北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(91) 藤原良経
91 後京極摂政前太政大臣
きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣片しき一人かも寝む
〔評釈〕今夜のやうな、きりぎりすが鳴いて寒い霜の降る晩に、冷たさうな蓆の上に帯も解かず着物を片方敷いて独寝をする事かなあ、さてもわびしい事である。
との意で、秋の末になるときりぎりすが床の下へ来て鳴くものであるが、その心淋しい然も寒い夜の一人寝を悲しんだ歌である。この歌は新古今集秋下に「百首の歌奉りし時」と題して出てゐる。調子は飾り気が少く古風味のある歌ひ方で全体よく引しまつてゐる。
〔句意〕▼なくや=「や」はただ鳴くと言ふ意に加へた歎声である。夕づく日さすや岡べ等の類。▼さむしろ=蓆の事、「さ」は付辞でただ蓆の事を霜夜とあるから、寒いといふ連想のために「さ」と添へ用ひたのである。▼衣片しき=丸寝の事、即ち衣を着換へず独寝する事で、丸寝の時は一方の衣を下に敷くから言つたのである。▼かも寝む=寝るのかなあの意で、「か」は疑、「も」は詠歎の辞である。
〔作者伝〕
藤原良経の事で、後法性寺兼実公の子で祖父は法性寺忠通である。建久六年内大臣に、元久元年従一位太政大臣に進んだ。非常に博学多才で諸芸にも通じ、殊に書と歌道に秀でてゐた。後鳥羽上皇は常に歌道に於て良経を重んじ給うた。建久元年土御門天皇が彼の邸に行幸の事があつたが、公はその準備に忙殺された。或夜何物かの為に天井から槍にて刺されて死んだ。しかし賊は不明に終つた。彼は新古今集撰の監督をして歌道の功績も多い。その家集は「月清集」といふ。
〔補記〕
特に修正の必要なところはありませんでした。
句意の「衣片しき」の解説に、「丸寝」とありますが、これは「まろね・まるね」と読み、着衣のまま寝ることで、「丸臥」(まろぶし・まるぶし)とも言ったようです。現代では「ごろ寝」に相当するものかと思います。同義語には、「着所寝」(きどころね)「居所寝」(いどころね)や「うたたね」があります。
〔蛇足〕
白秋の評釈では、「調子は飾り気が少く古風味のある歌ひ方で全体よく引しまつてゐる」とほめていまして、詠みぶりが古風で、内容がすっきりと理解できるところを、引き締まっていると考えたようです。佐佐木信綱『百人一首講義』や尾崎雅嘉『百人一首一夕話』では、この良経の歌と下の句が一緒の『万葉集』の歌を引用して、作者がその古歌を知っていたのか知らなかったのかという、古注釈の論争を紹介していますが、白秋はそこを無視して、「さむしろ」に「寒し」が掛けてあるという、粉本である両書の指摘を句意で扱っているに過ぎません。
講談社学術文庫の『百人一首全訳注』には、良経の歌の本歌として議論されたことのある歌を五首紹介しておりますので、それを引用して参照してみたいと思います。
① あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
(『拾遺集』恋三 778番 人麿)
② きりぎりす 夜寒に秋の なるままに 弱るか声の 遠ざかりゆく
(『新古今集』秋下 472番 西行)
③ さむしろに 衣片敷き 今宵もや 恋しき人に 逢はでのみ寝む
(『伊勢物語』第63段)
④ さむしろに 衣片敷き 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫
(『古今集』恋四 689番 よみ人しらず)
⑤ わが恋ふる 妹は逢はさず 玉の浦に 衣片敷き ひとりかも寝む
(『万葉集』巻九 1692番)
⑤の歌が信綱・雅嘉の挙げている歌ですが、これは香川景樹の『百首異見』や賀茂真淵の『宇比真奈備』も指摘しているそうです。また景樹や真淵は④も挙げています。真淵はさらに①も指摘しているそうです。契沖は①と③を本歌と考えていたようです。なお、作者不明の『百人一首水無月抄』という注釈書が②に言及したということです。これらの指摘によって、良経の歌の表現のどこが本歌と目されるものから来ているのかを示して見ると、以下のようになるでしょう。
きりぎりす なくや霜夜の さむしろに 衣片しき 一人かも寝む
② ③④ ③④⑤ ①⑤
②の歌は「きりぎりす」「夜寒」「声」というところが、「きりぎりすなくや霜夜の」という上の句に発想の点ではかぶりますが、表現レベルで言うと「本歌取り」の「はっきり利用したと分るように本歌を使え」という規則には合いません。①も「夜をひとりかも寝む」という部分が、「霜夜」「一人かも寝む」と重なりますが、本歌としては弱いのかもしれません。逆に⑤は、四句目と五句目がまったく同じですから、本歌取りというよりは盗用に近いと判断されてしまうかも知れません。
春の歌を秋冬に詠みかへ、恋の歌をば雑や季の歌などにて、しかもその歌を取れるよと聞ゆるやうに詠みなすべき。
(藤原定家『毎月抄』)
〔蛇足の蛇足〕
『新古今集』巻第五・秋下 518番
百首の歌奉りし時 後京極摂政前太政大臣
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き 独りかも寝む
作者の藤原良経さんと言う人は、身分の高い人であります。例えるなら、貴族のサラブレッドでありまして、血筋のよさは群を抜いております。『新古今集』の時代というのは、歌壇の指導者は藤原俊成であったわけですが、後鳥羽院という歌の詠める帝王が出現しまして、そこにこの大臣家の大物が加わり、天才歌人定家を中心とした男性歌人、さらに女流歌人もたくさん加わりまして、大盛況だったのであります。30人の歌人に百首歌を提出させて、これを歌合の形式につがえまして、合計3000首の『千五百番歌合』などという催しまで行われまして、空前絶後の和歌の大ブームだったと言うことが出来ましょう。その華やかさのなかで、この作者の存在もまた輝いていたことでしょう。藤原良経というのがお名前ですけれども、実は『新古今集』の仮名序の筆者でもありまして、才能でも抜きんでていて随一であります。しかし好事魔多し、この方は『新古今集』が完成を見た頃に、頓死しているのであります。何があったのかはともかく(天井に潜んでいた賊に、槍で刺されたそうですが)、この人が生きていたら、その後の歴史は多少違っていたはずなのであります。
田辺聖子さんの角川文庫本は、この人を撰者の一人だと言うのですが、ちょっとした誤解のようです。和歌所の寄人(よりうど)ではありますが、撰者ではありませんでした。
『新古今集』の秋下の歌ですが、もはや純粋な季節の歌を読む時代ではありませんから、これが恋の歌に入っていても驚かないわけですね。本歌が二首(普通は①と④)指摘されていて、その二首とも恋の歌でありますから、ちらつく本歌の恋の気分を漂わせながら、霜夜の寒さというものを表現したわけであります。これだけ高貴な人が、最先端の歌の詠み方を取り入れまして、時代の波に乗っていたと言うことでありますから、それはそれはめざましいものであったことでしょう。本歌の一つは、「さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(『古今集』恋四 689番)でありまして、もう一つは「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」(拾遺集』恋三 778番)でありまして、これは柿本人麻呂の歌として『百人一首』の3番に取られた歌ですけれども、最後の七文字が一緒というだけで、本歌と言えるかと言えば、おおっぴらには言えないはずであります。
「きりぎりす」が、実は「コオロギ」らしいと言う話はよく聞きますが、三句目の所に「寒し」の掛詞を考えるようであります。「衣片敷き」が実はよく分からないのでありますが、池田弥三郎さんは、一人だと衣を着たままだから、片方を下に敷くんだよと書いております。が、しかし本当はどうなのか分かりませんね。しかし、違うと言うほどの根拠も思い付きません。「衣片敷き」は、雅嘉・信綱・白秋のラインでは「丸寝」でありまして、現代では「ごろ寝」とか「うたたね」、私の子供時代に聞いたのは「着所寝」というやつであります。そのまんま、夜着・寝間着・パジャマに着替えないで寝てしまうというやつです。
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き 独りかも寝む
(『百人一首』91番 良経)
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
(『古今集』恋一 469番 詠み人知らず「題知らず」)
「ほととぎす」の歌は、『古今集』の恋一の巻頭歌でありまして、前に『百人一首』57番の紫式部の「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」を解釈する時に、参照いたしました。「や」が「~するやいなや~する」という即時の用法の間投助詞ではないか、という指摘をしたんですが、今小学館から出ている学習参考用の辞書を見たら「軽い詠嘆」の用法と書いてありまして、そんなもんなの? と思いました。「見しや~雲隠れにし」は即時じゃないと意味がないように思いますし、『古今集』の歌は「鳴くや~恋もする」で即時だと思います。では、この良経の歌は「鳴くや~衣片敷き・寝む」で即時なのかどうか。やはり即時でいいと思います。夜になるや、寂しく寝るということで、そのわびしさがにじみ出ております。「ほととぎす」の歌を本歌として誰も指摘していないなら、これを⑥としてエントリーするのは、大手柄でございましょうね。もちろん、本格的な本歌取りの規則には合いません。
それから、ひょっとして、きりぎりすが「衣片敷き独りかも寝む」という歌ではないかと思ったんですが、そうすると擬人法の歌であります(笑)。と書いて見て思ったんですが、冗談ではなくてこれは秋の歌ですから、「鳴くや独りかも寝む」の主体は「きりぎりす」でございますね。ここを、人間が「独りかも寝む」となったら、それは恋の歌に過ぎないのでありまして、秋の歌として『新古今集』に入ったということを重視するなら、頭からしっぽまで(そして羽までも)昆虫の鳴いている歌です。主語を人間にしたいなら、二句目を「聞くや」と改めたほうがいいのではないでしょうか(再び大笑)。「きりぎりす」の歌の擬人法を取り止めて、純粋な昆虫の歌に改めると次のようになるのでしょうか。
きりぎりす 鳴くや霜夜の くさむらに 羽を片敷き ぽつりかも寝む(粗忽謹製)
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