北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(88)  皇嘉門院別当

88 皇嘉門院別当


難波江のあしのかりねの一夜故身をつくしてやこひわたるべき


〔評釈〕難波あたりで旅の仮寝に一度逢つたばかりなのに、命のある限り、恋しい思ひをして恋い焦れて暮さねばならない事かなあ、一寸の契りだのにあの人を忘られさうもない。

といふ意で、恋の深秘を一は驚き一は悲しんだ心持が歌はれてある。旅宿で一晩逢つただけで再び逢はれさうもない恋に心を悩ます因果を思ふ心が察せられる。この歌は千載集恋三に「摂政右大臣の時、家の歌合に、旅宿逢恋といへる心を詠める」と題して出てゐる。中味よりも調子に巧みさがあるが、これは時代の歌風で、読者の注意すべき点であらう。


〔句意〕▼難波江の蘆のかりね=難波には蘆があるから、その刈たる根といふことを「仮寝」に通はせ、一夜の序としたのである。▼一夜=一夜を一節にかけた詞。▼身をつくしてや=死ぬるまで、生命のある限りの意。命をすててでも恋ふといふのでなく一生の意である。


〔作者伝〕

皇嘉門院は関白忠通の女聖子の子で母は大納言宗通の女である。崇徳帝の皇后となり、久安六年門院の号を奉られた。その別当であるから、太皇太后亮、俊隆の女であるといつてゐるがその本名は分明でない。


〔補記〕

句意の二番目に出て来る「一夜」は、昭和5年版では「もと夜」となっていましたが、おそらく「ひと夜」の誤植だろうと思いましたので、和歌の表記に合わせました。昭和5年版は、和歌の漢字部分には読み仮名が付いていたので、「ひと夜」とあれば和歌の三句目の語句を指すことは明らかだったろうと思います。


〔蛇足〕

一つ前の寂連の歌に対する評価と比べ、この歌に対する評価が低いと言うところに、白秋の昭和初期の心境というものが現われているような気がいたします。「中味よりも調子に巧みさがあるが、これは時代の歌風で、読者の注意すべき点であらう」というアドバイスは、平安末期の詠みぶりは技巧が勝っているだけで、胸を打つような感興がないから、ほどほどに享受してねと教えているのかもしれません。それでも、詠み古されてきた難波の蘆というような素材で、修辞を駆使してちゃんと意味の通った歌を作り、そこに多少なりとも純情な気持ちを表現したのは、大手柄なのであります。藤原定家の歌論を見ますと、言葉は三代集の範囲を守り、それでも趣向は新しいものを模索しなさいというのですから、そう言った方向に非常に合致した詠みぶりなのであります。三代集というのは、古今集・後撰集・拾遺集のことですが、もし仮にこの別当の歌をそれらの勅撰集の恋の部に紛れ込ませても、だれも違和感を感じさせないことでしょう。ただ、この歌で詠まれている、一夜のアバンチュールの後の一生添い遂げたい、一生思い続けるかもという初心(うぶ)な気持ちは、案外新鮮だったのかも知れません。


情以新為先 求人未詠之心詠之 詞以旧可用 詞不可出三代集先達之所用 新古今古人歌同可用之 風躰可効堪能先達之秀歌 不論古今遠近 見宜歌可効其躰


こころは新しきをもって先となし、人の今だ詠まざるこころを求めてこれを詠め ことばは旧きをもって用ゆべし ことばは三代集の先達の用ゆるところを出づべからず 新古今の古人の歌は同じくこれを用ゆべし 風躰は堪能の先達の秀歌にならふべし 古今遠近を論ぜず 宜しき歌を見てその躰にならふべし

   (藤原定家『詠歌大概』)


〔蛇足の蛇足〕

『千載集』巻第十三・恋三 806番 

    摂政、右大臣の時の家の歌合に旅宿逢恋といへる心をよめる

                 皇嘉門院別当

難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき


この作者は、どちら様でございましょう。とんと見たり聞いたりしたことがありませんので、歌のうまさと言いますか一発屋といいますか、たった一首の佳作によって、100人の枠に当選したと言うべきかも知れません。注釈書は、この作者の周辺を探って、藤原定家が採用した根拠をくまなく探ったようであります。歌の言葉は、「難波江」も「葦」も「みをつくし」も、すでに『百人一首』のこれまでの他の歌に登場しまして、目新しくはないのであります。「かりね」は、「刈り根」と「仮寝」の掛詞でありますし、「ひとよ」に「一節」と「一夜」、「みをつくし」も「澪標」と「身を尽くし」の掛詞であるのは明白でしょう。歌物語には、「葦刈り伝説」というのがありまして、古代の悲恋の典型なんでありますが、そう言ったことも連想いたします。注釈書は当然その辺を丹念に指摘している物と思うのですが、念のため調べてみたいと思います。


「難波江」に「名には」、「葦」に「悪し」が響いている可能性があるんですが、諸注釈には見当たりません。不思議ですね。    


『千載集』の恋三・806番に出て来るんでありますが、ぐっと恋にのめり込む気持ちを表現しているのであります。この辺が、単独で歌を鑑賞する『百人一首』の注釈書では、ちょっと薄味になりまして、大方は「べき」を推量の意味ととらえて、「恋い慕い続けるのだろうか」と末句を解釈するのが、かなり気になるのです。そう言いたいのなら、「みをつくしても 恋やわたらむ」とあればいいので、「べき」はニュアンスが違うんじゃないの? と思わず突っ込みを入れたくなりますが、岩波書店刊行の新日本古典大系というシリーズの『千載和歌集』では、さすがに「恋い続けなければならないのでしょうか」と味付けがなされておりました。「べし」というのは、運命を予感して「運命によって、~してしまいそう」というような解釈とか、「~という運命に違いないわ」という思い込みを表すはずであります。ということは、何のことはない、誰も思い入れて歌を解釈してはこなかったのです。88番まで来たら、残りの作者たちはこてこての新古今歌人群ですから、勅撰集にいくらも歌の入っていない泡沫歌人である皇嘉門院別当さんの歌など、修辞技巧を説明して「はい終わり」だったのであります。


この歌の要は、「ゆゑ(故)」という名詞で、これは重大事をひき起こした軽い原因を示す物らしいのです。


よって、その「ゆゑ」を十分に踏まえて訳して見ると、「たった一晩の行きずりの恋なのに、それがもとでこの身が燃え尽きそうなくらい、恋い慕い続けてしまいそうですわ、あたくし」というような、なかなか妖艶な内容のはずであります。これをまあ、お手持ちの注釈書の訳と付き合わせていただくと、皆さんが色恋にはわりと無縁の方たちであることがよくわかります。このあたりになると、講談社文庫から出ている『百人一首』の著者、大岡信さんは鋭く、的確なのであります。そう言えば、国語学者の大野晋さんは、大岡信さんから私信をもらった時に、宛名の「晋」の字がとてもきれいで感心したというようなことを述べておりましたね。他の人とは段違いで、ほれぼれするほどうまいと言っておりました。注釈書の訳と私信の宛名の文字には関係がないと言われてしまうかも知れませんが、いや人間関係に対する気持ちの底のところが常人とは違うということです。大野晋博士は、有名な事件の手紙の鑑定をして名を馳せた過去があるのはご存知ですか? つまり、筆跡から真実に迫るほどの鑑識眼を持っていると目されていた人物なのであります。仇や疎かに、その見解を無視してはいけない存在だったということなんですが、よろしうございますか?


修辞技巧の説明は必要でありましょうか? よく分からないけれども、考えてみることにいたします。


「難波江の葦の刈り根の一節」と言うことで、淀川の河口付近である摂津の国の難波の、晩秋または初冬の風景なのであります。これは、労働者が駆り出されまして、大変な重労働、食い詰めた人の最後の稼ぎ場所と言うことなのであります。いまなら、マグロ漁船というやつですな。刈り取った葦は、種々加工されて家周りの貴重な調度品に早変わりいたします。屋根に吹いたりもするんでありますから、大量に刈り取り、自然のもたらす貴重な資源として、建築資材や建具の材料となっていたのであります。刈られた後の根っこは、一節あるかないか、水辺はきれいさっぱり、夏の風景は一変してしまうのであります。そうなると目立つのは、船の航行の目印となる「澪標」でありまして、冬から春にかけて、澪標が目立ちまして、船はやすやすとこの難波の地を「渡る」ことができそうなんであります。つまりこの歌には、背景に難波の冬景色が仕込んであるのでありまして、船の航行と同じ、危険を冒してどこまでも行っちゃおうかしらと、主人公は思い悩むわけですね。身分社会のなかで、定められた相手と結婚するよりも、見ず知らずの一晩のお相手が恋情を掻き立てまして、熱い恋の炎の自由な恋愛への渇望があるわけです。自由に結婚相手を選ぼうとしたら、日本では婚姻率が下がってしまいました。


そりゃあ、恋愛上手な人同士がくっつきますから、誰からも相手にされない人が残ってしまいますよ。


第二次世界大戦で日本は手痛い敗戦を経験したんですね。近代国家のナショナリズムは粉々でありまして、テロリズム国家の悪名が世界に残ってしまったわけです。平和と自由を旗頭に戦後社会を築き直したつもりですが、ジャパンアズナンバーワン (Japan As Number One) などとおだてられまして、有頂天になったあげく、バブルに酔いしれまして、これがすぐに崩壊しました。バブルに躍った国は、長期低落傾向に陥りまして、100年200年浮かび上がることが出来ないのが世界史の教えてくれる教訓なんだそうであります。日本もアメリカも実はバブル崩壊しておりますから、お金持ちほど損失を出しておりまして、だから会社は正社員など雇わないわけですね。上手くいったのは幻影でありまして、貴族社会の末期、平家の全盛という物も同様のものであったわけです。バブルが崩壊しても目には見えませんが、その崩壊を決定的に演出するのが自然災害でありまして、余力のない国家は復興がままならなくなるのであります。江戸時代末期の浅間山の噴火は、その一つの表れであります。江戸幕府は、ずるずると支配体制を弱めてしまいました。平安初期の貞観地震と大津波は、建設途上の律令国家を揺るがし、せっかくの中央集権という新制度はあえなく縮小していったことでありましょう。というようなことを、まったくの知ったかぶりで書けるほど、実は明らか。「なかなか上手くいったぞ」「けっこう成功したんだ」というのは、幻影なのであります。恋愛もまた、幻影であります。「成就したぞ」「素敵な相手に出逢ったぞ」というのは自分の期待が姿を変えたものに過ぎません。一人合点では、やがて破綻するのは一目瞭然でありまして、危ういものなのです。国家も恋も。


珍しく、最後にまとまりましたね。いよいよ、ラストスパート。案外実り多いなあと思います。ここまでが、2011年の震災の後の文章ですから、今読むと何を言っているのか判然といたしません。きっと、切羽詰まった気持ちで、思いのたけを書いたようです。(笑)

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