超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(30) 壬生忠岑

有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし    壬生忠岑

     (古今、恋三、625)(六帖31240、有明、33880、来れど逢はず)


〔釈義〕

① 古今集の排列・古今六帖の題による「逢不逢恋」の釈義

有明の月が白々とそっけなく見えてきた時、夜通しあなたがその月のように冷淡であり通した姿が、(はっきり私の目に)見えた、あの(有明月の下の、すべてがよそよそしかった、後朝とはいえない)別れをしてからというもの、(私には)暁方ほどつらくいやなものはありません。(あの暁方の、すべてが私をつき離したような場面を思うと恐ろしくて、それ以来、恋しさはまさうます募るあなたを夜訪れることもようせず、そして暁方になると全くたまらなく遣瀬ないのです。この気持、少しは哀れと思って下さい。)


② 顕昭・定家の説による「逢而別恋」の釈義 

(あの時、もう夜明けだとばかり、)有明の月が冷淡に見える姿でせきたてたので(、断ち難い愛着を断ち切って私たちは)別れた(のでしたが、)あの時以来、(私には)暁方ほどつらく厭なものはありません。(積る思いを語り尽くしたいのに、あの冷淡な有明月にまた追い立てられやしないかと気が気でなく、有明の頃でなくても、夜明け近くになるとやっぱり脅かされるのです。こんな気持、わかって頂けるでしょうね。)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌の「有明」が有明の月を意味することは顕昭の注によって知られるが、後世の歌の例によっても考えられる。

② 「つれなく見えし」の主体を女とする場合には、「有明の」を枕詞と捉えるが、主体を月と女の両方とする考えもある。これらは「逢不逢恋」の歌として見るが、古今集の排列や古今六帖の「来れど逢はず」という題を根拠にしている。

③ この歌の「つれなく見えし」の主体を有明の月と見るのは、古くは顕昭の説にあり、藤原定家もそれを支持している。これは「逢而別恋」の歌と見るもので、女のもとから帰る時に在明の月がつれなく見えたと解している。

④ 後世の影響を受けた歌は、「逢不逢恋」を前提とする場合もあり、「逢而別恋」を前提とする場合もある。忠岑は古今集の撰者であるから「逢不逢恋」という理解を是認していたとみられるが、顕昭・定家の「逢而別恋」という理解に従うほうがすぐれた歌趣を生むこともありうる。

⑤ 「逢不逢恋」の歌として月と女がつれなく見えたと見る場合、それは別れの場面であり、それ以来女のもとを訪れることは絶えていて、そのつれない女にこの歌を贈ったと見るのがよい。

⑥ 「逢而別恋」の歌とする場合、顕昭は帰る道で有明月がつれなく見えたとするが、有明月が寝所にさして後朝をせきたてられ別れたと考えたい。この場合、有明月に対する怨恨の情を詠んでいることになるが、これも女に贈ったと見るのがよい。


〔鑑賞〕の要旨

① 「暁は憂きもの」という考えは後朝の別れの心情であるが、これを真っ向から取り上げ、それを最大級の憂き物としたところに斬新さがある。「逢不逢恋」と解する場合、有明のつれなさと女のつれなさは完全に合体し、有明のつれなさという斬新な把握から、暁を憂き物とする斬新な結論が生まれている。これは、定家の有心体に相当する歌である。

② この歌を「逢而別恋」と解すると、夜を通しての公会の歓楽と後朝の別れの悲哀憂愁とが鮮やかに対比されている。前者を完全に省略したことが、尽きぬ興趣を醸して、余情豊かな歌となっている。これは、幽玄妖艶な歌である。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の壬生忠岑の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったり、音調面の分析があったりしたものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、従来対立して来た二つの解釈に対して、どちらも成立の余地があるとして検討し、具体的にどのような場面がふさわしいのかを追究しています。これは、言い換えれば、歌が詠まれた時代や、作者の意図と言うものが尊重されるべきだという立場では「逢不逢恋」の歌と言う解釈が成立する一方で、歌を鑑賞し秀歌撰に採用した後世の理解が尊重されるべきだという立場では「逢而別恋」の歌と言う解釈が成立するのだということなのであります。当該の和歌を、作者とその時代の縛りの中で読み解こうとするか、それとも選び入れられた秀歌撰とその撰者の縛りの中で読み解こうとするかという対立とも言えるでしょう。和歌をさらに作者や撰者・時代から切り離して、日本語のテキストとして読み解こうとする立場も出現しそうな勢いでありましょう。


ところで、著者の桑田明氏が、二つの説を深く追究してくれておりましたので、それによって見方が深まった代わりに、その追究の前提となっている点について、少々疑問がわきました。顕昭や定家が活躍していた六百番歌合の頃に、この歌を本歌取りした歌を巡って、本歌の忠岑の歌の内容に、二つの説が対立したわけです。そのなかで、「逢不逢恋」の論拠である古今集の排列の問題ですが、これが実は怪しいのではないかという気がいたします。ひとつには、古今集の恋三の詞書を巻頭から見て行っても、別に「不逢恋」というような題が明示されているわけではありません。院政期になって歌合や百首歌に歌題を出すということが盛んになりましたので、そうした視点で六百番歌合の歌やその本歌が論じられるのは構いませんが、はたして「不逢恋」という題詠の意識下で忠岑の歌前後の歌が詠まれたかと言えば、そんなわけはありません。それでも、撰者の排列には一定の枠組みがあったと言い返されそうですが、よくよく前後を見ると微妙であります。簡単に指摘すると、恋三の前半と言うのは、二人の関係が深まりまして足しげく通っている中での、何らかの障害(雨と雪、距離、時間、人目)による焦燥感がテーマでありましょう。「逢えなかった恋」がテーマではなく、「逢えなかったことで募る恋心」がテーマでありまして、そんなふうに視点を変えると、歌の主題が変化し、二説対立の根拠が失われるような気がいたします。


〔蛇足の蛇足〕

かつて取り上げた北原白秋は、この歌を思い入れたっぷりに訳しておりますが、白秋によれば、「在明の」は「つれなく」の枕詞に過ぎず、また「つれなく」は、句意では「無情で」「平気で」、評釈では「冷淡な」となっております。白秋の解釈の骨組みだけを示すと、


   あの女が冷淡に見えた別れ以来、明け方程いやなものはない。


というような理解だと見ていいでしょう。ところが、白秋が参考にしていたはずの佐佐木信綱は、まったく違った解釈をしていました。違いは、つれないのは「有明の月」だけでありまして、別に女の態度がつれなかったとは言っていないのであります。


有明がたの月のさしもつれなく、山のはにも入らず残れる折から、女のもとより、かへる事を思へば、身にしみしみと悲しう物うくおぼえて、その別より後は、よに暁ほどわびしく、物うきものはなし。(佐佐木信綱『百人一首講義』)


この解釈だと、信綱は女との仲は昵懇と考えているのでありまして、離れがたいがために帰ることが辛くなっているわけで、これだと恋の深みにはまった気持ちの吐露なのであります。古今集の恋三という配置を見たら、信綱の解釈が妥当だと分かります。恋の歌は、恋愛のはじまり、駆け引き、相思相愛、隙間風、別れた後の恨み節のように、段階を踏んで分類されまして、それを五巻にわけるのが勅撰集の基本ですから、古今集恋の部の真中にある巻三の歌の解釈としては、白秋の理解はずれておりまして、信綱に軍配が上がります。信綱が粉本にしていたと思われる、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』は、歌の解釈の中で、「かの人は何とも思はず知らぬ顔して我に逢はぬ故本意なく別れて帰りし」と述べているので、これは白秋と同じ理解で、信綱とは意見が相違しております。


有名な歌でありますけれども、すでに鎌倉時代の初め、藤原定家の時代には異説がありまして、もめていたようなのでありますね。それはそうです。詠んだ忠岑本人だって、どこまで詠んだ歌を理解していたのかどうか分かりません。それが詠まれて300年も経過した時代に取沙汰されても、議論が収束する気配はないことでしょう。


まず、「有明」という言葉を、どう理解するかによって、解釈が割れるわけです。壬生忠岑の歌にある「有明」を勝手に整理すると、「有明」を「有明月」のこととするか、それとも有明月が空に掛かる時刻とするかによって解釈が割れるんであります。でもって、後者は不可であります。つまり有明月は、月の出が深夜、月の入りが翌朝でありまして、幅があるから、これを時刻を表す表現にすることはそもそも無理があるんですね。だいたい、忠岑の歌の中では四句目で「暁」って言ってますから、時刻はそちらで感知するわけです。それから、白秋の言う「有明の」を枕詞とする説は、そもそもそんな枕詞がないような気がしますし、「有明の~見え」で「月が見え」ですから、有明月がつれなく見えたを否定するのは無理があるでしょう。


また、白秋と信綱の意見の相違で示しましたように、「つれなく見え」たのは、有明月なのか、女の態度なのか、という問題も古来議論の的ですが、別れの暁がつらいんでありまして、女性はちっとも「つれなく」ないのでありましょう。実は、『古今集』では恋三の「逢わざる恋」の歌群に入っているんですが、訪問して明け方まで粘れたなら、女の態度を「つれなく見え」たと考える必要はないのではありませんか。また、これを、永遠の別れを詠んだとする解説(ちくま文庫)もあるんですが、恋三に配列された点を重視すると、とても肯定する気持ちにもなりません。たぶん、そんな劇的な恋の終末を詠んだ歌ではありますまい。恋も深まると、デートの後のさよならが切なくなるはずなんです。


この歌が詠んでいるのは、恋というものの風情であり、遊びが本物の恋になった瞬間、あるいは恋に恋する子供が大人になった瞬間のはずであります。口説いている時は遊びなんですが、別れて帰ろうとする刹那に、深みにはまって帰りたくない自分を自覚するという歌なんですね。定家・家隆の圧倒的な支持は、ここの所だろうと思います。


幾たびもそなたを慕って訪問しては、そなたをかき口説いて来たが、どうやらこの私は本気になったようです。帰ろうとして眺めた空に、あの晩有明の月がかかっていて、それが「つれないものだなあ」と見えた別れの時から、そなたのもとを辞して帰る暁ほどつらいものはないと思い始めたのです。そなたのそばに暁になってもそのまま居続けたいと思うようになりました。(粗忽試訳)


それから、作者は男ですが、詠作主体が女でも通用する歌だと思いますが、どうもそういう指摘は従来ないようでありまして、どうして男の歌と固定して見ているのでありましょうか。女性が口説きに来た男を送り出した後で、有明月を見ていてもいいはずでありますよ。女性の立場の歌の方が、むしろ、断然、自然ですね。「待つ宵・別れの暁」の辛さというのは女性の立場から発したもののような印象があるんですが、違いましたでしょうか?


あなた様が何度も何度も私を訪ねて来ては、口説きに口説いて下さいましたが、どうやらこの私は本気になったようです。あなた様が帰ろうとして我が家を出た空に、あの晩有明の月が掛かっていて、それが「つれないものだなあ」と見えた別れの時から、あなた様が私のもとを辞して帰る暁ほどつらいものはないと思い始めたのです。私の側にあなた様が暁になってもそのまま居続けてほしいと思うようになりました。(粗忽試訳、女性バージョン)


後に残る女の態度も、帰ろうとしている男の態度も、おそらくまったくつれない冷淡なものではないはずであります。つれないのは、空に掛かったままの有明の月でありまして、「暁の別れ」という場面に存在しているのは、男と女と有明の月なんですが、この月が空に浮かんだままなのであります。月は平気の平左、二人の気持を受けとめないで空に居続けますが、男は後ろ髪惹かれ、女は引き止めたくて、二人とも平常心を失っているのであります。ああ、本当の恋に落ちると、暁の別れはこんなにもつらいものであったのかという発見でしょうね。 

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