北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を詠む(89) 式子内親王

89 式子内親王


玉の緒よ絶なば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする


〔評釈〕我が命よ、絶えるならば早く絶えた方がよい。かうしてこのまま生き長らへてゐると、遂には人目を忍ぶ心が弱つて、つつむ思ひが世間に知れて、浮名を流すやうな事になるかもしれぬ。いつそ今の中に死んだ方がよい。

との意で、か弱い優しい女心がよく一首の中に現はれてゐる。新古今集恋一に「百首の歌の中に忍恋の心を」と題して出てゐる。調子の上に縁語を巧みに用ひた事もやはり当代の歌風から来たものであらう。かなり内容に於ても熱情を見せて、恋を一すぢに危んでゐる苦しさがこもつてゐる。


〔句意〕▼玉の緒=「玉」は「魂」で、「緒」は連ねる意。即ち生命の事。▼絶えなば絶えね=死ぬならいつそ早く死ねの意。絶えるは命の絶えることで堪へではない。絶えなば、ながらへば、よはり、などは皆緒に縁のある語である。▼忍ぶること=忍耐すること、即ち恋を包んで忍ぶこと。▼弱りもぞする=かも知れぬ、もしやと危ぶむ事。


〔作者伝〕

後白河帝の第三皇女で、御母は大納言季成の女従三位成子である。平治元年賀茂の斎宮にお立ちになり准三宮のお位におなりになつた。建久三年御出家なされ、承如法と申上げた。大炊御門の斎院、萱の斎院、高倉宮と申すは皆この内親王の御事である。和歌が巧みな上に画も上手であつた。定家との恋が深くてこの歌を送つた説もあり、謡曲にまで作られてゐるがそれは無条件で信じられない。


〔補記〕

和歌の二句目「絶えなば絶えね」のところで、昭和5年版は「ば」が清音の「は」になっていましたので、改めました。歴史的仮名遣いでは清濁の区別がありませんので、問題になりませんが、近代においては、清濁を区別しますので、仮定条件の「ば」として整えました。


例によって、作者伝にいくつかの問題がありました。


まず、後白河帝の「第三皇女」という部分は、昭和5年版では「第二皇女」とありますが、式子内親王には同母の姉が二人(亮子内親王・好子内親王)知られていますので、「二」を「三」と改めました。


次に、「御母は大納言季成の女従三位成子である」という母に関する記述ですが、昭和5年版ではここが「御母は従三位成子の子である」となっていて、まるで成子が式子内親王の祖母のように読めますが、成子は母で、成子の父が大納言藤原季成です。成子は後白河帝の女官で寵愛の女性でしたが、正式の妃とはなっていませんでした。


さらに、式子内親王の呼び名の中の一つ「萱の斎院」が、昭和5年版では「菅の斎院」とありましたので、「菅」は「萱」の誤植と見て直しました。


〔蛇足〕

白秋の訳出の特色を知るために、まず式子内親王の表現に即した部分の訳を抽出して見ますと、「我が命よ、絶えるならば早く絶えた方がよい。かうしてこのまま生き長らへてゐると、遂には人目を忍ぶ心が弱るかもしれぬ」と、ほぼ忠実に解釈しております。そして「弱るかもしれぬ」という危惧の先について、「つつむ思ひが世間に知れて、浮名を流すやうな事になる」という破局を述べまして、結果として初二句の「玉の緒よ絶えなば絶えね」に戻って、「いつそ今の中に死んだ方がよい」と繰り返しています。この歌は、初句切れ二句切れの歌ですが、別に倒置法の歌ではないのでありますから、「命よ絶えよ」「恋を秘密にできなくなる」と元の歌の語句の順番で理解できるのであります。しかし、白秋さんがもう一度歌のはじめに戻って、再度「命よ絶えよ」と補ってしまったのが、あまり不自然ではないのであります。ちなみに、白秋が粉本としていた、佐佐木信綱『百人一首講義』や尾崎雅嘉『百人一首一夕話』の訳を見ると、倒置とみなすこともなく、初句から末句までを訳していて、別に白秋のように、また冒頭に戻って「命よ絶えよ」という内容を再度訳してはおりません。


近年の注釈書も、別にこの歌を倒置法とも考えず、信綱や雅嘉のように一度だけ訳しております。ただ、例外なく訳の末尾に「から」という理由表現を付けて、倒置してもかまわない、あるいはリフレインしてもいいように解釈しております。


私の命よ。絶えるならば絶えてしまえ。生き永らえていると、忍ぶこともできなくなり、心が外に現れるかも知れないのだから

  (角川ソフィア文庫『新版百人一首』)


もちろん、近年の注釈書でも、白秋のように式子内親王の初句・二句にあたるところを再度訳しているものも若干あります。たとえば、『小倉百人一首新釈』(小高敏郎・犬養廉)は、一首を丸ごと訳した後に、「それよりこの恋を胸にひめたまま死んでしまいたいのです」と、この歌のもっとも重要な余情である「この恋を胸にひめたまま」という願望をはっきりと教えてくれています。平安時代の末期の政治的混乱の中、天皇の娘として生まれ、斎宮も経験して、さらには時代の潮流でもあった和歌で頭角を現した式子内親王の立場を考えると、「浮名を流さない」ということの重さがこの歌の中に感じ取れるのではないでしょうか。彼女の経歴については、Wikipediaが相当詳しく記していますが、時代の波ににしっかりともまれていて、気の毒な話もいくつかあったようです。


〔蛇足の蛇足〕

『新古今集』巻第十一・恋一 1034番 

    百首の歌の中に忍恋を  式子内親王

玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする


何となく、私の中で『百人一首』と言えば、この歌なのであります。つまり、子供心にまったく意味の分からない歌でありまして、私がいつごろまで子供だったのかというと、30歳くらいまででありまして、その頃にようやく物心が付いた感じがいたします。冗談はともかく、ぼんやりとした子供時代の心の中を、私の頭の中の「憂いの篩(うれいのふるい)」を使ってのぞいてみますと、『百人一首』というのは、この歌の印象なのであります。分からない歌ですから、お勉強もいたしまして、修辞技法の説明も、しようと思えば出来るんですが、それにしても全体として分からないところだらけの歌であります。「憂いの篩」というのは、『ハリー・ポッター」に出て来る、過去を探る魔法のアイテムのことです。


もちろん、知ったかぶりはいくらでも出来るんですが、どこか現代語として通じるところがあるでしょうか?


もちろん、「絶え」とか「長らへ」とか「忍ぶる」「弱る」「する」という動詞は、活用形の問題はあっても現代に残っておりまして、じゃあ本当に分かるかというと、ここまでの経緯を振り返ったら、油断は禁物であります。さらに、唯一の名詞が「玉の緒」でありまして、中村玉緒さんは勝新太郎さんの奥さんでありまして、あれが芸名ならここから取ったものかも知れません。ということで調べると、「玉緒」というのはご本名だそうです。いい名前でありますね。ともかく、「なば」とか「ね」とか、「もぞ」と、手強い手強い文法まで入ってまして、なかなかどうして、現代から見たら、これはとてつもなく難解な歌でありますね。初句で切れ、二句目で切れております。さらに作者が、高貴な女性でありまして、これだけ高貴な人で歌の詠める人が出てきたのは、『万葉集』の時代をのぞけば、初めてくらいではないのでしょうか。後白河院の三の宮、すなわち皇女でありまして、それを内親王というのです。もう、平安時代と平安時代の末期では、時代が違うのであります。そう考えないと、こういう歌人の出現は理解できません。


「私の命よ、ここで絶えるなら絶えよ」というのが、上の句の意味でありまして、「な」も「ね」も、強意の助動詞「ぬ」の活用形でありまして、それぞれ未然形と命令形であります。命を意味する「玉の緒」というのは、おそらくはヘソの緒あたりからの連想で命を指す言葉なのでありましょうが、この「緒」というのが、まあ言ってみれば「ひも」でありますから、「絶え」「長らへ」「弱り」ということばを導くわけで、これを縁語などと言うのであります。実は最近、20年以上はき続けている、夏のスポーツパンツのゴムを入れ替えまして、ふたたび復活であります。ちゃんとしたスポーツメーカーのMIZUNO製でありまして、商品名が「RUNBIRD」、とても柔らかなので買い足して二着もありまして、大切に使っているから長持ちであります。長く使うとゴムがゆるみますが、ゴム通しという道具を使うと難なく修繕できるわけです。ゴムの入れ替えは5分もあれば無意識で出来る作業ですから、自分で替えたことすら忘れておりました。家の中のお針箱の中のゴムが切れておりましたが、100円ショップで105円、10メートルくらいあるはずですから、二着替えても余っております。裁縫も得意な私には、老後の心配は無用でありますね。2011年に書きましたので、消費税が昔の税率であります。それから、愛用のスポーツパンツは古びましたので、すでに断捨離いたしました。現在、それらは影も形もありません。


問題は、「忍ぶる」という動詞の活用と、「弱り」という動詞の俗語的性格でありましょうか。


変だなあとは思っていましたが、「忍ぶる」は上二段活用の連体形でありまして、我慢するとか人目を避けるという意味ではこれが正しい活用なのであります。じつは、人を想う、思いを寄せるというのは「しのふ」という四段活用で、まったく別のことばであった「しのぶ」とが混乱しまして、四段活用の方に吸収されたのだそうです。だから、活用形が現代とは違っているわけなのです。それから、前にも出て来た「長らへば」というのは、未然形に「ば」が付いている仮定条件ですが、この語形は消滅しましたので、いまは「長らふれば」という、已然形に「ば」の付いた本当は仮定条件でも何でもない形の後継である、「長らえれば」というのが仮定条件を背負っておりますから、もうなんだか支離滅裂な変化の嵐なのであります。ともかく「このまま生き長らえると、この恋を忍び通すことが、困ったことに弱ることにもなるぞよ」というようなことを、歌の後半で述べているわけです。「もぞ」は、係助詞の連語で、危惧・懸念・不安を表していて「もこそ」とだいたい同じものです。


「忍恋」という題で詠んだ、百首歌という一人でいろんな歌を詠む企画に参加した時の歌です。


実際に誰かとやりとりした歌ではありませんから、独詠のように見えまして、これ一首で鑑賞することは可能ですけれども、常識なら誰かに贈る、もしくは誰かに返すという場面を考えてみる方がいいでしょう。そして、詠作主体は女でなくても男でもいいわけです。道ならぬ恋であるとか、宮廷のお勤め先で接する者同士の、淡い敬慕が激しい恋情に変化した時の思いを述べているわけで、この時代に『源氏物語』を読むことが奨励されましたから、そうした物語を背景にしたら、よくまとまった佳作であります。ただ気になるのは、内親王という、宮廷女房にかしずかれるような天皇家のお姫様が、自分でこんな歌を紡ぎ出したことが驚きでありまして、この人も西行と同じような天才肌の歌人なのであります。なぜ、高貴なお姫様が歌を詠むと問題かと言えば、歌の内容を作者の体験だと勘違いする人は多いわけで、「誰がお相手?」「まあ、はしたない」というような邪推からは逃れられません。歌はフィクションでありまして、別に作者の実体験であるわけではありません。それなのに、式子内親王の相手はだいたい藤原定家と相場が決まっておりまして、中世にはいろいろと想像をたくましくしたそうです。それなら、同時代にはもっとかまびすしく、彼女の恋の相手を詮索したことでしょう。


歌を詠むというのは知的な操作の問題でありまして、近代の短歌のように実体験を素直に詠もうというのも、ほんの一時の流行に過ぎなかったはずです。「写生」が一番いいなどというのが、大流行したために、後から振り返ったら、どれもこれもつまらない、なんてことになるのですね。武田鉄矢さんというのはシンガーソングライターですが、いつだったか、実体験で作った自作の歌を歌い続けることの辛さを語ったのには感動しました。作詞・作曲家の作った歌を歌った歌手が羨ましいとはっきり断言していました。架空の作りごとの方が、詩としての命が保てるかもという話だと理解いたしました。実体験は、本人が成長すると場合によってはいちじるしく色褪せることでしょう。


「弱る」という言葉は、平安時代の後半に使われた俗語に近いものらしいのでありまして、普通は肉体の衰弱を意味する言葉なのであります。「緒」が「弱る」という言い方はないのではないかということで、どうも専門家の見方は「長らへ」と「弱り」を結びつけて縁語とするようであります。このあたりは、『日本国語大辞典』(第二版)を見ると有益でありまして、詳しく書いてあってお勉強になりました。ともかくこの歌は、二人の恋愛がこのまま世間にばれるくらいなら、いっそ死んでしまいたいというのが一首の眼目であります。繰り返し読んでいるうちに、その羞恥心の強さ、愛情の深さ、ばれる前に添い遂げようぞという意志が籠められまして、なかなかずるい気持ちも隠し味になっている、いい歌なのであります。後半がイマイチなどという評価があるんですが、そう批判する方は、古典の和歌を一回だけ読み流すというか、目で読んで判断なさるんですね。不思議な評価があるものです。


繰り返し繰り返し読んで、本末が転倒するくらいになってはじめて歌の意味が分かるんじゃないのでしょうか。初句・二句をもう一度訳した白秋のやり方が、この歌には非常に適しているような気がいたします。散文じゃないので、繰り返し、繰り返し、気が済むまで循環させるのがいいと思います。もみもみしたこの歌が次第にほぐれまして、恋心が溢れて来ると思うのであります。以上。

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