超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(26) 藤原忠平

 小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ     貞信公

     (拾遺、雑秋、1128)(大和物語九十九)


〔釈義〕

(今日の御幸に供奉して、お蔭で私も観ることの出来た小倉山の紅葉の、何という見事さか!上皇も叡感のあまり、今日の御幸だけでは惜しい、折角の美景ゆえ、帝も行幸あって叡覧あるがお宜しかろうと仰せられるのだ、)小倉山よ、峯の紅葉よ、もし(お前に)心があるなら、(散ったり移ろうたりするのをしばらく止めて、)もうひとつのたびのみゆき(、すなわち上皇の御幸とは別であるところの、帝の行幸)をお待ちしてほしいのだ!(そうしてまた帝の叡感に預かることは、お前にとっても本望だろうじゃないか?!)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌の作歌事情は、拾遺集の詞書、大鏡昔物語、大和物語九十九段などに見えるが、拾遺集や大鏡では亭子院が帝の行幸を発議したことになるが、大和物語では貞信公が申し出たことになっている。

② この歌では、亭子院を聴者とする場面で、紅葉という意識される対象をあたかも聴者のように扱って物を言いかけたり要求したりしており、よくある興趣表現である。

③ この歌の初・二句を普通「小倉山の峰の紅葉よ」と口訳するが、そうではなくて「小倉山よ、その峯の美しい紅葉よ」の意であり、意識の対象は小倉山であり、またその紅葉である。

④ 「今ひとたびの」は「もう一度の」という意味ではあるが、この「たび」は、現象が順次に生起する場合の単位であるが、その生起内容が同趣であることを意識する場合もあるが、ここは生起内容が異趣である。

⑤ 院の御幸に供奉した人々の詠進した詩歌の一つと考えると、言外の意味が汲み取れる。京の紅葉の美景を嘆賞する心、供奉したことを感謝し、上皇の庇護下での帝の聖代を寿ぐ祝意が託されている。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌を実感表現の歌と誤ると、平淡で優れた点もないと評することになるが、野外において命を受けて制作に応じた歌であり、美景への嘆賞と皇室賛美、聖代慶祝の意をこめた当意即妙の歌である。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の貞信公藤原忠平の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕では、詠作の事情について拾遺集の詞書や大鏡の本文、さらに大和物語九十九段の内容を吟味しています。また、歌の内容は紅葉に呼びかける体裁の歌ですが、実際には上皇に対して詠んでいるうたであることが指摘されています。さらに、初二句の表現について、呼びかけている対象が、実は小倉山と紅葉と二つあるという見解を提示しています。〔鑑賞〕における音調面の指摘は今回も割愛しました。


〔蛇足の蛇足〕

さすがに、問題がなさそうな歌であります。宇多上皇が紅葉の名所である大井川にお出ましになって、息子の醍醐天皇に見せたいというものですから、藤原忠平(貞信公)が醍醐天皇に行幸を奏上しようという歌でありまして、紛れるところはありません。「みゆき」というのは、上皇の「御幸」やら天皇の「行幸」を指す言葉でありまして、要するに天皇のお出ましを待って散らずにいて欲しいと言うことなのでありますね。


この、最後の「なむ」というのは、願望・希望の終助詞などと言うものでありまして、著者は「またなむ」を「お待ちしてほしい」と訳出しています。この助詞は、成就しがたい無理な願いを頼むものでありまして、大概は止めることの出来ない自然の流れなどに対して、強引な要求をするものなのです。だから、待って欲しいとは言っていても、無理を承知している表現なのです。だとすれば、「小倉山のもみじ葉は、まもなく散ってしまいますから、お早めにお出まし下さい」というようなお誘いが裏に存在するわけです。「行かないと散りますよ」と、醍醐天皇をせかしている表現にもなるわけで、宇多上皇の命を忠実に遂行する内容ですから、なかなか人心掌握術に長けた機知の勝った歌なのであります。


なお、近代の注釈書の中には、この歌を擬人法とする説明があるんですが、不思議でありますね。「心あらば」と表現してしまうと、素直に擬人化しているとは思われないわけでありまして、説明の角度が違うのではないでしょうか。微妙すぎて、自分でも何が言いたいか分かりませんが、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」なら、素直に擬人法でいいと思うんですが、どうも貞信公の歌のばあいは、根本的に「心なきもみぢ葉」という認識がちらついて、擬人法という説明では落ち着かないのであります。まあ、仕方ありませんね、擬人法かも知れません。しかし、そのレトリックは指摘するまでもない。機会があったら、レトリックの本を眺めて考えてみることにいたします。


この作者の貞信公というのは、藤原忠平という人でありますが、藤原基経という人の子供であります。例の、陽成院が退位した時に光孝天皇を立てたのがその基経でありまして、これ以後の天皇の即位には、基経の子孫が大きく関わるようになるわけです。だから、宇多上皇のお伴をして紅葉を見てから、醍醐天皇に紅葉を見ませんかと声を掛ける気安さと言いますか、君臣和楽の精神はなかなか楽しいものでもあるわけです。


江戸時代の尾崎雅嘉という人がしたためた『百人一首一夕話』というのは、楽しい読み物になっているんですが、この藤原忠平について、子供時代の楽しいエピソードが書いてあります。基経お父さんと車に乗っている時に、「パパ、お寺を建てるのにこの辺がいいよ」なんて幼い頃の忠平が言うんであります。お父さんがどれどれと見てみると、確かにいい感じで、じゃあ大人になったらどうぞ、と言ったんであります。


この話は、『大鏡』に由来するんでありますが、それを見ると、もっと感動的であります。つまり、この時の基経お父さんは何のために車に乗っていたのかというと、基経さんの子供時代が関わるんですね。仁明天皇という方のお出かけに同行した、幼少のみぎりの基経少年なんですが、仁明天皇が琴の演奏のためのつけ爪を紛失するんであります。昔の牛車のことですから、要するに密室空間ではありませんから、どうやら道中、琴を弾いているうちに車から落ちてしまったと言うんですね。そこで、仁明天皇が幼い基経に探してこいと頼むんであります。そんな小さなもの、普通は見付かりませんよ。どうして基経に頼んだのか、そのこのところも理由は分からないんですね。おそらく、ただ何となく依頼したのでしょう。しかし、運命とはそういうものなのです。とても見付からないと思った基経少年は、仏様に祈ります。


「見付かったらお寺を建てます。仏様!」 


そうしたら、見付かったんですね。その、琴のつけ爪が見付かったところにお寺を建てに行ったのが、大人になってからのことで、その車中に息子の忠平がいたわけです。そうしたら、息子はお父さんのために、「ここがいいと思うよ」ってアドバイスしますから、この息子はお父さん思いの利発な子供ですよね。お父さんは、昔の発願に従って建てる場所があるから、お前が大人になったらここに建てるといいよ、というようなことで、親も親なら子供も子供、人柄もいいし、それなりの出世も遂げてしまうわけです。


私もね、子供の頃に父親に、ここの土地を買ってと頼んだところがあるんです。そこは、のちのち新幹線の駅前になりまして、地価は100倍くらいになったのでありますが、私の父は凡人でありますから、おおそうか、買ってあげよう、などとは言いませんでしたし、私も父以下の凡人ですから、そこを手に入れる力も知恵もなかったのであります。 

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