超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(27) 藤原兼輔
みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ 中納言兼輔
(新古、恋一、996)(六帖32432、川)
〔釈義〕
みかの原に湧出ては流れ出す泉の川、そしてそれが集まって、みかの原を二つに分けて流れてゆく泉川。その「泉川」という詞にあるように、いつ(あなたを)見たというわけで、こんなに(あなたが)恋しいのでしょうか。(あなたを実際に見た覚えもないのに、いつとはなしに噂に聞くあなたのことが心に深く残って、ちょうどみかの原に絶えず湧き出る泉が川になって流れ出すように、あなたへの恋心が絶えず湧起っては外に溢れて人目にも見えるようになり、その半面では、みかの原を泉川が二つに分けて流れて向う岸は遠く隔たっているように、あなたとの間は隔てられていて近づくことも出来ないのです。)
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は新古今集の詞書には「題しらず」とある。
② みかの原は山城国相楽郡の地名で、恭仁京の址のある所で、木津川(古名泉川)が貫流している。甕(みか)を埋めたところから水が湧いた言い伝えに由来して泉川とも言う。
③ 上三句は「いつみ」の序であり、普通は「わきて」を「分きて」と「湧きて」の懸詞とし、「湧き」は「泉」の縁語であるが、安東次男氏は「分きて」は無駄であるとして懸詞を否定している。
④ 万葉集の泉川の歌を見ると、恭仁京の時代には打橋や浮橋も渡してあったが、平時は徒歩や騎馬で渡る川であり、みかの原は泉川によって二分され、両岸は交通が阻害されていたことが分かる。これは、相手の女性との間は隔てられていると暗示している。
⑤ みかの原に泉が湧いて泉川となるという古歌は管見に入らないので、この歌は「湧きて流るる泉」と「みかの原分きて流るる泉川」の二つが重ねられている構造ということになる。
〔鑑賞〕の要旨
① みかの原には古都の奥ゆかしさが感じられ、泉の湧出して流れるイメージが浮かぶ。さらに、一途な恋に悩む男子の姿と、相手の女性が泉川の対岸の隔てられた世界にいるという情況が浮かんでくる。
② 序に二通りの意味が含まれ、そのまま下の句につながってゆく点は、序のあり方としては充実している。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原兼輔の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕では、従来から指摘されている「湧きて」と「分きて」の懸詞を万葉集の歌などによって検討し、泉が湧くみかの原とみかの原を貫流する泉川の違いを見出し、序の部分が二重構造になっているのではないかと言うことを主張しています。その結果、「みかの原分きて流るる」が片恋のイメージ形成にもなっていることを、著者は独自に発見したようです。〔鑑賞〕における音調面の指摘は今回も割愛しました。
安東次男氏の見解というのは、著者が紹介している通りで、「分きて」に「男女の仲を引き離す」という意があるとして、下の句にふさわしくないと見る見方です。これに対して著者は、万葉集の泉川の詠まれた古歌を引用して、「分きて」に片恋の情況が託されているとして、安東次男説を否定する立場に立っております。現在の普通の見方だと、みかの原を「分きて」流るる泉川というのが序詞の主要な意味で、「湧きて」は「泉」の縁語として使われているに過ぎないと言われております。著者は、どちらも捨てがたい内容を含んでいるとして、上三句は二重構造になっていると考えたようです。ただ、著者も言う通り、恭仁京あたりで「泉が湧く」ことを詠んだ歌は存在しないようです。また、恭仁京の地形を考えると、恭仁京の南を木津川が貫流していて、決して細い流れではなく、代表的な橋梁は「泉大橋」でこれは近代のものですが、恭仁京建設時には三か所ほど橋をかけたものの洪水で流れてしまい、奈良時代から明治時代までは橋がなかったそうなのであります。だとすると、「湧きて」「泉」の縁語も怪しくて、「みかの原分きて流るる泉川」というのが、木津川の恭仁京付近の状況を詠んだと考えるのが筋のようです。
〔蛇足の蛇足〕
「みかの原」というのは、忘れ去られた古都恭仁京のあったあたりで、奈良の手前にある小さな盆地に位置していたといいますが、どこにあるのと言うような忘れられた場所です。「分きて」のところは「湧きて」が掛けてあり、「泉」と縁語になっているとされています。それから「いつ見」のところに、「泉」が隠れていて、同音反復であり、上三句つまり五七五の部分が、序詞になっている、なかなか修辞技巧のきいた歌と言えましょう。最後の所は修辞疑問であり、「見たわけではないが恋しい」ということを言っています。
これでも問題は山積していて、契沖の『百人一首改観抄』が注意喚起するように、この歌は『新古今集』になって勅撰集に姿を現すものの、兼輔の歌ではないことが指摘されています。それによれば『古今和歌六帖』の「川」の歌の中に、「みかの原」の歌は出て来るんですが、それよりずっと前に兼輔の歌が作者名付きで出て来るものですから、そのあとの詠み人知らずの歌群の中にある歌なのに、誤解されて兼輔の歌とみなされたようです。また、『新古今集』においては、恋の一に入れてあるので、「未だ逢わざる恋」をモチーフとした歌だと撰者は理解していたと思われますが、主題をめぐっては古注釈などでも意見が分かれるため、解釈も揺れるのです。本当は逢ってからの歌だとか、チラ見はしているだろうとか、そういう深読みがなされております。
ところで、誰も指摘しないんですが、よくあることですけれども、「流るる」のところには「泣かるる」が掛かっていると言っても差し支えないかも知れません。修辞があると言ったり、ないと言ったり、私なんかも気まぐれでありますが、そんなものでありましょう。本当のことは、歌を作った本人にだってわかりゃしないので有ります。「泣かるる」というのは、自然と泣けてくるというようなことですね。それなら、さらに言ってしまいますが、「みかの原」の所には、「見」が掛かっていると見ると、なるほど、「未だ逢わざる恋」なんかじゃなく、相手に内緒で垣間見したので恋に落ちたという歌になるでしょう。ただの、序詞だと思っていた上三句が、いきなり有意の序に変じるということです。なお、「泣かるる」を指摘してこの序詞を有意の序として処理するのは、まるっきりの新見解のはずでありまして、剽窃する方はここが狙い目でありましょう。あなたが、パクって儲けたら、訴えて差し上げます。SNS全盛期の現在の冗談はともかくとして、新見解を補強すると、こっそり噂のあなたをのぞき見して、ああほんとに美しいと感じて他の女性とは違うと「見分きて」からは、恋しくて恋しくて涙がこぼれて「泣かるる」日々なんですよと、そんなことが序詞から汲み取れるかもしれません。
「見」かのはら「分きて(湧きて)」「泣かるる」泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ
そなたをちらりと垣間見して、恋心が湧いて、切なさに涙がついつい溢れて来て、まるで泉の如く、川の如く途切れません。いつ見たからとて恋しいのでしょう。あの夜、そなたを密かに見たせいで、恋しくてならないのです。私と親しくしていただけるでしょうか?(粗忽謹訳)
冗談もほどほどにしないと、誰かに叱られそうであります。『百人一首』というのは、実は輪番で詠むような授業が大学でありまして、もう少し後の所を担当した記憶があるのであります。1980年頃の事です。調べ方が分からず、途方に暮れたような気がいたしました。時は流れ、2011年の初夏の頃、最初の10首くらいを気ままに取り上げて考えてみても、なかなか波乱含みであるということが分かりまして、素人考えでどうにかなるものではなかったのでありますね。それでも、『百人一首』の歌をいじって、俳句などをひねってパロディを試みましたが、自分なりの理解を深めてからもう一度元の和歌を眺めると、従来の注釈書のやっつけ仕事が見えて参りました。注釈書という体裁を取りながらも、実は和歌そのものを解釈しないで、注釈史を要約し、説明している物が圧倒的に多いような感じだったのです。
書店に行きましたら、案外『百人一首』は人気なのであります。あの作家、例の研究者、高名な大家、いかにもな企画は花盛りでありますが、なんとなく企画倒れな物ばかりな気もしまして、見なきゃよかったとまで思いました。もちろん、そんな毒舌を吐く私のブログだって、見なきゃよかった物の一つでありますけれども、私は私のためにメモしたのであって、正しいこと、熟慮の結果をアピールしたつもりはありません。正しいことを言おうとして、闇鍋のようになっている注釈書があるのには驚愕しますけれども、まあ、それはそれ、それぞれに何か目的や、出版社の目論見があってのことですから、目くじらを立てても仕方ないものです。歌も秀歌撰も、そして注釈書も、それぞれが時代を象徴しているものでありまして、何らかの意味があるのでしょう。
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