちょっと頭の固い人物像になることでしょう。恋愛の評判を気にする風情なんでありますね。恋の初心者、もしくは洗練にほど遠いウブな人であります。しかし、「人」を「あなた」とすると、自然に高まる恋愛の風情がありまして、人柄に惚れているという自由恋愛の気分が楽しめるわけです。洗練された宮廷人の歌になるはずです。いかがでありましょう。
「人」を「あなた」とするのは、恋の歌では基本原則だと思うのですが、従来検討されていないようでありまして、さてさて、きっと思いつく私が変なのでありましょう。へそ曲がりな人間なんです。昨日思いついただけのことですから、私も信じておりませんが、大手柄の可能性はあります。大手柄だと思っていたら、著者の桑田明氏は50年も前に気が付いておりまして、さてこういう指摘に対して、その後の注釈者たちはどう反応したのでありましょうか。ちらちらと、近年の研究者の解釈を見ましたが、まったくはかばかしくありません。どうして、無視してきたのでありましょうか。
たぶん、和歌の歴史の研究者はいるんですが、和歌の表現内容や解釈の研究者はいなかったようであります。業績が上がりやすいので、和歌史研究だけが突出して試みられてきたということかと思います。こういうことを指摘したとしても、誰も怒ったりはしない筈です。
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