超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(21) 素性法師
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
(古今、恋四、691)(素性集15715)(六帖33673・人をまつ)(和漢朗詠集下、恋)
〔釈義〕
(あなたが)もうじき(九月に入る頃にでもなれば)来ようと言われたばっかりに、(私はそれをあてにして、)長い月日の間ただこの九月を待ち続けて、とうとう秋の夜長も終りに近く、(有明の月の出るのを見届けるという結果をもたらしたことです。私の待っていたのはあなた以外のだれでもないのに、あなたはあれからこっちの長い月日を、とうとう今まで姿を見せられないで、姿をみせたのはなんと、九月も末近い有明の月でした。何のことはない、私が努力して毎夜寝ないで待った甲斐あって、ついに)出の遅い九月の有明の月を引っ張り出して来たといった、(ばかばかしい)始末ですよなあ!(私をこんな目にあわせるあなたは、ほんとに薄情なお方!)
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、相手を待つのは一夜のこととして相手は来ないのに月が出たと解する人が多い。古今集の配列を見ても、撰者たちも「待恋」の歌として理解していた。しかし、定家の顕註蜜勘には、相手を数か月待つ「久待恋」の歌として解している。
② この歌の「今来む」という表現について、枕草子の「いま秋風吹かむをりぞ来んとする」、伊勢物語の「大和人来むいへり」、古今集「まつとし聞かば今帰り来む」を例にして考えると、数か月、半日ないし数日、数年と幅がある。
③ この歌の「長月の」という表現に着目すると、一夜の「待恋」の歌ならば「長き夜の」とあればいいので、「長月の」には、長い月日の経過した意味も加わっている。
④ 以上から、「長月の」は相手が来ようと約束した期限を意味し、九月以前から待ち受け、九月も下旬になってしまったため、夜明け近くまで待つようになったのである。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、男の一時の気まぐれから出た言動と、女の長期間にわたる深刻になって行く心情行為が対照されている。
② 古今集には、「題知らず」として出ているが、内容から見て題詠の歌である。「長月の」には二重三重の意味があり、「待ち出でつる」には恋人と月とのすり替えの面白さが見られる。
③ 初・二句の句頭音がイ音で続き、後半は「つき」「つき」「つる」とツ音が続き、各句にカ行音が配置されている。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の素性法師の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕では、古来問題になっている、一夜の「待恋」説と数か月の「久待恋」説の対立を紹介しつつ、それを著者らしい着眼点で後者を支持しています。「今来む」という表現については、枕草子・伊勢物語・古今集の行平の歌を例に挙げて、待たせる期間に幅がある事を指摘しています。そして、「長月の」という表現を吟味して、それが「長き夜の」ではないことから、長い年月の経過を踏まえたものと結論付けています。さらに、〔鑑賞〕では上の句の男の約束を一時の気まぐれによるもの、下の句を女の深刻な状況・心境と指摘し、さらに「待ち出で」の対象が恋人から月にすり替えられている面白さを指摘していて、著者の面目躍如ではないでしょうか。
『顕註密勘』というのは、六条藤家の顕昭が古今集について記していた注釈に対して、藤原定家が自説というか御子左家の注釈を書き加えたもので、ながらく写本だけだった所に、今年2024年になって冷泉家から定家自筆本が出現したことで話題になっております。当該箇所を京大図書館清家文庫本で示してみます。
今こんといひしばかりに長月の在明の月をまちでつるかな
長月の有明の月とは、なが月の夜のながきに在明の月の出るまで
人をまつとよめり。大方万葉にも、なが月の有明の月とつづけたる歌あまたあり。
大略相同じ。今こんといひし人を月来まつほどに秋もくれ月さへ有明に
成りぬとぞよみ侍りけむ。こよひばかりは猶心づくしならずや。
註の前半が顕昭の見解で一夜説、後半が定家の見解で数月来説ということで、石田吉貞氏『百人一首評解』(1956年)によると、北村季吟までは数月来説でしたが、契沖は古今集の配列から一夜説を唱え、近世は一夜説が有力だったと整理しています。さらに、本居宣長は夕方来ると言って来たとしたのに対し、香川景樹は別れた朝の言葉と見た説を紹介しています。また、小高敏郎氏『小倉百人一首評釈』(1954年)は、冷泉家は顕昭と同じで一夜説、二条家では春夏を待ち暮らしたとする数月来説で、定家や宗祇もこれに近く、後陽成天皇は折衷案で、月の始めから待っていたという説だったことを紹介しています。
ところで、今回『顕註密勘』を見て気が付きましたが、注釈者の皆さんはどうやら孫引きをして紹介しているらしく、微妙なところで間違って紹介しているようです。定家の加えた密勘の冒頭を見ると、「大略相同じ」とありますから、実は定家は一夜説を肯定しております。じゃあ、その後の数月来説は何かというと、末尾の「猶心づくしならずや」というところにある「猶」という副詞が肝心で、この歌を「心づくし」の歌として解するなら「月来まつ」のほうがいいのかもしれないと言っているんであります。念のため、定家の密勘の部分を訳すと、こうでしょうか。
おおよその所(私定家の見解も顕昭の註と)同様である。すぐに来るよと言った人を
数か月待つうちに秋も暮れ月までが有明に成ったと(素性法師は)詠んだのでしょう。
(待つのが)今夜だけはやはり悩みごとではないか。
末尾の「や」を単純な疑問とする場合と、「や」を漢文的に反語と取る場合とで解釈が正反対になってしまう可能性もあります。「(待つのが)今夜だけはやはり悩みごとであることよ」と解すると、一夜説のほうに傾きますが、たぶん従来は「(待つのが)今夜だけはやはり悩みごとではないのかも」と解していたようです。深刻な歌にするなら数月来待ったと解し、剽軽な歌にするなら顕昭のように一夜待ったと解することになる、と定家は指摘しただけかもしれません。
〔蛇足の蛇足〕
素性法師のこの歌については、一夜だけ相手を待っていたのか、延々と待っていたのかと言う解釈の対立があります。さらに、この歌の中における、現在時刻についても、近年の注釈では混迷しているようです。ぱっと見には簡単な歌ですが、解釈する人によって思いがけない様々な情景が描かれてしまう歌と言えそうです。三十一文字の定型表現ですから、解釈が定まらない時も多いのです。
さて、「待ち出づ(まちいづ)」と言う動詞は、現代語なら「待ち出る(まちでる)」という動詞となるはずですが、『日本国語大辞典』(第二版)はその形での項目の掲示を見送ったようで、「まちいず」「まちず」として掲載しております。「まちいず」については、「待ち受けていて会う・出て来るのを待つ」と言い換えているんですが、そういうふうに「いず(出ず)」に重点を置くのはかなり疑問かと思います。
なぜなら、「月を待つ」という言い方は成立しますが、「月をいず(出づ)」という表現は日本語として非常に問題があることでしょう。格助詞の「を」の使い方として、おそらくそういう日本語は成立しないはずです。つまり、素性法師の歌においては、「出で」は月の縁語として使われているに過ぎないと考えるのがよく、さらに、ここでは「~し始める」という補助動詞の用法と解くのがいいに決まっています。「待ち出づ」で「待ち始める」とするのが自然なんですね。
よって、この歌を解釈するなら、「すぐに来るよとあなたが言ったばかりに、(なかなか秋の夜長に上らない)九月の有明の月を、待ち始めたことよ。(早く来てね)」という、親密な相手の訪問を、有明の月が出るのを待つのと同じように、心待ちにする歌と理解するべきものです。古代においては、外出は月明かりを頼りにしたりするわけですから、待つ者は月の出のころに、訪問者が月明かりに従ってやって来るのを期待するはずです。諸注釈の多くでは、これが何故か長らく待ちぼうけを食った歌となっています。しかし、この歌が入っている勅撰集、すなわち『古今集』を見ると、その前後の歌とはそれでは噛み合いません。勅撰集は似た趣向の歌を並べて配列するのが基本です。
まして、有明の月を夜明けに昇ると勘違いして、朝になっているとする注釈は、月の満ち欠けや月の出月の入りの知識に疎いのでありまして、まったくの誤りを犯しております。特に角川ソフィア文庫『百人一首』(平成22年初版)がひどい内容です。あたりまえの事ですが、有明の月は、深夜に空に昇るもので、別に夜明けに昇るというわけではありません。『百人一首』の解釈も、比較してみてみると、これが諸説紛々、大変そうなのであります。気になるのは、『日本国語大辞典』でありまして、さすがに「まちでる」という形で辞書に採録することをためらったようであります。「まちでる」は現代語にはないという判断であります。つまり、「まちいづ」は死語になってしまったということみたいですが、戦後の仮名遣いの規則によって「まちいず」で出さざるを得ないというのは、もうなんだか腹の皮がよじれるほどの面白さであります。「ず」がまるで打消しの助動詞みたいですよね。『日本国語大辞典』(小学館)は、大きな国語辞書ですが、基礎語彙において『広辞苑』(岩波書店)を剽窃したことがばれておりまして、そのあたりが弱点となっていることでしょう。広く衆知を集めたわけではないのであります。基礎語彙について、優れた人材を得なかったわけです。
ところで、「おもひいづ」という動詞がありまして、これは現代語では「おもいだす」であります。古語で「出づ」だったものが、「出す」に変じたわけで、言葉と言うのは不規則に変遷することが分かります。これに準じて考えると、「まちいづ」は「まちだす」になっていいわけで、これは現代語としても通じます。それなのに、「まちだす」という形の言葉は採用され ていないのであります。編集会議で、思い至らなかったんでしょうね。しかしながら、「いづ」の補助動詞用法を「だす」が引き受けている可能性があるなら、素性法師の歌は「有明の月を待ちだしたことよ」となりますから、この形で現代では少しも変ではないのでありまして、それならそれは宵の口の彼の来訪の約束を信じて、わくわくして秋の夜長に待ち始めた歌となります。有明月の月の出と、彼氏の来訪がリンクしまして、男を月に例えるという古典のお約束にもかないまして、すんなり解釈が出来ます。
「いづ」から「だす」への不規則な変化を認めてこの歌を味わってみれば、何でもない簡単明瞭な歌であり、結構気心の知れた意志疎通も充分な、恋人か夫婦のラブラブの恋の歌なのであります。それなのに、従来の注釈書に従うと、素性法師の歌は振られ女の恨み節みたいなんであります。大岡信さんの講談社文庫『百人一首』なんかでも、「『待恋』のつらさ」とありますから、この調子のいい歌に対して、不安、悲観、絶望と取るんであります。変な解釈にもほどがある。作者は素性法師ですから男ですが、男でも、女性の立場で歌を作ることがあったのはごくごく普通のことで、その逆もありうることは伊勢の歌の時にも指摘しましたようによくあることであります。
さて、素性法師の歌に対する注釈がどうして変なのかと言うと、『古今集』のこの歌の前後を見てみると、どれも結構有名なラブラブの歌でありまして、藤原定家は『新古今集』の撰者でありますから、撰者として配列を検討するのはお手の物だったはずで、素性法師の歌がどういう趣向の歌かと言うことは分かっていたはずであります。一つ前の歌も、一つ後の歌も詠み人知らずでありますから、たぶん『古今集』当時としては耳慣れた歌でありありまして、そこに素性法師の歌を挟み込んでみたのでありますから、これは紛れもなく男の来訪を待ち始めた歌であります。来るのか行くのか、すぐに来るよ、間もなく行くよ、来いと言うのも同然、ということなら、これは夜明けの歌のはずがないのであります。
690 きみや来む 我や行かむの いさよひに 槇の板戸も ささず寝にけり
691 今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
692 月夜よし 夜よしと人に 告げやらば 来てふに似たり 待たずしもあらず
これを見て思うのは、平安時代は電気なんかのない時代でありまして、満月前後の月明かりなら人を待つんですが、そうでなければ寝てしまうこともあるということです。当時は男が女の家に通うのが普通で、たぶん婚姻届けなんかない頃でありまして、基本は実質婚でありましょう。その日その日連絡をしあったり、前回の逢瀬の時に約束を交わしたりするのでしょう。そして、男が来ると分かっていたら、女は寝ずに待つのでありまして、約束がなければ寝てしまうということです。
素性法師の歌は、なかなか空に上らない有明月を待つんですが、問題は晩秋の九月ですから、夕暮れは早く、有明月が空に上るまでは随分時間がかかるのであります。それでも待っているんですから、もしこの歌が相手の男のもとに届けば、相手はせかされつつも待ち受けている女の情熱をほほえましく感じるはずであります。歌の内在する時間は今で言うゴールデンタイム、昔の言葉で言うと宵の口の歌ではないかと思います。「今来むと言ひし」というのは、「夜になったらすぐ行くよ」ということを言っているのであります。『古今集』690~602番はそういう歌でありまして、実はその前後の689~694番がいわゆる「待つ宵」の歌みたいに読めるのであります。
もとの勅撰集の配列を見て、歌の内容を吟味するのは基本中の基本であります。この程度の点検も怠っているというところに、『百人一首』の注釈書の闇があります。つまり、専門家がいるわけではなくて、出版社が企画を作り適当に名のある人に発注しているのでありましょう。売れればいいのであって、内容に責任を持っている人がいたとは言えない状況ですね。今覗いた現代の注釈書にも「遂に暁を迎えた女のやるせない嘆息、哀れな心」なんて書いてありまして、驚いてしまいます。「訪問者の到着を待つ、わくわく・どきどきの興奮」の歌ですよね。あれ、ちがうのかな? 私は何か勘違いしているんでしょうか?
どうやら、誤解の発端は『顕註密勘』の定家の加筆した部分に元があるわけですが、その冒頭の「大略相同じ」を無視して発生したものだと考えてよいかと思います。定家自身も、顕昭の註があまりに穏当なので、少し違う解釈を書き添えたのに、それを過剰に正しいと考えて数月来説が秘伝になったのかもしれないのであります。
月来まつは猶(注釈者にとりては)心づくしならずや。
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