超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(39) 源等

浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき     参議等

     (後撰、恋一、578)


〔釈義〕

浅茅の生い茂るところという小野、その小野に篠の茂り連なった原っぱ。その篠原に音通の「しのぶれど」―篠の茂みに身をしのび隠すように、私はじっと思いを抑え隠しているけれど、思いは抑えきれずに余って、(ただもう或お人が恋しくて恋しくて―。)どうしてそのお人、外ならぬあなたが、こんなに恋しいのでしょうか。


〔義趣討究〕の要旨

① この歌の、「浅茅生の」は「小野」の枕詞のように使われ、「浅茅生の小野の篠原」は「しの」ないし「しのぶれ」の序詞であるが、単に枕詞や序詞として使われているだけではなく、内容的に情景的背景となっている。

② 「小野の篠原」を詠んだ歌を見ると、露・風・霧・雁などが付随し、さらに蟋蟀・霜枯れ・真葛・時鳥などが情緒を醸し出す。この歌には、そうした付随するものがないが、類歌も忍ぶ恋の歌であるから、「小野の篠原」は篠が連なり生えていて、その陰に身を潜めて姿を隠したり、篠原の中の寓居に世間の目を逃れて住むというイメージが浮かんでくる。

③ 身を潜める、世間の目を逃れる行為は、本意でもやむを得ざる事情でもわびしく苦しいものであり、「小野の篠原」という序は、恋を忍ぶ行為と、人を偲ぶ行為の二重の意味を持っていると考えられる。

④ この歌の本歌とみなされるのは、「浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめや言ふ人なしに」(古今505)であるが、これは「忍ぶ」「偲ぶ」を懸けているものの、単純素朴に恋情と諦めを述べている。参議等の歌は、本歌に幾倍する執念の深さが感じられ、後撰の詞書に「人につかはしける」とあるように、恋の相手への贈歌であり、深みのある歌である。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、本歌の忍ぶる恋の相手に通じない苦しさを踏まえた上で、進んで当の相手に思いの程を愬えかける行動に出た趣があるが、自分の心を見つめる趣になっていて深みがある。

② 忍ぶる恋は世人に知られないように隠すものであるが、当の相手に知ってもらうことを期待するものと、当の相手に知らせてはならないものの二通りがある。この歌は、後者の方であったのを前者に切り替えようとする形を取る。顕著に目立つのは「あまりて」の詞で、表現として見事に成功している。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の参議等の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、引用されている和歌の例、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、初句・二句の「浅茅生の小野の篠原」が、単に同音の繰り返しで「忍ぶれ」を導くのではなく、身を潜めたり寓居で人目を避けるという「小野の篠原」のイメージを利用したものであると結論付けています。序詞を単に特定の詞を導くためだけのものとしないで、意味のあるものとして追求するのは、この著者の姿勢となっています。なお、本歌の「しのぶ」は「偲ぶ」だと思われますが、それを本歌とする参議等の歌では「しのぶれ」は「忍ぶれ」の意味で出て来るわけですが、著者はその本歌と本歌取りした歌の間にある落差を特に指摘しないまま、「しのぶれ」は「忍ぶれ」と「偲ぶれ」だと論じていて、かなり気になります。『百人一首』の注釈書の、参議等の歌に関する解釈は、大方は「忍ぶれ」でありまして、本歌を指摘しても「忍ぶれ」と「偲ぶれ」の違いには言及しておりません。この点に触れているのは、上坂信男氏の『新版百人一首・耽美の空間』(右文書院・2008年刊)や、久保田正文氏『百人一首の世界』(文芸春秋新社・1965年刊)ですが、他の注釈者は気付いていても指摘しなかったのかもしれません。「偲ぶ」と「忍ぶ」には微妙な音の違いや活用形の変遷がありますので、紙幅を割けない注釈書では論及を避けたのかもしれないと思います。


〔蛇足の蛇足〕

初句・二句の序詞を除くと、歌の主要な部分は「忍ぶれど余りてなどか人の恋しき」でありまして、これに即した北原白秋の訳を取り出すと、


   胸の中に包み隠して居たが、思ひあまつてあの人が恋しいのはどうした事であらうか


となりますが、白秋は訳の末尾に「自分ながら自分の心が疑はしい程である」と付け加えておりますが、それは、おそらく白秋のこの歌に対する思い入れの部分です。尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』も「我が心を我れながら疑ひたる」と付け加えていますし、佐佐木信綱の『百人一首講義』も「われながら、あやしき事との意」と解説していますから、それらの影響があるようです。この点について、注釈上では、後撰集の詞書を手掛かりとしまして、贈答歌である以上、相手に対して尋ねているとする意見もあります。その場合、「人」を白秋のように「あの人」と三人称には捉えずに、「あなた」と二人称として理解するのだと思います。そうするとこの歌は、次のような告白の歌になるわけです。これは、桑田明氏の〔釈義〕に近付きまして、著者が言うように、本来は秘めたままにするはずだった思いを、いよいよ告白する方向に舵を切ったという内容ですから、この歌のよさは自問自答を当の相手に向けたところと考えていいのでしょう。


   胸の中に包み隠して居たが、思ひあまつてあなたが恋しいのはどうした事であらうか


参議等は嵯峨源氏でありまして、嵯峨天皇の末裔ということのようです。だから「源等」が名前ということで、源氏にはこの類が多いのであります。「等」のお父さんは「希」、その父が「弘」、その父が嵯峨天皇でありますから、天皇の曾孫に当たる方らしいのであります。嵯峨源氏の人々には、こんなふうに一文字の名前の人が多くて、有名なのは左大臣だった融でありまして、『百人一首』14番の作者河原左大臣であります。「融」は「弘」の弟だったようであります。なお、源氏には「光」という人もおりましたが、『源氏物語』の主人公は「光」ではありません。「光源氏」の「光」は修飾句ですから、そこのところはお間違えなく。


ふと気が付きましたが、「余りて」は副詞がいいようで、『日本国語大辞典』はそう扱っています。それでもって、おそらくは「篠原」と縁語なのでありますね。持てあますほど伸びるのでありましょう。そうすると分からないのは、初句の「浅茅生の」が「小野」を導く枕詞なのか、どうかという点です。それから、歌の中に「浅茅」と「篠」と植物が二つあるのかどうかと言うことですね。「浅茅生」と「小野」と「篠原」がすべて地名と言うことはないと思うのですが、そう言うことも考えなけりゃならないんでしょうね。もう注釈書が今ひとつであることは分かりましたから、好き勝手に奔放に考えることにいたしましょう。ネットで「小野の篠原」を検索したら、くさるほどの『百人一首』のブログや記事が出てきまして、それもこれもコピペで記事を構成し、アクセス数を稼ぐためのもののようであります。


   浅知恵で 小野の篠原 調ぶれど 余りてなどか 価値の乏しき(粗忽)


こうしてふざけてみて思いましたが、「浅茅」の生えている「小野」の中に、「篠原」が繁茂する一角があるとすると、身を隠したり寓居を用意して人目を避けるのは「篠原」でありまして、「余りて」というのは、複数の植物を比較した結果、「篠原」が伸びていて忍ぶのに都合がよいというようなことなのかもしれません。桑田明氏のような序詞を情景として深く追究するというのは、それまであまり試みられたことがなく、それ以後も面倒なものとして無視されて来たような経過が感じられます。


ともかく、ここまで奔放に物を言いすぎて、自分でも持てあましているんであります。その上、むさ苦しいんではありますが、次のような歌が出来てしまいました。ただし、笹塚には行ったことがありません。どの辺だろう? 新宿のちょっと先だったような気がいたします。ただし、笹塚は渋谷区に属しております。


   武蔵野の 渋谷の笹塚 ささやけど 却りてなどか 人のなびかぬ(粗忽)  

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