超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(19) 伊勢

難波潟みじかき蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや       伊勢

    (新古今、恋一、1049)(伊勢集18261・18577)


〔釈義〕

(京人にとって、近いところにある親しい憧れの海辺)難波潟!そこに生えているまだうら若く丈も短い蘆!(春もようやく酣わの懐かしくなまめかしい情景でありますが、この情景の懐かしくやさしい雰囲気とはうらはらに、)短い蘆の短い節の間といった極短時間でさえも、二人は(もう)逢わないでこの世を過すことにせよと(あなたは)言われるのですか?!(何てひどいことを)


〔義趣討究〕の要旨

① 「ふしのま」の意味は「節と節との間」の意味とされているが、用例を見ると至極短い時間を意味する。

② 「難波潟」を初句に置いた歌を検討したが、特に掛詞には見えない。これらの歌には、蘆のほかに潮満汐干・鶴・鴦・千鳥・玉藻が詠まれ、京人には親しい懐かしい海辺の風趣として憧れられたのに加え、難波が古都であったため、深い興趣が湧く歌枕である。

③ 「みじかき」は「ふしの間」を修飾すると諸註は説くが、これは「蘆」を修飾すると考えるべきで、「みじかき蘆」は若葉が伸びつつある草丈のまだ短い頃の蘆を表現したもので、春もようやく酣わのころである。この歌の前半は明るく楽しい雰囲気の世界であり、後半の暗い悲愁の世界とが対比される。

④ この歌は伊勢集に「秋の頃うたて人の物言ひけるに」という詞書を持つ四首の中の一首であり、「うたて人」とは心変わりする不実な男を意味し、求愛に応じて以来男の不実に悩み続けた経過を示したものである。


〔鑑賞〕の要旨

① 八代集抄の「詞づかひ優なる歌なり。……又此五文字難波潟とは大やうにいひ出したり」という評語通りの歌である。

② 心変わりした男の不実に憤激しながらも、男を諦めることが出来ず、どこまでも縋り付いてゆこうとする女心のあわれさが感じられる。

③ 音調面では、サ行音のなかでもシ音が多く配置されているほか、句ごとに主調音が変化していて、リズム感が生じている。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の伊勢の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕では、「みじかき蘆」を春先の若葉の頃の蘆だと断定したうえで上の句を明るい雰囲気であると評しております。また、この歌の伊勢集における配列に言及しまして、不実な男に悩み続けて詠んだ歌の中の一首として、より深い読解を目指しています。ただ、伊勢集の詞書には「秋の頃」という季節が示されておりまして、これを適用すると、「みじかき蘆」が春先の蘆の状態だという指摘と矛盾するんですが、その点についての言及はありません。


なお、他の注釈書の指摘をいくつか紹介してみます。伊勢集においては、この「難波潟」の歌は重複して出ていて、他の家集からの混入ではないかという疑いがあるそうで、作者が伊勢かどうかも疑問が持たれているようです。また、伊勢集の伝本によっては、三句目に異同がありまして、「ふしごとに」となっているそうです。さらに、契沖の百人一首改観抄が指摘しておりますが、次のような花山院の歌が新古今集に入っているんですが、これは伊勢の歌を本歌取りしたのではないかと契沖は考えたようです。


   津の国の ながらふべくも あらぬかな 短き蘆の よにこそありけれ

       (新古今和歌集、巻十八雑下、1848 花山院御製)


この歌の詞書に「津の国におはしてみぎはのあしを見たまひて」とありますが、この詞書と和歌の表現を見る限り、「短き蘆」というものが存在するらしく、諸注釈が「みじかき」は「ふしの間」に掛かるとする説は否定できるのかもしれません。ただし、著者の言うような春の蘆の状態と見るのは無理があることでしょう。


〔蛇足の蛇足〕

この伊勢の歌は、細かい点で注釈書に対立点があります。たとえば、著者のような「みじかき」が「蘆」に掛かるとする説がありますが、そうじゃなくて「みじかきふし」なんだよという説が多数です。「難波潟短き葦の」を序詞として、「ふしの間も」を掛詞と解く場合があるが、「節の間も」にはそれ以外に掛けている言葉が見当たりませんので、比喩ではないかという井上宗雄説もあります。実は、辞書の中には「節の間」で「少しの間」とするものがありますが、信用できません。これだけ有名な歌が有りながら、現代語において、「節の間」なんて熟語は使われていないはずですから、この歌の解釈が辞書に紛れ込んだのでしょう。それから、この歌が独詠なのか贈答歌なのかという対立もありまして、分かりやすい歌だけに、紛糾するようです。


序詞の問題について余計なことを言うと、むしろ節と節が「合はで」と、あなたと私が「逢はで」を掛けたとみなし、上三句の「難波潟短き葦の節の間も」を「あはで」を導く序詞とする方がましかもしれない、などと思うのですがいかがでしょうか。「合はで」と「逢はで」を掛詞とする注釈は、見たことがありませんので、もし認めてもらえるなら、大手柄ということになります。一歩譲ると、上三句が「みじかい間も」というニュアンスがほの見える有意の序なんだと言ってしまえばいいでしょう。


それから、女流歌人伊勢の歌ではありますが、むしろ噂に聞いた女性に対して交際を迫る男の歌とみなしたほうが、『新古今集』の恋歌一での配置に納得がゆくかと思います。「題しらず」のこの歌に関しては、作者の性別に縛られて解釈する必要なんてないような気がするんですが、いかがなものでありましょうか。


改めて考えると、初句で「難波潟」と広大な難波の葦原を想像させまして、そこに一般には背丈の高い葦には不似合いな「短き」という修飾句を持ってきて、特産の葦を連想させ、ほらあの葦の「節の間」だよというふうに焦点を絞っているのが、この歌の眼目のような気がいたします。葦は茎から葉が直接出るために、葉を落として加工すると節の部分のゆがみが案外目立つもののはずです。特に、室内調度とする簾などの場合には、節のずれが案外気になるものだったと思います。それを「節の間も合はで」と言っているわけで、簾越しで対面したりする平安時代の男女にとって、意中の相手と会話する最初は、ずれている節のところが気になるんじゃありませんか。よって、歌の主旨は、「みじかき間も(汝と)逢はで(我に)この夜を過ぐしてよと(思ふ)や」と迫るだけの話でしょう。この後、簾をひょいと上げて、侵入するんですね。


従来の注釈書の対立に乗じて、思いつきを解説してみましたが、いかがでありましょう。賀茂真淵の『宇比麻奈備』なんかもそうですが、歌の主体が恋の終りを意識して、非常に深刻になっているとか、相手をなじっているなんてとるのが多いのですが、みんな馬鹿みたいな解釈であります。新古今集の恋一に採用された歌ですから、恋の終りの歌じゃないんですから、相手をなじっているんじゃなくて、「ちょっと共寝しましょう」と誘っているんですね。この歌を、「怨恨の歌だ」とはっきり間違えている解釈もあって、笑えてしまします。本当にどうかしています。


〔蛇足の蛇足の蛇足〕

ここから、蛇足に蛇足を重ねます。昔、書いたことの焼き直しで恐縮です。


『百人一首』というのは、探せばいくらでも注釈したものがありまして、昭和40年代50年代には力作ぞろいだったのであります。ただし、江戸の昔から従来の説をありがたくコピーアンドペーストするか、諸説を網羅するかどちらかで作られたものでありまして、別にちゃんと考究されてきたわけでもないようであります。近代においては万葉集の専門家と平安時代の専門家は別でありまして、中世には中世の専門家がいたわけでありますから、実は『百人一首』を一人の人が考究し尽せるのかどうか、かなり怪しいと見るべきでありましょう。よって、いつも思うのでありますが、実はちっとも解釈は行き届いていないような気がするのであります。その、悪しき例がこの伊勢の歌でございましょう。恋の始まりの歌なのに、相手をなじったり恨んだり、罵声を浴びせていると解釈して、まったく平気であります。


注釈書を企画する側はどうなのか、考えて見ます。出版社は商売として売るわけですから、当然ながら一首で1ページもしくは見開き2ページをあてがうわけで、限られたスペースでは語りつくせるわけもなく、よく言うお茶を濁す程度の説明になることは明らかであります。さらには、簡単で分かりやすいというのを売りにしたり、優雅で上品な王朝絵巻を企んだりしますので、商業ベースに合わせると従来の説を焼き直したほうが無難でありまして、珍説・奇説を述べてもまずいのは火を見るよりも明らかなのであります。編集する人は、ある程度通説を確認して、そこそこの原稿を作っておきまして、著名な方にお伺いを立てることでしょう。そういう中では、桑田明氏の『義趣討究小倉百人一首釈賞』は、持説を惜しげもなく開陳し、叙述を尽くしておりますので良心的なものだと感じます。


考えてみると、歌と言うものは、詠む歌人は必死に作るわけで、そのエネルギーたるや大変なものがあるわけですが、受け取る側がみんながみんな必死の形相で味わい尽くすわけではありません。字面を見たり、口に出したりしまして、やがて覚えてしまえば折に触れて唱えたりするわけですが、必ずしも意味を正確に汲み取ろうとか、正しく解釈しようとするものではありません。近年の歌謡曲だって同じでありまして、作詞家の努力ほどには、聞く側は真剣ではないのであります。子供のころに聞き覚えた歌謡曲の歌詞を、大人になった今改めて吟味すると、実にたくさんの誤解をしていたりしまして、思わず苦笑することになります。


「骨まで骨まで愛してほしいのよ」(城卓矢『骨まで愛して』)と来たら、骸骨になっても抱きしめなきゃいけないのかと思いましたし、「世の中変わっているんだよ」(日吉ミミ『男と女のお話』)と言われたら、そうだよな世の中はへんちくりんなもので満たされているわいと、子供時代の私は思ったのであります。たぶん、正しくは「死んで骨になるまで愛してくれ」と望んでおりますし、「世の中は絶えず変化しているのだよね」と一般論が展開しているのであります。これと同じようなことが、『百人一首』にあっても驚かないわけで、享受する側が油断して誤解している可能性は大きいのであります。だから、実は伝統的な解釈も大したレベルじゃないのでありまして、数種の注釈を比較すればすぐに分かります。そして、良心的なものを見たら、ちゃんとその定説なんてあるようでないことは書いてあります。


しかし、良心的な注釈も、100首となると行き届かないものだと思います。伊勢の歌ではみんな油断しまくっていたのでありましょう。先行する注釈書の指摘の範囲の中で、みなさんほどほどにまとめているようにみえます。そこで、従来の説に対して思うところを述べさせていただきますと、伊勢の歌は、三句目までの「難波潟短き蘆の節の間も」が「合はで」「よ(節)」を導いている有意の序詞でありまして、歌の趣旨は「逢はでこの夜を過ぐしてよとや」という部分になることでしょう。一般には「このよ」のところは「この世」と考えられていますが、不仲になって縁が切れそうならそれでもいいでしょうけれど、恋のはじめなら「この夜」がいいのではないかと思います。


(二人を隔つる御簾は)難波潟(の)短き蘆の節の間も、合はで(汝のをかしき姿はあきらかなり)。(短き間もかくてあだに)逢はでこの夜を、(我と)過ぐしてよと(汝は思ふ)や。(共寝せむと思ふゆゑに、そこもとへ参らむずらむ)。


私とそなたを隔てるこの御簾は、どうやら短いとされる難波潟の蘆でこしらえたものでございますね。節の部分も揃わずに、その蘆の隙間からそなたの美しい姿が見えておりますよ。節の間も合わない簾越しで虚しく、短時間でもこのまま一夜を共にしないで時を過ごしてもかまわないと、そなたはお考えですか? ぜひとも共寝したいので、そなたの許へ入らせていただきます。

            (粗忽謹訳、男性バージョン)


お楽しみいただくだけで充分でございます。女性バージョンなら最後のところを「共寝せむと思ふゆゑに、近うおはしませ」となることでしょう。


ちょっと思いついたことがありますので、余計なことを少し付け加えてみたいと思います。何を思いついたのかというと、三句目の「節の間も」というのが、「一節(ひとよ)」を意味しているのではないかということです。そして、それが「一夜(ひとよ)」をさらに暗示しているとしたら、この歌は非常に分かりやすくなることでしょう。

難波潟 みじかき蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや 

          (一節も・一夜も)

ひょっとすると、そういう遊びを含んだ歌だったのかもしれません。

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